第581話

「はあああああぁっ!」


 雄叫びと共に振るわれる長剣に朝日が煌めき、微かにレイの視線を封じる。

 それを狙ってやったのか、あるいは偶然だったのか。どちらかは分からなかったが、レイは空気を斬り裂きながら迫ってくる長剣の刀身を、手に持っていたデスサイズの柄で受け止める。

 デスサイズがマジックアイテムでなければ、あるいは柄が切断されたかもしれないような一撃。

 振るわれる長剣が模擬戦用の刃がついていないものであればまだしも、現在レイに振るわれている長剣はきちんと刃がついており、その鋭さもゴブリン程度なら一刀の下に切断するだけの力と鋭さがある。

 だが……


「甘い」


 長剣がデスサイズの柄と触れた瞬間、手首を返したレイの動きにより長剣の刀身が絡め取られ、振り下ろした勢いを利用して空中へと放り投げられる。

 先程はレイの視線を妨害した朝日が、今度は空中で回転している長剣の刀身に煌めく。

 落ちてきた長剣をデスサイズの石突きの部分で受け止め、回転の勢いを殺して地面へと落下させる。

 これ以上ない程の勝負あり。

 それ以外には見えない光景だった。


「ぐっ、また負けた……」


 先程の一撃は余程に自信のあった一撃だったのだろう。だが、その一撃もレイによってあっさりと封じられてしまっては、完敗としか言いようがなかった。

 宿が襲撃された後で数時間の仮眠を取った後の早朝。

 ロドスも闘技大会へと出場することが認められ、本人としても腕を磨こうとレイに訓練を申し込んできたのだが……その結果がこの光景だった。


「剣の扱いはさすがに様になってるが、鋭さも力も特筆すべきものはない。闘技大会に出て活躍したいと思うんなら、全体的な技術の上昇が必要だな」


 そう呟くレイだが、本人も闘技大会に出場するのはこれが初めてであり、具体的にどの程度の力量があれば予選を勝ち抜けるかというのは、大体の予想に過ぎない。


(実は俺の予想よりもレベルが高かったり、あるいは低かったりする可能性もあるが……まぁ、その辺に関しては今気にしてもしょうがないだろうしな)


 そんな風に考えていると、黙って戦いのやり取りを見守っていたセトが喉を鳴らしながら近づいてくる。


「グルルルゥ」


 ここにセトがいるというのは、それ程複雑な理由がある訳ではない。単純に模擬戦が出来るような広さを持っており、人目がない場所となれば厩舎の近くしかなかった為だ。

 そして、レイが近づくのにセトが気が付かない筈がなく、模擬戦を始める前には既に厩舎から姿を現していた。

 もっとも、本来であれば厩舎の中にいる動物や従魔が好き勝手に出てくるようなことはないのだが。

 その辺はダスカー一行のメンバーであり、何よりセトであるという理由により看過されているらしい。


「悪いな、セト。ちょっとうるさくしすぎたか?」

「グルゥ」


 レイの言葉に大丈夫、と喉を鳴らすセト。

 そんなセトに小さく笑みを浮かべつつ、レイは頭を撫でてやる。

 いつものように喉を鳴らしつつ撫でられる気持ちよさに身体を委ねるが、ロドスがレイに向かって近づいてくるとそれも止まる。

 数秒前までは機嫌のいい猫の如き鳴き声を上げていたセトが、猫は猫でも大型の猫科肉食獣の如き視線をロドスに向ける。

 当然ロドスもそのような視線を向けられれば足を止め、お互いに半ば膠着状態にとなっていた。

 相変わらず仲の悪い1人と1匹を眺め、思わず溜息を吐くレイ。


(色んな意味で出会い方が最悪だったからなぁ……)


 オークの集落の件でレイと雷神の斧の面々が初顔合わせしたことや、その後ギルムの外で集合した時のことを思い出しながら、小さく首を振る。

 考えるまでもなく、お互いがお互いに対する第一印象は最悪だったのだろうと。

 セトにしてみれば自分の相棒であるレイに対して喧嘩腰であり、ロドスはそんなレイの相棒であり、危険なランクAモンスターに母親のミンを近づけたくなかった。

 出会いが悪くても、お互いが歩み寄れば関係の改善も出来たかもしれない。だが、結局そのようなことは起こらずにここまで来てしまっていた。


『……』


 お互いがお互いを牽制するかのような無言の時間が過ぎていく。

 そんな1人と1匹の様子にレイが何かを言おうとした、その時。


「おーい、そろそろ朝食の時間だぞ。今日は食事を済ませたらさっさとここを出るんだから、食いっぱぐれないようにしろよ」


 ダスカーの護衛をしている騎士の1人が、そんな風に声を掛けながらやってきた。

 これぞ天の助けとばかりに、レイは口を開く。


「そうだったな。少し遅れたか。悪い、すぐに行く。ほら、セトもそろそろ食事だろ。ロドスもだ。お前達、大人げない真似も程々にしておけよ」


 そう告げたレイだったが、何故か戻ってきたのはロドスの呆れたような視線。

 唯一の救いと言えば、セトがレイの言葉を素直に聞いて厩舎の中へと戻っていったことか。

 もっとも、ロドスに構うよりも美味い食事を食べる方が絶対的に優先度が高いという理由だったのだが。


「大人げないって……レイにだけは言われたくない台詞だよな」

「ほう? それはどういう意味かな?」

「自分の胸に手を当てて考えてみろよ。そうすればすぐに分かるから」

「……なるほど。そこまで言うのなら、次の訓練からはもう少し厳しくしても大丈夫そうだな」


 レイの口から出た言葉に、ロドスは思わずといった様子で叫ぶ。


「おい、ちょっと待てよ。今のやり取りのどこに訓練を厳しくする要素があったんだ?」

「さて、どこだろうな。それに訓練が厳しくなるというのは、それだけ強くなれるってことだ。ロドスとしては寧ろ望むところじゃないのか?」

「それはそうだが……」


 口籠もるロドスに、レイは畳みかけるように言葉を放つ。


「大体訓練をつけてくれって言ってきたのはお前の方だろ? 何をどう考えたのかは分からないが、自分から闘技大会に出るって決めて、その訓練を俺に頼んできたんだろ? ならその訓練を多少厳しくしても、文句を言われるどころか喜んで貰えるとばかり思っていたんだけどな」


 そう、戦闘訓練に関してはロドスの方からレイに頼んできたのだ。

 勿論ロドスが強い相手と考えて真っ先に浮かぶのは父親であるエルクだった。

 だが、エルクはあくまでもダスカーの護衛として雇われているのだ。それもレイのように名目上だけの護衛という訳ではなく、実際の護衛としてだ。

 特にベスティア帝国に入ってからは悪意に満ちた視線を感じることも多く、前日には実際に宿が襲撃されている。

 それを思えば、ダスカーの護衛であるエルクに訓練をつけて貰う訳にはいかず、母親であるミンは魔法使いであるが故に武器を使った戦闘は得意ではない。

 武器を使った戦闘となると騎士もいるのだが、その騎士にしても護衛する為に来ているし、何より実力的にロドスより明確に上の者はいない。

 そうなれば残っているのは、戦闘力でエルクに匹敵し、護衛というのもあくまでも名目でしかない為に暇を持てあます……とまではいかないが、それでも他の者よりも自由になる時間の多いレイだけだった。


(それでもそうやってこっちが反論出来ないように言ってくるから、大人げないって言うんだよ)


 口に出せば更に訓練が厳しくなるのは確実なので、内心だけで呟くロドス。

 もっとも、ロドスにしても消去法のみでレイを訓練相手に選んだ訳ではない。

 闘技大会の予選を勝ち抜き、決勝トーナメントまで進めばいつかはレイと戦うかもしれない。その時の為に、少しでもレイの戦闘時の癖を掴んでおきたいという目的もあった。

 そして何よりも最大の理由は……

 ロドスの脳裏にヴィヘラの姿が思い浮かぶ。

 一目見ただけで魂を奪われた……というのは言い過ぎだろうが、そうとしか思えない程の人物。


(戦いを……そして強さを尊ぶ人だと聞いた。そうである以上、もしかして俺がレイに勝てたら……あるいは……)


 万が一、あるいは億が一だろうその可能性。

 ヴィヘラがレイよりも自分を選んでくれるのではないかという、そんな思いを顔に出さないように隠しつつ、ロドスはレイと共に宿の食堂へと向かうのだった。






「これは、また……」


 食堂の中へと入ったレイが思わず呟く。

 昨夜の戦いで椅子やテーブルを含めて相当の数が壊れた筈だというのに、こうして見る限りでは全くその痕跡がない。

 壊れた筈の椅子やテーブルも新しくなっており、床にあった血の跡、武器や防具の破片といったものは一切存在せず、まるで昨夜この食堂で乱闘があったというのは夢であるかのような光景。


「おう、ロドス。レイも。こっちに来てさっさと食えよ」


 そう声を掛けてきたのは、テーブルで大量のパンとスープを、そしてサラダ、串焼き、ベーコンステーキといった諸々を美味そうに口へと運んでいるエルクだった。

 一瞬エルクの近くにダスカーがいないのかとも思ったレイやロドスだったが、ダスカーだけではなくミンの姿もない。


「父さん、ダスカー様を放っておいていいのか?」

「ん? ああ、今は代官が来て昨日の件の話し合いをしているところだ。あの場に俺がいても何の役にもたたねぇよ。だからミンに任せて俺は腹ごしらえって訳だ。……ああ、姉ちゃん。この2人にも俺と同じのを頼む」


 レイとロドスがテーブルに着いたのを見て近寄ってきたウェイトレスに、エルクは何の躊躇もなく注文する。


「ちょっ、待てよ父さん。俺がそんなに食える訳ないだろ!?」


 テーブルの上にある大量の料理を前に、半ば悲鳴のように叫ぶロドス。

 だがエルクは小さく溜息を吐いて、平然とした顔で豆と臓物の煮物を追加注文しているレイに視線を向ける。


「レイは問題ないようだが?」

「だ・か・らっ! 俺を父さん達みたいな常識外れの存在と一緒にしないでくれって言ってるんだよ!」


 がーっとばかりに叫ぶロドスに、エルクは口元に笑みを浮かべつつ溜息を吐くという器用な真似をして、口を開く。


「あのなぁ、お前がレイに勝てないのは食える量が少ないってのもあるんだぜ?」

「は? そんなの関係……」

「あるんだよ。まぁ、全てが事実って訳じゃないが、それでも食える量が多いってことはそれだけ体力も多いってことだ」

「何だよそれ、そんなのは父さんやレイみたいな人外だけだよ!」

「……その人外に勝ちたいんだろう?」

「うぐっ!」


 エルクの口から出た言葉に、思わずロドスの言葉が詰まる。

 そのまま少し考え、早速とばかりにレイがエルクやロドスのやり取りを放っておきながら勝手にエルクの分の串焼きを食べている様子を眺め……

 ウェイトレスが運んできたパンへと視線を向けると、やがて自棄になったように無言で籠の中に入っているパンへと手を伸ばす。

 街の中でも最も高級な宿だけあって、出される料理はどれも美味い。

 パンにしても焼きたてで香ばしく、非常に柔らかい噛み応えだ。

 それ以外の料理にしても、腕利きの料理人が調理しているだけあって街中の食堂で食べる料理と比べると格段に美味かった。

 ロドスも朝から身体を動かしたのでやはり空腹だったのだろう。一口、二口とパンを口に運ぶと、次第に無言で料理へと集中していく。

 それを見たエルクも、ほら見ろと言わんばかりに自分の料理へと手を伸ばす。

 そのまま数分。 

 最初は無言でそれぞれ朝食を食べていた三人だったが、やがて人心地ついたのかレイが臓物と豆の煮物の最後の一口を食べ終わると口を開く。


「それで、昨日の襲撃の件に関してはどうなりそうだ? 丁度今その件に関して話しているってことだったが」

「ん? ああ。まぁ、一応の抗議程度で済ませる予定だ。ここで厳重抗議とかをしようものなら、無駄に時間が掛かるしな。それに前もって襲撃の可能性は知らされていたし、何よりも宿の周囲でこの街の警備隊や騎士達がそれなりに活躍したからな」


 当然襲撃の可能性があると判断されていた以上、代官としてもそれを教えておしまいという訳ではない。ダスカーが目障りに思わない程度に宿から距離を取り、騎士や警備兵を待機させていたのだ。

 そして宿へと向かった暴徒のうち、少なくない数の者がこの街の警備兵や騎士達に捕らえられ、あるいは殺されている。


「何でも聞いた話だと、この街の兵力で対処した中にも例の痛覚が麻痺して通常よりも高い力を発揮出来る奴がいたらしい。通常の暴徒に比べてかなりの被害が出たとか言ってたな。……それでも結局は宿への襲撃を防ぐことが出来なかった以上、代官はここの領主に何らかの罰を与えられるのは間違いないだろうな」


 小さく肩を竦めつつ告げるエルクの言葉に、代官の不運さを感じつつレイやロドスは食事を続ける。

 そうして、食事が終わった後は既に聞き取り調査が終わっていたこともあり、ダスカー一行は多少遅れはしたものの、昼前には街を出発することが出来たのだった。

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