第570話

 夜、セレムース平原の一画に10を超えるテントが張られていた。

 そのテントの中心には3台の馬車が存在しており、テントの周囲には護衛の騎士が。そしてそんな護衛の騎士に混ざるようにしてセトの姿もあった。

 もっとも、セトはいつも通りレイが休んでいるマジックテントの側で地面に寝転がって警戒しているのだが。

 既にその足下には、幾つかのスケルトンやゾンビと思われるモンスターの残骸があった。

 案の定と言うべきか、太陽が沈んで幾らもしないうちにスケルトンやゾンビを主とするアンデッドがこの野営地へと向かってきたのだ。


「グルルゥ」


 セトは寝転がりつつ、視線を少し離れた場所に転がっているゾンビの肉片へと向けて不愉快そうに喉を鳴らす。

 敵がスケルトンだけならまだマシだったのだ。

 いや、セトにしてみればゾンビよりマシどころではない。ゾンビ1匹を相手にするのなら、スケルトン30匹を相手にした方がまだマシだという思いで一杯だった。

 その原因は、周囲に漂うゾンビの腐臭。

 迷宮都市であるエグジルのダンジョンでも、アンデッドを相手にした場合は強烈な腐臭に苦しめられたが、この地でもその腐臭を嗅ぐ羽目になるというのはさすがに予想外だった。

 それでも臭いの籠もるダンジョンの中ではなく、平原であるこの地で戦うことになったのはまだマシだったのだろう。

 風により腐臭が薄れていくのを感じていたセトは、自分の方へと近づいてくる気配と足音を察知する。

 一瞬だけ瞑っていた目を開くが、その足音と気配が野営地の中から自分の方へと向かってくるのに気が付き、警戒を解く。

 アンデッドではなく、きちんとした人の気配を感じ取ったからだ。

 そして案の定、暗闇から姿を現したのは護衛騎士の一人だった。


「セト、こっちに異常は……あったみたいだな」

「グルゥ」


 騎士の言葉に喉を鳴らして返すセト。

 レイが休んでいるテントは、野営地の中でも外側の方に存在していた。

 これは別にレイが嫌われているとかそのような理由ではなく、純粋にセトが夜の警戒を担当するのだからその方がいいとレイ自身がダスカーへと進言した為だ。

 ダスカーとしてもセトがどれ程の存在なのかは嫌という程に知っている為、レイからの申し出を受け入れるしかなかった。

 最近ギルムに来て採用されたばかりの護衛騎士は、レイのマジックテントはダスカーのすぐ側に置いてセトだけを野営地の外側で待機してもらって周囲を警戒して貰っては? と意見を出した者がいたが、それは満場一致に近い状態で却下された。

 そもそもセトが最も守りたいと考えているのは、あくまでも大好きな相棒でもあるレイだ。

 勿論それ以外にも好意を感じている相手はいるが、それでもレイの次でしかない。

 それ故に新人の騎士の意見は却下され、最終的にはレイのマジックテントを野営地の外側に設置して、セトにはレイの護衛と共に周囲の警戒をして貰うという事に落ち着いたのだった。

 尚、レイは一応護衛として雇われているものの、それはあくまでも表向きのことであり、騎士達もそれを理解しているので見張りをせずに眠っていても文句を言う者はいない。

 いや、マジックテントの快適さを知っている者達は羨ましいと溢しはしているのだが。


「お前にばかり負担を掛けて悪いな。ほら、これでも食ってくれ」


 自分の方に円らな瞳を向けてくるセトへと、騎士は持っていた干し肉を放り投げる。


「グルゥ!」


 それを嬉しそうにクチバシで受け止め、そのまま口の中に収めるセト。

 喉を鳴らしつつ干し肉を味わっているその姿は、とてもではないが周囲の警戒をしているようには思えなかった。

 セトと……より正確にはセトを従えているレイと出会ってからそれなりに長い騎士だったが、それでも今のセトを見ていれば大丈夫か? と心配せずにはいられない。

 ただ、その心配の方向性が『こいつに見張りを任せて大丈夫か?』ではなく、『セトが油断して怪我をしたら嫌だなぁ』という心配である辺り、十分以上にセトに毒されていると言ってもいいだろう。

 だが……そんな風にセトが心配で様子を見に来た――あるいはセトを見て癒やされに来た――騎士の視線の先で、干し肉をあぐあぐと味わっていたセトが、その動きをピタリと止める。

 普段は円らな瞳と表現出来るその目が、鋭く月明かりに照らされている野営地の外へと向けられる。


「グルルルルゥッ!」


 一瞬だけ身体を沈め、その反動を利用して跳躍。鋭く鳴き声を上げながら空中で翼を広げて落下地点を修正しつつ、羽ばたきにより落下速度を上げる。

 その叫びと共に振り下ろされたのは、前足。

 セト自身の体重と、筋力。落下速度までをも合わせたその一撃は、風の音に紛れて近づいてきていたスケルトンの頭部へと命中し、そのまま威力が減ることなく振り下ろされ、背骨、肋骨、股関節と、命中する端から砕いていく。

 一撃で野営地へと向かっていたスケルトンを滅ぼすと、満足そうに鳴き声を上げてから魔石をクチバシで咥えて先程まで自分が寝転がっていた場所へと戻っていく。

 ……既に吸収しているにも関わらず魔石を集めるのは、レイの行動をよく見ていたからこそか。

 クチバシで咥えていた魔石を寝転がった自分の横へと置くと、再び円らな瞳で騎士へと視線を向ける。


「グルゥ?」

「は、ははは。俺が様子を見に来る必要はなかったみたいだな」


 セトが魔石を置いた方へと視線を向けると、そこには10個近い魔石が存在していた。

 全てセトが倒したアンデッドの魔石なのは間違いない。


「それにしてもさすがにセトだな。こっちの方面の心配はしなくてもいいか」

「グルルゥ!」


 任せて、と喉を鳴らすセトに騎士も笑みを浮かべてそっと手を伸ばし、頭を撫でる。

 そのまま数分。

 この光景を某灼熱の風のパーティリーダーが見たとしたら、恐らく……いや、間違いなく嫉妬していただろう。

 そんな光景を数分過ごし、やがてセトの頭からそっと手を放す。


「じゃ、俺はそろそろ戻るよ。セトも気をつけてな」

「グルゥ!」


 その言葉に喉を鳴らして答え、そのまま去って行く騎士の後ろ姿を見送る。

 そうして騎士の姿が野営地の中の方へと消えた後は、再び目を瞑って五感を……特に聴覚を最大限に活用してアンデッドが襲ってくるのを察知しては迎撃するのだった。






 翌日、マジックテントの中にある柔らかなベッドでぐっすりと睡眠をとったレイが外へと出てきて最初に視界に入ったのは、当然の如く草原の上に寝転がっているセト。

 それは予想通りだったのだが、問題はそのセトの側で小さな山を築いている魔石だった。

 数にして、20……いや、30はあるだろうか。

 それだけの魔石が小さな山となってセトの側に積み上げられていた。

 そうして、周囲には朝には相応しくない腐臭が薄らと漂っている。


「グルルゥ!」


 おはようと喉を鳴らして挨拶してくるセトに、レイもまた笑みを浮かべて挨拶を返す。


「ああ、おはよう。見張りをしてくれて助かったよ。……にしても、これ全部アンデッドの魔石か?」

「グルゥ」


 レイの問い掛けに頷き、野営地の中や外にある残骸ともいえる存在に視線を向けるセト。

 骨の欠片はスケルトンのものだろう。そして半ば溶けかかっていたり、腐臭の原因となっているのはゾンビの肉片か。


「悪いな、セト。助かった……いや、待て」


 そこまで呟き、思わず首を傾げて自分が出てきたばかりのマジックテントへと視線を向ける。

 そう、本来であれば低レベルのモンスターは寄せ付けないような能力を持っている筈のマジックテントを……だ。


(どうなっている? 血塗れた刃の時は、範囲が広すぎたからだった。だが、今回は人数的にもそれ程多くないし、野営地の範囲も狭い。……いや、ここであれこれと考えるよりも、ダスカー様に聞いた方が早いか)

「グルルルゥ?」


 突然沈黙したレイに、どうしたの? と声を掛けるセト。

 それに何でもないと言葉を返し、レイはマジックテントをミスティリングへと収納してからセトと共にダスカーの元へと向かう。






「おはようございます、ダスカー様」

「ん? ああ、レイか。昨夜はセトのおかげで助かった。レイのマジックテントがある方はセトのおかげで警戒しなくても良かったからな。騎士達も余裕を持って交代させられたよ」


 そう口を開くダスカーは、まだ朝だというのに少しも辛そうな様子がない。いや、寧ろ気力が満ちていると言ってもいいだろう。

 そんなダスカーの横では、エルク、ミン、ロドスの雷神の斧3人。そしてヴィヘラとテオレームのベスティア帝国組が帝国内に入ってからの件で相談をしていた。


「いえ、消耗が少ないようで何よりです。……それでちょっとマジックテントについて質問があるのですが。あのマジックテントの効果の1つに、弱いモンスターを寄せ付けないというのがあったと思いますけど、昨夜は効果が無かったようなのですが。理由が分かりますか?」


 レイの口から出た質問に、ダスカーは何を言っているんだ? とでも言いたげな不思議な表情を浮かべ、口を開く。


「それは恐らく、このセレムース平原という場所特有の効果だろうな。普通であれば、スケルトンやゾンビのようなアンデッドも近寄らせることはないんだし」

「セレムース平原の?」

「そうだ。既に何度も言ってると思うが、このセレムース平原は幾度となく戦争の舞台となってきた。その結果、強い怨念の類が染みつくようになっている。恐らくはその為だろう」

「……なるほど」


 ダスカーの言葉に、それなら入植云々以前の問題なのでは? と思ったレイだったが、魔法使いの冒険者であればアンデッドの浄化を得意とする神聖魔法を使える者も存在している。

 それも込みで考え……やはりここに入植をするのは難しいだろうというのが、レイの正直な思いだ。


「そもそも、お前のマジックテントにあるモンスター除けの効果が発揮するのなら、お前のテントを中心にして野営地とするに決まっているだろ?」


 ダスカーの口から出た言葉は、確かにと頷ける内容だった。

 もっともレイとしては、てっきりダスカーはマジックテントのモンスターを寄せ付けない効果を知っての上で、野営地の外れにいても他のテントを含めて殆どがモンスター除けの効果で大丈夫なのだろうと判断してのものだと思っていたのだが。


「なるほど、セレムース平原……俺が予想していたより、かなり厄介な場所のようですね」

「それは否定しねえよ。……さ、それよりもレイ。朝食の準備を頼む。そろそろ食事を済ませて出掛けたいからな」


 レイの食事と聞かされ、その場で二人のやり取りを見守っていた全員が嬉しそうな笑みを浮かべる。

 アイテムボックスを持っているが故にこのような場所でも出来たての料理を食べることが出来るのは、間違いなく一行の士気を上げている要因だった。


「そうですね、では……朝食ですし、あまり重くない料理にしましょうか」


 呟いて取り出したのは、大きめのバスケットにたっぷりと入ったサンドイッチ。

 ただし具は野菜とハムという非常にありふれたものだ。

 だがパンは焼きたてであり、野菜は新鮮なまま。

 とてもこのような場所で食べられる料理ではなかった。

 他にもベーコンと木の実とキノコのスープを取り出し、こちらも出来たての温かいものをスープ皿へと取り分けていく。

 尚、セトの料理のみはたっぷりの肉を軽く味付けして焼いたものだった。

 ……それを見た騎士達の数人、そしてエルクは羨ましそうな視線をセトへと向けるが、さすがにセトの食事を奪うような真似はせずに大人しく朝食を開始する。


「それにしても、セレムース平原を抜けるのにはどのくらい掛かるんだ?」


 サンドイッチを口へと運びながら尋ねるレイに、ヴィヘラがスープを飲みこみ口を開く。


「昨日の速度から考えると、大体明後日の昼過ぎくらいかしら」

「確かにそうですね。モンスターの類に襲われたりして無駄に時間を取られなければ、そのくらいかと。馬で移動するのならともかく、馬車ですし」


 サンドイッチを片手にテオレームが頷き、その話を聞いていた他の者達もまた納得する。

 レイもまたその説明に納得しながら、ふとこれからのことが気になり口を開く。


「なら、その手前くらいで別れるのか?」


 レイの目的がベスティア帝国上層部の注目を集めて、軟禁されている第3皇子の救出を援護するという目的な以上、共に行動するのはどう考えても不味いだろう。そんな思いで尋ねたその質問に、ヴィヘラがその瞳に微かな悲しみの色を浮かべて頷く。


「そうなるわね。ただ、レイやラルクス辺境伯の一行は色々と目立つでしょうから、何かあった時にこちらから連絡するのは難しくないわ。そっちからの連絡は……」


 チラリ、と話を聞きながらサンドイッチを食べているダスカーへと視線を向けるヴィヘラだったが、そのダスカーは問題ないと頷く。


「昨夜話した通りだろう。問題ない」


 そう告げるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る