第571話

「はあああぁぁああぁっ!」


 そんな叫び声と共に、ロドスが長剣を構えて突っ込んで行く。

 相手との間合いを詰め、長剣を袈裟懸けに振り下ろす。

 10代の若さでランクC冒険者まで駆け上がったのが親の七光りではないというのは、その剣筋の鋭さを見れば明らかだ。

 だが……


「甘いわよ」


 それを受ける方のヴィヘラはと言えば、身体を半身にしながら振り下ろされた長剣の刀身を手甲で横に弾く。

 ロドスの使っている長剣が模擬戦用で刃がついていないものだとしても、普通ならそんな真似は出来ない。

 レイと互角……とまでは言わないが、それなりにやり合えるだけの実力を持っているヴィヘラだからこそ可能な身のこなしだった。

 手甲により軌道を強引にずらされた長剣は、そのまま地面へと剣先を叩きつける。

 振り下ろされた一撃の威力は高く、周囲に草と土、石が散らばり……だが、その一撃が地面に叩きつけられた威力が高かった故にロドスの手は衝撃で痺れて一瞬動きが止まる。


「はい、終わり」


 動きの止まった一瞬。それは、ヴィヘラ程の実力がある者にしてみれば十分過ぎる程の隙だった。

 ロドスの間合いの内側。いつの間にかほぼ密着する位置にヴィヘラの姿があり、側頭部にコツンとした衝撃。

 側頭部にあるのがヴィヘラの手甲であると知ったロドスは、これ以上ない程の完璧な敗北に小さく溜息を吐く。

 もしもヴィヘラが今の一撃を本気で打っていれば、気を失う……というのはまだいい方で、頭部が砕けていたのだと理解したからだ。


「俺のま……け……」


 自分のすぐ近くにヴィヘラの匂い立つような肢体があるのを理解し、最後まで言葉が出せずに思わず言葉に詰まるロドス。

 微かに香ってくる微かな甘みを感じさせるその匂いに一瞬息を呑むが、すぐ我に返ると数歩後ろへと下がって大きく息を吸う。


(へぇ)


 戦いの様子を見ていたエルクは、内心で思わず呟く。

 自分の母親であるミンを慕い、同年代の女に対してはあまり興味を持たなかったロドスだが、ヴィヘラに対する態度は明らかに今までのものとは違っていたからだ。

 もしかしたら母親ではなく他の女に興味を持ったかも?

 内心でそう考え、しかしすぐに首を横に振る。

 確かに自分の息子が異性に興味を持ったのは嬉しい。だが、その相手が決定的に悪かった。

 ベスティア帝国第2皇女にして、レイから聞いた話では異名と呼ぶ程ではないが、迷宮都市エグジルでは狂獣と呼ばれていた程の戦闘狂。

 それだけでもロドスがどうにか出来る相手ではない。

 更に決定的なのは……


「どう、レイ。少しは私の強さに見惚れてくれた?」


 そう。ロドスの側頭部から手甲を離したヴィヘラは、レイへと向かって笑みを浮かべつつ尋ねる。

 共に過ごした時間は短いが、ヴィヘラという女がレイに対して積極的にアピールをしているのは、エルクの目にも明らかだった。


(我が息子ながら哀れな……ロドスの場合、略奪愛とかも出来ないだろうし)


 息子の恋の行く末に、エルクは遠い目をしながらセレムース平原を眺める。

 テオレームに対しては色々と含むところがあるエルクだったが、そのテオレームと共にいるだけの……それも、何年も前に国を出奔しているヴィヘラには特に何かがある訳でもなかった。

 それはヴィヘラが第2皇女であると知っても変わらないし、それ以前に今のエルクはテオレームとの戦いで一応のケジメは付けており、これ以上テオレームに対して何かをするつもりもない。

 内心はどうあれ、だ。

 そんな風にエルクが内心で考えていると、セトに寄りかかりながらヴィヘラとロドスの模擬戦を見ていたレイが頷きながら口を開く。


「さすがにヴィヘラだ。身体の動かし方が滑らかだったし、文句を付けるところが見つからないな」

「ふふっ、そうでしょ。……じゃあ、どう? レイも戦ってみない?」


 誘うような艶然とした流し目だったが、レイは苦笑を浮かべながら首を横に振る。


「残念ながら午後からも移動だからな。今は少しゆっくりしていたい」

「もう」


 つれないレイの言葉に、微かに唇を尖らせて不満の表情を浮かべるヴィヘラ。

 先程の流し目と今の拗ねた表情。その2つを見ていた護衛の騎士の数名が耳まで真っ赤に染まる。

 それに気が付いたのだろう。ヴィヘラは笑みを浮かべつつ口を開く。


「どう? 騎士の皆さん、ちょっと私と戦ってみない? もし勝てたら、いいことがあるかもしれないわよ?」


 レイに負けるまでは自分に勝ったら抱かれてもいいと公言し、自らの美貌を餌として戦いを求めていた。

 だが、レイに負けて恋してしまった今では、そんな真似をするつもりはない。

 それでも艶事を匂わせるような真似をする、というのを止めはせずに誘いを掛ける。

 もしそれで自分が負けた場合でも、貞操を許す気はなかったが。

 ある意味、食虫花の如き存在とも言えるだろう。

 しかし、幸いこの時はそれに引っ掛かるような者はいなかった。

 いや、もしも数分程時間に余裕があれば分からなかったが、そうなる前に周囲に声が響き渡ったのだ。


「昼の休憩は終わりだ、出発するぞ!」


 姿を現しつつそう告げたのは、ダスカー。

 どこか困ったような笑みを浮かべつつ、ヴィヘラへと言葉を掛ける。


「皇女殿下、貴方に何かあったらこちらとしても責任を負いかねます。冒険者が相手であればなんとでも言い訳出来ますが、さすがに騎士が相手となると……」

「あら、残念。けど、ラルクス辺境伯の騎士は結構腕の立つ人達が揃っているわよ?」

「それはまぁ、私の領地は辺境のギルムですから」


 モンスターの氾濫等が起こった時、ギルムでは冒険者は勿論警備隊や騎士団も当然その対処に当たる。

 また、冒険者が多く集まるだけに当然冒険者同士の騒動も多くなる。

 特に後者に関しては、普段であれば警備隊が鎮圧するのが普通だが、警備隊で手に負えない時には騎士へと応援の要請もくるのだ。

 つまり、騎士である以上は警備隊の手に負えない冒険者を相手にする可能性も高く、その分力量も問われる。


「ギルム、ね。レイの本拠地でもあるらしいし、今回の騒ぎが落ち着いたらちょっと顔を出してみようかしら」

「それは……いえ、何とも言えませんな」


 一瞬言い淀むダスカーだったが、小さく苦笑を浮かべてそう返す。

 ラルクス辺境伯という立場としては、腕の立つ冒険者が増えるのは大歓迎であり、拒むつもりはない。

 だが、ヴィヘラの場合はベスティア帝国第2皇女という立場があるのだ。

 幾ら本人が既に出奔しており皇籍を抜けたと公言していても、そんな立場の者がギルムにいれば厄介なことになるのは目に見えていた。

 主に、国王派からのちょっかいによって。

 同時に、今回は協力しているが貴族派とて別に仲間という訳ではない。

 特に貴族派の中心人物でもあるケレベル公爵やその周辺人物はまだしも、中には貴族至上主義で平民はゴミ同然と思っているような貴族もいるのだから。


(まぁ、中立派だって他の派閥のことは言えないけどな)


 ダスカーの脳裏に、貴族派や国王派と繋がっていると思われる中立派の顔が数名思い浮かぶも、小さく首を振ってそれを消す。


「そうですな、今回の件が終わったらゆっくりと検討させて貰います。勿論ギルムの領主としては腕の立つ冒険者は大歓迎ですがね」

「そう? なら楽しみにさせて貰うわ」


 一応の言質は取ったと判断したのだろう。ヴィヘラは戦いに邪魔になるということで草原に脱ぎ捨てていたローブを羽織る。

 その光景に数人の騎士が残念そうに溜息を吐いたのだが、ダスカーが視線を向けるとそれもすぐに消えていく。

 これからベスティア帝国で行われる闘技大会や、それに付随する諸々の厄介事を予想して思わず溜息を吐く。

 勿論それら全てを考え、検討し、その結果こうしてテオレームへと協力することを決めたのだが、それでもやはり思うところがない訳でもない。

 だがラルクス辺境伯という地位にあり、中立派の中心人物でもある自分が揺らぐ訳にもいかない。

 そう判断し、改めて気合いを入れてから口を開く。


「昼の休憩は終わりだと言っただろう! いつまでも休んでいるな!」


 先程ここに姿を現した時と同じことを口にし、一行を急がせる。

 昼の休憩は1時間程しかとっていないが、それでも夜になるまでにもっと距離を稼いでおきたかった。

 夜になれば、スケルトンやゾンビといった弱いアンデッドではあるが、多くがこのセレムース平原を彷徨い、生きている自分達を襲ってくるのだから。


(特に今がまだ暑いというのが厄介だ)


 幾度か嗅いだゾンビの腐臭を思い出し、ダスカーは苦い溜息を吐く。

 春の戦争で死んだ者達の恨み辛みがスケルトンやゾンビといったアンデッドとなってこの地を彷徨っている。

 勿論春の戦争がミレアーナ王国側の圧勝ではあった。だが、だからといってミレアーナ王国の兵士が死んでいない訳もなく、ゾンビの中にはミレアーナ王国軍の鎧を着ている者も多くいた。

 冒険者、騎士、兵士、その他諸々。様々な人物が春の戦争で死んでおり、それらの恨みがアンデッドを生み出す。


(どうにか出来れば、ここは最高の入植地になるんだがな)


 派閥云々ではなく純粋にミレアーナ王国の貴族としてそう考えつつ、それでもすぐに首を振って考えを改める。

 今はそんなことを考えている時ではなく、ベスティア帝国で行われる闘技大会の件に力をいれるべきだ、と。


「ダスカー様、準備整いました。いつでも出発可能です」


 背後から聞こえてくるそんな声で我に返る。

 周囲を見ると、少し前までその場にいた全員が既に消えており、馬に乗り、あるいは馬車へと乗っていた。

 セトの上にはレイが跨がっており、まさに自分以外は全員が既に準備万端といった様子だ。

 チラリと自分が乗る馬車へと視線を向けると、そこにいるのはエルク率いる雷神の斧。

 護衛としては、やはりダスカーが馬車に乗るまではその役目上、外にいるしかないのだろう。


「悪いな、すぐに出発する」


 誰にともなく呟き、馬車へと乗り込む。

 そのすぐ後にエルク達が乗り込み、こうして出発準備は完了するのだった。






 午後の日差しが降り注ぐ中、ダスカー一行はセレムース平原を進んでいく。

 まだ日中ということもあってアンデッドの類は活動しておらず、モンスターの類もセレムース平原には殆ど存在しない。

 何しろ、無数のアンデッドが存在するセレムース平原だ。多少のモンスターがいたとしても、夜になればすぐにアンデッドに襲われてその命を散らす。

 モンスターにしてもそれが分かっているのだろう。自らの力に自信のある、あるいはその辺も考えられないモンスターのみがセレムース平原には存在していた。

 そんなモンスター達にしても数の暴力に抗えるはずもなく、運のいいものはセレムース平原から逃げ出し、そして大半はアンデッドの餌食となり、結果的にはその仲間入りをして余計にアンデッドの数が増えることになるという悪循環だ。

 それでもこのセレムース平原を旅する者が少なくないのは、やはりベスティア帝国とミレアーナ王国を結ぶ最短距離であり、草原だけあって道も悪くないからこそだろう。

 だからこそ、セレムース平原を進む一行は、自分達が目指しているベスティア方面から一台の馬車が向かってきているのに気が付く。

 一応念の為とばかりに、騎士達はいつでも武器を抜けるように準備をする。

 テオレームとヴィヘラの2人は、万が一にも自分の顔を知っているかもしれないと馬車の陰へと馬ごと姿を隠す。

 レイもまた、何かあった時にはすぐ対応出来るようにミスティリングからデスサイズを取り出す。

 巨大な鎌のデスサイズを手に、一瞬今の自分の状況では目立ってしまうのでは? と内心思ったレイだったが、すぐにセトに乗っている時点で今更だと判断する。


(それでも、相手の馬車は一台しかない。それに比べてこっちは三台。そんな状況で襲ってくるか? しかもこっちの戦力は過剰に近いし)


 ダスカー一行の戦力はエルクとレイ、ヴィヘラにテオレームがいる時点でどう考えても護衛をどうこうする戦力ではない。更にグリフォンのセトや、辺境のギルムで騎士をやっている護衛だ。

 ダスカー本人にしても、元々は王都の騎士団にいた経験があり、鍛錬も欠かしてはいない。

 これだけの戦力が存在するダスカー一向に襲い掛かるとしたら、余程の腕利きか全く何も考えていない馬鹿だろう。


(まぁ、あの馬車がこっちを襲うという可能性は少ないだろうが)


 寧ろ、ミレアーナ王国へと向かう商人が乗った馬車、というのが最も可能性が高い。

 だが……勢いよく走っていた馬車は、ダスカー達の姿を見るや否やその速度を緩めていく。

 どう考えても自分達に何らかの用事があるのだと知った一行は、皆が緊張感を高めつつ馬車へと注意を向ける。

 そして向かってきた馬車がレイ達のすぐ近くで止まると、馬車の扉が開かれた。

 そこから姿を現したのは、20代の女。

 硬質な美貌と表現すべきその女は、馬車から降りるとレイ達へと視線を向け……


「シアンスか?」


 周囲に、テオレームの声が響くのだった。

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