第569話

 降り注ぐ日光は前日の曇りを全く感じさせず、空では夏の終わりはまだまだ先だと言わんばかりに青空が広がっている。

 ダスカーがゴトの村へとやってきた翌日、朝食を済ませた後で一行は早速村を出て行こうとしていた。

 そんな一行を見送りに来ているのは、村長とルチャード。そしてエーピカの3人と門番の2人のみ。

 本来であれば村の住人総出で見送りをするべきなのだが、それを止めたのはダスカーだった。

 ただでさえ前日に自分達が来て小麦の刈り入れを中断させたのだ。そうである以上、村の住人には自分達の見送りはせずにきちんと自分達の仕事をしろと。

 住人達にしてみれば、農民である自分達をそこまで気遣ってくれるなんて、と嬉しいものがあった。

 この地を治めている領主はどこの派閥にも所属しておらず、爵位も子爵と高くない。

 特に横暴という訳ではなく、税に関してもごく普通と言ってもいいだろう。いや、ベスティア帝国との戦いの場となるセレムース平原の近くにある村ということで、他の村と比べると寧ろ税は軽い。

 そんな領主であっても、自らが農民に対して声を掛けたりするというのはほぼ皆無と言ってもいい。

 いや、それが普通なのだ。

 だが、ダスカーは辺境伯という高い地位にあるにも関わらず、自分達のことを気に掛けてくれた。それどころか、前日に行われた歓迎の宴では直接声を掛けられた者もいる。

 農民達にしてみれば、ダスカーという貴族は実際にその目で見ても信じられないような相手だった。


「うわああああああん、いやだ、いやだ、いやだぁっ! セトも兄ちゃんも姉ちゃんも行っちゃやだぁっ!」


 村の入り口にエーピカの泣き声が響き渡る。

 セトへと抱きつき、絶対に離れたくないという意思をこれでもかと示しているエーピカ。

 両親や周囲の大人達が農作業で忙しい中、レイやセト、ヴィヘラは自分と一緒に遊んでくれた。

 そんな相手がいなくなると気が付いたエーピカにしてみれば、それは絶対に我慢出来ないことだった。


「エーピカ、あまり迷惑を掛けてはいけません」

「やだぁっ!」


 意地でもセトから離れまいとしていたエーピカだったが、やがてセトの隣に立っていたレイがエーピカの頭の上にポンと手を乗せる。


「ひっぐ……兄ちゃん?」


 涙を流しつつ視線を向けてくるエーピカの頭を撫でながら、レイは口を開く。


「確かにこれで一旦は別れるけど、別にもう二度と会えないって訳じゃない。それに、俺達が行くのはベスティア帝国だからな。そこでやるべきことが終わったら、またこのミレアーナ王国に帰ってくる。その時にはまたこの村に寄らせて貰うよ。だから泣くな。男の子だろ? そんなに泣いてばかりだと、セトに嫌われるぞ?」

「うう……本当?」


 目に涙を溜めつつ尋ねてくるエーピカに頷くレイ。

 それでようやく納得したのだろう。そのままエーピカは小さな身体を一杯に使ってセトへと抱きつく。


「セト、元気でね。また遊ぼうね」

「グルゥ」


 セトの鳴き声を聞いてそのまま離れると、次にレイへと抱きついてくる。

 幾らレイが小柄だとしても、さすがに5歳のエーピカと比べるとそれなりの背の大きさだ。ぎゅっと腰に抱きついてくるエーピカの頭を撫でて口を開く。


「元気でな」

「うん!」


 つい先程まで泣いていたのはなんだったのかと思うような笑みを浮かべてレイの言葉に頷くと、そのまま次はテオレーム……ではなく、ヴィヘラへと抱きつく。

 一瞬、それを見ていたルチャードが羨ましそうな表情を浮かべたが、幸か不幸か今のヴィヘラはローブを身に纏っているので、いつもの扇情的な姿を見ることは出来ない。

 尚、エーピカが全くテオレームに懐いた様子が無いのは、純粋に殆ど接触することがなかったからだ。

 レイからエルクの件について聞かされた後、テオレームは自らが生き延びる為にダスカー達が到着するまで延々と戦闘訓練をしていたのだから。

 そのテオレームだが、愛用の長剣をエルクとの戦いで折ってしまった為、現在その腰にあるのはレイがミスティリングの中から出したものだ。

 ただし盗賊達から奪った長剣である以上、安物の粗悪品なのは間違いない。

 テオレームとしてはもう少し上物の長剣が欲しかったのだが、基本的にレイのミスティリングの中に入っているのは、槍は投擲用の壊れかけの物が多数で、後はマジックアイテムの魔槍である茨の槍や、あるいは発作的に購入した非常に高価な槍のみだ。

 まさか魔槍を貸すわけにもいかず、貸せるとすれば高価な槍のみだが、その値段を聞いてテオレームは自ら辞退した。

 槍も使えないことはないが、基本的にテオレームは長剣を好み、実際剣の腕の方が上でもある。

 そして最終的に選ばれたのが、今持っている盗賊が使っていた剣だった。


「……よし、そろそろ出発するぞ!」


 エーピカとの別れを済ませるのを待っていたかのように……いや、実際に待っていたダスカーが、馬車の窓からそう告げてくる。

 その声を聞き、レイはセトの上に、ヴィヘラとテオレームは馬の上へと跨がる。

 それを確認したダスカーは、最後にルチャードの方へと視線を向けてから再び叫ぶ。


「出発だ!」


 その言葉を合図として、馬車が進み始める。

 そうして村から通じている街道を進んでいく馬車だったが、小麦の刈り入れをしている農民達は馬車が自分達の近くを通り過ぎると深く頭を下げて見送っていた。

 村の住人達のそんな様子に、騎士や従者、御者といった者達は笑みを押さえて堂々と、貴族の一行らしく村を去って行く。


「兄ちゃーん、姉ちゃーん、セトーッ! 絶対にまた来てねぇ!」


 後ろから聞こえてくる涙声の叫びに、レイは振り返らずに軽く手を振って返事とし、そのまま進む。

 それはヴィヘラも同様であり、馬に乗ったまま手を振っていた。

 こうして、ダスカー一行とヴィヘラ一行は合流し、セレムース平原へと向かう。






「相変わらず殺風景だよな」


 そんな呟きが出たのは、ダスカーの乗っている馬車の護衛をしていた騎士の1人。

 ダスカーの部下であるこの騎士も春の戦争には参加しており、この広大とも呼べるセレムース平原へと戻ってくるのは数ヶ月ぶりのこととなる。

 だが、数ヶ月程度の月日は何だったのかと言わんばかりの全く変わった様子を見せない景色に、思わず口から愚痴とも取れそうな言葉が飛び出す。

 実際ぼやいた騎士以外の者達にしても、視界一杯に広がっている光景は春と何ら変わりないように見えた。

 勿論草が春よりも盛大に伸びていたり、あるいは転がっている動物……あるいは人と思しきものの骨が増えているなど、多少の違いは見て取れる。

 だが、それでもやはり、全体的に見て春と比べてどこがどう変わっているようには見えなかった。


「……って、もしかしてあの骨、アンデッドとかじゃないだろうな?」


 騎士の1人が、地面に落ちている骨を見て思わず呟く。

 幾度となくミレアーナ王国とベスティア帝国の戦争の舞台となってきたこのセレムース平原は、それ故にアンデッドが非常に多いことでも知られている。


「多分大丈夫だろ。この日差しの中でアンデッドがどうこう出来る筈もないだろうし」


 そう言葉を返したのは、セトの上に乗っているレイ。

 グリフォンのセトが近くにいるというのに、騎士の乗っている軍馬は特に怯えた様子も見せない。

 この辺、きちんと騎士が戦争で使う為に訓練されており、同時に騎士が十分に軍馬を御している証拠だろう。


「なるほど。……ま、アンデッドがいてもセトとお前がいれば大丈夫か」

「だといいけどな。それより、問題は今よりも夜だ。当然このセレムース平原で何泊かはする必要があるんだろ?」


 レイの口から出た言葉に、騎士が苦い表情を浮かべて頷く。


「ああ。正直、ここで野営をするのは嬉しくないな」


 そう口にしつつも、騎士の視線がレイから下へと移りセトへと向けられると、表情に浮かんでいた苦々しさが消える。


「グルゥ?」


 自分に視線が向けられたのに気が付いたのか、セトがどうしたの? と言いたげに喉を鳴らす。


「今回はセトがいるしな。野営する時のモンスター対策に、これ以上のものは存在しないだろ」

「それは否定しない。春の戦争の時のように大人数だと色々と問題だが、このくらいの人数なら全く問題ないだろうな」


 そうだろ? と視線でセトに尋ねると、当然! とばかりに喉を鳴らして返事をする。

 それに安堵の息を吐いた騎士だったが、レイは再び言葉を紡ぐ。


「ただ、相手が普通のモンスターならともかく、アンデッドとなるとな。奴等には恐怖とかそういうのがないから、あまり油断しないように頼む」


 そんな風に話している間も馬車はセレムース平原の中を進み続け、途中で昼食を取る為の休憩を一度挟んだだけで、後は延々と歩き続けていた。


「こうして視界一杯に草原が広がっているのを見ると、やっぱりここは入植地としてはいいんだろうな」


 夏の午後ともなれば、幾ら秋に向かっているとはいっても日差しはきつい。

 御者や護衛の騎士達がうんざりとしながら太陽を睨み付けているのを横目に、レイが呟く。

 尚、ヴィヘラやテオレームも直射日光を浴びている筈なのだが、薄らと顔に汗を掻いているだけで特に堪えている様子はない。

 この辺は、体力的に二人とも普通の騎士よりも優れている証拠だろう。

 そんな風に考えていると、先程のレイの独り言を聞いていたヴィヘラがセトの隣へと馬を進ませて口を開く。


「そうね、確かにこの地は肥沃な大地があるし、草原もある。水についても問題ないわ。つまり農業をやるにしても、あるいは牧畜をやるにしても向いているのよ。……もっとも、だからこそこの地を相手に渡して堪るかとばかりにベスティア帝国とミレアーナ王国が長年争っている訳だけど」

「それに、長年二国間の戦争が行われてきた場所だけに、今となってはアンデッドの問題もある。もしこの地をどちらかが相手に譲ったとしても、余程のことがなければここを入植地としては使えないだろう。それこそ、入植者全員がある程度以上の冒険者……あるいは戦闘力を持った者達だとか、そういう特殊な例でもなければな」


 ヴィヘラの隣に進み出たテオレームの言葉に、近くで話を聞いていた騎士達も頷く。

 

「確かにそのくらいしなきゃ、セレムース平原の入植は難しいだろうな。……ただまぁ、現実的にそんなことが出来るかと言われれば微妙だ。いや、国としてやろうと思えば出来るかもしれないが、費用に比べて得るものが少なすぎるだろ」


 そう告げる騎士には、テオレームに対する敵意の類は殆どない。

 エルクと違って直接危害を加えられた訳ではなく、春の戦争で中立派とテオレームは殆ど戦闘していないというのが影響しているのだろう。

 いや、寧ろベスティア帝国でも有名な異名持ちの将軍ということで、騎士としては話してみたいと思う者も多くいた。


「なるほど。日中は開墾作業や家畜の世話、夜は見張り。……数日程度ならまだしも、住み着くというのは俺もごめんだな」


 騎士やテオレームの話を聞いていたレイが、納得したように呟く。


(もしここに街なり村なりを作るとしたら……それこそ、ギルムにやったように国軍や冒険者の類を大量に投入して、一気に城壁を作り上げるしかないだろうな)


 内心でそう考えるレイだったが、ギルムが作り出されたのはあくまでもあそこが辺境だからだ。

 辺境故に稀少なモンスター素材や、鉱物、薬草といった資源があり、それらが大いに有益だからこそ、過去のミレアーナ王国の国王も無理を承知の上で、国力の多くを費やすような真似が出来た。

 だがこのセレムース平原は豊かな場所ではあるものの、ギルムのように唯一無二という訳ではない。

 ミレアーナ王国内にはまだ開墾できる土地も多く残っているし、当然そのような場所にはこのセレムース平原のようにアンデッドが彷徨っていたりはしない。

 その辺を考えると、この地はそこまでのことをしてまで得たい土地ではなかった。

 ただし国土の防衛上ベスティア帝国に取られるのは困る。

 それに対してベスティア帝国側としては、この地は海の存在するミレアーナ王国へと続く土地でもある為に是非欲しかった。

 もっとも、ベスティア帝国にしても夜な夜な現れるアンデッドをどうにか出来るかと言われれば、それに対処する為の余裕がそこまである訳でもなく……結局双方の暗黙の了解に近い状態で、この地は一種の緩衝地帯に近い扱いとなっていたのだ。


(そんな状態で長年戦争の舞台になったおかげで、更に恨み辛みが増してよりアンデッドが増えることになってるだろうがな)


 そう考えつつ、太陽が夕日へと変わりつつあるのを眺めるレイだった。

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