第567話

 辺境と言ってもいいゴトの村へと突然やって来たダスカー一行。

 当然いきなり貴族がやってきたことで村は一時期混乱したが、ダスカー一行の人数が少ない――それでも20人程はいるが――こともあって混乱はすぐに収束した。

 それでもゴト自体が小さな村である以上、当然20人もの人物を泊める場所がある筈も無い。

 結局ダスカー一行は村の中にテントを設置し、そこで休むことになった。

 村長がせめてダスカーだけでも自分の家に泊まって欲しいと申し出たのだが、色々と密談をする必要があるという理由や、ダスカー本人がテントでの野営を全く苦にしないどころか、寧ろ楽しんでさえいたのでそれを拒絶。

 村長としてはミレアーナ王国三大派閥の一つでもある中立派、その中心人物のラルクス辺境伯という大物貴族をテントに泊まらせたとなれば、この地の領主に何を言われるか分かったものではないという思いが強かったのだが、ダスカー本人の言葉とあればそれに逆らう訳にはいかなかった。

 もっとも、ダスカーとしても村長の立場は理解している為、その辺の事情はこの地の領主に話を通すつもりではあったのだが。

 ともあれ、突然の貴族の来訪ということで小麦の刈り入れも午後の半ば程で切り上げることになり、簡単ではあるが宴が開かれることになった。

 ……レイがこの村に来た時に言っていたように余分な食料の備蓄は殆どなかったのだが、その辺は少し前にセトが倒した巨大猪の肉や、あるいはダスカーが持ってきた食料を融通することで解決する。

 また、小麦の刈り入れが始まったことである程度食料に余裕が出来たというのも大きかっただろう。


「がははははは。美味い、さすがに美味いな!」

「そう言って貰えて、何よりです。この猪のベーコンは深紅殿とその従魔が倒してくれたものなのですよ」

「ほう、レイとセトがか」


 猪肉のベーコンのステーキを美味そうに口へと運び、エールを飲む。

 普通の貴族にしてみれば質素極まりない食事ではあったが、元々騎士団出身のダスカーにしてみれば、この手の食事は慣れている……というよりも、寧ろ好んでいた。


「はい。最初に彼等がこの村に来た時は大きな騒ぎにもなりましたが、幸い村の若者の中にルチャードという優秀な者がおりまして。その者のおかげで特に騒ぎになることもなく、深紅殿も従魔と共に子供の相手をしてくれて、今では村の一員に近い存在となっております」

「そうだろう、そうだろう。レイはともかく、セトはギルムでも子供に人気だからな。……いや、子供だけじゃないか。大人でもセトに群がる者は多いらしい」

「そうでしょうな。あれだけ愛らしいのですから無理もありません」


 ダスカーの言葉に同意しながら、エールを勧める村長。

 他にも、その場では護衛の騎士や従者、あるいは御者といった者達が旅の疲れを癒やすべく宴会を楽しんでいた。

 だが、そんな一行の中にエルク率いる雷神の斧の姿はない。

 当然最初は雷神の斧もこの宴会に誘われたのだが、村の周囲を警戒するという名目で辞退したのだ。

 騎士達にしてみれば宴会中の護衛はどうするのかと言いたい気持ちもあったのだが、エルクの放つ殺気を感じてからまだそれ程経っていないこともあって口に出す者はいなかった。

 もっとも、騎士達の役目も護衛であると考えれば口にしなくても当然だったのだろうが。

 それに護衛という意味ではレイやセトの姿もある。

 この中でダスカーに何らかの危害を加えようとするのなら、それは自殺行為としか言えないだろう。

 少なくても騎士や護衛対象であるダスカーはそう判断し、騎士は宴会を楽しみつつもエールの類は殆ど飲まずに周囲を警戒している。

 レイは元々アルコールの類が美味いとは感じない味覚の持ち主なので、いつも通り食事を楽しむ。


「ねぇ、やっぱり雷神の斧のメンバーがここにいないのって私達がいるせいかしら?」


 レイの隣で、こちらもまた猪と野菜のスープを味わいつつ尋ねるヴィヘラ。


「だろうな。……ま、正確にはテオレームだろうが」


 そう答えつつ、ヴィヘラの隣でゆっくりと噛み締めるように焼き固めたパンと猪のベーコンのステーキを味わっているテオレームを眺める。

 本来であれば、テオレームもそれなりの量を食べる。

 だが、今日はこの後で文字通りに命懸けになりかねない戦いが待っているのだと知っているが故に、戦いの時の動きに影響が出ない程度に留めていた。


「グルゥ?」


 喉を鳴らしながら、宴会が行われている広場を見渡すセト。

 エルクに関してはそれなりに懐いていたセトだけに、その姿が見えないのは残念なのだろう。

 もっとも初対面の時の印象が悪かったせいか、ロドスに対しては今でも嫌っているのだが。


「そうだな、ま、明日になれば多分エルクもいつも通りになっているだろうから、心配する必要はないさ」

「グルルゥ?」


 本当? そう視線で尋ねてくるセトの頭を撫でつつ、レイは頷く。


「確かに今のエルクは怒髪天を衝くといった感じだが、あいつは何だかんだ言っても単純だからな。今日これから行われるだろう戦いできっちりとケジメをつければ、怒りは持続させない……いや、出来ないと思うぞ」

「グルゥ」


 だといいんだけど。そんな風に喉を鳴らすセト。


「テオレームの件が片付いたら、私も戦って貰おうかしら。緊張感のある戦いになりそうだし」

「……今騒ぎを起こされるのは困るから、暫くは待ってくれ」


 自分の隣で戦闘への期待と興奮に目を輝かせながら呟くヴィヘラに、レイはそれだけを告げる。

 ヴィヘラにしてみれば、戦闘を求めるというのは既に自らの本能に染みついている。それだけに、戦闘を止めるレイに対して不満そうな表情を浮かべて視線を向けていた。

 この辺、幾ら自らが恋する相手であったとしても、戦闘については別だということだろう。


「……」


 不満ですといった表情を隠しもせずに見つめてくるヴィヘラに、最初は受け流していたレイだったが、やがて耐えられなくなったのだろう。小さく溜息を吐いて口を開く。


「別に、今すぐにエルクと戦わなくちゃいけないって訳じゃないだろ? ベスティア帝国に入るまでには何泊かする必要があるんだから、その時にでも戦って貰えばいいじゃないか」

「けど、それだと中途半端にならない? 今なら本気の雷神の斧と戦えるのに」

「……お前の弟を助ける為の戦力が減ってもいいなら好きにしろ」


 そう告げられるとヴィヘラとしても引くしかないらしく、不満そうな表情をしながらも猪肉の香草蒸しを口へと運ぶ。

 一時の自分の欲望と弟の命。どちらが大事かと言われれば、それは当然後者なのだから。

 そんな風に会話を交わしつつ食事をしていると、レイは不意に自分の方へと誰かが近づいてくるのに気が付く。

 それはレイだけではなく、ヴィヘラやテオレーム、そしてセトも同様だったのだろう。

 近づいてきた人物へと視線を向けると、そこにいたのはレイより少し年上の少年だった。

 エルクの息子、ロドスだ。

 いきなり幾つもの視線が向けられて驚いたのか、一瞬足が止まったロドスだったが、やがて再び歩み始めてレイの近くまでやってくる。


「どうした?」

「いや、レイにちょっとな。……いいか?」


 そう声を掛けながらレイの隣にいるヴィヘラへと視線を向け、踊り子や娼婦の如き格好に頬どころか顔全体を真っ赤に染める。

 この年頃の男であれば無理もない話だが、ロドスの場合は家族でパーティを組んでいる以上娼館の類にも行けず、若い思いを持てあまし気味であるという理由もあった。

 それだけに肌も露わなヴィヘラの格好は刺激が強すぎたのだろう。

 レイの言葉を待つ間にも、チラチラとヴィヘラの肢体へと視線を向けられている。

 そんなロドスに向かってセトが喉を鳴らして牽制しようとしたのだが、それはレイが視線を向けて止めていた。


「ふふっ」


 自分に向けられている視線を理解しつつも、ヴィヘラは笑みを浮かべてロドスを見返す。

 ヴィヘラにしてみれば、ロドスに向けられる視線にあるのは照れや憧れといった色の方が強い。勿論欲望の視線も感じてはいるのだが、それはあくまでも僅か。大人の男が自分に向けるような、欲望に満ちた視線ではない。


「っ!? レイ、こっちだ!」


 そんなヴィヘラの笑みを向けられた瞬間、反射的に顔を逸らすロドス。

 そのままレイの手を強引に取り、その場を去って行く。


「グルゥ」


 ロドスの登場で不機嫌そうにしていたセトが喉を鳴らす。

 セトとしては大好きな相棒のレイを大嫌いなロドスと一緒にいてほしくはなかったのだが、最初にロドスが近寄ってきた時にレイに視線で制されたので、ただ黙って見ているしかなかった。


「あら、セトはあの子が嫌いなの?」

「グルルゥ」


 当然、という風に喉を鳴らしたセトは、自分用にと皿の上に置かれたパンへとクチバシを伸ばす。


「珍しいわね、セトが人を嫌うなんて」

「こちらで得た情報によると、初対面の時に何かトラブルがあったらしいですね」


 ロドスが来ても黙々と食事をしていたテオレームが、ヴィヘラの呟きに答える。

 レイとセトが初めてその実力を露わにしたのはオークの集落の件だった。テオレームとしても、レイの存在を知った後で出来るだけ詳しく当時の情報を調べたのだろう。

 また、エルクとレイという強力な戦力同士を食い合わせる策略の件で集めた情報もある。


「へぇ。……まぁ、見るからに我の強そうな子だったし、レイと馬が合わないでしょうね」

「それと同時に、あのロドスの母親がレイに興味を示したとか」


 テオレームの口から出た言葉に、ピクリと反応するヴィヘラ。

 ロドスとレイの関係はともかく、そこにミンが入ってくれば……それも、レイに興味を示したとなれば話は別だった。

 ヴィヘラは脳裏にミンの姿を思い浮かべる。

 見たのは村の中で馬車から降りてきた時だけだったが、それでも十分に思い浮かべることは出来た。

 外見は女らしいというよりもさっぱりしているという印象が強い。髪も行動の邪魔にならないようにだろう、背中まで伸ばしている自分とは違ってかなり短めだった。


「もしかしてレイは年上趣味?」

「姫将軍の件を考えれば、それは当然かと」


 当然だとばかりに告げてくるテオレームだったが、その言葉を否定するようにヴィヘラは首を横に振る。


「そうじゃないわよ。年上趣味は年上趣味でも、自分より10も20も離れている相手じゃなきゃ駄目だってこと」

「……それこそ、姫将軍の件を考えれば違うのでは?」


 数秒前と同じような言葉を発するテオレームに、思わず納得するヴィヘラ。

 そんな2人の横では、セトもまたテオレームの意見に同意するかのように小さく喉を鳴らしていた。


「でも、レイに興味があるってことは、そのミンとかいう人の方は……」

「自分の子供より年下のレイにですか? さすがにそれはないと思いますが」

「そう? そうだといいんだけど」


 呟き、内心の不安を誤魔化すかのように香草入りのパンへと手を伸ばすのだった。






 自分達が残してきた場所でとんでもない誤解が蔓延しそうな会話が交わされているとも知らず、レイとロドスは宴会が行われている村の広場から離れるようにして移動していた。

 宴会……否、歓迎の宴が開かれた時はまだ夕方前だったのだが、今はもう既に日も暮れ、月が空に昇っている。

 そんな中を月の光を頼りに移動してきた2人は、やがて数分程歩き続けるとお互いに示し合わせたかのように足を止め、向かい合う。


「ここまでくればいいだろ。……で、話ってのは?」

「父さんの件だ」

「だろうな」


 その辺りの話だというのは、レイにとっても予想済みだった。

 マザコンであるロドスだったが、父親のエルクに関しても当然好意や敬意を抱いている。表に出すことは滅多にないが。

 そんな父親が、自分達が人質になったことが原因だとしても、殺気を撒き散らすような今の状況は決して見過ごすことが出来ないのだろう。


「無理を承知で頼む。もし父さんがあのテオレームって奴を本気で殺しそうになったら……止めてくれないか?」


 レイに対して複雑な思いを抱いている筈のロドスだったが、全くそれを見せずに深々と頭を下げる。

 そんなロドスを黙って眺めるレイ。

 広場の方で行われている宴会の笑い声が聞こえてくる中、やがてレイが口を開く。


「お前はそれでいいのか? そもそもエルクが怒っているのは、お前が人質にされて危険な目に遭ったからだぞ?」

「分かっている。確かに俺だってあのテオレームって奴に思うところがない訳じゃないさ。けど、ベスティア帝国との間に新たな関係を結べるかもしれないのに、俺の個人的な感情でそれを台無しにする訳にはいかないだろ」


 頭を下げたまま告げてくるロドスの言葉に、思わずレイは驚きの表情を浮かべる。

 大義の為に自らの思いを殺す。

 言葉で言えば簡単だが、簡単に出来ることではない。 

 更に、それを目の前にいるロドスがやれるということが何よりの驚きだった。

 最初に会った時は母親の注目がレイに向けられるのが嫌で突っかかってきた、あのロドスが。


「……分かった。戦いそのものを止めるのは無理だが、いざという時は俺が止めさせて貰う」


 結局はロドスの懇願に負け、そう告げるのだった。

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