第566話

 小麦の刈り取りが始まり、既に1割程を刈り取り終わった頃。

 午前の仕事が終わって昼食の時間、レイはセトやヴィヘラ、テオレームと共に村の近くにある草原で食事をしていた。

 既にレイ達はゴトの一員……とまではいかないが、客人的な扱いは受けている。

 やはり巨大猪を倒して村を守り、更にはその肉を村人に振る舞い、村の子供のエーピカの子守を引き受け、更には人懐っこいセトという存在もレイが受け入れられた理由の1つだろう。

 そうである以上、食事に関しては既にレイが用意したものを食べなくても村から用意して貰うということも出来たのだが、それでもレイは自分のミスティリングに入っている料理やパン、あるいはセトが狩ってきたモンスターや動物の肉といったもので食事を済ませていた。

 別に村に対して何か思うところがある訳ではない。純粋に自分が持っている料理の方が美味かったからだ。

 ヴィヘラやテオレームもまた同様に、レイと同じ料理を味わう。

 夕食の時にルチャードがレイから食事を奢って貰うというのも最近は珍しくない。


「折角の外での食事なのに、今日は天気がちょっとご機嫌斜めね」


 ハムとチーズのサンドイッチを口へと運びながら、ヴィヘラが空を見上げる。

 雨が降っている訳ではないが、それでも青空が全く見えない程に空は一面の雲に覆われていた。

 まるで雲で蓋をしたかのようなその光景に、ヴィヘラが残念そうに呟く。


「そうですね。ただ、私としては暑さがそれ程でもないので、身体を動かす分には寧ろ楽ですが」


 レイから渡された冷たいお茶を飲みながら呟くのは、テオレーム。

 今日も午前中はエルクとの戦いに備え、身体を動かしていた。

 昨日からはレイも暇潰しにとそれに付き合うようになり、お互いが怪我をしない程度にではあるが、軽く模擬戦のようなことをやるようになっている。


「……いいわね、男二人で楽しそうで」


 戦いを見ているだけということで、多少のストレスが溜まっているのだろう。どこか拗ねたように呟くヴィヘラ。

 そんなヴィヘラへと、テオレームは小さく溜息を吐いて口を開く。


「ヴィヘラ様にはなるべく万全の状態でいて貰わないと、こっちが困りますからね。それに、ヴィヘラ様の戦闘スタイルは基本的に格闘ですから」

「……まぁ、そうだけど」


 不満そうに呟きつつ、煮込んだ肉を具としたサンドイッチへと手を伸ばす。

 だが、その瞬間。


「グルゥ」


 セトの鳴き声が周囲に響く。

 食べ物を欲している時の、甘えたような鳴き声ではない。

 それを理解したレイやヴィヘラは、セトの視線を追う。

 すると見つけたのは、村へと続く街道を進んでくる3台の馬車と護衛と思しき馬に乗った騎士の姿。

 馬車の中にいるだろう者達も含めると、人数的には護衛も合わせると全部で20人程だろうか。

 その騎士の中に数人くらい見覚えのある人物がおり、その一行がどのような者達なのかを即座に理解する。

 

「ようやく到着ね」


 そう呟いたのは、レイの隣で馬車の集団へと視線を向けていたヴィヘラ。

 視線の先にいるのがどのような集団なのか、レイと同様に理解したのだろう。


「ああ。予想してたよりも少し早かったな」

「人数があまり多くないからでしょ?」


 ヴィヘラの言葉通り、大国でもあるミレアーナ王国の3大派閥の1つ、中立派の中心人物であるラルクス辺境伯が敵対している隣国へと向かうにしては、明らかに人数が少ない。

 これがもし国王派や貴族派であったりしたら、護衛を抜きにしても100人を超えるだけの人数を率いていただろう。

 もっとも護衛の人数の少なさは、雷神の斧というランクAパーティや自らの騎士団に自信がある為だろうし、お付きの者の数が少ないのは辺境に生きる貴族故に質実剛健が身についているのも大きい。

 それに護衛に関しては、この村からはレイとセトも付く。雷神の斧と深紅。戦闘力に関してはずば抜けていると言ってもいい異名持ちが二人もいるのだから、寧ろ有象無象の数だけ揃えた護衛達よりも豪華だとも言える。

 まだ遠くで小さくしか見えないその集団だったが、やがて小麦の刈り入れをしている村人達も気が付き、ざわめき始めるのが離れた場所にいるレイにも聞こえてきた。

 ダスカーの一行もそれを理解しているのだろう。先触れとして騎馬に乗った騎士が街道を先行して近づいてくる。


「あれは……」


 小さく呟くレイ。

 自分達の方に近づいてくる騎士の姿に見覚えがあった為だ。

 それは向こうにしても同様だったのだろう。いや、セトという存在を考えれば、騎士の方が見間違えようもなかったと言うべきか。


「レイか、それにセトも……そして……」


 まだ20代程の騎士にしてみれば、薄衣を重ねたような衣装を身に纏ったヴィヘラは刺激が強すぎたのだろう。

 ヴィヘラ自身の美貌もあって一瞬見惚れ、思わず馬の上でバランスを崩しそうになる。


「っと……それにしても、レイ、何故お前がここに?」

「元々ここで合流予定だったからな。それよりも村に先触れに行くんだろ? その辺の話は後でダスカー様からされると思うから、今は自分の仕事をした方がいい」

「それもそうだな。なら、詳しい話はまた後で。そちらの女性もまた」

「ええ、また後で会いましょう」


 騎士はレイに軽く挨拶をした後で、ヴィヘラへと視線を向け、頬を赤くしながらもそう告げる。

 ヴィヘラから戻ってきたのは、艶やかな笑み。

 ある程度以上の力を持つ者であれば、その艶やかな笑みの下にある研ぎ澄まされた牙を見抜くことも出来ただろう。だが、ヴィヘラの美貌に見惚れてしまった騎士の男にそれを見抜くのは無理だった。

 結局そのまま頬を赤く染めたまま、村の方へと駆け去っていく。

 その後ろ姿を見送ったレイは、チラリと自分の隣にいるヴィヘラへと視線を向ける。


「程々にしておけよ」

「あら、何をかしら? 私はただ挨拶を交わしただけだけど? それとも何、もしかして嫉妬? だとしたら、私としても嬉しいんだけど」

「……もういい」


 ヴィヘラの答えに、思わず首を横に振るレイ。


「来た……か」


 苦々しげに呟くテオレームの視線が向けられているのは、ゴトへとゆっくり近づいてきている3台の馬車。

 その馬車のどれかにエルクを含む雷神の斧の面々が乗っており、同時にその護衛対象でもあるラルクス辺境伯のダスカーが乗っているのだろうと判断しての呟きだ。

 それは即ち、テオレームとエルクの戦いの時が迫っているということに他ならない。


「何よ。強い相手と戦えるんだから、そう悪い話じゃないでしょ? 私としては、寧ろ代わって欲しいくらいよ。雷神の斧の異名を持つ相手との、一瞬も気を抜けない戦い。……羨ましいとしか言えないわね」

「……そうですね、本当に出来れば私としてもヴィヘラ様と代わって欲しいくらいです」


 テオレームにしても、閃光の異名を持つ将軍だ。当然自分の実力には自信があるし、ここ数日行われたレイとの戦いで以前よりも多少ではあるが腕が上がった自信はある。

 だが、それでも……効率を優先するテオレームとしては、ここで自分とエルクが戦うということに意味が見いだせなかった。

 もっとも、それを当の本人であるエルクが知ったとすればふざけるなと怒鳴りつけてくるだろうが。

 そんな風に話している間にも、3台の馬車や護衛の騎士は街道を進み、やがてレイの前へと到着して動きを止める。


「レイ、待たせたか?」


 馬車の窓が開いて顔を見せたのは、表向きは今回のレイの護衛相手にして、ラルクス辺境伯のダスカー。

 窓が小さいためか、馬車の中にいる他の面々の姿は見えない。

 もっとも、テオレームにしてみればそっちの方が良かったのだろうが。


「いえ、こちらも骨休めをしながら待っていましたから」

「そうか。……それで、そっちの二人が?」

「ええ」


 ダスカーの言葉に頷き、チラリと視線をヴィヘラの方へと向ける。

 それで何を促されたのかを理解したのだろう。ヴィヘラは1歩前に出て、笑みを浮かべながら口を開く。


「初めまして、ラルクス辺境伯。私はベスティア帝国第2皇女、ヴィヘラ・エスティ・ベスティアです」


 優雅に一礼するその様は、着ている物が踊り子や娼婦のような衣装であっても優雅であり、皇族としての雰囲気を纏っていた。

 いや、寧ろ着ている服が服なので、余計にダスカーの脳裏に強く印象づけられたというのが正しい。

 一瞬ポカンとした後、今の状態では敵国の皇族ではあっても無礼に当たると判断したのだろう。慌てて馬車の扉を開けて、降りてくる。


「初めまして、ヴィヘラ殿下。私はミレアーナ王国ラルクス辺境伯、ダスカー・ラルクスと申します。この度はそこにいる私の友人より殿下のお話を聞かせて頂き、是非ともお力添えをしたいと思いました」


 ヴィヘラとダスカー。お互いの普段の姿を知っているだけに、2人の言葉遣いや仕草に思わず驚きの表情を浮かべるレイ。

 だが、そんなどこか和やかな雰囲気を放っていた周囲の様子は、ヴィヘラの隣にテオレームが出てきたことで一変する。


「初めまして、ラルクス辺境伯。私はテオレーム・エネルジーと申します」


 そう名乗って頭を下げた瞬間、ダスカーの降りてきた馬車から強烈な殺気が巻き起こる。

 その殺気そのものが粘度を持っているかのようであり、それを感じたテオレームはピクリと動きはしたが、それ以上何かをする様子もなく頭を下げたままだ。

 分かっているのだろう。ここで下手な動きをすれば、すぐにでも戦い……否、殺し合いになりかねないと。

 だからこそ、レイやヴィヘラが思わず反応してしまった程の殺気を浴びせられても、テオレームは動きを見せない。


「エルク」


 いつ殺し合いに発展してもおかしくない、そんな空気の中でダスカーの声が響く。

 その声が聞こえた瞬間、同時に馬車の中で何か重い物を殴るような音が聞こえて殺気が消えていく。


(ミンだな)


 馬車の中で何があったのか、何となく想像がついたレイは脳裏にエルクの妻であるミンが愛用の杖を振り上げている光景を思い浮かべる。

 果たして護衛対象でもあるダスカーと、ミンの一撃。どちらがエルクの殺気を霧散させたのか。


(ミンだな)


 再度数秒前と同じことを内心で呟き、改めて視線をテオレームの方へと向ける。

 そこでは、今の殺気をまともに浴びたというのに全く表情を変えず、下げていた頭を上げているテオレームの姿があった。

 それでも額に薄らと冷や汗が滲んでいるのは、完全に感情を制御できている訳ではない証拠か。

 普通の兵士や騎士であれば殺気だけで気を失い、あるいは心臓すら止まっていたかもしれない。現に馬車の周囲にいる護衛の騎士達は自分が殺気を浴びた訳でもないのに硬直しており、それは馬車を引いている馬や御者も同様だったのだから。

 そんな状態であっても極力動揺を表に出さないのは、さすがに閃光の異名を持つテオレームだと言えるだろう。

 そして、やがて馬車の中から1人の男が姿を現す。

 パーティ名や異名と同じ名前の武器、強力無比なマジックアイテムでもある雷神の斧を背負い、本来であれば悪戯小僧そのものが大人になったような顔立ちを剣呑な色に染めながら。

 レイとは比べものにならない程の頑強な肉体を戦意で漲らせている。

 つい数秒前に発せられていた殺気ではなく戦意を浮かべているのは、ミンの功績なのだろう。


「……お前が閃光か」


 ボソリと呟かれたその言葉は、激情を押し殺しているからこその平坦な声で紡がれる。

 もしもここで何か応答を失敗すれば、今すぐにでもこの場で殺し合いが始まるだろう。そう判断せざるを得ない程の緊張感が周囲へと満ちていく。

 レイは自分の方にも流れてくる殺気を受け流し、セトは何かあった時にはいつでも行動に移れるように小さく身を屈め、ヴィヘラは戦闘の予感に身を震わせつつ、自分がその対象ではないことを残念に思う。

 そんな中、再びダスカーが口を開く。


「エルク、その辺にしておけ。お前の件はきちんと覚えている。だが、それは全てやるべきことをやってからだ」


 エルクはその言葉に不承不承頷き、最後に獰猛な視線でテオレームを一瞥して馬車へと戻る。

 その様子に苦い溜息を吐きながら、ダスカーはレイやヴィヘラ、テオレームの方へと向けて口を開く。


「……色々と話すべきことは数多いが、今はまず村に話を通してからにさせて貰おうか」


 そう告げ、レイ達に向かって小さく頷くと馬車へと戻り、村へと進んでいく。

 その際、エルクの殺気で固まっていた護衛の騎士や馬達も多少ぎこちないながらも、すぐに動けたのはダスカーの部下として褒められて然るべきだっただろう。

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