第565話

 ヴィヘラとテオレームがゴトへと到着してから数日。その間に一行が何をしていたのかと言えば……


「ほら、エーピカ。もう降参かしら? 私はまだまだ大丈夫よ?」

「はぁ、はぁ、はぁ……お姉ちゃん足早すぎだよ!」

「ふふふ。冒険者をやるにはこれくらいの体力は必要なのよ。ほら、男の子なんだからもう少し頑張ってみなさい。レイやセトも見ているわよ?」


 ヴィヘラの言葉を聞いたエーピカがチラリと視線を向けると、そこには草原の中で寝転がっているセトと、そのセトに寄りかかりながら自分の方を眺めているレイの姿。


「まだ、やれるよ!」


 その視線に力を貰ったかのようにエーピカは息を整え、再び草原を走り出してヴィヘラの後を追う。

 ヴィヘラもエーピカの体力に合わせて大分手加減をしながらも、追いつけるかどうかといった速度を維持しながら笑みを浮かべて走り回る。


「元気だな」

「グルゥ」


 ヴィヘラとエーピカの追いかけっこを見ながら呟くレイの言葉に、セトが喉を鳴らして同意する。

 ヴィヘラ達がゴトへと到着してからやっていることは、傍から見れば単純に遊んでいるようにしか見えない。

 いや、事実遊んでいるのだろう。

 テオレームにしてみれば、さっさとベスティア帝国へと戻りたいというのが率直な気持ちだった。

 だが、エルクとの件を持ち出されては、自分達だけが先にベスティア帝国へと向かうわけにもいかない。

 もしここでエルク達の到着を無視してベスティア帝国へと帰還した場合、まず間違いなく帝国内でエルクとテオレームが戦うことになるだろう。

 そうなれば当然周辺に戦いの様子は伝わり、ただでさえ周囲からの注目を集めたくない状態であるにも関わらず嫌でも注目されてしまい、自らの主君と決めた相手の救出の難易度が無駄に上がってしまう。

 それを思えば、ベスティア帝国の目がないこの地でエルクとの話をつけておいた方がいいだろうという、テオレームの苦渋の決断だった。

 ……レイにしてみれば、自業自得としか思えないが。


「なぁ、セト?」

「グルゥ?」


 唐突に声を掛けられたセトだったが、何を言っているのか分からないとばかりに小首を傾げる。

 それはそうか、とレイもまた笑みを浮かべて、何でもないとセトの身体を撫でながらシルクの如き毛並みを楽しむ。

 そんな状態で視線が向けられたのは、ヴィヘラやエーピカが追いかけっこをしている場所から大きく離れた場所。

 まるで自分の前に何か強大な敵がいるかのように長剣を振るうテオレームの姿だった。

 実際それは仮想のエルクをイメージしての戦いなのだろう。

 離れた場所で見ていても、テオレームがイメージして戦っているのがどのような相手なのかは、レイにも想像が出来た。


「自業自得と言えば自業自得だけど……な」


 そんなテオレームの様子を見つつ、欠伸を噛み殺しながら呟く。

 以前にも村の外側で感じたことだったが、ゴトの周辺は広く草原となっているおかげで風の通りが良く、夏の終わりの暑さもそれ程感じずに非常に過ごしやすい。

 そのままセトに頭を預けて目を閉じれば爽やかな風と草原から香る濃厚な草の匂いに包まれ、気持ちの良い睡魔へとその身を委ねていく。

 本来であればそのままゆっくりと眠りに落ちていく筈であった。突然自分の方へと向かってくる気配に気が付かなければ。

 軽い足音の後に、トンッと地面を蹴る音。

 それが聞こえた瞬間、レイは目を開けて自分に向かって飛び込んできた存在を受け止める。


「っと」


 幸い飛び込んできた相手は小さく、受け止めた時の衝撃も小さい。

 そのままセトに寄りかかりながら、飛びついてきた相手へと視線を向ける。


「えへへへ。兄ちゃんも寝てないで一緒に遊ぼうよ!」


 目を好奇心に輝かせ、一緒に遊ぼうと告げてくるエーピカに、思わずレイの口元にも笑みが浮かび……次の瞬間、再び自分に向かって飛び込んでくる気配に気が付き、慌ててエーピカを草原へと寄せ……


「うおっ!」


 次に降ってきたのは、5歳くらいのエーピカとは違って確固たる質量を持った存在だった。

 自分よりも背が高いその肉体を受け止めると、次の瞬間には甘酸っぱいような女の匂いが香ってくる。同時に暖かく、柔らかい感触も。

 誰が降ってきたのかは、その時点で理解していた。


「……ヴィヘラ、少しは年齢をだな」

「何よ、女に対して年齢の話をするのはどうかと思うわよ? それに好きな相手と触れ合いたいと思うのは、女として……いえ、恋する乙女として当然のことでしょう?」

「……どうだろうな」


 ヴィヘラの誘うような仕草に一瞬言葉に詰まるも、何とかそれだけを返す。

 ヴィヘラがレイに対してこのような態度を取るのはそれ程珍しいことではない。

 ゴトで合流した翌日から積極的に肉体的なスキンシップを図るようになってきたのだ。

 エレーナという強力な恋敵がおり、かなりの差を付けられている以上、基本的には強気のヴィヘラがレイとの距離を縮めるという行為を躊躇う筈がない。

 もっともその行為の中には、レイをベスティア帝国側――より正確には第3皇子派――に引き込みたいテオレームからのアドバイスが入っていたことも否定出来ない事実ではあったが。

 それを薄々悟っているレイだったが、それでもヴィヘラの気持ちはエグジルでしっかりと態度に表されて知っている。

 どうしたものかと思いながらも、結局は小さな溜息を吐いて自分の上に覆い被さっているような形のヴィヘラを隣へそっと下ろして口を開く。


「それでどうしたんだ? 2人で追いかけっこをしていたんじゃないのか?」

「そうだよ。でも兄ちゃんが暇そうで可哀相だから、仲間に入れてあげようって姉ちゃんが」

「……ほう」


 チラリ、とレイが隣に視線を向けると、そこにあったのは悪戯を見つかった子供のような笑みを浮かべたヴィヘラの姿。


「何よ、別にいいじゃない。昼寝をするくらいなら、私達と一緒に遊んだ方が有意義でしょ?」

「……そうは言ってもな。夜が……いや、何でもない」


 言葉を濁すレイ。

 レイやテオレーム、ヴィヘラが逗留している家はルチャードの家だ。数年前までは家族で暮らしており、現在は1人住まいであると言っても所詮は農家の家でしかない。

 居間の他に部屋は3つ。その1つは家主であるルチャードの寝室であり、もう1つには女のヴィヘラ。そうなると残る部屋は1つであり、レイとテオレームは自然と一緒の部屋となる。

 今となってはレイはテオレームに対して何か特別隔意を抱いている訳ではないのだが、それでも春の戦争で敵対した相手だというのは事実であり、それまでの経緯もあって完全に信用出来る訳でもない。

 テオレームにしても、レイという存在は色々な意味で規格外な存在だった。

 その存在を知り、何とかして排除しようと動いたこともあったが、結局は全てが意味を成さず……悪い予感が春の戦争において盛大に当たってしまう。

 幾度となく暗闘を繰り広げてきただけに、レイという存在がどれ程のものかを知っている。それ故に、レイという存在と狭い部屋の中で一緒に寝るのには抵抗があった。

 お互いがお互いを敵視している訳ではないが、完全に信用も出来ない。

 レイは冒険者として、テオレームは軍人としてあまり良くない出来事なのだろうが、それでも感情と理性は別物だった。

 あるいは、レイの場合はセトが共にいれば話は別だったかもしれない。

 セトの危機察知能力は非常に高いので、何があっても対処出来ると信頼して、野営をしている時もぐっすりと眠りにつけるのだから。

 だがもしここでヴィヘラにそれを言えば、恐らくテオレームと自分が部屋を代わるといったことを言いかねない。

 レイとしても色々な面でそれを避けたいので、それ以上は口を噤むことになる。


「ま、晴れた天気と草原の涼しい風、セトのような相棒がいれば眠くもなるってことだよ」


 そう告げ、話を誤魔化す。


「ふーん。ま、いいけど。それより起きたのなら、レイも一緒に遊ばない?」

「……いや、俺の話を聞いてたか? 俺は昼寝を楽しみたいと言ったんだが」

「何よ、こんな美人に誘われてそれを断るの?」


 自分を美人と評する女というのは、大抵が自意識過剰だろう。だが、レイの目の前で男の目を惹き付けて止まない程の美貌とボディラインを誇るヴィヘラが言えば、それはとてもではないが自意識過剰とは言えないものだった。

 その容姿や身につけている衣服のせいか、レイがヴィヘラを見ていて浮かぶイメージは夜……いや、夕方だ。

 普通であれば夜と言いたいところなのだが、色気や女の艶という部分ではヴィヘラよりも上のマリーナという存在を知っている。それ故に、夜のイメージとなるとマリーナとなり、ヴィヘラは夕方だった。

 尚、昼に関しては文句無くエレーナなのだが。

 だがそんなイメージも、太陽の光を浴びて赤紫の髪を煌めかせているのを見れば首を傾げてしまう。

 今のヴィヘラを見て、夜や夕方といったイメージを抱く者はそう多くないだろうと。


「……レイ? どうしたの?」

「ああ、いや。何でもない」


 まさかヴィヘラに見惚れていたとも言えないレイは、小さく首を振る。


「兄ちゃん、兄ちゃんも一緒に遊ぼう!」


 ドラゴンローブの裾を引っ張り、立ち上がらせようとするエーピカ。

 そんな様子を見ていたレイだったが、やがて小さく諦めの溜息を吐くと、そのまま立ち上がる。


「分かったよ。で、何をするんだ? 出来ればあまり疲れないものの方がいいんだけどな」

「えっとね、えっとね……追いかけっこ!」

「……またそれなのか」


 つい先程までやっていただろうに、体力は底なしなのか? そんな風に考えつつも、一度頷いた以上はそれを取り下げる訳にもいかずに草原を歩き出す。

 その後を追うように、セトもまた寝転がっていた草原から立ち上がる。

 こうして、レイ自身はそれ程乗り気ではなかったものの、暫くの間追いかけっこをすることになるのだった。






「あ、父ちゃんと母ちゃんだ!」


 太陽も大分西に沈み、夕日の光が草原を照らし出す中でエーピカの嬉しそうな声が響く。

 その視線の先にいるのは、今日の分の小麦の刈り入れを終了した2人の男女。エーピカの両親の姿だ。

 エーピカは嬉しそうに声を上げ、両親の方へと走っていく。

 その後ろ姿を見送っていたレイとヴィヘラ、そしてセトへと両親は深々と頭を下げる。

 やはり5歳程の子供を1人だけ残しておくのは心配だったのだろう。

 だが、今はレイとヴィヘラという子守がいて、更には巨大猪を一撃で叩き殺す程の力を持ちながら、人に対しては危害を加えることのないセトもいる。

 ……もっとも、自分やレイが危害を加えられるようなことになれば普通に反撃をするのだが。

 もしもエーピカの両親が今までセトが殺してきた盗賊やベスティア帝国軍の軍人、あるいは敵対した冒険者といった者達の人数を聞いたら、とてもではないがエーピカを預けられなくなるだろう。


「兄ちゃーん、姉ちゃーん、また明日も遊ぼうねー!」


 両親と共に大きく手を振るエーピカに、レイやヴィヘラも軽く手を振り返す。

 そのまま村の中に戻っていく3人を眺めていた2人だったが、レイはふと何かに気が付いたかのように視線をとある方向へと向ける。

 そこでは、相変わらず長剣を手に持ったテオレームが、想像上のエルクとの戦いを繰り広げていた。


(イメージトレーニングにしても、よくここまで体力が持つな。……いや、それだけ必死なんだろうが)


 当然数時間も訓練を続けていれば汗だくになっており、離れた場所にいるレイから見てもテオレームの顔にはびっしりと汗が浮いているのが見える。

 激しい動きをする度に顔から汗の滴が飛び、夕焼けに煌めく。

 恐らく横薙ぎの一撃を繰り出されたのだろう。テオレームは素早くしゃがみこみ、足下へと向かって一撃を繰り出し……次の瞬間動きを止め、小さく首を横に振りながら立ち上がる。


(負けたんだろうな)


 想像上のエルクが、具体的にどのように反応してテオレームに勝ったのかは分からないが、それでも勝ち負けがどうなったのかは雰囲気で理解出来た。


「どうやら負けたようね」


 レイと同じ光景を見ていたのだろう。ヴィヘラが小さく呟く。

 ただし、その声色に浮かんでいるのは羨望に近い色。

 幾らレイに対する恋愛感情を自覚したとしても、ヴィヘラの中にある戦闘欲とも呼べるものがなくなった訳ではない。

 既に本能に近い欲求でもある戦闘欲なのだ。

 だからこそ、ランクAパーティでもある雷神の斧のエルクと本気で……それこそ、下手をすれば殺し合いと呼べるだろう戦いをするだろうテオレームに対し、ヴィヘラは羨ましく思う。


(テオレームとの戦いが終わったら……私もお願いしてみようかしらね)


 そんな風に考えつつ、テオレームの方へと向かったレイの後を追うのだった。

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