第564話

 レイの口から出た雷神の斧という言葉。それを聞いた瞬間、テオレームの身体は固まる。

 テオレームにしてみれば、当然その名前には聞き覚えがある。いや、それどころか目の前にいる人物を排除する為にエルクの家族を人質に取って利用すらしたのだ。

 つまり、間違いなく自分に恨みを抱いている人物。


「それは……何と言えばいいのだろうな。出来れば違う人物にして欲しいというのが私の正直な気持ちなのだが。ギルムには雷神の斧以外にもランクA冒険者やランクB冒険者がいたと思うが?」


 そんなテオレームの言葉に、レイは軽く肩を竦めて手に持っていた果実水の入ったコップへと口を付ける。

 ミスティリングから出した時に比べるとかなり温くなってはいるが、それでも果実水独特の微かな甘みを口の中で楽しむ。


「確かに他にもランクA冒険者はいるらしいが、現状で手が空いているのはエルク達だけだったらしい。それに、戦力として考えると十分だろ?」

「分かっていて言ってるな?」

「ああ。当然エルクはお前をかなり恨んでいる。……いや、怒っていると言った方がいいか」


 恨みと怒り。それは似たようなものではあるが、根本的な場所で違っている。表向きの怒りと裏向きの恨みと表現してもいいだろう。

 それ故に、テオレームはレイの口から出た言葉に多少の驚きを見せる。


「つまり?」

「単刀直入に言わせて貰えば、ダスカー様がこの村に到着したらエルクがお前と戦いたいそうだ」


 怒りという、恨み程に陰湿的ではない感情をエルクが自分に抱いているのは理解したが、それでもテオレームの表情は嫌そうに歪む。


「それはどうしても、か?」


 確認の意味も込めて尋ねるが、それに返ってきたのは当然とばかりに頷くレイの仕草。

 それどころか、どこか呆れたように言葉を続ける。


「寧ろそれで済んだのを感謝して欲しいな。エルクの妻のミンに協力して貰ってようやくそこまで落とし込んだんだから。エルクにしてみれば、正面から戦って落とし前を付ければ一応水に流す……といったところか」


 レイがダスカーの執務室で見た感じではとてもそうは思えなかったが、それでも一応とばかりに口にする。

 実際エルクの気質を考えれば、強い怒りを長期間維持出来るとは思わなかったからだ。

 そして妻であるミンのフォローもあることを考えれば、ゴトまでやってきた時には自分が言ったような状態になっているだろうと予想が付く。


(もっとも、実際にエルク達が来た時にそこまでなっていなくても、ある意味では自業自得だろうし)


 悪戯小僧がそのまま大人になったようなエルクなだけに、仲間や家族に向ける愛情はかなり深く、純粋だ。

 その家族を人質にして、更に殺すように命じた相手は、エルクがお気に入りの人物でもあるレイ。


「……俺に死ねと?」

「さて、どうだろうな。その辺は頑張って生き延びてくれとしか言えないな。俺自身はもうそれ程気にしていないが、それがエルクも同様かと言えば話は別だし」


 普通であれば当然レイも恨みに思っても当然だろう。だが、レイがこのエルジィンという世界にやって来てから1年余り。トラブルに次ぐトラブルで細かいことを気にしていられないというのも事実だった。


「ヴィヘラ様」


 救いを求めるようにヴィヘラへと視線を向けるテオレームだったが、そこに戻ってきたのは呆れた視線だ。


「残念ながら、今の話を聞いた限りだと私から擁護は出来ないわね。人質を取って戦わせるとか、寧ろ私が貴方の性根を叩き直してやりたいくらいだもの。自業自得としか言えないわ。寧ろ、貴方にあの子を任せても本当に大丈夫なのかしら?」


 真剣に悩むヴィヘラを見て、これ以上は言っても無駄だと判断したのだろう。

 そのまま難しい顔をして考えを纏め……やがて数分が経つと、ゆっくりと溜息を吐いて頷く。


「分かった。その戦い正々堂々と引き受けよう。考えてみれば、それを潜り抜ければ雷神の斧という戦力もこちらに引き入れられる……かもしれないからな」

「どうだろうな。エルクが任されたのは、あくまでもダスカー様の護衛だ。それを考えれば今回の件に引き込むというのはちょっと難しい……」


 そこまで呟き、ダスカーの執務室でのミンの様子を思い出すレイ。

 戦争を起こさせない為にと自分の夫であるエルクに言っていたその様子を思えば、エルクに直接話を通すのは無理でも、ミンに説得して貰えば可能かもしれないと。

 だが、すぐに首を横に振ってその考えを諦める。

 確かに雷神の斧を引き込めば有力な戦力になるのは間違いない。だが、そうなると再びダスカーの護衛という問題が出てくるのだ。

 まさかエルクやミンの戦力を得る為に、ダスカーの護衛をロドスに任せる訳にもいかないだろう。


「まぁ、難しいだろうな」


 一人で納得したように呟くレイにヴィヘラとテオレームは視線を向けるが、それ以上何も言わないのを見て話を蒸し返すような真似はせず、次の話題へと移る。


「ラルクス辺境伯が来るということは、それを踏まえて計画を多少変更せざるを得ない、か」

「でしょうね。でも、レイが闘技大会に出て陽動の意味も込めて注目を引きつけるという当初の予定から大きく外れる必要はないでしょうけど」


 テオレームの言葉に頷きながら告げたヴィヘラに、レイもまた同意する。


「そうだな、単純にベスティア帝国の上層部が注意を向ける相手が増えたって考えればいいだろ。俺の闘技大会出場に関しても、ダスカー様の推薦って形になるみたいだし」

「うわぁ……」


 その言葉に思わずといった様子で苦笑を浮かべるヴィヘラ。

 春の戦争で名を上げたレイとダスカー。その2人が揃ってベスティア帝国にやってきて、その上で闘技大会に出場するのだ。ベスティア帝国の上層部にしてみれば、どう考えても喧嘩を売っているようにしか見えないだろう。


「ラルクス辺境伯の推薦という形になると、決勝トーナメントからになる……か?」


 微かに眉を顰めるテオレーム。

 レイという存在が帝都で話題になるのが遅れるのは嬉しくないのだろう。

 だが、レイはそんなテオレームに向かって首を横に振る。


「安心しろ、俺は予選から出るつもりだ」

「……いいのか? それこそバトルロイヤルである以上、何があるか分からないぞ? しかもラルクス辺境伯の推薦で出場するとなると、間違いなく私達が予想しているよりも人の目を引く」

「それが目的だろ?」


 あっさりと返されたその言葉に、思わず溜息を吐くテオレーム。


「確かにそうだが、物事には限度がある。春の戦争で活躍したレイと、雇い主だったラルクス辺境伯。その2人が揃っているとなると、ラルクス辺境伯に手が出せない分、レイの方により多くの負担が掛かるのは間違いない」

「大丈夫よ」

「ヴィヘラ様?」

「そもそも、レイの実力を考えればちょっとやそっとの相手ではどうにも出来ないでしょ。それに、変に手を出せば逆に返り討ちに遭うだけでしょうし。そうやって自分達の戦力を好んで減らしていくような真似はしないと思うわ。……それを周辺に教え込む為にも、最初に絡んできたような相手はこれ以上ない程しっかりと叩きのめしておく必要があるでしょうけど」


 笑みを浮かべつつも、ヴィヘラの言っている内容は凄惨極まりないものだった。

 最初にレイに絡んだり、あるいは暗殺のような真似を仕掛けてきた者はまず間違いなく後悔するだろう程の。


「けど、それはあくまでもどこかしらの派閥に関しての話よ。個人で動いているような相手には多分効果は薄いから気をつけてね」

「……肝に銘じておくよ」


 いざとなると女って怖い。

 何となくそんな風に思いつつ、次の話題へと移っていく。


「で、実際に軟禁されている第3皇子を助ける手筈だが……」

「その件に関しては、悪いが秘密にさせて欲しい」

「ん? ……ああ、なるほど」


 テオレームの言葉に一瞬眉を顰めるレイだったが、すぐに納得したように頷く。

 基本的に今回レイが任されている役割というのは、ベスティア帝国上層部の注意を集めることだ。実際に軟禁されているという第3皇子を助けるのは、あくまでもテオレーム達第3皇子派の面々だ。

 そうである以上レイがその辺のことを知っていても、何らかの事情で迂闊に他人に漏らしてしまう可能性もある。

 それらのことを考えれば、実際に救助に動く必要がないレイがその辺の話を知っているというのは寧ろ害にしかならない。

 あるいは第3皇子派の戦力が足りなければ、レイの戦力に対して期待することもあったかもしれないが、ヴィヘラがいる以上はそんな心配はいらないというのがテオレームの判断なのだろう。


「となると、話はこれで終わりか?」

「そうだな、悪いがそうなる。後は……それ以外で何か聞いておくことがあれば答えるが?」


 唐突にそう言われても、特に聞くべきことはない。

 一瞬ヴィヘラは安全なのか? と聞こうかとも思い浮かんだが、それは意味のない問いかけだろう。

 危険がないのなら、わざわざテオレームが助力を求めてミレアーナ王国までくる必要はなかったのだから。

 その問い掛けを本当にしていれば、ヴィヘラにしてみれば自分を侮辱していると感じたかもしれなかった。

 戦闘を求める心からも、そして血を分けた弟の生死に関わっていることに関しても。


「ああ、そう言えば気になるって程じゃなかったが、闘技大会で優勝すればどんな賞品とか賞金があるんだ?」


 結局レイの口から出た問い掛けは、その程度のものだった。

 幾らことが上手く運べば闘技大会そのものが中止になるかもしれないとしても、何となく興味があったからこそ賞品や賞金が気になった。

 大国とも呼べるベスティア帝国が、国家としての威信を懸けて開く闘技大会だ。周辺諸国の重要人物まで招待して行われる以上、その賞品や賞金はさぞ素晴らしいものなのだろう。

 そんな風に思って口にしたレイの問い掛けは、ヴィヘラとテオレームが浮かべた微かな苦笑で返される。


「……どうしたんだ?」

「いや、確かに優勝者には賞品や賞金が出るし、仕官の道もある。あるいは貴族として取り立てられる可能性もあるだろう。皇帝陛下との謁見といったものもあるだろうし。ただ、レイ程の実力があって、アイテムボックスやデスサイズのように稀少なマジックアイテムを持っていて、更にはグリフォンすら従魔にしているとなると……さて、そんな相手に対して相応しい物は何かと思ってな」

「そうね。レイがマジックアイテムを集めているってのはエレーナからも聞いてるけど、実用的に使えるマジックアイテムでしょう? 例えば飾って鑑賞を楽しむような、芸術品系統のマジックアイテムとかは駄目だと考えると……」


 そこまで告げて、言葉を濁す。

 更にレイの場合、今回の作戦に協力する見返りとして第3皇子の命に相応しいマジックアイテムも要求している。

 それらの要求は色々な意味で厳しいものだった。

 闘技大会に関してはどのみちご破算になるだろうから、それ程気に掛ける必要はない。だが今回の件の報酬に関しては必ず支払わなければいけないのだから。


(……さて、どうしたものだろうな。レイを雇うことが出来たのはいいが、具体的にこれといったものを要求されないというのは、非常に難しい)


 内心で何の報酬を支払うか、今から頭が痛くなっているテオレーム。

 ヴィヘラもヴィヘラで、弟の命を助けるのと相応しい報酬と言われれば何を支払うのか迷いどころだ。


(やっぱり私を報酬として……でも、それだとエレーナが怒りそうなのよね)


 エグジルでは半ば冗談で口にしたその言葉だったが、よくよく考えてみれば、自分にとってはそれが最高の落としどころのようにも思える。

 だが、その報酬を選んだ場合は間違いなくエレーナが後でそれを知った時に怒れる戦女神と化すのは簡単に予想出来た。

 戦いを好む身としてはそれはそれでいいかもしれないとも思うのだが、そうなった場合はレイがエレーナの味方になるのが間違いないのも事実。

 恋する乙女と戦闘を好む生来の性格。その2つを両立させるというのは中々に難しいと、ヴィヘラは内心で考え込む。

 そんな2人を眺めつつも、レイはレイで自分がどんなマジックアイテムを報酬として貰えるのかを考える。


(武器に関してはデスサイズがあるし、茨の槍もある。野営用のマジックテントもあるし、食事する時に便利な流水の短剣もある。時間を知る為の時計もあるし……さて、そうなるとどんなマジックアイテムがあれば便利なんだ?)


 よくよく考えてみると、現状でかなり満足出来ていることに気が付くレイ。

 これ以上の何かとなると、パッと思いつくようなものは無い。

 勿論それは今だけのことであり、後日何かを思いつくという可能性は十分にあるのだが。

 3人が3人共それぞれ自分の考えに集中し、結局この後ルチャードが宴会を終えて戻ってくるまで、どこか家の中は静寂に包まれているのだった。

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