第562話
「……どうしてこうなったんだろうな。まぁ、嫌じゃ無いんだけど」
小さく呟いたレイは、草原でセトと追いかけっこをして戯れているエーピカに視線を向ける。
草原である以上、当然ここは村の中ではない。村の外だ。
とはいっても、村からそれ程離れている訳ではないのだが。
レイ達が今いるのは村の位置が見える場所だし、何よりも村の側にある畑で忙しく小麦を刈り入れしている村人達の姿も見える。
「あはははは、ほらセト、こっちだよこっち!」
「グルルルゥ!」
笑いながら走り回っているエーピカに、鳴き声を上げつつ後を追うセト。
もし何も知らない者がこの光景を見れば、恐らくはグリフォンに子供が襲われていると判断するのだろう。
だが、幸いなことにこの光景が見られるようになって既に数日。最初のうちは心配そうにエーピカを見ていた村の者達も、今ではにこやかな笑みを浮かべて走り回っているエーピカと、それを追いかけるセトを眺めるまでになっていた。
「本当に、なんでこんなことになったんだろうな」
再度呟きつつ、草原に座り込むレイ。
夏特有の、濃厚な草の香りが鼻を刺激する。
今のような状況になっている理由は、それ程難しくはない。
レイがゴトにやってきた日に起こった出来事――レイとエーピカが村の外に抜け出して遊んでいた――を聞いたエーピカの両親は、エーピカの頭に軽く拳骨を落とすだけで済ませた。
もっとも、それはやはりエーピカと同年代の子供が村にはいないというのも大きな理由だったのだろう。
エーピカと年齢が近い者でも既に10歳を超えており、農作業の手伝いに駆り出されている。そうなれば、昼間村に残っているのはエーピカと、農作業が出来なくなったような老人ばかり。
そんなエーピカなだけに、レイに興味を持つのは当然だったのだろう。
結果的にエーピカの両親は、畑仕事をしている間はエーピカと一緒にいて貰えないかをルチャードを通してレイに提案。
レイにしても、暫くはこの村にいるのだからと引き受け……今のような状態になっていた。
最初は村の外に出るのを難色を示していたエーピカの両親を始めとした村の人々だったが、グリフォンのセトの存在という絶対的な説得に押し切られるような形で村の外で遊ぶ許可を取り付けることに成功する。
もっとも、レイにしてもあまり心配させたくはないということで、それ程村から離れず畑から見える範囲に留まっているのだが。
「うわぁっ、セト。やっぱり早いね……って、え? ちょっと、セト!?」
「グルルルゥッ!」
エーピカの襟首をクチバシで咥えたセトは、そのまま自分の背の上にエーピカを乗せる。
そして次の瞬間には、エーピカを乗せたままの状態で草原を疾走する。
基本的にはレイ以外を背中に乗せると飛べなくなるセトだったが、子供1人を乗せたくらいであれば地上を走るのには問題はないらしい。
「うわぁ、凄い、早い、凄い、早い!」
同じ言葉を繰り返しつつ、歓声を上げ続けるエーピカ。
その声が畑仕事をしている者達にも届いたのだろう。何人かが立ち上がってレイ達のいる方へと視線を向けていた。
中には10歳を超えて畑仕事を手伝っている子供達も数人いるが、全員が例外なく羨ましそうにセトやエーピカを眺めている。
(今日の仕事が終わったら、あの子供達もセトと遊ばせた方がいいかもしれないな。時間はそれ程掛からないんだし)
内心でそんな風に思いつつ、座っていた草原へと寝転がる。
より地面に近くなった為だろう。今までよりも尚強い草の香りが漂ってきていた。
そんな中、夏の風に気持ちよく当たっていると……
「グルルルルゥッ!」
不意にそんな声が聞こえてくる。
それは、いつもの人懐っこいセトの鳴き声ではなく、どこか警戒の色が滲む声。
その声を耳にした瞬間、半ば夢の世界に旅立とうとしていたレイの頭は瞬時に戦闘時の緊張を取り戻し、その場で立ち上がる。
そうして立ち上がったレイの視線に入って来たのは、セトよりも若干小さいが、それでも普通に考えれば巨躯と呼べる大きさを持った猪だった。
魔石を持つモンスターではなく、普通の動物の猪。
だが、それでもセトと同程度の巨体となれば、それこそ生半可なモンスターよりも凶暴で厄介だ。
実際にその猪は百戦錬磨らしく、顔や身体に幾つもの斬り傷が存在しており、セトを……より正確にはその背に乗っているエーピカに向かっていつでも突っ込めるように準備を整えていた。
しかし……猪にとって不幸だったのは、やはり狙った相手の側にセトが存在したことだろう。
エーピカが1人だけでいるのならばまだしも、ランクAモンスターのセトがいるのだ。
その結果がどうなるかと言えば……
「ブルルルルル!」
鼻の先から生えている小さな牙をエーピカとセトに突きたてんと地を蹴って突っ込んだ巨大猪だったが、それを迎え撃ったのはセトの一撃。
「グルルゥ!」
剛力の腕輪が嵌められて増した膂力により振るわれた前足の一撃は、あっさりと猪の頭部を砕く。
スキルでもあるパワークラッシュを使った訳でもないのだが、それでもこの威力だった。
一撃で頭部を失った巨大猪は頭部を失った衝撃により真横へと吹き飛び、周囲の草を押し潰しつつ数度のバウンドをしながら地面を転がっていく。
「……え? え?」
セトの背中では、何が起きたのか理解出来ずにいるエーピカ。
その様子に怪我の類が全くないのは、セトが自分の背に乗っているエーピカに対して気を遣いながら猪を一撃で仕留めたおかげだろう。
やがて、何が起きたのか理解したエーピカの顔が徐々に引き攣り……
「うわああああああああん!」
大声で泣き始める。
「グルゥ? ……グルゥ」
そんなエーピカへと視線を向け、困ったように喉を鳴らすセト。
そのまま、自分の方へと向かって歩いてきているレイに救いを求めるような視線を送る。
「安心しろ、別にセトが悪いわけじゃない。いきなりあんなに大きな猪が現れて怖かっただけだよ。……ほら、エーピカ泣き止め。男だろ? 格好悪いぞ」
「ひっぐ、ひっぐ……兄ちゃん……」
困っているセトの頭を撫でながら声を掛けてきたレイに、エーピカは視線を向けるとぎゅっと抱きつく。
(こういうのは俺のキャラじゃないんだけどな)
内心でそう考えつつも、さすがに5歳くらいの子供であるエーピカを突き放す訳にもいかず、右手でセトを、左手でエーピカの頭をそれぞれ撫でる。
やがてそのまま数分程。ようやく村の近くで農作業をしていた者達がレイ達の下へと到着する。
巨大猪が出た時点で走り出してはいたものの、レイ達がいた場所と村はそれなりに距離が離れていた為にここまで時間が掛かったのだ。
「エーピカ、大丈夫!?」
「エーピカ!」
真っ先に声を掛けてきたのは、当然の如くエーピカの両親。
共にまだ20代後半程の年齢ではあるが、この世界では10代で結婚することもそれ程珍しいことではなく、寧ろエーピカの両親の場合は遅い結婚だったと言えるだろう。
「父ちゃん、母ちゃん……」
抱きついていたレイから身体を離し、セトの背から降りて自分の方に近づいてきた大好きな両親へと抱きつく。
その様子を見ていたレイに、ルチャードが近寄ってきて小さく笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
何について礼の言葉を言っているのか、最初レイは分からなかった。
エーピカを危険な目に遭わせたのだから、てっきり責められるのではないかと思っていたのだ。
だが、ルチャードはそんなレイの様子には気が付いた様子もなく、頭部を失って胴体だけとなって地面に転がっている巨大猪へと視線を向ける。
「あの猪……もしもレイさんがここにいなければ、恐らく村や畑までやってきてたでしょうね。そうなれば僕達では追い払うのが精一杯で、倒すのは無理だったでしょう。それも、何人もの怪我人が出て」
「……てっきり、責められると思ってたんだがな」
呟くレイの視線の先にいるのは、母親に力一杯抱きついているエーピカ。その隣では父親が笑みを浮かべて息子の頭を撫でている。
「確かにエーピカはちょっと驚かせてしまいましたけど、セトがいなければ怪我どころか命すらも危なかったですから。恨み言を言うのは筋違いですよ」
「そもそも、ここに連れてきていなければあの猪に出くわすこともなかったんだが?」
「それを言うのなら、エーピカが1人で村を出てあの猪に遭遇する可能性もありました。1人でいさせるよりは、こうしてレイさんが一緒にいた方が断然安心出来ます」
「そうです、本当にありがとうございました」
「ありがとうございます」
ルチャードの言葉に続くように、エーピカの両親が深く頭を下げる。
その様子を見ていたレイは、小さく溜息を吐いてから首を横に振る。
「分かった、取りあえずもういい。エーピカが無事だったようで何よりだ。……それよりも、だ。折角それだけでかい猪を仕留めたんだ。今日は猪料理を皆で食わないか?」
レイの口から出た言葉に、ルチャード、エーピカの両親、それ以外の村人達までもが驚きの視線をレイへと向ける。
「いいんですか? その、僕達もご相伴に与って」
「ま、いいんじゃないか?」
「グルゥ!」
レイが猪を実際に倒したセトへと視線を向けると、嬉しそうに鳴き声を上げる。
セトにしても、食事に関しては皆で一緒に食べた方が美味しいと理解しているからだ。
『うおおおおおおおお!』
そんなセトの意思を理解出来なくても、セトの鳴き声を聞いたレイが小さく頷けば意味が理解出来たのだろう。その場にいる村人達全員が歓喜の声を上げる。
「見ろよ、この猪。俺達だけで食い切れるかな?」
「大丈夫だって。もし俺達で食い切れなくても、セトがいるだろ」
「毛皮とかも使い道はありそうだけど……これだけの大きさだとなめすのは大変そうよね」
「うーん、確かに。でも猪の肉を分けて貰うんだし、私達でやってもいいんじゃない?」
「……小麦の刈り入れで疲れた身体を癒やすためにも、猪の肉で精を付けるとするか」
「へっ、お前の場合夜の方の精だろ」
「ぐっ、そ、それはだな……」
「俺はやっぱり焼いた方が好きだな」
「えー……じっくりと煮込んだ猪肉も捨てがたいよ?」
村人達が猪を見ながら騒いでいたが……そんな中、不意に村人の1人が何かに気が付いたように口を開く。
「ちょっと待て。このでかい猪……どうやって村の中まで持っていくんだ? もしかして引っ張っていくのか?」
その言葉に数秒まで騒いでいた村人達はシン、と静まり返る。
視線の先に存在している猪の死体は、頭部が無くなってはいても200……あるいは300kgを超える程の重量があるだろう。
それを村の中まで引っ張っていくのは、無理ではないがかなりの労力が必要になる。
つい先程まで農作業を続けていた今の状態でそんな行為をするのは、遠慮したいというのが村人達の正直な気持ちだった。
だが……そんな中で唐突にレイの声が周囲に響く。
「安心しろ、この猪は俺が村の中まで持っていく」
「いや、持っていくって言ったって、こんなでかいのをどうやってだよ。セトに運ばせるのか?」
「ああ、確かにそれも可能だろうが、もっと手っ取り早い方法がある。……こんな具合にな」
呟き、レイが猪の死体へと触れた次の瞬間、猪の死体は一瞬にして消え去る。
「……え?」
数秒前までレイと話していた男が、いきなりの現象に思わず言葉を失う。
「マジックアイテムがあるからな。このくらいは難しくないさ。それより、あの猪の死体をどこまで運べばいいか教えてくれないか?」
レイの口から出たその言葉に、村人達はやがて驚きに満ちつつもレイが村に来た時に巨大な鎌をどこからともなく取り出したのを思い出し、納得する。その後、相談してやがてその場にいる全員を代表するようにルチャードが口を開く。
「村の広場は分かりますよね? あそこにお願いします。これだけの大きさの猪ですから、解体するにも大勢でやる必要があるでしょうし……何より村人皆が集まって食べるような場所はあそこしかありませんから」
「分かった。……セトもいいか?」
最近ではセトの姿を見ても怖がらなくなった村人達だったが、それでも今までは村の近くまでしか近寄ることはなかった。
だが、今回は中に入れてもいいかと尋ねるレイの言葉に、ルチャードは悩みつつも頷く。
「分かりました。その辺は私が村長に話を通させて貰います。一応村長もここ最近の出来事は聞いていますから、問題は無いと思いますよ」
「……本当? セトも村の中に入ってもいいの?」
エーピカが母親に抱きつきながらそう尋ねるが、ルチャードはその体格に似合わないような柔らかい笑みを浮かべて頷く。
「ええ、勿論。エーピカを助けてくれましたしね。村の皆も文句は言わないでしょう」
その言葉に、周囲に集まっていた村人達が口々に同意の呟きを漏らす。
「さて、じゃあちょっと早いですけど小麦の刈り取りはこのくらいにして、猪の解体を始めましょうか」
そう告げたルチャードは、レイやセト、村人達と共に村の広場へと向かう。
夕方、猪の解体が終わって早速村人全員で猪を食べる。
柔らかい部位は骨付きのまま豪快に焚き火で焼き、あるいはレイのミスティリングの中に入っていた本格的なフライパンを使ってステーキとして焼いたり、あるいは煮込み時間は多少足りなかったが、シチューや煮物を作っては皆で平らげていく。
小さな村といっても、住人は50人近くもおり、それぞれが十分満足する程の量だった。
そんな中……
「あら、いい匂いがすると思ったら。今日はパーティか何かかしら?」
久しぶりに聞く声がレイの耳へと入ってくる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます