第561話

「うわぁっ!」


 突然空から舞い降りてきた、体長2mを超える巨大な存在に、エーピカは思わず声を上げる。 

 それでも、その声が驚愕に満ちていても恐怖の色がなかったのは、エーピカがまだモンスターの恐ろしさを殆ど良く知らないからだろう。

 ……もっとも、このセレムース平原近くにあるゴトという村で脅威の存在となるモンスターは、ゾンビやスケルトンといったアンデッドモンスターの類だ。

 今空中から翼を羽ばたかせて降りてきたようなグリフォンのセトは、見知らぬだけに脅威を覚えはしなかったのだろう。

 子供であるエーピカと比べて何倍も大きい巨躯を誇るセトだが、それが降りてきた瞬間にレイへと近づき、嬉しそうに喉を鳴らしながら撫でて、と頭を擦りつけている様子を見れば、とても脅威を覚えるようなことは出来なかっただろうが。

 盗賊や襲ってくる他のモンスターのような存在がいれば、当然セトもそれなりに警戒するだろう。

 だが、今セトの周囲にいるのは大好きな相棒であるレイと、まだほんの小さな子供が1人。

 その状態でセトに警戒心を抱けというのは無理だった。


「グルルルゥ」

「ああ、放っておいて悪かったな。でも、たまには俺がいない状態で空を飛んでみるというのも悪くないだろ?」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、どこか拗ねたように喉を鳴らして視線を逸らすセト。

 そんな様子に、レイは小さく笑みを浮かべて頭を撫でる。


「ほら、悪かったって。だからこうして村の外に出てきたんだろ? 取りあえず夕方までは一緒に遊んでやるから機嫌を直してくれ」

「グルゥ?」


 本当に反省してる? と言いたげに小首を傾げるセトに、レイはセトの首筋を撫でながら頷く。

 そのまま、視線をセトから自分の隣で目を輝かせているエーピカの方へ。


「グルルゥ?」


 セトもそんなレイの視線に気が付いたのか、エーピカの方へと顔を向けて喉を鳴らす

 その仕草に一瞬驚いたエーピカだったが、円らな瞳で自分を見下ろしてくるセトと視線を合わせ、次にレイの方へと顔を向けて口を開く。


「ね、ねぇ、兄ちゃん。僕も撫でていい?」

「ああ、乱暴にしなければ大丈夫だ。な、セト?」

「グルゥ」


 レイの言葉に、セトは喉を鳴らしつつエーピカの撫でやすい位置へと頭を下げる。

 そんなセトの頭にそっと手を伸ばすエーピカ。

 まず触れたのは、ふわふわとして滑らかな羽毛の感触。

 いつまででも触っていたいような感触に、エーピカは笑みを浮かべる。


「わぁ、わぁ、わぁ……ね、兄ちゃん。この子は何て名前なの?」

「セト。グリフォンのセトだ」

「セト……セトかぁ」

「グルゥ?」


 自分の名前を呼びかけたのに気が付いたのか、セトが小首を傾げて円らな瞳をエーピカへと向ける。

 じっとセトと視線を合わせるエーピカ。

 もしかして怖がるか? そうも思ったレイだったが、その心配はすぐに消える。

 エーピカの顔が笑みに変わったのだ。

 この辺、モンスターの常識を知っていたりすればありえないことだっただろう。

 セトの頭を撫でながらも、笑みを浮かべているエーピカに思わず笑みを浮かべたレイは、周囲を見回して地面に落ちている木の枝を拾い上げる。


「エーピカ、見てろよ?」

「え? 何?」

「ほら、いいからちょっとセトから離れるんだ。……セト、いいな?」

「グルルルゥ!」


 レイが手に持った木の枝で、何をするのか理解したのだろう。嬉しそうに喉を鳴らしながら1歩、2歩と後退る。


「……」


 そんな様子を、不思議そうな表情を浮かべて眺めるエーピカ。


「行くぞ、セト! 取ってこい!」


 セトへと鋭く声を掛け、持っていた木の枝を大きく弧を描くように遠くへと放り投げた。

 ゴトは畑を作る必要性もあって草原に作られている。そんな草原の中を、セトは放り投げられた木の枝を追って素早く駆ける。

 翼は使わずに4本の足だけで地を走るセトだったが、その速度は並の軍馬よりも遙かに上だった。

 そのまま地を蹴りつづけ、鷲の前足という走りにくい体にも関わらず木の枝を追い続け……


「グルゥッ!」


 鋭く鳴きながら、跳躍。

 見事空中にある木の枝を、クチバシで咥えることに成功する。


「わぁ、凄い凄い凄い! 凄いよ兄ちゃん!」


 そんなセトの様子に、エーピカは興奮したように叫ぶ。


「だろ? なら次はお前がやってみるか?」

「え、いいの?」

「ああ。セトと仲良くしてやってくれると嬉しい。本当はフライングディスクがあれば面白いんだが」


 脳裏に日本にいた時に見た、犬と共にフライングディスクで遊ぶ光景が浮かぶ。だがこの世界にそんな物がある筈もない。

 あるいは形自体はそれ程複雑ではないのだから、木の皿で代用出来るのかもしれないが。


「フライングディスク?」

「いや、何でもない。……ほら、セトが戻ってきたぞ。次はお前の番だ」

「グルルゥ!」

「あ、うん。よーし、セト。行くよ!」


 セトのクチバシに咥えられていた木の枝を受け取ったエーピカは、数歩の助走を付けたあとで大きく放り投げる。

 まだ子供のエーピカだからだろう。放り投げられた木の枝は狙っていた場所とは全く見当違いの方へと飛んでいくが……


「グルルルルルルゥッ!」


 セトは、鳴き声を上げながら木の枝を追う。

 子供であるが故に、投げられた木の枝もそれ程高くは放り投げられない。

 それでもセトの地を駆る速度は素早く、木の枝が地面に落ちる前に見事クチバシでキャッチすることに成功する。


「グルルゥ」


 クチバシに咥えた枝を、喉を鳴らしつつエーピカへ渡すセト。

 その円らな瞳は、褒めて褒めてと要求していた。


「あはっ、あははは。セト、凄いね。まさかあっちにいったのを取ってくるなんて」


 エーピカは笑みを浮かべつつ撫でやすいように下ろした頭を、その小さな手で一生懸命に撫でる。

 やがてそのまま数分が経っただろうか。

 セトの頭から手を放したエーピカは、目を輝かせてレイへと視線を向ける。


「ね、兄ちゃん。もう一回やってもいい?」

「ああ、セトもここ最近はずっと窮屈な思いをさせていたからな。思う存分遊んでやってくれ」

「うん!」

「グルルゥ」


 遊んで遊んでと喉を鳴らすセトに、エーピカは再び木の枝を投げる。

 今度は先程と違い、狙った場所へと山なりに飛んでいく。

 それを先程同様に地を駆け、空中にあるうちにクチバシで咥えるセト。

 凄い凄いと目を輝かせ、エーピカは幾度となく木の枝を投げてはセトがそれを受け止める。

 やがて20分程経っただろうか。木の枝を投げるだけだとしても、それを全力で繰り返したのだ。まだ子供のエーピカでは、体力に限界が来て当然だった。


「はぁ、はぁ、はぁ……あー疲れた。ごめん、セト。ちょっと休憩させて」

「グルルゥ」


 エーピカの言葉に、一瞬レイの方へと視線を向けるセト。

 それにレイが頷くと、セトは草原の上に寝転がり、獅子の尻尾をエーピカの胴体へと巻き付けて引き寄せ、自分の胴体に体重を預けさせる。


「うわぁ……フカフカだ。いいの、セト?」

「グルゥ」


 勿論と頷くセトの胴体に、エーピカは体を預けてその滑らかな肌触りの毛並みを堪能する。

 やがて疲れと気持ちよさの2つの効果により、気が付けばエーピカはセトに抱きつきながらも寝息を立てていた。


「グルルルゥ?」


 小首を傾げてエーピカに視線を向けたセトだったが、やがて少し離れた所で自分を見守っていたレイの方へと頭を向ける。

 このままでいいよね? そんな確認の意味を込めて見つめてくるセトに、レイは小さく笑みを浮かべながら頷き、どうせなら自分もということで草原に寝転がっているセトの下へと向かう。


「グルゥ」


 エーピカとは反対側のセトの体に寄りかかったレイは、大きく息を吸って空を見上げる。

 つい数時間前まではこの空をセトに乗って飛んでいたのだが、その時とはまた違った思いが浮かんできた。

 どこまでも高く広がっているような、青い空。まるで綿飴のように膨らんでいる白い雲。

 夏特有の暑さは感じるが、草原にいてそれなりに風が吹いている為だろう。ギルムの街中で感じるような湿気の高い暑さは感じない。


(だからこそエーピカもこうして寝てられるんだろうけどな)


 また、同じミレアーナ王国内でも場所の違いというのもあるだろう。一口にミレアーナ王国と言っても、大国だけあってその面積は広大なのだから。

 そんな風に空を見上げ、風に当たりながら頭の中で考えていると、やがて風に誘われるように睡魔が襲ってくる。

 夜はマジックテントの中でぐっすりと眠っていたのだが、この陽気には敵わなかったらしい。


「ん、セト……少し経ったら……起こしてくれ」

「グルゥ」


 呼びかけにセトが答える声を聞きながらも、レイの意識は闇に落ちていくのだった。






「……ん?」


 急速に意識が浮上していく感覚を覚え、目を開ける。

 視界の中に入ってきたのは、こちらに近づいてくる数人の人影。


「グルルルゥ」

「セトか……悪いな」


 どうやら眠っていた自分を起こしたのがセトなのだと理解し、言葉を掛ける。

 その証拠に、セトの尻尾がレイの体の近くに伸びていた。

 自分達の方へと近寄ってくるのは、見覚えのある顔。ゴトの村人で、レイが来た時に最初に村の中へと通させないように立ち塞がった者達と、その隣にはルチャードの姿もある。

 ただし、その顔に浮かんでいるのは鋭い視線……ではなく、どこか困ったような、それでいて苦笑いを浮かべているような、そんな表情だ。


「どうした、愉快な顔をして」

「ふんっ、どうせ俺はお前みたいにいい男って訳じゃねえよ」


 レイの言葉に文句を言いつつ、その場で立ち止まる。

 やはり立ち止まったのはセトが原因なのだろう。

 だが、セトに向けられる視線にも恐怖や畏怖といった視線以外にも、どこか穏やかな色がある。

 それはレイやエーピカの枕代わりになっているのと無関係ではないだろう。


「どうしたって言ってもですね。村の中から子供の姿が消えているんだから、探すのは当然でしょう? 気の早い人なんかは、レイさんがエーピカを連れ去ったんじゃないかって言ってる人もいたんですから」


 そう告げ、レイに向かって文句を言った男へと視線を向けるルチャード。

 ルチャードから向けられる視線に気まずいものを感じたのだろう。男は何かを誤魔化すかのように口を開く。


「しょうがないだろ、実際いつのまにかこの坊主も消えてたし、エーピカの姿もなくなってたんだから。まさか、村の外で昼寝してるなんて誰も思わねえよ」

「いやまあ、確かにそれは否定出来ないけどな。ちょっとセトと遊んでおきたかったんだよ。特に何か急いでやるべきことがある訳でもないし」


 セトの身体に体重を預けたまま、自分の方へと視線を向けているセトの頭を撫でるレイ。

 それを受け、気持ち良さげに喉を鳴らす音が周囲に響く。

 もし何も知らない状態で今の喉を鳴らす音を聞けば、あるいは恐怖を胸に抱いたかもしれない。

 だが、レイに撫でられて気持ちよさそうに目を細めている状況では、とてもではないが恐怖や畏怖といったものを抱くことは出来なかった。

 寧ろ、村人達は自分がどこか優しい視線を浮かべてしまう自分に気が付く。


「ん……ん……あれ? どうしたの?」


 今のセトの喉を鳴らす音が身体を伝って響いたのだろう。エーピカは目を擦りながら周囲を見回す。

 そしてルチャードを始めとした村の大人達の姿を視界に入れると、ビクリとする。


「エーピカ。村の外に出ちゃ駄目だって……言われてなかったかい?」

「そ、それは……」


 ルチャードの口から出た言葉に、俯くエーピカ。

 それを見たレイは、小さく溜息を吐いて口を挟む。


「悪いがエーピカを村の外に連れ出したのは俺だ。あまり叱らないでやってくれないか?」

「……レイ。確かに君が連れ出したのは事実だろう。けど、村の外にでてはいけないというのは以前からエーピカには言ってあるんだ。他人に……それも、まだ村に来たばかりのレイの言葉であっさりとそれを破ったというのが問題なんだよ。悪いけど、これは村の問題だ。黙って見ていて欲しい」


 そう告げ、ゆっくりとエーピカの方に歩いて行くルチャード。

 エーピカも、慌てて寄りかかっていたセトから離れて起き上がり、ルチャードの方へと近づいていく。

 そのまま手を上げ……ルチャードの手はポン、とエーピカの頭部へと置かれた。

 てっきり殴られる……とまではいかなくても、何らかの仕置きはされると思っていたのだろう。エーピカの目は大きく見開かれてルチャードへと視線を向けている。


「ま、レイがいたんだし、エーピカの安全については心配していなかったよ。けど、お父さんとお母さんは仕事が終わった後でエーピカの姿が見えなくなって心配したんだ。きちんと謝るようにね」

「……うん」

「よし、分かればいい。じゃあ、村に戻ろうか。僕からも2人にはあまり怒らないように言っておいてあげるから」

「うん!」

「レイも悪かったね。エーピカが迷惑を掛けた。村で同年代の子供がいないせいか、どうしても……ね」


 視線を自分に向けてそう尋ねてくるルチャードに、レイは首を横に振って立ち上がる。


「ま、俺も暇潰しが出来たしな。ある意味では丁度いいさ」

「そうかい? なら、これからもよければエーピカと遊んでくれないかな?」


 そんな風に話しつつセトと別れて村へと戻り、ルチャードの家で色々と昼間には出来なかった話をするのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る