第560話

 目の前にいる穏やかな表情を浮かべた人物、ルチャードの言葉を聞きつつも、レイは何となくその理由を察していた。

 ギルムのような意味の辺境ではなく、純粋に田舎としての辺境の村であるこのゴトにおいて、春に起きた戦争のようなことでもない限り滅多に訪ねる者はいないのだろう。

 そんな中で訪ねてきたレイ。

 もしもこれがレイのように有名な人物ではなく、普通の旅人であったりしたのならここまで警戒することもなかった筈だ。

 だが春の戦争で活躍したレイだけに、ルチャードとしても警戒せざるを得なかったのだろうと。

 そのように警戒しつつ、それでも尚自分の家にレイを招いたのは……


「なるほど、お前はベスティア帝国の……より正確にはテオレームの手の者、か」


 レイの口から出たその言葉に、ルチャードの身体が一瞬硬直する。

 そして、レイにとってはそれだけで答えを得るには十分だった。


「やっぱりな」


 そんなレイの呟きを聞き、ルチャードの視線が近くにあった包丁へと向けられ……だが、結局何も行動を起こさずに終わる。

 レイという人物を、自分がどうこう出来るとは思えなかった為だ。

 もし包丁の類で襲い掛かったとしても、どうにか出来る未来が全く見えない。あっさりと捕らえられるだけだろうと。

 いや、寧ろ先程見た大鎌で斬り殺されるのか。

 どうあっても対抗出来ないと判断したルチャードは、小さく溜息を吐きながら視線をレイへと向ける。

 半ば諦めに近い視線を向けられたレイだったが、特に気にした様子も無く口を開く。


「安心しろ、別にお前をどうこうするつもりはないから。それに今の言葉で理解出来ただろ? 俺がここで待ち合わせをしているのはテオレームだ」


 正確にはテオレームを率いたヴィヘラというのが正しいのだろうが、それを口に出す訳にはいかなかった。

 目の前にいる男は確かにテオレームの手の者なのだろう。だが、それは別に腹心の部下という意味ではないのは明らかだったからだ。

 ともあれ、レイの言葉にルチャードは安堵の息を吐く。


「そうですか、やっぱり。……正直、レイさんとテオレーム様がどんな関係なのかは想像も出来ません」


 それはそうだろう。春の戦争でお互いに敵対したことを考えれば、レイとテオレームが良好な関係だと思える方がおかしい。

 説明を求めるようにルチャードが視線を向けてくるが、レイはそれに対して小さく肩を竦めるだけで答える。


「ま、色々とあったんだよ。で、お前のことは聞いてもいいのか?」

「別にそれ程面白い話ではありませんよ? ただ、僕がテオレーム様の手の者だということです」


 具体的に何をしているのかというのを、ルチャードは口にしなかった。

 レイが完全にルチャードを信用していないのと同じように、ルチャードもまたレイを完全には信用していない。

 ルチャードの立場として、その辺は当然の判断なのだろう。

 それを理解しているのか、レイもそれ以上無理に会話を掘り下げるような真似はしなかった。

 その代わりに話題を逸らす。


「で、テオレーム達がいつくらいにここに来るのかは聞いているか?」


 多分聞いてないだろう。そう思いつつも、念の為といった具合に訪ねるが、レイの予想通りにルチャードは首を横に振る。


「残念ですが、僕が聞いているのはテオレーム様が誰かを連れてこの村にやってくるかもしれないということだけです。それにしても、テオレーム様がミレアーナ王国内に入った時に、こっそりこの村に寄って僕に言付けをしていっただけですし」

「……なるほど。となると、やっぱりもう暫くここで待っている必要がありそうだな。悪いけど暫く厄介になることになりそうだから、よろしく頼む」

「ええ、僕としてもテオレーム様と繋がりのある方にどうこう言える立場ではないので、構いません。ただ、この村にいても本当に遊ぶような場所はないですよ? 敢えて挙げるとすれば、酒場くらいですね」

「酒場か。酒はともかく、美味い料理の類はあったりするのか?」


 そんなレイの言葉に、ルチャードは首を傾げる。


「どうでしょう。この村の料理としては代わり映えのしないものが多いですけど……それがレイさんの口に合うかどうかと言われれば、実際に食べてみて下さいとしか」


 そこまで話し、何かに気が付いたようにレイの方へと視線を向ける。


「そう言えばですね、もう数日もすれば小麦の収穫に入ります。そうなると今よりも更に暇になりますよ」

「……いっそ、セレムース平原に行ってアンデッドでも倒してくるか」


 普通のアンデッドはともかく、希少種のアンデッドがいれば魔石を吸収して戦力を増すことも出来る。

 これから向かうのは完全なる敵地である以上、少しでも戦力の増強をしておいて悪いことはなかった。


「そうですね、たまに……本当にたまにですがアンデッドがセレムース平原から出てこの村まで来ることもありますから、もしそうして貰えれば村の人達も喜ぶかもしれませんね」


 セレムース平原の近くにあるという関係上、数年に1度程度ではあるが、スケルトンやゾンビの類がここまでやってくることもあった。

 もっとも、それを承知でこの村の人々はここに住んでいるのだ。当然その程度のモンスターであれば、対応出来る。

 それでも怪我人が出ることはあり、それを思えばレイが自主的にセレムース平原にいるアンデッドを狩ってくれるというのであれば、それは喜ばしいのだろう。


「テオレームが来るまで、かなり暇になりそうだな」


 思わず呟いたレイだったが、ルチャードは小さく首を横に振って口を開く。


「ここに来た時はかなり立派な馬に乗っていたので、そう時間は掛からないと思いますよ。迎えに行くと言っていた人の分の馬も連れていましたが、そちらもかなりいい馬に見えましたし」

「……なるほど」


 確かに第2皇女を迎えに行く以上、それもなるべく早くベスティアに戻らなければいけないのだから、能力的に優れている馬は必要になるだろうとレイは思わず納得する。


(とは言っても、テオレーム達が来てもダスカー様達が来ないと意味は無い。結局は暫くの間ここで待つことにはなりそうなんだよな。……まぁ、テオレームとエルクの件をどうするか前もって話を通しておく必要があるけど)


 そんな風に考えていると、もう説明は十分だと思ったのだろう。ルチャードは立ち上がって口を開く。


「では、僕は畑仕事に戻ります。……一応言っておきますが、僕の件は……」


 それだけで何が言いたいのか分かったレイは、無造作に頷きを返す。


「ああ、村の連中に言いふらしたりはしないよ」

「お願いします。本当はもっと色々と詳しい話をしたいところなのですが、仕事を放り出すわけにもいきませんので……詳しい話は今夜お願いします。ああ、部屋に関してはそっちの部屋を使って下さい」


 この家の構造は、玄関と居間や台所が一緒になっている大きめの部屋が1つに、そこに続いている個室が3つ存在している。

 ルチャードが示したのは、その中の1つだった。


「助かる」


 それだけを聞くと、そのまま家を出て仕事へと戻っていく。

 一瞬、見知らぬ他人の自分だけを家に残していってもいいのかと疑問に思ったレイだったが、テオレームの知り合いということで信用されているのだろうと自分を納得させる。

 そうして誰もいなくなった家の中、これからの暇潰しをどうするかで悩み……やがて、立ち上がった。

 ヴィヘラやテオレームを待つにしろ、ダスカーやエルクを待つにしろ、どのみち暫くはこの村で過ごす必要が出てくるのだ。である以上、何かあった時の為に村の中がどのようになっているのかを、自分の目で確かめておいた方がいいだろうと判断した為だ。


(久しぶりにセトとゆっくり遊んでもいいしな)


 思いついてからは早かった。

 確かにギルムを発ってからはずっとセトと一緒にいたのだが、それはあくまでもこの村までの旅路でしかない。

 食事や休憩、あるいは野営の為に地上に降りた時はセトと一緒に過ごしてはいたが、純粋に遊んでいるような時間は殆どなかったのだ。

 ルチャードの家を出ると、まず真っ先に目に付いたのは自分へと向けられている視線。

 ただし、この村に来た時に村人に向けられたような警戒心に満ちたものではなく、どちらかと言えば好奇心に満ちた視線だ。

 そんな視線を隠す気もないかのように、じっと向けられている。

 自分を見つめている相手の方へと視線を向けると、そこにいたのは少年だった。 

 年齢で言えば、5歳前後といったところだろう。

 ルチャードの家の側に置かれている木箱が重なっている場所に身体を隠し、顔だけを出してじっとレイへと視線を向けていたのだが、視線が交わると一瞬息を呑む。


「っ!?」


 そのまま数秒。お互いに見つめ合い、不思議な静寂の空間が周囲に出来上がる。

 そんな風に見つめ合いつつも、レイは目の前の少年が何故ここにいるのかを理解していた。

 まだ小さすぎて、両親の手伝いが出来ないからだろう。

 これが10歳を超えれば多少の手伝いは出来るのだろうが、さすがに5歳くらいの年齢では、手伝っても両親の足を引っ張るだけだ。

 それならば村の中で好きに遊ばせておけばいい。そういう判断をしたのだろうと。


『……』


 お互い黙って見つめ合ったまま、約1分。やがて最初に痺れを切らして行動に移したのは少年の方だった。

 隠れていた木箱から出てきて、レイの方へと歩み寄ってくる。


「……僕、エーピカ。兄ちゃんは?」

「レイだ」

「ねぇ、兄ちゃんは見たことないけど村の人?」


 100人もいないような小さな村だが、それでもこの年頃の子供にしてみれば村人全員の顔を覚えてはいないのだろう。

 首を傾げて訪ねてくる少年……エーピカの問いに、レイは首を横に振って否定する。


「え? 本当? じゃあさ、じゃあさ。村の外のことを聞かせてよ!」

「……そうだな……」


 一瞬それもいいかもしれないと思ったレイだったが、視線の先……上空に見覚えのある影を見つける。

 かなりの高度だが、そこをセトが飛んでいるのだ。

 恐らくはレイが自分に構ってくれるだろうことを期待して、少しでも早く見つけられるようにと。

 だが、キラキラとした目で自分を見つめている子供をこのまま放っていくのも気が引けたレイは、ふとギルムでセトに群がっていた子供達を思い出す。

 勿論その子供達にしても、すぐセトに懐いた訳ではない。だが、今なら自分が……セトの相棒がいるのを思えば、あるいは大丈夫かもしれない。

 それに怖いのは最初だけであり、10分もセトと一緒にいればすぐに懐くだろうという判断もあった。


「外のこともいいけど、どうせなら実際に行ってみないか? 今なら俺の相棒がいるんだけどな」

「え? でも父ちゃんと母ちゃんが外に出たら駄目だって言ってたよ?」

「確かに1人なら駄目だろうが、俺が一緒にいるだろ」

「えー……うーん……」


 悩む子供を見ながら、こんなにすぐ自分を信じて大丈夫なのか? と内心で考えるレイ。

 この村の住人は確かに閉鎖的ではあったが、子供は全く違うらしいと。

 だが、すぐにその理由に思い至る。

 そう。閉鎖的だからこそ旅人がこの村には寄りつかず、その結果子供は知らない相手に対しての警戒心をあまり持たずに育つようになったのだろう。

 当然親はその辺のことをしっかりと言い聞かせているのだろうが、5歳程度の子供がそれを完全に理解出来る筈もない。

 その結果……


「うん、分かった!」


 あっさりと頷くのだった。


「よし、じゃあ畑にいる大人達に見つからないような場所から外に行かないとな。どこかいい場所を知らないか?」

「えーっと……あ、そうだ。こっちだよ!」


 そう告げ、エーピカはレイの手を引っ張って村の中でも人気の少ない方へと向かう。

 小さい村だけあって、エーピカのような子供と一緒でも30分も歩かないうちにその場所に辿り着く。

 セレムース平原の近くにあるだけあり、このゴトという村は周囲を板で囲まれている。

 防壁と呼ばれる程に立派な物ではないが、それでもセレムース平原からやってくることもあるアンデッド――スケルトンやゾンビ――といったものを村の中に入れないように防ぐことは、十分に可能な代物だった。

 だが村を囲んでいる板が全て新しい物ではない以上、当然そこには古くなっている場所もある。

 エーピカがレイを連れて行ったのは、そんな場所だった。

 板の下の部分、レイの膝の高さくらいまでの場所が壊れて隙間となっていたのだ。

 ギルムのような辺境であれば、どんなモンスターが侵入してくるのか分からないので絶対に無い出来事。

 だが、ここはあくまでもセレムース平原の近くであり、迷い込んでくるのは禄に知能も存在しないアンデッドである以上、特にこのままでも問題はないと村の者達は判断したのだろう。


「ほら、ここから外に出られると思うよ。行く?」

「ああ、行こうか」


 エーピカの言葉にそう返し、匍匐前進するように板の隙間から外へと抜け出る。

 レイの身長が小さく、また体つきも見て分かる程に筋肉質ではなかったこともあり、多少窮屈ではあったが無事外に出ることに成功する。

 幸いだったのは、地面が草むらだったことだろう。おかげでそれ程汚れずに済んだのだから。

 そうしてエーピカもレイの後に続いて村の外へと出て……


「グルルルルゥ!」


 周囲に響かないように注意しながら、セトが嬉しそうに喉を鳴らしつつ地上へと降りてくるのだった。

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