第522話

 強力な爆発が巻き起こったにも関わらず、マースチェル家の地下にあった巨大な部屋はまだ存在していた。

 元々宝石の爆発自体が決まった範囲内にだけ爆発を起こすという性能だったおかげだろう。

 実際にプリが使ったのを見ていたからこそ攻撃の手段として宝石の自爆を選んだレイだったが、もし爆発の範囲が決まっておらず無差別に爆発が広がっていれば、レイ達が存在していた魔法陣の大部屋だけではなくマースチェル家……否、あるいはマースチェル家の存在しているエグジルの西区画そのもの……下手をすればエグジルの半ば以上が消滅していたかもしれないだろう、爆発。

 それだけの爆発が限定範囲内で……それもオリキュールの体内で巻き起こったのだ。

 被害そのものは殆ど無かったとは言っても、戦場となった魔法陣の大部屋そのものは酷く破壊されており、中にいた者達も爆発の衝撃を堪えるので精一杯だった。

 そんな中……


「ん……」


 気を失っていたレイは、自分の腕の中で柔らかい何かが動いているのを感じ、反射的にその何かを抱きしめる。


「あんっ」


 そして聞こえてくる、艶っぽい声。

 その声を聞いた瞬間、レイの意識は急速に回復し始める。

 目を見開いたレイの視界に最初に入ってきたのは白い何か。

 同時に、成熟した女の匂い。

 手の中にあるのは、滑らかで柔らかな指の沈み込むような触感の何か。

 視覚、嗅覚、触覚。その全てで自らの腕の中にあるのが何なのかを理解した瞬間、自分が気を失う直前のことを思い出して反射的に背後を見る。

 そこには何も無い。……そう、オリキュールの死体やあるいはその肉体の一部、はたまた装備していたものの攻撃で見る影も無くなっていたレザーアーマーの破片といったものすらも。

 そして何より、魔法そのものを無効化する筈の青い皮膚の欠片すらも存在していない。

 真実、そこには何も無くなっていた。

 人魔と化したオリキュールという存在が生きていた証、そのものが全てなくなっていたのだ。


「……勝った、わね?」


 腕の中から聞こえてくる声は、ヴィヘラの声だ。

 オリキュールの身体に叩き込んだ自分の魔法と、宝石の爆発。

 その衝撃から自分とヴィヘラを守る為にドラゴンローブを身につけた自分の腕の中にヴィヘラを招き寄せたと思い出し、小さく頷く。


「ああ。……魔法を無効化するとか洒落にならない奴だったが、さすがに身体の中であれだけの攻撃をされればどうしようもなかったんだろうな」

「ええ、そうね。万全の状態であればきちんと戦ってみたかった思いはあるけど……」


 そこまで告げ、やがて薄らと恥ずかしそうに頬を赤く染めたヴィヘラが口を開く。


「ねぇ、レイ。ところで……その、そろそろ離してくれないかしら?」

「……え?」


 ヴィヘラの口から出た恥ずかしげなその声で、ようやく自分が今どんな状況になっていたのかを理解する。

 自分よりも背の高いヴィヘラを、背中からしっかりと抱きしめている現状。

 そして、何よりも右手に伝わってくる柔らかく、大きい何か。

 それが何なのかというのは、ヴィヘラを後ろから思い切り抱きしめて目の前にその白い背中が存在しているのを見れば明らかだった。

 手の大きさよりも尚大きいそれは、レイがこれまで見てきた中でもエレーナやギルムのギルドマスターでもあるダークエルフのマリーナに勝るとも劣らぬ程の巨大な膨らみ。母性の象徴ともいえる双丘のうち右の胸をこれでもかとばかりに鷲掴みにしていたのだ。


「……悪い」


 慌てて手を離すレイだったが、その際にも再び掌の中にムニュリとした感触が残り、同時にヴィヘラの口から恥ずかしげな喘ぎが漏れる。


「あんっ、ちょっとレイ。幾ら何でもここでそういう真似は……」

「いや、誤解を招くようなことを言うなよ」


 その言葉に慌てて手を離し、ヴィヘラと同様に……あるいはそれ以上に頬を赤く染めながら、口を開くレイ。


「ほう。何が誤解なのか、聞かせて貰っても構わないか?」


 背後から聞こえてきた聞き覚えのある声に、レイの身体がビクリと固まる。

 ギギギ、と音がしそうなぎこちなさで背後へと視線を向けると、そこにいたのは笑みを浮かべているエレーナの姿。

 ただし、笑みは笑みでも冷笑と呼ぶべき笑みであり、何故かその手には連接剣が握られている。

 そんなエレーナの横では、笑いを堪えるのに精一杯といった様子のボスクに、表情が変わらぬままにじっと見つめてくるビューネ、何で急に険悪な雰囲気になっているのか分からず小首を傾げているセトと、戦闘が終了したと判断してセトの背に降りてきて、こちらもまた小首を傾げているイエロ。


「くっくっく。お前等、死闘が終わった直後だってのに、何だって甘酸っぱい雰囲気を周囲に振りまいているんだよ」


 笑いを噛み殺しつつ告げるボスクに、レイは慌てたように立ち上がって周囲を見回す。


「全員無事……だな?」

「ああ、見ての通りにな。被害らしい被害と言えば、ヴィヘラがレイによって凌辱されただけだな」

「待て。それはちょっと物騒な言葉じゃないか?」


 ボソリと呟くエレーナに、思わず言葉を返すレイ。

 だが、エレーナは表情を変えぬままに口を開く。


「そうか? 許可を得ていない相手の身体を蹂躙しているレイの様子は、凌辱と呼ぶに相応しいものだと思うがな」

「だから待てって」

「そうよ、待ちなさいよ。大体凌辱とか蹂躙ってのは相手が嫌がる時に使うべき言葉でしょう? なら、この場合は別に問題無いわよ」


 薄らと頬を赤くしながらも、ヴィヘラはエレーナへとどこか挑発的にそう告げる。

 そんなヴィヘラの反応にピクリとしたエレーナは、絶対零度の視線をレイからヴィヘラへと向け直す。


「ほう? その辺は是非詳しく聞かせて貰いたい。お互いの立場というものをはっきりとさせる必要があるのでな」

「そうね、ならきちんと……」

「待て待て。ここで何をする気だ」


 エレーナが連接剣を、ヴィヘラが手甲を構えたところで、ようやく落ち着きを取り戻したレイが口を挟む。

 そんな3人に向かって笑いながらも周囲を見渡していたボスクだったが、ふと視線の先にあるものに気が付く。

 部屋の中央。つい先程までは魔法陣の効果だろう障壁か何かでティービアが閉じ込められていたのだが、今はその障壁のようなものが存在しているようには見えない。


「……おい」


 今にもここで再び戦いを再開しそうなエレーナとヴィヘラ、それを止めようとしているレイに向かって声を掛けるボスクだったが、3人はそれに全く聞く耳を持たずに騒ぎ続けている。

 その様子に溜息を1つ漏らし、魔法陣の中央に倒れているティービアへと向かって歩き出す。

 音の刃は現在シルワ家所属の冒険者となっているのだから、一応ティービアもボスクが庇護すべき相手だという理由からの行動だったが、不意にその動きが止まる。

 何故かボスクの隣にビューネがいたのが動きが止まった理由だ。


『……』


 数秒、お互いが無言で見つめ合う。

 以前にも何度かボスクとビューネが会う機会はあったが、その時に向けられた視線とは全く違う視線。

 相変わらず表情は殆ど変化がないが、それでも眼差しの光は柔らかいように思える。


「どうした?」


 ぶっきらぼうに尋ねるボスクだったが、ビューネは特に何を言うでも無く小さく頷く。


「……ちっ、好きにしろ」


 数秒程は迷ったが、結局はそれだけを口にしてボスクはティービアの下へと向かう。

 無言でその後に続くビューネ。

 そのまま歩き続けている中で、不意にボスクが口を開く。


「悪かったな」

「ん?」


 ボスクの口から漏れた突然の謝罪に、思わずビューネは首を傾げる。

 横を歩くビューネの歩幅に合わせながら、ボスクは言葉を紡ぐ。


「今更言ってもしょうがないが、お前の父さんと母さんを守れなかった上に、お前にも辛い目に遭わせてしまってな」

「……」


 何を言っているんだろう。そんな視線をボスクへと向けるビューネ。

 既にビューネの視線の中に、ボスクに対する負の感情はない。

 そもそも、ビューネがボスクやシャフナーに抱いていた負の感情は、両親の死の原因が3家の中の誰かだろうと思っていたのが原因だった。その原因がプリであると判明した以上、当然ながら他の家に対して含むべきところはない。

 だが……それでも尚、ボスクは歩きながら謝罪の言葉を口にする。


「俺はなぁ……こう見えても、若い頃は結構無茶ばっかりしてたんだよ」

「……」


 今も十分に無茶をしているとビューネは視線で告げていたが、ボスクはそれに気が付いた様子は無い。


「で、そんな無茶の1つにソロでダンジョンに潜るってのがあってな。……一応罠の目利きにもある程度の自信はあったんだが、当然本職の盗賊程じゃない。で、これまた当然の如く罠を発動させて毒矢を食らった訳だ」


 苦い笑み、と表現するのが相応しい自嘲の笑みがボスクの顔に浮かぶ。


「しかもその毒矢ってのは厄介なことに麻痺毒の類で、更におまけに周囲には俺を狙っているモンスターがいてな。……まさに絶体絶命って奴だった」

「……ん」


 無茶だ、といつものように短く一言だけ呟くビューネ。

 それを横目で見ていたボスクは、小さく肩を竦めて言葉を続ける。


「ま、後は言うまでも無いだろ。そこをお前さんの両親が通りがかって助けてくれた訳だ。……つまり、俺はお前の両親に命を助けて貰った恩がある。だが、俺は結局あの2人を助けることが出来なかった」


 そこまで告げると、無念そうに小さく溜息を吐く。


「せめてもの恩返しにお前とお前の家を守ろうとして借金の方をどうにかしようとしたんだが……お前に借金をさせたあの商人は色々と後ろ暗い噂のある奴で、しかもマースチェル家が後ろ盾になっていたりもしてな。結局今まで何も出来なかった訳だ。しかも俺はお前に警戒されてたみたいだしな?」

「ん」


 冗談めいて告げた言葉に、小さく視線を逸らすビューネ。

 何しろ誰が両親の仇なのかが分からなかった以上、横を歩いている男を信用する訳にもいかなかった。


「ま、お前が無事だったならそれでいい。気にする必要は無い。……今も言ったが、お前があの商人に返している借金は色々ときなくさい。恐らくだが、マースチェル家の方で手を回していたんだろうな」

「……」


 ボスクの言葉に無言で返すと、やがて2人は魔法陣の中央へと辿り着く。

 そこでは、ボスクが見たとおり障壁のようなものは既に消え失せており、片腕を失ったティービアが気を失って倒れていた。


「呼吸もしっかりしているし、脈もある。どうやら無事なようだな」


 ボスクの口から思わず安堵の息と声が吐き出される。

 自分を頼ってきたエセテュスとナクトの2人がどうしても助けたかった相手だ。ボスクにとっても、ティービアが助かったのは最上の結果だと言ってもいいだろう。

 背負っているクレイモアのことを考え、横抱きにしてティービアを抱え上げたボスクは未だに険悪な表情で睨み合っているエレーナとヴィヘラへと視線を向け、改めてビューネの方へと視線を向ける。


「あっちに行かなくてもいいのか?」

「……ん」


 ビューネとしても痴話喧嘩に巻き込まれるのはごめんなのか、ボスクの言葉に頷きティービアを抱き上げたボスクと共に自分達が入ってきた扉の方へと向かう。


『……』


 2人の間には特に会話も無く沈黙に満ちる。

 だが、それでも決して嫌な雰囲気ではなかった。

 やがて外へと続く扉が近くなってきたところで、不意にボスクが沈黙を破って口を開く。


「ビューネ、お前……これからどうするんだ?」

「ん?」


 何が? と言いたげに小首を傾げるビューネに、ボスクは自分が横抱きに……俗に言うお姫様だっこをしているティービアへと視線を向けてから言葉を紡ぐ。


「見ての通り、今回の件はマースチェル家にとって色々と致命的だ。異常種の件、更には冒険者を連れ去って生贄にしていた件、そして何よりも何かを企んでいた聖光教と手を組んでいた件。どれか1つくらいなら当主の首1つで済ませることが出来たかもしれないが、それでもここまで重なってしまうと……な」


 ボスクの中では、既にマースチェル家の没落は確定事項だった。

 いや、没落程度で済めば御の字といったところか。

 マースチェル家が関わっていたその3つの件は、それ程までに大きい罪と言えるのだから。


(それに……既に没落していたとは言っても、フラウト家の前当主夫妻を殺したのはさらに致命的だ。そうなると、今後このエグジルを仕切るのは俺のシルワ家と半ば傀儡に近いレビソール家。……どう考えても色々と都合が悪いんだよな)


 かと言って、ボスクの中にはエグジルの統治を投げ出すという選択肢は存在しない。

 何だかんだ言って、この迷宮都市はボスクの愛すべき故郷なのだから。


「ん……」


 ボスクの言葉に、ビューネもまた悩むように首を傾げる。

 両親の仇を討ち、このまま行けば両親との思い出がある屋敷を守ることも出来るだろう。

 だが、それを終えた今、自分が何をしたいのか。

 それを考え、ビューネは答えを出せずにいた。


「ま、後のことは後のことってな。サンクションズ辺りに相談すれば、何かいい知恵が出てくるかもしれないだろ。……にしても、平和だなぁ……」


 少し前までは死闘を繰り広げていたとは思えないボスクの言葉に、その視線を追うビューネ。

 視線の先では、エレーナとヴィヘラが今にもそれぞれの武器を手にぶつかりそうになっており、その近くにいたレイはお手上げだとばかりにセトを撫でながら現実逃避を始めていた。

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