第507話

 レイ達がマースチェル家の地下で戦っている時から少し時間は戻る。

 スラムにある聖光教のアジトでレイ、ヴィヘラ、ビューネ、ナクトの4人と別れたエレーナ、エセテュス、セト、イエロの2人と2匹は、既に薄暗くなっているエグジルの街中を進んでいた。

 そんな2人と2匹へと周囲の視線が集まるが、それはいつものエレーナの美貌やセトやイエロの愛らしさに見惚れている視線だけではない。

 いや、勿論その類の視線も少なからずあるのだが、より多くの視線はエセテュスが引っ張っている縄に手足を結ばれた6人の姿へと向いている。


「おい、あれって一体何だ?」

「さぁ? でもセトとあのエレーナとかいう美人がいるってことは、多分あいつらが何かちょっかいを出したんじゃないか?」

「……ああ、なるほど。けど、それにしちゃ随分物騒だな。以前にもその手のちょっかいを出した奴はいたけど、あんな風に縛られて連れ歩かれたりはしてなかっただろ」

「そう言えばそうだな。……となると、余程酷いことをしたとかか? まぁ、気持ちは分からないでもないけどな。エレーナの方は滅多に見られない程の美人だし、セトは愛らしいとは言ってもグリフォンだ。血迷った奴が出てもおかしくない」


 そんな会話が聞こえてくる中、実際にロープで仲間同士手足を結びつけられ、逃げ出せないようにしながら歩かされている6人はある意味で拷問以上にその身を苛まれていた。

 更に言えばオグルは尋問の際にレイに踏みつけられて肋骨を数本折られているので、精神的なダメージと肉体的なダメージの両方の苦痛を受けている。

 この6人は言うまでも無いが、聖光教の裏の存在だ。いわゆる人に言えないような汚い仕事を行う者達であり、当然その素顔の類は人前に晒していいものではない。

 だが、そんな6人は現在ロープで縛られ、まるで見世物のようにしてエグジルの街中を歩いている。

 当然こんなことになった以上、もし今回の件でどうにか解放されたとしてもこれまでと同じような仕事が出来ないのは明らかだった。

 それに気が付いている6人は、まさに生き地獄とでも表現出来るような表情を浮かべながらエセテュスの引っ張るロープに引かれて街中を歩いて行く。

 晒し者にされている6人にしても、このまま情報を渡すよりいっそ自殺を……そう考えもしたのだが、以前に異常種を作り出している者達が自殺するのを見ていたレイやエレーナがそれを警戒しない筈も無く、現在はレイのミスティリングから取り出した布を口の中に詰め込まれて外から結ばれ、簡易的な猿轡として自ら命を絶つような真似を出来なくしていた。

 そんな状況が続き……やがてシルワ家の屋敷へと到着する。


「では、私はちょっとボスクに連絡を付けて貰ってくる。エセテュスはセトと一緒にこいつらの見張りを頼む」

「分かった。頼む」


 エレーナの正体を知った直後は色々と対応に迷っていたエセテュスだったが、その後行動を共にしてようやくいつもと同じような態度を取ることが出来るようになっていた。

 この辺、エセテュスの大雑把な性格が良い方向に働いた結果だろう。

 そんなエセテュスをその場に残し、早速とばかりにエレーナは既に顔なじみになった門番へと声を掛ける。


「エレーナ・ケレベルだ。異常種の件やそれに関わる重大な件の情報があるので、ボスク殿と面会出来ないだろうか?」

「はっ、すぐに伺って……」

「その必要はありませんよ」


 門番が中へと入ろうとした、ちょうどその時。屋敷の方からそんな声が聞こえてきた。

 その声の主の方へと視線を向けたエレーナは、見覚えのある人物の顔に小さく笑みを浮かべる。

 問答で余計な時間を取られなくて済むという思いがあったからだ。

 20代後半から30代前半程の年齢をしており、その目には高い知性の光がある。

 このシルワ家でボスクの右腕として働いている、執事長のサンクションズだ。

 そのサンクションズは、優雅に一礼して口を開く。


「ようこそ、エレーナ様。今日は……おや、そちらは?」


 サンクションズの視線がエレーナの後ろへと向けられ、そう尋ねられる。

 セトは何度となくシルワ家を訪れている為に知っているし、エセテュスにしても今はシルワ家に所属する冒険者という扱いである以上当然見覚えがある。だが、それ以外のロープで手足を一繋ぎにされており、更には即席の猿轡までされている6人組には見覚えが無かった。

 もっとも、見覚えが無いという意味ではセトの背の上に乗っている子供の竜のイエロもそうなのだが、そちらは自由にされていることやグリフォンであるセトもいるということで特にこれといって気にはしなかったらしい。


「そいつらが異常種の件についても色々と知っている筈だ。それとエセテュスの仲間を攫った件についてもな」

「……ほう」


 エレーナのその一言で、サンクションズが鋭く6人へと視線を向ける。


「どうやら中で詳しいお話を聞く必要がありそうですね。どうぞこちらへ。すぐにボスク様にお知らせしますので」

「ああ。それと悪いが人を貸して欲しい。屋敷の中にセトを入れるわけにもいかないだろう? この者達が下手な真似をしないように見張っておきたいのだ」

「はい、ただちに。……取りあえず、貴方達のどちらかがエレーナ様と共に彼等の見張りをお願いします。部屋は月の間で」


 サンクションズの言葉に、2人の門番が目と目で会話をしてすぐに片方が進み出る。


「では、私が」

「お願いしますね。……エレーナ様はこの者に付いていって下さい。すぐにボスク様を呼んで参りますので」

「分かった。だが、なるべく急いでくれ。現在レイ達がマースチェル家に向かっているのでな」


 マースチェル家という言葉が出た瞬間、サンクションズの頬がピクリと動く。

 だが、それ以上は何らかの態度に現すでも無く、優雅に一礼すると心なしか足早に去って行った。

 それを見送っていた門番の片方が、エレーナへと向かって声を掛ける。


「では、部屋まで案内いたします」

「うむ、頼んだ」


 その言葉を聞き、自分の役割は取りあえずここまでだと理解したのだろう。セトがイエロを背に乗せたまま、慣れた様子でシルワ家の庭へと向かう。

 そしてエレーナとエセテュスは捕虜となった6人を引っ張って、門番の案内に従って月の間と呼ばれる部屋へと向かうのだった。






『……』


 月の間と呼ばれた部屋の中に沈黙が満ちる。

 部屋の中にいるのは、手足をロープで縛られている6人にエレーナ、エセテュス、門番の3人。

 誰もが何を言うでも無く、じっと時が過ぎるのを待っていた。

 そんな中でも、エセテュスは時々男達……特にオグルの方へと視線を向けては憎々しげに睨み付け、それをエレーナに視線で諫められては再び視線を逸らすということを繰り返している。

 エセテュスにしてみれば、一刻も早くティービアが捕らえられているマースチェル家へと向かいたい。だが、今はその時では無いと……ナクトがティービアを救出するのを信じて待つしかないと分かっているのだが、それでもどうすることも出来なかった。

 そんな気まずい空気が流れる中、唐突にエレーナが扉の方へと視線を向ける。

 釣られるようにして視線を向けたエセテュスが扉を見た時、まるでタイミングを合わせたかのように扉が開かれた。

 ノックも何も無しに開かれた扉の向こうにいたのは、現在のエセテュスの上司でもあり、シルワ家の当主でもあるボスク。

 目に押さえきれない怒りの色を宿しつつ、ボスクは部屋の中を一瞥する。

 その身から放たれている迫力は、音の刃の前衛としてそれなりに名の知られているエセテュスにしても一瞬その身を緊張させる程のもの。

 視線がオグル達の前で止まり、そのまま唸るように口を開く。


「そいつらが例の?」

「そうだ。聖光教の……な。そして以前からお前が言っていた人形遣いで間違いないだろう。もっとも、本人は決して情報を口にはしないだろうが」


 小さく肩を竦めて呟くエレーナに、聖光教という言葉にピクリと眉を動かしたボスクは、チラリと扉の後ろへと視線を向けて口を開く。


「おい」

「はい、分かっています。万事お任せ下さい」


 そう言い、姿を現したのは不自然な程に痩せぎすな男だった。

 骨の上に皮を張り付けたような、本来ある肉すらも存在していない……スケルトンの上位種と言われれば納得してしまいそうな男。


「そいつらを連れて行け」

「は!」


 男達を見張っていた門番の男が頷き、オグル達6人を結んでいるロープを強引に引っ張って部屋から出て行く。

 その後ろを、痩せぎすの男が嬉しそうな笑みを浮かべつつ後を追う。

 今の男がどのような存在なのか分からないのだろう。エセテュスは目を白黒させつつエレーナとボスクへと交互に視線を向ける。

 だが、エレーナは何を言うでも無く微かな嫌悪感だけを表情に出すだけだ。


「ほう? お偉い騎士様なら何か言ってくると思ったがな」


 先程までの剣呑な表情は消え、ボスクの表情に意外そうな表情が浮かぶ。

 そんなボスクの言葉を無視し、エレーナは早速とばかりに本題へと入る。


「エセテュスの仲間がマースチェル家に連れて行かれたと判明した。現在レイとナクト、ヴィヘラ、ビューネの4人がマースチェル家に潜入してティービアを助け出そうとしている」

「……ほう」


 再び呟かれる声。

 だが先程よりも尚大きい驚きがボスクの顔には浮かんでいる。


「ビューネが俺の手助けをするとは。明日は槍でも降ってこなければいいな」

「お望みならレイに槍の雨を降らせて貰ってもいいが?」



 レイが槍の投擲を得意としているという情報はボスクも知っているのか、エレーナの言葉に冗談ではないと嫌そうに顔を顰める。


「お前と……より正確には現在エグジルを治めている3家とビューネの仲が険悪なのは知っている。だが、今回の件は別にお前の為という訳じゃない。単純に私達だからこそビューネは力を貸してくれているんだ」

「それでも十分だよ。……あいつが他人に対して気を許すってのはな」


 ボスクの口から出たのは、エレーナにとっても予想外の言葉。

 てっきりビューネがボスクを嫌っているのと同様に、ボスクもビューネを嫌っているとばかり思っていたのだが、その声音にはどこかビューネを労るような色すら宿っていた。

 色々と噂で聞いていたのと違う内容に首を傾げるエレーナだったが、今はそれよりも話を進めるのが先だと判断して言葉を紡ぐ。

 こうしている今も、レイやビューネはマースチェル家の屋敷でティービアを探しているのだから。


「それでだ。異常種の件も含めてマースチェル家と聖光教が繋がっているのが分かった以上、シルワ家としても黙ってはいられないだろう? このまま放っておけば、私も父様に報告せざるを得ないからな」

「……それは脅しか?」

「いや、純然たる事実だ。例え自治都市と言えども、ミレアーナ王国に所属しているというのは変わり無い。そうである以上、貴族である私が問題に感じたことを報告するのは当然だろう?」

「……ちっ、ここにいるのはケレベル公爵家の一人娘じゃないとか言ってなかったか?」

「物事には限度があるということだ。ただでさえここは迷宮都市であり、ダンジョンがある以上は利益も大きいが、それと同様に危険も大きい。だというのに異常種という存在を生み出したり、冒険者を攫う宗教組織が存在したり、更にはそれらと繋がっているのがエグジルを治める3家のうちの1家。……私が危惧を覚えるのは当然だと思わないか?」


 口ではエグジルの現状を憂いているし、事実エレーナの本心としてもそうなのだろう。

 だが、そこには間違いなくレイを心配する気持ちも混ざっている。

 ボスクにしても、レイとエレーナがどのような関係なのかは大体知っている。エレーナがケレベル公爵令嬢である以上情報収集は必須だし、何よりも2人の様子を見ていれば大体の関係は理解出来た。

 自分へと鋭い視線を向けてくるエレーナを眺めつつ、考えること約1分。

 エグジルの現状は、確かにエレーナが口にしたように色々と不味い事態にもなりかねない要素を多分に含んでいる。それにこのまま放置しておけば、今までよりも聖光教がエグジルで好き勝手に動くだろうというのは想像が出来た。


(表の部分だけなら何の問題もなかったんだがな)


 料金的にかなり多めに取っていても、傭兵的な存在をしている聖光教の信者達は腕がそれなりであり、冒険者としてある程度ベテランと言える者も少なくない。

 それだけを考えれば聖光教という存在はエグジルに対して十分以上に利益を与えてきたのだ。

 だが、裏の存在が明るみに出た以上、それを放置するわけにもいかない。


(今ならケレベル公爵家やレイに対して恩を売れるという利点もある、か)


 現在冒険者を派遣するのが最善の状況だと判断したボスクは、小さく頷いて部屋の外で待機しているサンクションズへと声を掛ける。


「サンクションズ、人を集めろ! 異常種の件で動いている奴を出来る限りだ! それとギルドにも人をやって使える奴を集めろ! 今夜一晩でエグジルの膿を根こそぎ片付ける!」


 部屋の中にボスクの覇気溢れる声が響き渡り、やがてシルワ家の屋敷の中は俄に活気づいていく。

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