第505話
扉を開けた途端、レイ達の嗅覚を刺激したのはすえた臭い。
先程の魔法植物を育てている部屋から臭ってきたのと似て非なるその臭いの中には、血の臭いといったものが混じっている。
そして部屋の中にあるのは幾つかの牢屋。
それだけで、ここがどのような場所なのかを見た者に理解させるには十分だった。
「っ!?」
真っ先に中へと入っていったのは当然の如くナクト。
牢屋の中に誰かがいないか……より正確にはティービアの姿が無いかと慌てていたのだが、幸か不幸か部屋の中にティービアの姿はない。
いや、それどころか牢屋の中には誰1人存在していなかった。
これにはナクトも安心したのだろう。小さく安堵の息を吐きながら、改めて少しでも手掛かりはないかと牢屋の中を調べていく。
「血の臭いが残ってるが、これはつい最近流された新鮮な血液って感じじゃないな。恐らくは長年に渡ってこの牢屋の中に染みついてきた血の臭いだ」
人より鋭い嗅覚で嗅ぎ取ったその臭いの正体に、レイは不愉快そうに呟く。
「つまり、マースチェル家では随分と前からこのようなことをやっていたんでしょうね。……それが今回のように尻尾を掴まれるようになったのは、聖光教……かしら?」
「恐らくは」
ヴィヘラの口から出た疑問にナクトが同意を返す。
聖光教がエグジルへと姿を現して布教を始めたのはそう昔のことではない。ここ数年での出来事だ。
だが、牢屋の中から漂ってくる血の臭い……あるいは死の臭いと称してもいいような臭いは、そんな数年間で染みつくようなものではない。
「けど、聖光教が来るまではどうやって人を調達していたのかしら?」
何気なく尋ねているヴィヘラだが、その美しい顔は嫌悪感によって顰められている。
戦闘を好むヴィヘラだが、それは自分もリスクを背負っている。抵抗出来ないような相手を一方的に痛めつけるというのは、ヴィヘラの戦いの美学に反するものだった。
「恐らくは奴隷やら囚人やらといったところだろう。以前囚人がいつの間にか消えていることがある……といった噂話を聞いたことがある」
「なるほど。マースチェル家の当主ともなれば、囚人をこっそりと連れ出すのはお手の物って訳か」
ナクトの言葉に、こちらも不愉快そうに眉を顰めて呟くレイ。
必要とあれば相手を拷問するのに躊躇いを覚えないレイだが、それでもやはりこの光景を見ていて気持ちのいいものではない。
「ともあれ、手掛かりが無い以上ここにいてもしょうがない。次の部屋だ」
その言葉に皆が異論は無いと頷き、扉を閉めて次の部屋の扉へと手を掛ける。
次の扉を開いた時、ナクトの視界に入ってきたのは一見すると何に使うのかも分からないような、幾つもの歪な道具の数々。
だが、そこに存在している殆どの道具に刃物がついており、更に1つ前の牢屋など比べものにならない程に部屋に染みついている強烈な鉄錆の臭いを嗅げば、ここがどのような場所かは考えるまでも無く判明する。
「拷問部屋か。……いい趣味をしているな」
感情を押し殺しながら呟くナクト。
あるいはティービアもここで拷問を受けたのかもしれないと考えると思わず怒鳴りたくなるのだが、潜入している場でそんなことが出来る筈も無い。
チラリと自分の後ろにいるヴィヘラやレイ達に視線を向けるが、特に何かある訳でも無いのを見て扉を閉める。
そんな風に次々に扉を開けていくのだが、その扉の殆どが牢屋や拷問部屋、あるいは何らかの倉庫や植物を育てているようなものが殆どであり、探しているティービアを始めとして捕まっている者達、あるいは異常種に関しての証拠や、聖光教と繋がりを示す証拠といったものは全く出てこない。
もっと詳細に1つ1つの部屋を調べていけば、あるいは何らかの証拠が出てきたのかもしれない。だが、扉の数がこれ程までに多い以上は手早く調べていくしかなかった。
そして……
「これがあの扉を除けば最後の扉か」
ナクトが呟きながら扉へと手を伸ばす。
自分達が入ってきたのは1本の通路。その両脇に並んでいる10以上の部屋を確認してきて、最後に残った扉。
通路の行き止まりの場所に存在している扉を抜かせば、今目の前にあるのが最後の扉だった。
既に緊張感は大分薄れてきてはいる。
ナクトにしても、恐らくティービアがいるのは行き止まりの場所にある扉だろうとも思うのだが、何しろここまでに幾つもの牢屋が存在していたのだ。そんなものが存在している以上、そこにティービアが捕まっている可能性を否定は出来ない。
「……開けるぞ」
今度こそティービアが捕まっている場所でありますように。そんな風に内心で考えつつ扉を開けると、そこに存在していたのはこれまでに何度も見てきたのと同じ牢屋だった。
ただし、違う場所が1つ。
部屋から濃厚な血の臭いが漂ってきたのだ。
これまでに嗅いだ、時間が経った血の臭いではない。流されたばかりの血の臭い。
「ティービアッ!?」
ここで流された新鮮な血液。つまりつい最近まで捕まっていた誰かが流した血液であり、そうなると当然ティービアである可能性が高い。
一番奥の牢屋まで足早に向かったナクトだったが、牢屋の中には血の痕のみが残っており、探し人であるティービアの姿は無かった。
「血は……まだ乾ききっていない。となると、間違いなくついさっきまでここにいた筈だ。それがティービアであるかどうかは分からないが」
ギリリと奥歯を噛み締め、自分自身を押さえつけるように呟く。
この辺が感情と行動の直結しているエセテュスと違うところなのだろう。
そんなナクトの肩に軽く手を乗せ、レイが口を開く。
「安心しろ……とは言えないが、それでもここにいたのならどこかに移されていたとしても、その先は1つだけだ」
全ての扉を調べてきた以上、レイ達が地下に降りてきて向かい側にあったコの字型の反対側に繋がっている方へと連れて行かれたのでは無い限り、最後の1つの扉の向こうにいるのは間違いが無い。
そして、わざわざ攫ってきて地下に閉じ込めていた相手を地上へと連れて行くかと言われれば、レイとしては首を傾げざるを得ない。
「そうだな。こうしてウジウジしているだけだとティービアを助け出した時に怒られるし、それ以前に助け出すのに時間が掛かりすぎだって怒られるかもしれないな」
自らを鼓舞するように頷き、立ち上がるナクト。
その目には数秒前と同じように鋭い光が宿っていたが、落ち着いた雰囲気も放っている。
「ナクトも落ち着いたところで最後のお楽しみの場所に行きましょ。きっと楽しいことになってるわよ?」
戦闘を待ち望んでいるのだろう。ヴィヘラは牢屋の入り口で艶然と微笑みながら視線を最後に残った扉へと向けて、そう告げる。
その言葉に全員が頷き、牢屋のある部屋から出て……最後の扉へと手を掛け、開けた。
まず目に入ってきたのは、地面に描かれた魔法陣。その中央には気を失っている女が一人寝かされている。
片腕の無いその女が誰なのかというのは、既に語るまでも無かった。
「ティービアッ!」
叫ぶナクトだったが、その肩を反射的にレイが止める。
ナクトが1歩踏み出した瞬間、何かの風切り音が聞こえたからだ。
気配も殺気もないその存在がどのような相手なのか、実際に刃を交えたレイには分かっていた。
そして、ナクトの目の前を1m程の刀身を持つ長剣が通り過ぎていく。
もしレイが止めなければ、まず間違いなく身体を前と後ろに切断されていただろう攻撃。
「アレ? ハズシタ?」
トンッと軽い様子で地面に着地したその人形は、その場で反転して持っていた長剣を一振りする。
人形の大きさは30cm程度にも関わらず、持っている長剣は1m程の大きさだ。
それでも問題無く振るっている辺りに、人形がどれ程に異様なのかを現している。
パチパチパチ。
長剣を持った人形へと意識が向けられたその瞬間、部屋の中に場違いな拍手の音が響く。
人形を警戒しながら音のした方へと視線を向けるレイ達一行が見たのは、20人程のローブを着ている者達を引き連れた1人の男が丁度魔法陣の反対側にある扉から出てくるところだった。
外見は20代程で、緑の髪を肩口まで伸ばしている男。
その顔立ちは整っており、一見すれば女のようにも見えるかもしれない。
何らかのモンスターの革で作られたレザーアーマーを身につけており、左腰には剣の鞘。
それらを包み込むかのように。黒いマントを羽織っている。
周囲を圧倒するかのような存在感を発しており、一種のカリスマのようなものすら発している。
「いやいや、まさかここまで辿り着くとは思わなかったな。……ん? 姫将軍の姿が無いようだが?」
にこやかとすら言える表情でそう告げ、やがて納得したように頷く。
「ああ、なるほど。確かにマースチェル家を相手にする以上は君達だけでは大義名分が無いか。それを得る為にシルワ家を引き出そうとしたのだろうが……それはちょっと失策だったかもしれないな」
「……何?」
男の口から出た意味深な言葉に、思わず問い返すレイ。
そうしながらも、この広さなら問題無いだろうと判断してミスティリングからデスサイズを取り出す。
「ほう? それがアイテムボックスか。確かに色々と便利そうなマジックアイテムではあるな。どうだろう? ここで君達が大人しく降伏して、そのアイテムボックスを私に譲るというのならここは見逃してもいいんだが」
「戯れ言を抜かすな。それよりも今の言葉はどういう意味だ?」
「今の? ああ、シルワ家か。さて、わざわざここで私が君達の利益となるような情報を口にするとでも? それよりも……君達は自分の心配をした方がいい」
腰の鞘からレイピアを引き抜き、小さく笑みを浮かべる男。
だが、そんな男にレイは嘲るような笑みを返して口を開く。
「心配? 俺がお前如きにか?」
「……なるほど。確かに私と君が戦っては、私の勝ち目は無いだろう。正直、君のような若さでそれだけの実力を持っているというのは、驚嘆に値する。……もしかして君、実はヴァンパイアのようなアンデッドだったりしないか?」
「生憎と、俺は普通に太陽の下を歩いているぞ」
「アンデッドの中にも日光が平気な種族というのがいるんだが、それじゃないのか?」
右手でレイピアを持ち、空中で刀身をしならせながら軽く振って男は告げる。
「へぇ、物知りだな。……ところで自分の実力を理解して、俺に勝てないと言っている割には随分とやる気だな?」
「何、確かに私では君に勝てない。それは認めよう」
「人質にでもする気か?」
魔法陣の中に倒れ込んでいるティービアへと視線を向けながらそう告げるが、男は小さく首を横に振る。
「残念ながらそれは許可されてない。そもそも、あの魔法陣の中心に入ってしまった以上は迂闊に手を出せば何が起きるか分からないからな。……それに、もし可能だったとしても君に人質というのは効果が無いだろう?」
「さあな」
男の決めつけるような言葉に、レイは表情を変えずに返す。
「それに人質がいないとしても、防御に徹すれば勝てなくても負けることはないということだよ」
男が告げると、その後ろにいた20の人影が前に出た。
全員がローブを身に纏っており、数人程は微かに浮き出る身体のラインやフードの下から覗いている顔の下半分で女だというのが分かる。
それぞれが手に剣や槍、短剣、斧といった武器を持ち、男とレイの戦闘の邪魔にはならないようにしながらもヴィヘラやナクト達へと向かって距離を縮めていく。
人数的には、ヴィヘラ、ナクト、ビューネの3人と20人であるが、その中の1人は何ら脅威を感じていないというように口を開く。
「私としてはあっちの色男と戦ってみたかったんだけど……向こうはレイに夢中のようだし、こっちで我慢しておこうかしら。幸い、こっちも多少は腕が立つみたいだし」
いかにも残念だという表情を浮かべて呟きつつ、それでも次の瞬間には闘争の予感を覚えてヴィヘラの口には笑みが浮かぶ。
手甲と足甲に魔力を通し、手甲からは爪が、足甲の踵からは刃がそれぞれ魔力で形作られる。
「ん」
ビューネも右手の指の間に幾本もの針を構え、左手には短剣を持つ。
「正直、俺の担当は盗賊であって戦闘はそれ程得意じゃないんだが……ここでティービアを見捨てる訳にはいかないしな」
ナクトは両手に短剣を持ち、ローブを着た者達が近づいてきた為にその後ろにある魔法陣の中心で気絶しているパーティメンバーへと視線を向けながら呟く。
「オイオイ、コッチヲワスレテモラッテハコマルンダケドナ」
そして先程ナクトが間一髪攻撃を回避することに成功した人形の声。
どこから現れたのか、長剣を持った人形が背後に30を超える人形を従えてそこに立っている。
しかも、背後に従えている人形の中には2mを超えるような体躯を持つ熊の人形すらも存在していた。
「さて、役者も揃ったようだしそろそろ始めようか」
レイピアを軽く横に一振りし、告げる男。
そんな男に、レイはデスサイズを構えたまま口を開く。
「その前に……そっちは俺の名前を知っているようだが、俺はお前の名前を知らないんでな。自己紹介くらいはしてもいいんじゃないか?」
意表を突かれたといった表情を浮かべた男は、次の瞬間には小さく笑みを浮かべて口を開く。
「そうだな。さすがに細かいところまでは話せないが、自己紹介くらいはしておくか。オリキュール。それが私の名前だ」
「所属とかそういうのはないのか?」
お互いに隙を窺いつつ、言葉を交わす。
会話の内容とは逆に、周囲には緊張感が高まっていき……
「さすがに、そこまでお人好しでは……ないっ!」
その言葉と共に一足でレイとの距離を詰め、オリキュールはレイピアを突き出す。
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