第504話
部屋の壁に幾つもある扉を見ながら、レイはマースチェル家の屋敷の形を思い出す。
大きなコの字になっており、レイ達はその端の方から屋敷に忍び込み、誰もいない部屋を調べて地下へと降りる階段を発見した。
「つまり……どこの部屋にも地下へと降りる階段があったってことか?」
「……だろうな」
レイの呟きにナクトが同意する。
そうであるのなら、いきなり入った部屋で地下へと続く階段を発見したのも納得が出来ることだった。
偶然隠し階段のある部屋に入って見つけた訳では無く、全ての部屋に階段があるのであれば、レイ達の行為は別に幸運でも何でもない。ある種当然のことだ。
そして……
「ん」
ビューネの声に、自分達が入ってきた向かい側へと視線を向ける。
そこにあるのは壁のみであり、レイ達の入ってきたような扉は無い。
つまり、この40畳程の部屋の壁一面だけに幾つもの扉が備え付けられているのだ。
それが意味することを理解するのは難しくなかった。
「ここと同じ大きさの部屋が俺達の入ってきたのとは反対側から入れるようにもう1つあるってことか。……そして」
自分達が入ってきた壁と、その向かい側にある壁ではなく右側の壁へと視線を向ける。
そこに1つだけ存在している扉。
ここにある扉が何を意味しているのか、それは明らかだった。
「あの扉がこの地下室から進める唯一の場所か。となると、ティービアがあの扉の先にいる可能性は十分あるな」
「ん」
レイの口から出た言葉にビューネが一言呟きながら頷き、ナクトの表情が引き締まる。
「強い相手がいればいいんだけど」
ヴィヘラはと言えば、いつものように強敵との戦いを想像しながら小さく肩を竦め、呟く。
「じゃあ、あの扉の先に進むか? それとも……」
呟きながらレイの視線が向けられたのは、40畳程の広い空間の片隅に置かれている幾つかのテーブルや椅子。この広い空間にそれだけがポツンと置かれているのは、控えめに言っても違和感を抱かざるを得ない。
だが、遠くから見ている限りでは特に何がある訳でもない。マースチェル家で使われているだけあってそれなりに高級そうではあるが、それでも何らかの仕掛けがあるとも思えなかった。
レイの問い掛けに、数秒程悩んだナクトは小さく頷いて口を開く。
「そうだな、調べていこう。ここで調べずに先に進んでも後で気になるかもしれないからな。無駄になるとしても、その辺の疑問は解決しておいた方がいい」
結局ナクトの意見が採用され、レイ達は部屋の隅にあるテーブルや椅子のある方へと向かって歩き出す。
強敵との戦闘がまず無いと判断出来る為、ヴィヘラはつまらなさそうにしていたが。
テーブルの上にはヌイグルミや花瓶が並べられており、花瓶の中に花が活けられている。
「花はまだ瑞々しい。となると、恐らくこの部屋はそれなりに使用頻度があると思ってもいいだろうな」
ナクトがそっと花を調べてそう告げ、それを聞いたレイ達の表情が微かに引き締まって周囲を注意深く見回す。
ここで何らかの作業をしているということは当然誰かがいた訳で、そうなるとここは絶対に安全とは言えなくなる。
勿論敵の本拠地でもあるマースチェル家の隠し部屋である以上安全な筈はなかったのだが、その使用頻度が高いか低いかで危険度も違ってくるのは当然だろう。
周囲を警戒するレイとヴィヘラをそのままに、ナクトとビューネの2人は机やその周囲に何かが無いかと調べていく。
だが特に何かが見つかるでもなく、更には調べる場所自体が殆ど無いということもあり1分と掛からずに調査は終わる。
「……駄目だな。特に何の情報もない。大人しくあの扉の向こうに向かった方がいいと思う」
「ん」
残念そうに溜息を吐きながらナクトが呟き、それに同意するようにビューネも頷く。
最初から念の為でしかない調査であった以上、特に残念がることもなく……いや、寧ろ納得したような表情で頷いたレイは、視線を唯一奥に繋がっていると思われる扉へと視線を向ける。
その瞬間、机の上に置かれていた人形がピクリと動き、一瞬前まで自分が座っていたテーブルを蹴ってレイの頭部へと向かって自らの体内に隠し持っていた細い長い針を引き抜き、突き立てんとして襲い掛かる。
「うおっ!」
レイがそれに気が付いたのは、全くの偶然に等しかった。
人形である以上気配を発しておらず、更には殺気の類すらも存在していない。
敵対する相手の気配や殺気の類を察知して対処するレイにしてみれば、ある種の天敵とすら言ってもいいような相手。
だが不幸中の幸いと言うべきか、偶然……本当に偶然、レイはテーブルの上に飾られていた人形の方へと振り向こうとしており、そのおかげで何かが自分の頭部へと向かって真っ直ぐに、そして素早く突き進んできているのに気が付いた。
咄嗟に身を逸らしたレイの顔のすぐ隣を人形は飛んでいき、そのまま天井へとぶつかる……かと思いきや、クルリと身体を反転して天井へと着地する。
その人形にどのような技術が使われているのかはレイには分からなかったが、それでもマジックアイテムの一種だと認識するや否や、ミスティリングからデスサイズを取り出して構えた。
幸い現在レイ達がいるのは40畳程もある空間であり、地下への階段があった部屋とは違い十分にデスサイズを振るう空間的な余裕がある。
一瞬の膠着。
それを破ったのは、人形の方だった。
先程同様に気配や殺気の一切が無いままに天井を蹴り、レイへと向かって針を構えながら跳ぶ。
「見えていれば問題は無いんだよ!」
自分の顔目掛けて真っ直ぐに突っ込んでくる人形に、タイミングを合わせるようにしてデスサイズを振るう。
一瞬の交差。
そして次の瞬間には人形が床へとぶつかり、その衝撃で上半身と下半身に分かれて転がっていく。
「……人形、だって?」
レイの攻撃で既に死んだ……否、機能を停止した人形へとそっと近寄るナクト。
音の刃という、それなりに名前の通ったパーティの盗賊として色々と珍しい物を見てきたナクトだったが、人形が自分達に向かって襲ってくるという光景は予想外だった。
勿論ダンジョンの中ではゴーレム系の一種としてパペットと呼ばれるモンスターが姿を現すことはある。だが、それらはこの人形のように小さくはない。
20cm程の大きさだった人形は、デスサイズの一閃により10cm程に切断されている。
その上半身の部分へと手を伸ばそうとしたナクトだったが……
「ん!」
「シネ!」
ビューネから放たれた針が、人形を地面に縫い付けてその動きを止める。
そう、上半身の手の動きだけでナクト目掛けて投擲されようとした人形の、その動きを。
「……済まない」
「ん」
小さく息を呑みつつ感謝の言葉を口にするナクトに、ビューネは問題無いとばかりに短く言葉を返し、今度こそ本当に動かなくなった人形へと手を伸ばす。
触れた感じでは中に動力源となる魔石の類が入っている訳でも無く、ただ綿が詰め込まれている普通の人形でしかない。
少なくても、テーブルの上を蹴ってあれだけの速度で相手に飛び掛かったり、ましてや天井に立つという真似が出来るようにも思えなかった。
「……どう?」
「ん」
ヴィヘラの問い掛けに、首を横に振るビューネ。
それでも何かの手掛かりになればと、上半身と下半身の2つに分かれた人形を持ってレイへと近づく。
「ん」
デスサイズを収容していたレイは、ビューネの差し出した人形の残骸に目をやり、ヴィヘラへと視線を向ける。
「アイテムボックスに入れておいてって言ってるのよ」
「ん!」
その通りと頷くビューネに人形を渡され、微かに嫌そうな表情を浮かべるものの、このままでは邪魔になるだけだと分かっている以上は放っておく訳にもいかず、渋々ミスティリングへと収納する。
レイにしてみれば殺気も気配もないような……しかも一見するとただの人形にしか見えないような存在は厄介なことこの上なかった。
(プリ・マースチェル……エレーナに聞いた話だと、宝石に魔法を込める技術を研究しているって話だったが……とんだ狸だった訳だ)
内心で苦々しげに呟き、改めて部屋の中にある扉へと視線を向ける。
自分達が出てきた扉とそこから等間隔に並んでいる扉は、地上の建物へと繋がっている階段に通じているものだろう。そうなると唯一部屋の隅に存在している扉こそが、この地下室から進むべき道だった。
「……行くぞ」
レイの口から出た言葉に、全員が頷き歩を進めていく。
やがて扉の前に到着すると、一応罠の有無をビューネとナクトが調べて確認する。
幸い罠の類は無く、それぞれが警戒している中でナクトが扉を開く。そして目に入ってきたのは……
「またか」
思わずといった様子で呟くナクト。
それも無理はない。扉を開けた先には通路があり、その通路には幾つも扉が存在していたのだから。
ナクトが開けた扉が通路の一番端であり、丁度その向かいには同じような扉が存在している。
建物自体がコの字型になっているのを思えば、目の前の扉が自分達が今入ってきた部屋と同じような場所に繋がっているのは明白だった。
それでもこのまま様子を見ていてはしょうがないと、通路へと出る。
かなり長い通路であり、扉1つ1つが部屋か何かだとすると恐らくマースチェル家の敷地だけでは収まらないだろう長さだ。
「さて、どうする? どこにティービアが捕らえられているのか分からない以上、全部の扉を調べていくのがいいんだろうが……」
「さすがにそれは面倒だし、時間が掛かりすぎるわよ」
レイの言葉に、ヴィヘラが自分はごめんだとばかりに肩を竦める。
幸い通路には幾つもの明かりのマジックアイテムが備え付けられており、暗さに困ることがないというのは幸運だったかもしれない。幾ら夜目が利くとはいっても、明るいに越したことはないのだから。
「けど、手掛かりが無い以上は……」
ナクトにしてみれば、適当に扉を開いてそこにティービアがいるのならまだいい。だが、ティービアが捕らえられている部屋に気が付かずに先へと進んで取り返しのつかないことになる……というのだけは絶対にごめんだった。
「まぁ、異常種の件で関わってたって証拠とかも探さなきゃいけないしな。ここはナクトの意見を採用した方がいいじゃないか?」
「ん!」
レイの言葉にビューネも頷く。
ビューネにしてみればマースチェル家というだけで因縁があり、今回の件で少しでもその意趣返しを出来ればという思いがある。
それにフラウト家唯一の血筋である以上、エグジルという場所にも強い愛着があるのは間違いない。そんなエグジルを破滅に導く危険性を持つ異常種。その異常種を研究していたレビソール家を操っていたのがマースチェル家や聖光教であるというのを知った以上、このまま見過ごすような真似は出来なかった。
「ふぅ、分かったわよ。……敵は出てこないし、出てきてもレイがあっさりと倒してしまうし。正直、私がここにいる理由って何なのかしら」
肩を竦め、その大きな胸をユサリと揺らして呟くヴィヘラ。
まさかビューネの通訳要員ですと言える訳も無く、レイにしろナクトにしろ、黙ったまま左右どちらにある扉を開けるかを考える。
「……どっちでも変わらないか。なら取りあえず右からにするか?」
「分かった」
自分の発言を流されたヴィヘラが多少不満そうにしていたが、レイ達はそれを気にした様子も無く扉を開け……次の瞬間、部屋の中から臭ってきたその匂いに思わず鼻を押さえる。
部屋の中から臭ってくるのは、ツンと鼻を刺激するような臭い。
部屋には幾つもの鉢植えが置かれている。鉢植えの周りには魔法陣が描かれていたり、あるいはマジックアイテムと思われるものが備え付けられていたりと様々なものが施されており、鉢植えの中にあるのもまるで触手のように蔦を蠢かせている植物、あるいは周囲に緑色の光を放っている植物、部屋中に広まっている刺激臭を発している植物といった風に、色々な意味で怪しげな植物の群れだ。
その中のいくつかの植物をゼパイルの知識や、あるいは本で読んだ記憶から察したレイは小さく口を開く。
「特定の植物に魔力を使うことによって魔法植物化させるという奴だな。……なるほど」
取りあえずここには特に何も手掛かりは無いだろうと、扉を閉めるようにナクトを促しながら呟くレイ。
「レイ?」
その様子を見て不思議そうに尋ねてくるヴィヘラに、レイは次の扉……たった今閉めた扉の向かい側にある扉へと視線を向けながら口を開く。
「いや、マースチェル家がレビソール家同様に魔石を集めていた理由の1つがあの部屋だったんだろうと思ってな。勿論あの魔法植物だけに魔石を全部消費していたとは思えないが、それでもあの量の植物を魔法植物にして、それを維持するとなるとかなりの量の魔石が必要になる筈だ」
「確かにかなりの数の魔石があの部屋にはあったな」
「ん」
扉を開けた短時間で部屋の中を素早く見回していたナクトが呟き、ビューネが頷く。
この辺りはさすがに盗賊と言うべきだろう。
「ともあれ、あの部屋には俺達が必要とするものは何もなかった。次だ」
その言葉に全員が頷き、ナクトがレイの視線が向けられていた扉へとそっと手を伸ばす。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます