第503話

 マースチェル家の屋敷の奥にある一室。その中でプリは笑みを浮かべながら、手に持った宝石を眺めていた。

 部屋の至る場所に宝石が飾られており、まさに宝石の庭とでも表現すべき光景。

 その宝石を十分に堪能出来るように、明かりについてもプリの独自の基準により様々な手を加えて調整されている。


「いつ見ても、吸い込まれそうな程に深い青色ね。このまま見ていても十分すぎる程だけど……今日の儀式でお前はもっと美しくなる。さて、今は青だけど儀式が終わった後はどんな色になるのかしら? 早く私に今よりも尚美しいその姿を見せておくれ」


 うっとりとした笑みを浮かべつつ宝石を愛でる。

 幸い今日の儀式で使われる生け贄はそれなりに有名な冒険者だ。である以上、その命の輝きはより宝石を美しく磨き上げてくれる筈だった。

 自らが愛する宝石と過ごす甘美なる一時。普段であれば決して誰にも邪魔をすることを許さない至福の時間だったが、不意に部屋の扉の開く音で強制的に我に返らされる。


「マスター、シンニュウシャデス」


 その言葉に、宝石を撫でていたプリの手がピタリと止まった。


「侵入者ですって? 聖光教の狂信者共に処理させておきなさい」

「ヒジョウニタカイマリョクヲモッテイルモノモイマスガ」


 人形の口から出た言葉に、再度宝石を愛でようとしていた手が止まる。

 その口から出る言葉は非常に聞き取りにくい声なのだが、さすがに制作者と言うべきか、プリには問題無く聞こえているらしい。


「高い魔力? もしかしてこの前ここに来たエレーナ様かしら?」

「イエ、チガイマス。デスガ、ソレヨリモタカイマリョクヲモッタモノガヒトリ。ソチラニハオヨビマセンガ、タカイマリョクヲモッタモノガヒトリ」


 そこで一旦言葉を切った人形は、再び口を開く。


「ソレト、ビューネ・フラウトノスガタモカクニンシマシタ」


 それらの説明が人形の口から出ると、至福の一時を邪魔されたという不機嫌さもどこかへ消え去ったのか、プリの口元には笑みが浮かぶ。

 だが、その笑みはとてもではないが笑みと表現するには躊躇するような、見た者に禍々しさすら感じさせるような笑みだ。


「フラウト家のビューネが? ……それはそれは。まさか向こうからこっちの手の内に入り込んできてくれるとはね。それにエレーナ様よりも強大な魔力を持つ者と、それには及ばないが高い魔力を持つ者か。これは私の日頃の行いがいいから、聖なる光の女神の加護って奴かね?」


 自分でも少しも信じていない神へと向かって嘲弄するように呟きつつ、プリは部屋に入ってきた人形へと視線を向ける。


「屋敷に聖光教の奴等はどれくらい残っていたかね?」

「20ニンホドカト。スコシマエニ30ニンホドガデカケマシタノデ」

「オリキュールもいるね?」

「ハイ」


 人形の言葉に右手全ての指に嵌まっている指輪を部屋の明かりに照らし、ニンマリとした笑みを浮かべつつ口を開く。


「なら、他の人形達と協力して捕らえなさい。40体程いれば十分でしょう。高い魔力を持っているという2人は間違いなく極上の素材になる筈よ。それに……」


 うっとりとした視線を部屋に飾られている宝石へと向ける。

 オレンジがかった赤と、水色の2つの宝石へと。


「折角だから、ビューネを両親に会わせてあげましょう。確かまだ10歳かそこらだった筈だから、まだまだ両親が恋しいでしょうしね。親子3人で仲良く暮らすというのは、前々から考えていたことだし」


 その言葉だけで自分のマスターが何を考えているのか分かったのだろう。人形は小さい頭を下げて部屋を出て行く。

 自らに忠実な人形を一瞥した後、再びプリの視線は宝石へと向けられて自らの手の内に自分から入ってきた貴重な素材へと思いを馳せる。

 そんな中で一瞬だけ脳裏を過ぎったのは、このエグジルを治めているうちの1家、シルワ家の当主であるボスク。

 一見すると脳筋で幾らでも手玉に取れる相手のようにも見えるのだが、実際にはこれまでに幾度となく伸ばしてきた搦め手を本能的にか回避し続けてきた男。


「あの男がしゃしゃり出てくると面倒なことになりそうだけど……レビソール家の件も考えると、迂闊な動きは出来ないだろうね」


 そう呟き、問題は無いと判断する。

 もしこの時に侵入してきた者の正体についてもっと細かく考えていれば、あるいはその中にいる高い魔力を持っている存在が深紅の異名を持つ冒険者のレイであり、そのレイと繋がりのあるエレーナ、そして異常種の件でその2人と繋がりのあるボスクへと繋がっていたかもしれない。

 だが宝石を愛でるという行為に夢中になっており、尚且つ侵入者の中にビューネという以前から付け狙っていた存在がいると聞かされたことで、プリの脳裏は手に入れられる宝石で一杯になった。

 この辺りが宝石に対して偏執的なまでに執着しているプリの欠点と言えるだろう。

 心配はいらないと、間違いなく極上の宝石を手に入られると信じ込んだプリは、宝石を愛でる至福の一時へと戻るのだった。






「……本格的に誰もいないな」


 屋敷の中に入ったレイ達だったが、ある意味では予想通りに屋敷の中に人の姿は無い。

 通路の壁には一定の距離ごとに明かりのマジックアイテムが設置されていたが、ダンジョンの中での罠や暗い階層の対策として夜目が効くように鍛えているナクトとビューネ、元々暗視能力のあるレイ、その3人程ではないが、それでも一般人よりも暗闇の中を見通せるヴィヘラにとっては、寧ろ明かりは自分達の姿を浮かび上がらせるという点で隠密行動の邪魔でしかない。


「ナクト、ビューネ、こういう場合誰か捕まっている場所ってのはどこがあると思う?」


 取りあえずとばかりにレイが尋ねると、ナクトが難しい顔をしながらも口を開く。


「普通であれば、やっぱり地下室とかになると思うが……」

「ん」


 ナクトの意見に同意するように呟き、廊下へと視線を向けるビューネ。

 実際、聖光教の者達のアジトでは地下室に攫われた冒険者が捕まっていただけに、その可能性は非常に高いとレイも思っていた。


「いっそのこと、手当たり次第に部屋を破壊していかない? そうすればいずれ向こうから人がやってくるんだから、それを捕まえて尋問すればいいじゃない」


 ティービアとは何の関わりも無いヴィヘラがそう呟く。

 レイの知り合いということで手を貸してきたが、ヴィヘラにしてみればエグジルを治めている3家のうちの1家でもあるマースチェル家なのだから、それなり以上の強敵がいるとばかり思っていたのだ。

 だが、実際に忍び込んでみれば敵の姿どころか屋敷の使用人の姿すらも無く、焦れてきた。


「済まないが、暴れるのはもう少し我慢して欲しい。ティービアを何とかして助け出してから……」


 ヴィヘラがこのエグジルで狂獣と呼ばれているのを知っているからこそ、ナクトも何とか怒らせないようにと下手に出て頼む。


「……分かったわよ。全く、これならいっそシルワ家の方に回った方が面白くなったかもしれないわね」

「お前がエレーナと一緒に行動するとなると、まず間違いなく騒動が起きるだろうからやめてくれ。ともかく、地下牢が怪しいというのならそっちを探してみた方がいいな」


 これ以上ここで話していたとしても、無駄に時間を消費するだけだと判断したレイは、取りあえず近くにある部屋の扉へと手を掛ける。

 そして扉を開くと……


「何も、無い?」


 思わず呟く。

 そう、部屋の中には家具の類すらも一切存在しておらず、あるのは綺麗に磨き上げられた床だけ。

 掃除に関しては手を抜くことなく行われているのだろう。廊下からの明かりや窓から入ってくる月明かりで照らされている場所を見た限りでは、埃やゴミの類も殆ど存在していない。


「使われていない部屋にしては、掃除が行き届きすぎているようにも見えるな」


 ナクトもレイの横から部屋の中を覗き込み、首を傾げる。


「確かにここまで使用人が少ないのに、使っていない部屋にまで掃除が行き届いているというのはちょっと疑問だけど……でも、マースチェル家だってことを考えれば、それ程不思議でもないんじゃない?」

「……確かにそれはそうかもしれないが」

「とにかく、ここを一通り調べて何も無かったら別の部屋を調べてみればいいでしょ。その部屋もここと同じく綺麗なら、この屋敷の全ての部屋は綺麗なままなんだろうし」


 ヴィヘラの言葉に、それもそうだと頷きナクトとビューネは早速部屋を調べるべく散らばっていく。

 レイもまた少しでも手伝いになればと中の様子を探るが、ヴィヘラは部屋の入り口から動こうとはしない。

 一瞬そちらの方へと視線を向けたレイだったが、ヴィヘラの意識が部屋の外へと向いているのを理解すると、見張りをしているのだと納得して部屋の様子を探っていく。

 すると……


「おい、嘘だろ?」


 部屋の壁を調べていたナクトの声が部屋の中へと響き渡る。

 その声に全員の視線が向けられるが、ナクト本人は全く気にした様子も無く壁を弄っており……やがてカチッという動作音が聞こえたかと思うと、次の瞬間には床の一部が開き、下へと向かう階段が露わになる。


「……確かに嘘だろと言いたくなる気持ちは分かるな」


 部屋の片隅に突然現れたその階段へ視線を向けながら呟くレイ。

 これ程の大きさの屋敷の中で、偶然忍び込んだ最初の部屋に存在していた地下へと続く隠し階段。

 どう考えても何か意図的なものを感じざるを得ない。


「けど、私達がこの部屋に入ると決めたのは、それこそ偶然でしょう? 他の場所から屋敷の中に入っていればこの部屋を調べることはなかったんだし。それを考えれば、ここに隠し階段があるのはあくまでも偶然でしか無いと思うけど。単純に私達の運が良かったんじゃない?」

「……ん……」


 ヴィヘラの言葉にビューネも首を傾げる。

 確かに色々と怪しい面はあるのだが、それでもヴィヘラの言葉通りこの部屋を調べたのはあくまでも偶然なのだ。だが、どうしても意図的なものを感じざるを得ない。その迷いが、ビューネが首を傾げている理由だった。


「それに……そもそも、これが誰かの思惑通りだったとしても、まさか私達が屋敷に潜入してからこんな隠し階段を作り出すことが出来ると思う?」

「……確かに」


 その言葉に対する反論が出来ない以上、目の前にある地下へと続く階段を見つけたのは幸運だったと考えるしかない。


「とにかく、階段は見つけたんだから降りてみるか。何か罠があったとしても、その罠を喰い破ればいいだけだしな」


 このままここで悩んでいてもしょうがないと、気分を切り替えたレイの言葉に他の皆も異論が無く頷く。

 ナクトにしてみればティービアを助け出すのに躊躇する必要は無いし、ヴィヘラは地下に向かえば強力な敵がいる可能性が高い。ビューネはマースチェル家を好んではいない。

 それぞれが理由は違えども、ここで躊躇する必要は無いと判断して階段へと降りていく。

 先頭からビューネ、ヴィヘラ、レイ、ナクトの順番でだ。

 ナクトが最後尾に回ったのは、やはり隠されていた階段で地下へと向かう以上後ろから何らかの行動があるかもしれないと考えたからだった。

 気配を察知するという意味では、レイにも自信はあった。だが本職に任せられるというのなら、任せた方がいいと判断してあっさりと最後尾をナクトへと譲る。

 その隊列のまま階段を降りていき……やがて数分程で底へと降りきると、目の前には扉。


「これはまた、見事に扉だけしか無いわね。……どうする?」


 ヴィヘラがそう問い掛けてくるが、現状ではこの扉を開ける以外にやるべきことはない。

 ビューネとナクトがお互いに視線を合わせ、無言で盗賊としての意見交換を終了すると、ビューネがそっと扉へと手を伸ばす。

 それを見たレイとヴィヘラは、何があっても対応出来るように準備しながら警戒する。

 幸い扉に鍵の類は掛けられていないらしく、金属の軋む音を立てながら扉が開かれ……その先にあるものを見たレイ達の顔は驚きに染まった。


「これは……」


 視線の先に広がっているのは、広い部屋。レイの認識で考えれば40畳程度はあるだろう広さだ。


「広いのはいいけど、上の部屋みたいにここにも何もないのね」


 扉を潜り抜け、部屋を見回しながらヴィヘラが呟く。

 事実、視線の先の広い部屋には幾つかのテーブルや椅子の類が置かれているが、それ以外には無意味に広い空間があるのみだ。……ただし。


「こっちの壁を見る限りだと、俺達が隠し階段を見つけたのにもある程度納得出来るけどな」


 レイの視線が向けられているのは、広大な部屋の壁に無数に付けられている扉。

 自分達が入ってきた扉と同じ壁際に、幾つもの扉が並ぶようにして存在していた。

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