第447話

「はぁ、はぁ、はぁ……くそっ、ボスクの若造めが。儂に……レビソール家に向かってこのような仕打ち……許さん、絶対に許さんぞ。この礼に関しては後日絶対に思い知らせてくれるわ」


 シルワ家とレビソール家がぶつかり、碌な抵抗も出来ず圧倒的な勢いで飲み込まれて為す術も無く負けたシャフナーは、それでもシルワ家に捕まることなく逃げ延びていた。

 代々レビソール家に仕えていた忠臣とも言える者達がいてこその脱出だったが、その部下達の姿も今はもう無い。

 シャフナーを逃がす為にシルワ家の者達を攪乱する意味も込めてそれぞれが囮となった為だ。

 だが、シャフナーにしてみれば自分に仕えているのだからその程度のことは出来て当然。いや、寧ろシルワ家に負けたということそのものが全て部下達の不甲斐なさに置き換わっていた。


「奴等も奴等じゃ。儂を逃がすのは当然として、誰も供をする者がおらぬとはなっておらん。此度の一件が片付いたら、その性根から鍛え直すように命じなければならんの……はぁ、はぁ」


 歩くだけで汗が噴き出る程の熱帯夜。それも、本来であれば夜空を照らし出す月すらも隠す程の雲が上空を覆っており、暑さと共に湿気の多さもシャフナーの体力を消耗させる原因となっていた。

 本来であれば冷気を発するマジックアイテムがある屋敷でゆっくりとしているのが自分だった筈。それが何故このような蒸し暑いというのすら生温い中で人の目を気にして動き回っているのか。

 これではまるで戦争で負けた敗残兵のようではないか。

 本人は気位の高さから決してそれを認めようとはしないが、本人が認めようと認めまいと、シャフナーの現状は敗残兵以外のなにものでもなかった。


「ふぅ、ふぅ、ふぅ……もう少し、じゃな」


 夜の闇に紛れるようにして、額から浮き出てくる汗を強引に手で拭う。

 レビソール家を脱出してからは隠れ家の1つに潜んでいたのだが、このままそこに隠れているだけではどうしようも無い、自らに対して不遜な真似をしたボスクにその報いを受けさせてやると、その隠れ家を脱出して夜の闇に紛れるようにしてここまでやってきたのだ。

 これもまた本人は決して認めなかっただろうが、自分1人で隠れ家に潜んでいるのが不安になっていたのは間違いないだろう。


「もう少し……もう少しでマースチェル家じゃ。見ておれ……見ておれよ、シルワ家の若造めが」


 息を切らせつつ目的地であるマースチェル家を目指して進んでいくシャフナーにとって幸運だったのは、今日の昼にシルワ家とレビソール家の争いが起こったことで、エグジルの住民の多くが夜になっても出歩かずに自らの住処に籠もっていたことだろう。

 当然全員が全員という訳では無いし、そんなのは関係ないとばかりに酒場で宴会を行っている者はいる。だが、それでも相対的に見れば街に出ている者は少なく、月が雲で隠れているといった幸運も重なり、シルワ家の追っ手に見つからずに夜のエグジルを目的地でもあるマースチェル家目指して進み続けていた。

 シャフナーの肥大化したプライドは絶対に認めなかっただろうが、まるで肉食動物に追われている獲物の如く怯えながら闇に包まれ、明かりも禄に無い場所を進み……


「ワルイデスガ、ソノヘンデトマッテクダサイ」


 びくり。

 背後から聞こえてきた、とてもではないが人間のものとは思えない声に一瞬動きを止め、次の瞬間には年齢を感じさせない速度で振り向く。

 シャフナー自身には戦闘の心得と言ったものは殆どなく、あくまでも基礎的な訓練しかしていない。それも最近ではその基本的な訓練も怠けがちであり、今の素早い身のこなしは純粋に恐怖を感じた故のものだった。

 ともあれ夜目が利く訳でもないシャフナーが振り向いた視線の先にあるのは闇だけであり、慌てて周囲を見回し、自らの内側から湧き上がってきた恐怖を誤魔化すかのように叫ぶ。


「だ、だ、誰じゃ! 儂をレビソール家当主のシャフナー・レビソールであると知っての行動か!」

「オシズカニネガイマス。ココデサワガレテハ、シュウイデマースチェルケヲミハッテイルモノタチニキヅカレマスノデ」


 相変わらず闇の中から聞こえてくるのは、聞き取りにくい声。

 そう、少なくても人間が発声している声ではないとようやく気がつき、何とか押さえ込んでいた恐怖心が爆発的に広まり、内心から湧き出た衝動に従って喚きながら逃げだそうとしたところで……


「ショウガアリマセンネ。マスターノメイレイヲジッコウニウツシマス」

「っ!?」


 先程までは闇の奥から聞こえていた声が、不意に耳元で聞こえ……次の瞬間にはシャフナーの意識は闇に飲まれ、そのまま地面に崩れ落ちた。

 そして土埃に塗れながら地面に倒れている老人のすぐ側には身長30cm程度の小さな人形の姿があり、闇の方に向けて小さく手を上げると2m程の大きさを持つ人形が姿を現し、地面に倒れているシャフナーを抱え上げる。


「マッタク、マスターノヤシキヲミハッテイルモノガイルトイウノニ」


 30cm程の人形はまるで人間のように小さく肩を竦めると、首を動かして自分の横に立っている2mを超える大きさの人形の方へと顔を向けた。


「トリアエズ、マスターノメイレイドオリニコトハススメラレマシタ。サッソクモドリマショウ」

「……」


 2m程の人形が無言で頷き、そのままマースチェル家の周囲を見張っているシルワ家の者達に気がつかれないように自らが敬愛するマスターの待っている屋敷へと向かう。






「……ん? ここは……儂は確か……痛っ! な、なんじゃここは!?」


 目を覚ましたシャフナーは、自分が横になっていたのがベッドやソファのようなものではなく、固い地面の上だったと身体の痛みで気がつき、慌てて起き上がる。

 瞬間、ジャラリとした音が聞こえると同時に、足首に感じる冷たい感触。

 咄嗟に視線をそちらへと向けると、そこにあったのは予想外でありながらも、ある意味では予想通りの光景だった。

 即ち、自らの足首に繋がっている足輪と、そこから伸びている鎖。

 更に鎖の先端は部屋に……より正確には石畳の牢屋と思しき場所の隅に埋め込まれている金属の輪へと繋がっている。


「な、何じゃ? 儂は一体……いや、確かマースチェル家の近くまでやって来て……」


 気を失う前の記憶を思い出していき、やがて小さく息を呑む。


「そうじゃ。妙な声が聞こえたと思ったら……」

「へぇ、妙な声ね。どんな声か、良かったら教えて貰えるかしら?」

「発音が人間の言葉……誰じゃっ!?」


 不意に聞こえてきたその声のした方へと視線を向ける。

 シャフナーが閉じ込められている牢屋の入り口の向こう側に佇む1つの人影。

 そこに人がいると知ってはいても、本当にいるのかどうかが全く分からない程に不自然に自然な存在。

 牢屋の周辺を淡く照らしている光では顔も見えない相手。

 自分が起きた瞬間に周囲を見回した時には、間違いなく存在しなかった。だと言うのに、足音1つも立てず、気がつけばそこに1つの人影があった。


「確かにこのローブはそれなりに使えるわね。ただ、少しでも身動きをすればたちまち効果が切れるというのは、ちょっとした欠点だけど」


 そう告げながら羽織っていたローブを手に持ち、周囲を照らす光に照らされたその人物は、身体中に幾つもの宝石を付けている40代程の中年の女。髪飾り、ネックレス、ピアス、指輪、腕輪。それ以外にも見て分かる程に色々な宝石のアクセサリーを付けていた。

 それが誰なのかは、すぐにシャフナーに分かった。何だかんだ言いつつも何十年も共にエグジルを治めてきた相手の1人でもあり、同時に自分が助けを求めようと――シャフナーの意識としては自分を助けさせてやろうと――していた相手だったのだから。


「プリ!?」

「ええ。お久しぶりですね、シャフナーさん。ご機嫌いかがかしら?」

「いい訳がなかろう! とっととこの鎖を外してここから儂を出せ! 誰に向かってこのような真似をしておるのか、理解しているのか!?」


 顔を真っ赤にして叫ぶシャフナーだったが、プリはそれを聞き流しつつ指に嵌めている指輪を愛でるように眺める。

 そのまま、一切視線をシャフナーに向けず……まるで視線を向ける価値すらも無いとばかりに指輪をうっとりと眺めながら口を開く。


「ええ、当然理解しているわ。魔石を使った実験を行って異常種を作り出し、それを調べようとして動き出したシルワ家に襲撃を掛けたお馬鹿さんでしょ?」

「なっ、き、貴様……レビソール家当主であるこの儂に向かってふざけた口を!」


 その言葉に、プリはクスクスと笑い声を漏らす。

 面白い芸を見た時に浮かべる笑みと嘲笑が混ぜ合わさった、そんな笑み。

 自尊心が肥大化しているが故に、シャフナーは自分に対する侮りの態度は我慢出来ず叫び声を上げる。


「何が……何がおかしい! 大体シルワ家の倉庫に襲撃を掛けたのはマースチェル家の手の者であろうが! 儂はそれに巻き込まれただけに過ぎんぞ!」

「あらあら、未だにその程度の情報しか手に入れていないなんて。いえ、だからこそ貴方が選ばれたんでしょうね。……さて、何から教えて上げるべきかしら。そうね、まずはこれからね」


 再び口元に笑みを――悪意に満ちた笑みだが――浮かべたプリはクスクスと笑いながら口を開く。


「貴方が今まで後生大事に守ってきたレビソール家当主という立場は、既に貴方のものではないわよ?」

「……何?」

「ボスクがカルディアを新しいレビソール家当主として擁立したわ」

「馬鹿なっ!」


 プリの言葉に反射的に叫ぶ。

 自らの血を引く男ではあるが、凡庸で役立たずの男であると認識している者の名前が出てきたのだから、シャフナーとしては無理も無かった。


「そのような勝手が……許されるとでも思っているのか!」

「ええ、勿論。何しろシルワ家だけじゃなくて、マースチェル家の当主である私も同意したんだもの。手続き上の問題は無いわ」

「なっ! ふ、ふざけるな! そもそも貴様らがシルワ家の……っ!?」


 怒りで顔を真っ赤にしながらそこまで叫び、やがてその言葉の途中で何かに思い当たったのか息を呑む。


「貴様……もしかして、最初からシルワ家と組んでおったのか? レビソール家を貴様等で牛耳る為に今回の件を仕組んで……」

「……え?」


 予想外のことを言われた。完全に意表を突かれたような表情でポカンとするプリ。

 だが、次の瞬間にはこれ以上我慢出来ないとばかりに口元を抑えながら笑い声を上げる。


「うふふ……あはははは、なるほどなるほど。確かに貴方の立場で考えればそう思い込んでもしょうがないわ。……でも惜しかったわね。正解は……連れてきなさい」

「ハイ、マスター」


 気を失う前に聞こえた、人ならざる者が無理に人の言葉を話しているような声が聞こえ、数分程で牢屋のある部屋の扉が開かれる。


「失礼します。お呼びと聞きましたが?」

「ええ。彼が妙な勘違いをしているようでね。そろそろ現実というものを教えて上げようと思って。……ねぇ、シャフナー。彼に見覚えはあるでしょう?」

「……何故だ、何故……何故、貴様がそこにいる、オリキュール!」


 オリキュールと呼ばれた人物。その人物はつい数日前まで聖光教の使いとして自分と手を組んでいた筈の男だ。

 聖光教の裏の存在であり、これまで自分が重用してやった男。

 だが、シャフナーに顔を赤くして睨まれても、オリキュールは特に気にした様子も無く……いや、寧ろ面倒くさそうに溜息を吐いてプリへと視線を向ける。


「わざわざ私のことを教えるまでもないでしょうに」

「残念ながら、貴方達の関係はきちんと切っておく必要があるのよ。それに、彼には憎しみを胸に抱いて貰った方が実験素材とするにしても色々と好都合でしょう?」


 自らの前で交わされる会話に、シャフナーの顔色がますます怒りで赤くなっていく。


「オリキュール……貴様、儂を謀っていたというのか!?」

「謀っていたなんて、そんなことはありません。役に立たなくなった道具はきちんと始末する必要があるでしょう?」

「道具……儂を道具じゃというのか! エグジルを治めておる、この儂を!」


 憎しみで人を殺せるのなら、数回……いや、数十回は殺せるだろう程の怒りをもってシャフナーは目の前にいる2人を睨み付ける。

 だが牢屋の中に入れられ、鎖で繋がれているシャフナーにそれ以上の何かが出来る訳でも無い。

 出来ることがあるとすれば、それは目の前にいる2人に対する憎悪を胸に溜め込むのみだった。

 プリとオリキュールの会話で、それが……それこそが眼前の2人が自分に向けて望んでいることだと知りながらも、シャフナーは己の内から湧き上がってくる怒りを抑えることが出来なかった。

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