第437話

 夜になり、夕方から降り始めた雨は止むことなく降り続けている。

 霧雨のような雨ではあるが、それだけに雨によって気温が下がることもなく、夏特有の熱帯夜と合わさって高い湿度と共に肌に生ぬるい雨がへばりつく、不快な天気。

 そんな天気の中、エグジルの東にあるレビソール家の屋敷では怒声が響き渡っていた。


「シルワ家に異常種を確保された、じゃと!? 何を考えておるか! あれだけ注意しろと言ったではないか!」


 口だけ出して、実際に動く役目は他人に押しつけて手柄は自分の、失態は他人のものとするシャフナーの言葉に、その話を聞いていた男は微かに眉を顰めるも、すぐに元に戻す。


「すいません。ですが、異常種を倒したのはシルワ家の者では無く冒険者です。それも、深紅と姫将軍。彼等についてはシャフナー様が自分の方で何とかすると仰っていたと思いますが?」

「それは……ええい! お主は儂が悪いと言うのか!? 異常種の件にしても、シルワ家を止められなかった件に関しても、その全てが!」


 シャフナーの言葉に、男は当然そうだと答えたかった。だが、ワインの入ったコップを手に、酔いと怒りで顔を真っ赤にしているシャフナーにもしそうだと告げれば、目の前にいる老人の敵意が自分に向けられる。

 それだけならまだしも、何かをする度に足を引っ張られることになろうだろう。

 よって、シャフナーの機嫌を損ねぬように言葉に気をつけながら言葉を紡ぐ。


「いえ、今回はたまたま運が悪かっただけでしょう。そもそも、異常種がシルワ家の者を襲うというのは想像も出来ませんでしたし、ましてやそれに怒ったボスク・シルワが冒険者を雇って報復行動を取るとも思えませんでした。何より、あの広大な地下11階で異常種がああもあっさりと見つかるとは思いもしませんでしたからね。どう考えてもシャフナー様に非はありません。全ては巡り合わせの悪さです」

「ふ……ふは……そうじゃろう、そうじゃろう。やはり儂に非は無い。全ては運が悪かっただけじゃ」


 聞き苦しい笑い声を上げつつコップを呷るシャフナーに、男は特に何も言わずにただ視線を向けている。

 だが、目は口ほどにものを言う。

 男がシャフナーに向けている視線に宿っているのは、既に人に対するものではない。壊れた道具をいつ処分するかといった冷徹ともいえる計算が浮かんでいた。


(そもそも、シルワ家の者が冒険者としてダンジョンに潜っている以上は異常種とぶつかる可能性はそれ程低くは無い。実際、ソード・ビーの異常種が既にぶつかっているしな。だが、その時には軽い怪我人程度で済んだから特に報復に出るようなことはなかった。……異常種の話が広まっていなかったというのもあるだろうが。だが、異常種という存在を知った上でその死体を回収したとなると、こちらのことが奴等に知られる可能性も出てきた、か。やはりそろそろこの男を処分する頃合いなのだろうな)


「そうですね。多少のイレギュラーはありましたが、それでも概ねこちらの計算通りに運んでいます。心配する必要は何も無いかと」

「はっはっは。そうじゃろう、そうじゃろう。さすがに儂のやるべきことに間違いは無い。お主も儂に対して忠誠を尽くせよ」


 その言葉に小さく笑みを浮かべて一礼し、自分自身が勝者になると確信しているかのような笑みを浮かべながら、ワインの入ったコップを口へと運ぶシャフナーに告げる、


「では、その数少ない異常に対処する為、私はこれで失礼します。聖なる光の女神の加護があらんことを」

「うむ。精々励むのじゃぞ」


 そんな言葉を背に受けつつ、部屋を出る男。


(自らを虚飾の言葉で飾り立てることしか出来ない裸の王様か)


 内心の思いを抱きつつレビソール家の屋敷から出てきた男は、微かに降り続けている夜の雨に蒸し暑さを感じながらも、周囲に明かりの無い場所へと向かって進む。

 晴れていれば月の明かりでまだ周囲の様子を確認出来るのだが、雨雲が空を覆っている今では周囲は完全に暗闇に包まれている。それにも関わらず男は迷い無く道を進み続け、やがて行き止まりとなっている奥まった場所で足を止め、口を開く。


「いるな?」

「はい」


 闇の中から声が聞こえるが、男は気にした様子も無く……それこそ、当然であるかの如く会話を続ける。


「状況は?」

「シルワ家の確保している倉庫の周辺には厳しい警備が敷かれており、残念ながら向こうの様子は……」

「いや、それは構わない。寧ろ好都合だと言ってもいい。トカゲの尻尾でも、いつ切られるのか分からないよりはこちらの任意で切るべきだからな」

「では?」

「ああ。至急倉庫に襲撃を掛けろ。ただし……」

「分かっています。幸いこちらで以前レビソール家で働いていた者を確保してあります。その者の死体を倉庫の近くに置いておけば間違いないかと」

「……ああ、あの男か」


 男の脳裏を過ぎったのは、シャフナーに命じられてレイの監視をしていた男。何を思ったのか、監視しているレイに対し自ら接触して傲慢な態度で相手を怒らせ、その結果レイやエレーナのレビソール家に対する心証を大幅に悪化させた男。

 もしあの件が無ければレイやエレーナが一時的にでもシルワ家に雇われるようなことは無かったかもしれない。そうなれば、異常種に対しての調べもここまでは進んでいなかっただろう。そう考えると、現在のレビソール家の苦境はそのような男を雇っていたシャフナーの自業自得なのだろう。

 そんな風に暗闇の中で口元に冷笑を浮かべるが、すぐに小さく首を横に振る。


(レビソール家が自滅するのは勝手だが、それにこちらが巻き込まれては堪らない。そう考えると、やはりここで使えない道具は処分するのが最善か)


「では、襲撃に関しては任せる」

「はっ!」

「それと、レビソール家に連なる場所に私達が関わっていた証拠は決して残すな」

「それは人も、ですな?」

「当然だ。人こそが最も厄介な証拠なのだからな」


 男がそこまで告げた時、不意に闇の中でこれまで話していたのとは別の声が響く。


「その件ですが、レビソール家を見限りこちらにつきたいと申し出ている者がいます。どうされますか?」

「……なるほど。当主がどうしようもない程に愚かではあっても、下にはそれなりに頭の回る者がいるか。腐っても名門のレビソール家といったところだな。こちらに合流を申し出ている者の能力は?」

「研究者としては一流、ただし倫理観の類はありませんね」


 倫理観が無いという一言に男の眉が不快そうに顰められ、数秒の沈黙の後に口を開く。


「そのような人物を我々の下に引き込むのはな。幾ら影の存在とは言っても、影は影なりに最低限の人道というものはある」

「しかし、今も言いましたように研究者としては一流です。それだけに、ここで処分してしまうと大きい損失になりますが。それに、もし逃げ延びてシルワ家に捕らえられると、致命的な情報源になりかねません」

「分かっている。確かに能力があるのなら……いや、そうだな。その者は真実能力はあるんだな?」

「はい、それは間違いなく」

「では、その者の命を奪う必要は無い。ただしこちらに引き込むのも大きなリスクになる。マースチェル家に引き渡せ」


 その言葉を聞き、闇の中に一瞬だが戸惑った空気が流れる。


「マースチェル家に、ですか? 確かにあそこでも魔石を使って色々と動いてますが、レビソール家でやっていた実験とは方向性が違いますが?」

「何、その者が優秀だというのなら、多少方向性が違っても実績を残すことは可能だろう。その者をマースチェル家に渡したことで向こうが少しでもこちらに恩を感じてくれればそれでいい」

「……分かりました。では、手筈はその通りに」


 割り込んできた声が消え、再び最初に男と話していた声が闇に響く。

 自分が話していたところに割り込まれたのだが、それに関する苛立ちは一切見せぬまま、何事も無かったかのように話を再開させるべく口を開く。


「では、襲撃に関しては今夜、今から行うということで構いませんか?」

「ああ。異常種の死体が運び込まれてから、既に随分と経っている。それを思えば、調べられた内容もある程度はギルドやシルワ家の屋敷に運び込まれているだろう。それら全てを処分するのは無理だろうが、最低限異常種の死体だけは確実に処分するようにな」

「分かりました。では裏の者は使わずに我等の手勢だけで向かいます」

「そうしろ。……他に何かある者はいるか?」


 男の言葉に、数秒程周囲の闇に沈黙が満ちる。

 だが、やがてその沈黙を破るようにして最初の男でも、次に喋った男でも無い第3の人物が口を開く。

 先の2人とは違い、その声音は硬質ではあっても柔らかい響きを持つ女の声だった。


「深紅と姫将軍。この2人はどうなさいます? 今回の件もそもそもその2人が関わってきた為に起きたこと。それを思えば、今のうちにその2人を処理してしまった方が良いのでは? 幸い、ここはエグジル。ケレベル公爵令嬢に何かあったとしても、私達が疑われることはありません」


 過激としか言えないような提案だったが、その提案は一理あると判断したのか数秒程考え……やがて、首を横に振る。


「いや、今はやめておこう。確実に息の根を止めることが出来るのならともかく、向こうは異名持ちが2人にグリフォンまでいる。向こうの戦力が高すぎて、仕留め損なう恐れが高い。確実に仕留められるのなら、確かにこのエグジルは絶好の場なのだがな。……いや、これは私のミスか。スティグマを数人でも連れてきていれば話は変わったのだろうが」


 スティグマ。その単語が男の口から出た瞬間、闇の中の空気が緊張で張り詰める。


「そのお名前を出すのは……彼等は我等の象徴。裏仕事に連れ出す訳には……」

「ふっ、分かっている。言ってみただけだ。だが、実際問題あの2人と1匹……いや、ドラゴンの子供の使い魔もいれると2匹か? ともあれ、それだけの者を相手にするとすれば、こちらの戦力は圧倒的に不足しているのは事実だ。よって、現状で手を出すことは許可しない。分かったな?」

『はっ!』


 男の言葉に、数人の声が揃って了解の意を伝える。


「では、解散だ。それぞれ自らの成すべきことを成せ。聖なる光の女神の加護があらんことを」

『聖なる光の女神の加護があらんことを』


 闇の中にその言葉が響くと、次の瞬間にはそこから一切の気配は消え去っていた。

 大勢いただろう存在の他に、リーダー格でもある男も含め、全ての気配と姿が完璧に。






「もう夜だってのに、随分と暑いな」

「雨が降ってるからだろ。それよりしっかりと見張りをしろ。ボスクの兄貴に見つかったらどやされるぞ」

「分かってるよ。けど、ここを見張っててどうするんだよ? まさかエグジルの中でモンスターが襲撃してくる訳でも無いだろうに。交代まではまだまだあるしな」

「いや、ダンジョンから出てくれば……」

「無いって」

「……だろうな。以前出てきたって話は聞いたことがあるけど、それから随分経っているしな」


 ギルドの程近くにある倉庫。その入り口の前で2人の冒険者が熱帯夜と湿気という2重苦にも等しい環境の中で警護として周辺を警戒していた。

 さすがに街中での警護ということもあり多少だれてはいたが、シルワ家に仕えている冒険者2人も眠気や暑さといったものに抗いつつ役目をこなす。

 どこかの酒場の用心棒や、商人に護衛といった仕事であれば2人の冒険者もある程度は真面目に仕事をこなしていただろう。だが、今回彼等2人が命じられたのは、倉庫の護衛。

 異常種の死体があるとは聞かされていたが、それでも結局はモンスターの死体であり、そんな場所を誰が襲うのかという油断があったのも事実。

 異常種が人為的に発生したものであるという予想は何の証拠も無い上に、事実だとすれば危険すぎるとボスクが判断し、レイに聞かされてからは誰にも話していない。それ故に、この冒険者2人はある意味でお気楽とも言える態度で倉庫の護衛をしていたのだ。

 ……だからこそ、この2人は致命的な隙を晒すことになる。


「ん? 今、何か……」


 闇の中で何かが動いたような気がし、目を凝らしながらそれが何かと前に進み出る。

 ヒュッ!

 そんな何かが飛んできた音と共に闇に紛れるように黒く塗られたナイフに額を貫かれ、次の瞬間男の意識は永遠の闇へと眠りについた。

 額から短剣を生やしたまま地面に倒れ込む男。

 その音を聞き、初めて何か異常な事態が起きていると理解したのだろう。残る1人の男が倉庫の中にいる他の冒険者に声を掛けようとし……次の瞬間突然背後から伸びてきた手に口元を抑えられ、そのまま素早い動きで一瞬にして首の骨を折られ絶命する。

 何の躊躇も無く2人の冒険者を始末した男達は、ナイフと同様闇に紛れるかのような黒く染められた服を着ていた。

 その数20人程。お互いに何かを口にするでも無く、リーダー格らしい男が手を振り下ろすのを見ると声や気配を殆ど発しないままに倉庫へと向かっていく。






 1時間後、屋敷で眠っていたボスクに不審火による火災で異常種の研究をしていた倉庫と、その周辺にあった数軒の建物全てが焼失したと報告が入ることになる。

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