第436話

 レイとエレーナ、セトが案内されたのはギルドから程近い場所にある大きめの倉庫のような場所だった。

 ただし、それがただの倉庫でないというのは中に入った瞬間に涼しい空気が身体を包んだことで明らかになる。

 今にも雨が降りそうではあるが、それでも外の気温は30℃近い。

 いや、雨が降りそうだからこそ湿気が高く、余計に蒸し暑く感じていたのだが……それが倉庫の中に入った途端涼しく、乾燥した空気がレイ達を出迎えたのだ。

 勿論この環境はマジックアイテムを使ってのものだ。ただしその理由は中にいる者を快適に過ごさせるためではなく、モンスターの死体が腐敗するのを防ぐためのものだろう。

 それでもやはり快適な環境であるのは事実であり、エレーナは外套を脱いでマジックポーチの中へと入れて一息吐く。


「ほう……これは随分と過ごしやすい環境だな」

「グルルゥ」


 その言葉に、倉庫ということもあって一緒に中に入ってきたセトが嬉しそうに喉を鳴らす。

 その瞬間、ここにレイ達を案内してきた男が一瞬恐怖で身体を震わせたものの、それでも自らの役目を放棄するようなことはせずに倉庫の奥の方へとレイ達を案内する。


「こっちです」


 そうして案内された場所には、シルワ家やギルドの職員の他にも、予想外の人物が存在していた。


「はっ、やっぱり異常種を倒したのはお前達だったか」


 2mを優に超え、筋肉が凝縮されたようなその巨体。愛用の巨大なクレイモアの入った鞘を背負っているその男を見て、レイは思わず呟く。


「シルワ家の当主がわざわざのお出ましか?」


 どこか呆れたようなレイの言葉を聞き、不敵なと表現すべき笑みが口元へと浮かぶ。


「当然だろう。俺の弟分に危害を加えた異常種の死体だ。是非この目で見てみたかったからな。……で、そっちが噂のグリフォンか」

「グルルルゥ」


 よろしく、とでも言うように喉を鳴らすセト。

 人懐っこいセトの様子に、ボスクの目に興味深げな色が浮かぶ。

 だが、すぐにそれを押しやり口を開く。


「で、レイ。昨日の話からすれば異常種はお前が倒したとしても、こっちに大人しく死体や魔石を寄越すような真似はしないと思ってたんだがな。どんな心境の変化だ?」


 前日にギルドでレイに対して異常種の討伐を依頼した時は、討伐はするものの異常種の魔石は自分の物にしてもいいと暗黙の了承をした。それなのに、何故急にこちらに異常種の死体や魔石を渡す気になったのか。そんなボスクの質問に、レイは小さく肩を竦めて答える。


「そうだな、色々と理由はあるが……気が変わったってのが正直なところだ」

「色々と……ねぇ」


 正確には魔獣術の関係なのだが、さすがにそれを口に出す訳にも行かずに言葉を濁す。


「どのみちエグジル、ギルド、シルワ家にとっては悪くない話だと思うが?」

「……まぁ、いい。そっちにも事情があるんだろうしな。それよりも早速異常種を出してくれ。持っているんだろう?」

 

 ボスクのその言葉に、周囲にいた他の者達の視線がレイに集まる。

 訝しげな視線が多いが、その中には驚愕の視線も混じっていた。恐らくアイテムボックスについて話を聞いている者もそれなりにいたのだろう。

 ボスクの視線に促されて部屋の中央へと移動し、脳裏のリストの中から異常種を選択。すると次の瞬間には何も無かった空間に突如体長3m程の巨大なスピア・フロッグの死体が現れる。

 何も無い場所に突然何かが現れるというのは確かに珍しいが、驚愕する程では無い。転移魔法や召喚魔法といったものを知っていれば当然だろう。だが、アイテムボックスという存在の稀少さにはさすがに驚かざるを得なかったらしい。

 その場にいた者達の視線がレイへと向かう前に、ボスクの口から叱咤の声が放たれる。


「おらっ、自分のやるべきことをやれ! 個人的な疑問や好奇心を満足させる前に、やるべきことがあるだろうが!」


 さすがにシルワ家の当主と言うべきか、その声がもたらした効果は抜群だった。

 その場にいた殆どの者が一瞬にして我に返り、床に存在するスピア・フロッグの死体を調べるべく行動を開始したのだから。


「ほう、さすがのカリスマ性と言うべきか?」

「別にそんなんじゃねえさ。それにカリスマ性って意味なら、俺なんかよりもあんたの方が上だろう?」

「さて、どうだろうな。今の私は単なる冒険者でしかないさ」

「……ま、それならそれでいい。ところで、こいつと戦ってみてどう思った? やっぱり異常種だけあって文字通りに異常だったか?」


 多くの者達が異常種の皮膚や舌といった場所を切り取ってどこかに持って行くのを眺めつつ尋ねてくるボスクに、レイは小さく頷く。


「ああ。異常種を見たのは3度、直接戦ったのは2度だが、それでも色々と不可解な部分がある。正直な話、戦ってみて感じたのはこいつがまともなモンスターじゃないってことだな」

「まともなモンスターじゃない? そりゃそうだろ。だからこそ異常種と名付けられたんだから」


 何を言ってるんだ? とばかりに、小首を傾げて尋ねてくるボスクだったが、それに対するレイは小さく言葉に詰まった。

 魔獣術に関して教える訳にいかない以上、明確な証拠を示すわけにはいかないのだ。そうなると、説明するのが難しくなる。


「感覚的なものだな。セトの様子を見る限りでは、どこか不自然な相手という感じだった」

「……グルゥ?」


 何? とエレーナに撫でられていたセトが自分の名前が出たことによって視線を向けるのだが、当然そんなセトを見てもボスクにはレイの言っていることが事実かどうかは分かりようが無い。

 だが、ランクAモンスターであるグリフォンなのだと考えれば、決してレイの言っていることが全く根拠の無い話だとも思えなかった。

 この点、レイはセトという存在に救われたと言えるだろう。


「グリフォンがそうだと感じたのなら、まず何か異常があるのは間違いない……んだろうな」


 まだ完全にでは無いが、それでも自分を納得させるように呟くボスクを眺め、内心で安堵の息を吐くレイ。


「ともかくだ。セトが感じた限りでは普通のモンスターと違って複数の魔力を持っているらしい」

「……複数の魔力?」

「ああ、基本的にモンスターが持っている魔力というのは、自分だけのものだ。ゴブリンならゴブリン自身の魔力、オークならオーク自身の魔力といった具合にな。だがその異常種は違ったらしい。スピア・フロッグなのに、それ以外にも複数のモンスターの魔力をその身に宿している」


 レイの言葉に、ボスクの視線が鋭くなる。

 その視線が向けられているのは、間違いなくスピア・フロッグだ。だがそれだけではない。ボスクの注意のうち何割かは、間違いなくレイにも向けられていた。


「確かにそれが本当だとしたら、異常なモンスターという意味では間違いなく異常種という名に相応しいだろうな。色々な意味で警戒が必要になるのは間違いない。……だが」


 そこで言葉を一旦切り、ボスクの視線はスピア・フロッグの死体からレイへと向けられる。


「随分と詳しいことまで分かるんだな。まるで、グリフォンの言葉を理解してでもいるかのようだ」

「……まぁ、小さい頃からセトとは一緒に暮らしているからな。それこそ、セトが卵の時から。だからこそ鳴き声のニュアンスで大体言いたいことは分かる」

「ほう? モンスターと小さい頃から一緒に暮らしていれば誰でも言葉が分かると?」

「少なくても俺とセトでは相性が良かったのか、言葉が分かるとまではいかないが、お互いの意思を確認できる程度にはわかり合っているつもりだ」


 レイの言葉が途切れ、その後数秒程は誰も声を出さずに異常種を調べている者達の声のみが倉庫へと響き渡っていた。

 そんな沈黙を最初に破ったのは、ボスク。

 先程向けていた鋭い視線は嘘だったとでも言うように、視線から力が抜ける。


「ま、細かい話はいいさ。とにかく、俺の弟分を傷つけた異常種が討伐されて、しかもそのままこっちに譲られた。更には、グリフォンという高ランクモンスターが怪しい所を教えてくれたんだ。これ以上何かを得ようとしても、貰いすぎで痛い目に遭いそうだしな」


 何かがあるとは理解しているが、これ以上の追求はしない。言外にそう告げてきたボスクに、レイは微かに眉を顰める。

 異常種についての正体を掴む為とは言っても、ボスクのような人物に何かがあると知られたのはあまり嬉しくない。

 当初は典型的な脳筋だと思っていたボスクだったのだが、何度かの遭遇で決してそれだけの人物では無いことに……そして、迷宮都市であるエグジルを治めるのに十分な……とは言わないが、それでも不足無く治めることが出来ると思える程度には評価していた。


「ちなみにだが、幾つもの魔力があるという理由は何だと思う? 魔法使いとしてのレイならどう判断するかで教えてくれ」

「そうだな。魔力が幾つもあるということは、通常の状態じゃない。恐らくは誰かが人為的に……あるいは、何らかの事情で偶発的に異常種が増えていってるんだろうな」


 レイの口から出た言葉が予想通りだったのか、ギリリとボスクが奥歯を噛みしめる音が周囲へと響く。

 シルワ家だけで治めている訳ではないとは言っても、それでも自分の縄張りともいえるエグジルで好き勝手されているのが気にくわないのだろう。

 額に血管が浮かんでいるボスクへと視線を向け、エレーナはセトを撫でながら小さく溜息を吐く。


(この様子では、今回の件の糸を引いているのがレビソール家かマースチェル家だというのは教えない方がいいだろうな。もっとも、レイが魔獣術について隠し通さなければいけない以上、明確に根拠を示せないのは痛いが)


 その思いはレイもまた同様だったのだろう。一瞬口を開きかけたが、やがて何を口にするでも無くそのまま閉じる。


「おいっ、まずは魔石だ! モンスターの中核とも言える魔石を調べろ!」

「兄貴、けど魔石は今までギルドの方でも……」

「それでもだ。漠然と何かがあるのかどうかを調べるのと、明確に何かがあると理解した上で調べるのとでは結果が違って当然だ!」


 ボスクのその言葉に、早速とばかりに行動を始める。

 そんな動きを見ていたレイ達に、やがてボスクが懐から取り出した小さめの布袋を渡してくる。


「とにかく、よくやってくれた。シルワ家当主としては最高の結果だった。ありがとよ。それは報酬だ。多少色を付けておいたから、それで何か食っていってくれ」


 渡された布袋の中には、依頼を受けた者全員が貰える金貨2枚に成功報酬の白金貨2枚。そして銀貨が2枚。


「いいのか?」

「その程度なら俺の裁量内だ。そもそも、これはギルドを通していない依頼だからな。多少報酬が上下するのは珍しくない。その辺は冒険者のお前が一番良く分かってるだろ?」

「俺は基本的にギルドの依頼ボードに貼られている依頼を受けているから何とも言えない。……ただまぁ、くれるというのならありがたく貰っておくよ」


 そんなレイの言葉に、ボスクは男臭い笑みを浮かべて頷く。


「そうしろそうしろ。元々お前達と縁を切らない為にわざわざ多めに報酬を渡したんだからな。存分に恩に着ても構わないぞ」

「……それを俺達に直接言った時点で意味は無いと思うんだけどな」


 呆れたように言葉を返すレイだが、当の本人はそんな様子を全く気にした様子も無く手を振る。


「ほら、取りあえず今日のところはこれ以上やるべきことは無いからな。もう帰ってもいいぞ。1日中砂漠の中で戦っていたんだ。それを思えば、ゆっくり休んで……いや、お前達は連日ダンジョンに潜っているんだったか。ともあれ、ここにいても特にやるべきことはないだろ? なら後は好きにしてくれ」


 その言葉に、バンデットゴブリンメイジに関してどうするのかを一瞬迷ったレイ。

 だが、魔石そのものは既に吸収されて存在していない以上、ここでもし出したとしても怪しまれるだけだろうと考え……結局は提出せずに、ボスクへと背を向ける。


「なら、俺達はこの辺で失礼させてもらう」

「おう、また何かあったら声を掛けるかもしれないから、そのつもりでいてくれ」


 背中に呼びかけられる声に小さく頷き、セトとエレーナもレイの後を追って出て行く。


「さて……ともあれ、異常種なんてふざけた真似をしてくれた奴はしっかりと自分が何をしたのか、その身に思い知らせてやらないとな。おいっ、手掛かりとなるようなものは糸くず1本でも見逃すなよ!」

『はい!』


 倉庫の中にボスクの声とそれに応える者達の声が響き渡るのだった。

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