第438話

 異常種の討伐が終わった翌日、黄金の風亭に泊まっているレイとエレーナは朝食を食べるべく食堂にやってきていた。

 食堂の中が妙にざわついているのが気にはなったが、それよりもレイの目を引いたのは数名の客が朝食として食べている料理。即ち……


「うどん、だと?」


 そう、間違いなくその客が食べているのはうどんである。具や汁はレイの見知っているものと微妙に違ってはいるが、それでもエルジィンに恐らくは初めてもたらされた麺料理でもあるうどんに間違いは無かった。


「おや、知ってるんですか? つい最近エグジルに伝えられた料理なんですが。何でも辺境にある街として有名なギルムで考案された料理だという話です」

「……なるほど」


 レイの呟きを聞いたウェイターが返してきた一言で、レイが何に驚いているのかを悟ったエレーナは小さく頷く。

 ギルムとエグジルは距離的にはかなり離れている。それこそ普通に歩いて旅をするとなると片道数ヶ月程度は掛かるのでは無いかという程に。

 それだけの距離がある場所へとギルムで考案された料理が伝わっていたのに驚いたのだろうと。

 勿論それも理由の1つではあるが、それだけではない。そもそもうどんというのはレイが広めた料理であり、話題性があったのか、あるいは料理人の腕によるものか、ともあれうどんという料理はギルムとその周辺ではある種一般的な食べ物になっていたのは事実である。だが、そんな自分の教えた料理がエグジルまで広がってきたというのには、さすがに口を開けて驚くしかなかった。


(まさか、海鮮お好み焼きもそのうち国中に広がったりしないだろうな?)


 そんな風に考えつつも、試しにということでエレーナと2人でうどんを注文して席に着く。

 そのまま数分。うどんはうどんでも、かなり細いうどんだった為に数分で茹で上げられ、丼にうどんと具と汁を合わせて持ってこられる。

 さすがに高級宿と言うべきか、使われている具材はどれも一級品だった。ダンジョンの深い階層に生息しているアーマード・シープと呼ばれているランクCモンスターの肉や、アルラウネの若芽を始めとしてこちらもまた稀少な部位を濃厚なソースで煮込まれ、朝に食べる料理としては濃い味付けであるにも関わらず、幾らでも食べたくなる程の味。


(うどんはうどんでも、俺の知っているうどんとは大違いだな)


 レイの知っているうどんと言えば、大衆食堂で出すようなものが殆どだ。だが、今食べているのは稀少な食材をふんだんに使い、一流の料理人が手間暇を掛けて作り出した高級料理と表現すべき料理だった。


「ほう、これは美味い」

「ああ。ここまで来ると、見た目は似てるが味については殆ど別物と言ってもいいだろうな」


 フォークを使い、適度な弾力を残しつつも噛んだ瞬間に口の中で解けていく肉と共に麺を味わう。

 そんなレイに習うように、エレーナもまたアルラウネの若芽と共にうどんを味わっていく。

 そのままお互いが言葉も無く食べることに集中し、やがて10分程で丼は空になる。

 スプーンで最後のスープを口に運び、満足そうに溜息を漏らし……そしてようやく周囲の騒ぎへと耳を傾ける余裕が出来た。


「その話、本当か!?」

「ああ。間違いない。起きてその話を聞いてからすぐにうちの者に様子を見に行かせた。間違いなく全焼している。それも周囲の建物も巻き添えにしてな」

「けど、なんで……あの辺には別に火事になるようなものなんて……」

「さてな。だが、死体もゴロゴロと転がっているって話だから、少なくても事故の類じゃないだろうって話だ。恐らくは何者かの襲撃に遭ったんだろう」

「襲撃? けど、あの辺に何かあったか?」

「その件だが、どうやら火事の中心になった倉庫をシルワ家が借りてたって話だ」

「おい待て。シルワ家だと? じゃあ……」

「ああ。間違いなく火事を起こした相手に対して報復騒動が起こる筈。何しろ、転がっていた死体の殆どがシルワ家に仕えている冒険者だって話だからな」

「……荒れるな……」

「ああ。あるいは、さっさとエグジルを出た方がいいかもしれん。報復騒動に巻き込まれるのはごめんだからな」

「うちもそうした方がいいか? けど、エグジルから出るという行為そのものがシルワ家に判断されるかも……」

「その辺は自分達で選ぶしかないだろ。エグジルにいて報復騒動に巻き込まれるか、あるいは今回の件の関係者と疑われるのを承知の上でエグジルを出るか」


 そんな風な話が、食堂のいたるところでされている。

 エグジルの中でも高級宿として知られている黄金の風亭であるだけに、利用している者の殆どが裕福な商人であったり、あるいは貴族、高ランクの冒険者達だ。それ故に、これから起きるだろうエグジルを舞台にした騒動からどう逃れるかで顔見知りの相手と相談している姿が目立つ。


「……エレーナ」

「ああ。聞こえている。だが倉庫、だと?」


 レイの呼びかけに、エレーナは眉を顰めつつ言葉を返す。

 2人共が既に分かっているのだ。周囲の話に出ている、全焼して死体が転がっていた倉庫というのがどこなのかを。

 自分達が昨日スピア・フロッグの異常種を運び込んだ倉庫であると。


「あの倉庫が襲われたとなると、襲ったのは多分……」


 それ以上は口に出さずにエレーナの方へと視線を向ける。

 そんなレイの視線にその考えは正しいと、無言で頷くエレーナ。

 異常種を作り出している者が証拠隠滅の為に倉庫を襲ったのだろうと、2人の意見は一致する。


(だが……そうなると、どっちだ? レビソール家とマースチェル家。この2家ともが魔石を買い集めていたのだから、どちらが襲撃してもおかしく無い)


 内心で考えを纏めつつも、答えは1つしか導き出せなかった。

 即ち……


「レビソール家」

「確かにそれが一番ありえる。だが……」


 レイの言葉に、頷くのを躊躇うエレーナ。

 マースチェル家の当主でもあるプリという人物とは会ったことが無いのだが、それでも流れている噂に耳を傾ける限り、少なくてもシャフナーに比べると優秀だというものが殆どだった。

 それらを考えれば、当然今回のようなあからさまな証拠隠滅と口封じを兼ねた襲撃もシャフナーの手によるものだろうとは思う。

 だが、それでも何故かそう断言出来る状況にも関わらず、どうしてもエレーナの中でそれが正しい答えだとは思えなかったのだ。

 微妙な違和感。状況証拠だけでは説明できない何か。そんなものがエレーナの中に存在している。


「どうした? 何か気になることでもあったか?」

「……あるにはあるが、証拠のようなものは無い」


 そんなエレーナに比べると、レイは完全に今回の件はレビソール家の勇み足だと判断していた。

 そう、実際に襲撃を指示した者の予定通りに。


「そうなると……どうするべきだろうな。これが俺達に何の関係も無ければ放っておくんだが」


 溜息を吐きつつ、テーブルの上に置かれている冷たく冷やされた果実水の入ったコップを口へと運ぶ。

 もしも襲われた倉庫が単純にモンスターの研究をしている場所であったり、あるいはそのようなものとは全く関係が無いシルワ家の施設であったのなら、何も気にすることはせずにこのままダンジョンへと向かって地下12階の攻略を行っていただろう。

 だが、今回襲撃されたのは異常種の解剖や研究をしていた施設なのだ。魔獣術を使うレイにとって、決して見過ごすことが出来るようなものではない。


「そうだな、なら1度シルワ家を訪ねてみるか? そもそも今回異常種を仕留めたのは私達だ。その異常種の死体があった倉庫が襲撃されたというのなら、そうしてもおかしくはない。それに……多少気になることもある」


 レイを気にしてシルワ家の屋敷に向かいたいというのではなく、自分自身が先程から気に掛かっている違和感が大きな理由ではある。

 だが、エレーナの言葉はレイにとっても渡りに船だった。異常種という存在が自分にとってどれだけ不利益になるのかを知っているが故に。


「確かに1度行ってみるか。ボスクにしても、襲撃されたのなら少しでも戦力を確保しておきたいだろうし」


 こうして、その日の予定をダンジョンからシルワ家訪問へと変更したレイとエレーナは、朝食を済ませた後でセトと、ダンジョンではないからということでイエロも共に宿の外へと向かうのだった。






「……当然と言えば当然だが、随分と殺気立っている奴が多いな」


 黄金の風亭から出て10分程。いつものように街中を歩いてはいるのだが、大通りにいる人々はどこか落ち着きが無かった。

 その理由は、やはり半ば殺気立っていると表現してもいいような冒険者と思しき存在だろう。

 シルワ家に仕えている者、あるいはシルワ家に恩義がある者、それ以外にもボスクという存在を慕っている者達が街中に溢れているのだ。

 殺気立っている割には何の騒ぎも起こしていないのは、ボスクの持つ指導力が高い為か。


「そうだな。だが、その割には特に乱闘騒ぎや小競り合いが起きている様子も無い」


 レイと同じところに気がついたのだろう。エレーナが感心したように頷く。

 レイにしろ、エレーナにしろ、冒険者や騎士として半ば戦闘を生業にしている。だからこそ街中に殺気立っている冒険者が溢れていてもそれ程気にした様子は無い。だが、一般人にしてみれば殺気だった冒険者というのはやはり脅威でしか無いらしく、どこか背を縮こまらせて冒険者達に絡まれないようにと足早に移動している。


「とにかく、今回の件を何とかしないことにはどうにもならないだろうな。シルワ家ってのはエグジルの北だったよな?」

「ああ」


 シルワ家。その単語を出した瞬間に周囲にいた冒険者達の視線がレイに集められたが、シルワ家とレイ達がそれなりに親しいというのはそれなりに知られているらしく、殆どの者がすぐに視線を逸らす。

 中にはそれを知らず、シルワ家の名前を口にしたレイに向かって絡もうとした者もいたが、周囲の冒険者達に事情を知らされるとすぐに大人しくなる。

 冒険者達にしても誰彼構わず絡みたい訳では無く、恩のあるシルワ家に喧嘩を売った相手を探しているのだから、レイやエレーナに絡むような者は存在しなかった。

 そんな風にざわついている街の中を、以前レビソール家から帰る時に使ったのと同じような馬車に乗り、エグジルの北にあるシルワ家方面へとむかって進んでいく。

 馬車の後ろをついてくるセトに向けられる視線がいつもより少なかったのは、やはりシルワ家に関係している冒険者や、あるいは一般の市民までもがそれどころではないのだろう。


「この辺もか。暫くはこんな感じなのだろうな」


 馬車の窓から外の景色を眺めていたエレーナが、溜息と共に呟く。

 窓の外から見える景色が、北に向かうにつれてより殺気だった冒険者の数が増えているからだろう。

 シルワ家の本拠地とも言える、エグジルの北へと向かっているのだから、予想された事態ではあった。


(下手に揉めれば、暴発しそうだな)


 レイもまた、同様に馬車の外を見ながら内心で考える。

 基本的には血の気の多い者が揃っているのがシルワ家であるというのは、最初にボスクと遭遇した食堂の件を思えば当然だろう。

 そんな連中が殺気立って街中を彷徨きながら怪しい相手を探しているのだから、もし1度でも下手に揉めたりすれば周辺にいるシルワ家と関係のある冒険者全てと戦う必要が出てくるだろう。


(負ける気はしないが……思い切り面倒なのは間違いない)


 そんな風に思いつつ、馬車から降りてそこからでも見える大きな屋敷、シルワ家へと向かう。

 さすがにシルワ家の本拠地とも呼ぶべき場所だけあって、その屋敷に近づくにつれて冒険者の数も増えていく。

 それでもレイ達を怪しむ者がいないのは、やはりボスクとの関係がそれなりに知られているからなのだろう。

 ギルドで2度も呼び出され、個人的に話し合いをしているのを考えると、この周辺にいる者達にしてみれば身内……とまではいかないが、客人に近い位置に格付けされていた。

 ある意味ではエグジルの現状でもっとも安全とも呼べるこの地域だが、それでも好んでここに来たいと思う者はそれ程多くは無いだろう。

 幾ら安全ではあっても、こうまで緊張感に満ちた場所で過ごしたいと思う者が多くないのは明らかなのだから。

 周囲の様子を眺めつつ、内心で何となく考えながら歩いていると、やがて目的地でもあったシルワ家の屋敷の前に到着する。

 エグジルを治めている3家の内の1家ということもあり、相応の見栄えが必要なのだろう。レイ達の目の前にあるのは質実剛健と表現すべきボスクの屋敷とは思えない程の大きさだった。

 それこそ、レイ達が1度呼び出されたレビソール家の屋敷と比べても遜色無い程に。

 そして、フルプレートメイルを身につけた2mを超える身長を持つ男が2人、門番として佇んでいる。

 そんな2人へと向かってレイは口を開く。


「昨夜の件でボスクに面会したいので、取り次いで欲しい」

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