第406話

 午前も終わりに近付き、やがてもう少しで昼になろうかという時間。ギルドの中でも冒険者の姿は朝や夕方のような忙しくなる時間帯に比べるとかなり少なくなっている、そんな時間帯。

 ギルドの受付嬢やその他の職員達もそろそろ昼食を楽しみにしている、その時。ギルドの扉が開き、2人の男の冒険者が中へと入って来た。

 勿論それだけならそれ程珍しいことではない。人数は多くは無いが、午後だけダンジョンに潜るといった冒険者もいない訳ではないし、あるいはダンジョンではなく何らかの依頼を達成した報酬を貰いに来たのかもしれないのだから。

 そんな風に思っていた受付嬢だったが、自分のカウンターへと向かって来る2人の表情が厳しく引き締まっているのを見ると嫌な予感を胸に抱く。

 昼休みが近いこの時間帯に面倒はごめんであり、出来れば他の受付嬢のカウンターに行って欲しい。そう思っていた受付嬢だったが、残念ながら2人の冒険者は真っ直ぐにその不運な受付嬢へと向かって行ったのだった。


「悪いが、ダンジョンの件で話したいことがある」


 ハンマーを背負った男の冒険者がそう告げ、隣にいた弓と矢筒を背負った冒険者の男も厳しい目付きで言葉を続ける。


「至急の用件なので、出来れば上の者に連絡を取って欲しいのですが」

「も、申し訳ありませんが、そのような場合でも私が話を聞いてから上に報告するかどうかを決めることになっています。そうでなければ、上の者の手が回らなくなりますので……」


 エグジルのギルドでは、以前受付が自分の気に食わない相手の報告を上に上げずに大事件を引き起こしたことがあった。それが理由で、何かあったらすぐに上の者に連絡がいくようにもしたのだが、そうすると今度は些細な――ダンジョンで自分のポーションを落としたといったようなこと――でも上の者を呼び出すような者が増えたため、結局は当時の担当が過労で倒れるという事態になり、最終的には多くの者が話を聞いて受付嬢が判断をするといった現在の体制になっていた。

 当然、上に連絡をせずに問題を起こした受付嬢は重い罰を受けることになり、禁固20年として捕らえられることになったのだが。

 その受付嬢の報告が遅れた為、ダンジョンの外にモンスターが出て来てエグジルが受けた被害を思えば当然と言えるだろう。

 とにかくそのような理由により、まずはカウンターでワンクッション置いてから上に報告が行くようになっているのが今のエグジルのギルドの態勢だった。

 ハンマーの男と弓の男、エネルゲイアとメノスもそれが分かったのだろう。お互いに目を合わせてから小さく頷き、パーティのリーダーでもあるエネルゲイアが口を開く。


「今日俺達は地下6階に向かったんだが、そこで戦ったモンスターが普通のストーンパペットとは桁違いに強いモンスターだった。少なくても地下6階に出て来るようなモンスターじゃないとのことだ」

「ことだ、となると……誰か他の人からそう聞いたのですか?」

「ああ」

「……そうですか。一応ダンジョンカードの方を提示して貰えますか?」

「了解した」


 エネルゲイアとメノスの2人は自分のダンジョンカードをカウンターの上に置く。

 そのダンジョンカードを見た受付嬢は、この時点でエネルゲイアからの情報を話半分で聞くべきだと判断する。

 実際にダンジョンに殆ど潜った経験の少ないパーティは、自分達の手に負えないモンスターと戦った相手が普通のモンスターよりも強い敵であると決め付け、それをギルドに報告してくるということは、よくある……と言う訳では無いが、皆無という程でも無い。

 そしてダンジョンカードを見る限りでは、目の前にいる2人は最近エグジルに来てダンジョンカードを登録したばかりの新人であった。勿論ギルドランクはDとある程度の実力を持っているのは確かだが、逆に言えば中途半端な実力を持っているからこそ、自分達の弱さを直視できなかったのだろう。そう判断し……だが、次にエネルゲイアの口から出た言葉に、すぐに自らの判断を修正することになる。


「言っておくが、この判断は俺達が勝手にしたものではない。深紅が率いているパーティと出会って、そのパーティメンバーの女が言っていた内容だ」


 受付嬢の様子を見て、自分達がどのように判断されているのか悟ったエネルゲイアの言葉。それを聞いた受付嬢は小さく息を呑む。

 深紅が率いているパーティメンバーの女。そう言われて受付嬢が思い浮かんだのが、姫将軍であるエレーナだったからだ。

 ここで互いに勘違いしたのはある意味でしょうがないだろう。受付嬢はレイとエレーナの2人だけでパーティを組んでいると思っているし、エネルゲイアの方はヴィヘラとビューネが野良パーティだったとは知らなかったのだから。

 更に受付嬢が姫将軍と異名を持つ程の人物の意見を無視することは出来ないと判断し、周囲で話を聞いていた他のギルド職員と目を合わせて小さく頷く。


「分かりました。すぐに上の者を呼んできますので、もう少々お待ち下さい」


 この後、受付嬢の上司が呼ばれて詳しく自分達の体験を語ることになる。

 尚、その情報を知ったギルド職員が何人かの冒険者に話を聞いたところ、同じように自分達の活動している階層で出て来るものよりも強力なモンスターと遭遇したという話が数件程発覚し、この現象の対策に追われることになる。






 地上のギルドでそんなことになっているとは知らないレイ達一行は、相変わらず地下6階を進んでいた。


「はあああぁぁっ!」


 エレーナの気合いの声と共に連接剣が振るわれ、鞭状になった剣先が突き進み、ストーンパペットの四肢へと絡みつき、次の瞬間には魔力を流された刃によって切断される。

 四肢を切断されたストーンパペットは当然それ以上動くことが出来ず、連続して繰り出された突きにより身体を構成している石の殆どが砕けて命を絶たれた。


「……確かに先程ヴィヘラが戦ったストーンパペットに比べれば、随分と弱く感じるな」

「でしょう? と言ってもさっきのが異常だっただけで、これが普通のストーンパペットなのよ」


 魔石を取りだしているレイを見ながら呟くヴィヘラ。

 その表情に浮かんでいるのは、激しい戦闘を出来無いという欲求不満の思い……ではなく、現在のダンジョンのおかしい様子だった。

 この地下6階でのみ起きている異常ではなく、ダンジョン全体に何らかの理由で異変が起きているのを危惧しているのだ。

 ……とは言え、その危惧している理由というのが、このままダンジョンの異変が広がって中に入ることが出来なくなれば強いモンスターと戦うことが出来ないという理由なのがヴィヘラらしいと言えば、らしいのだが。


「どちらにしろ、地下7階までは降りるんだろう?」

「ええ、その方がいいと思うわ。レイやエレーナにしても、いざという時の為に転移装置で転移出来る階層を増やしておいた方がいいでしょう?」

「……なるほどな」


 ヴィヘラの言葉を聞き、溜息と共に言葉を吐き出すエレーナ。


「どうしたんだ?」

「いや、何でも無いさ。ただ、油断出来ない奴だと再認識しただけだよ」


 エレーナの言葉にレイは首を傾げつつ、特に問題は無いだろうと判断してストーンパペットの残骸をミスティリングに収納する。


(レイや私により強力なモンスターとの戦いを経験させ、その実力を見極めると共に更に戦闘力の上昇を図るか。今はともかく、時間が経つにつれて危険になりそうな女だな。注意しておくにこしたことはない、か)


 そんな風に考えつつ、一瞬だけ横目でヴィヘラへと視線を向け……思わず背筋に冷たいものを感じる。

 笑っていた。そう、エレーナが自分の言葉で何を想像し、そして理解したのかを承知の上で笑みを浮かべていたのだ。

 これが焦りや怒りといった感情であればエレーナも納得しただろう。だが、浮かべているのは笑み。それも自信に満ち、慈しみすら感じさせるような笑み。

 その笑みを見つつ、それでもエレーナは表面上は無表情を通しながらもヴィヘラの中に眠る闘争本能という言葉ですら生温いナニカに強い警戒感を抱く。


「どうしたんだ? さっさと進むぞ」


 そんな2人へとレイは何も感じた様子も無く声を掛ける。

 そう、そのこと自体が現状の異常さを良く表していた。何しろレイは他人の悪意には酷く敏感である。そんなレイが、ヴィヘラの笑みを向けられているにも関わらず何も反応していないのだから。


(……今は無理だが、今夜にでもレイにこの件を話して……いや、迂闊に話せばそれをヴィヘラに悟られて、妙な手を打ってくるかもしれないか。レイは基本的に隠しごとが苦手だしな)


 内心でそう考えつつも頷き、ダンジョンを先に進むべく歩みを開始する。

 その順番は、地下6階に降りてきた時と同様に先頭がビューネとヴィヘラ、真ん中がレイとエレーナ、最後尾にセトとイエロとなっている。

 そんな風に歩きながら、ビューネは時折後ろにいるレイの方を見ながら進んで行く。

 金を稼ぐ必要があるビューネにとって、ストーンパペットの残骸全てを収納出来るレイのミスティリングは非常に羨ましい――それを理解出来たのはビューネとの付き合いが長いヴィヘラくらいだったが――のだろう。

 ある程度の魔力がある故に、錬金術の素材や武器や防具の素材、あるいは建築用の建材としても使われているストーンパペットの身体を構成する石は重さを考えなければそれなりに良い稼ぎになるのは間違いが無かったのだから。


「……ん? どうした?」


 さすがにじっと視線を向けられれば気になるのか、ビューネへと尋ねるレイ。

 だが、本人はプイッと視線を向けてそのまま周囲を警戒しながら進んで行く。


「嫌われたか?」

「ふふっ、別にそうじゃないわよ。ビューネは色々とお金が必要だから、レイの持っているアイテムボックスが羨ましいんでしょ」


 先程浮かべていた笑顔は既に消え、ヴィヘラはいつも通りに艶のある微笑を浮かべつつレイに答える。

 その様子に一瞬だけ表情を厳しく引き締めながらも、エレーナは特に何を言うでも無く周囲の警戒を続けていた。

 勿論こうして会話を続けているレイとヴィヘラも、同様に周囲の警戒を続けてはいるのだが。


「んー……」


 再び上目遣いにレイを見上げるビューネだが、相変わらずの無表情である為か可愛さの類はそれ程無く、レイの心を揺さぶることは出来なかった。


「さすがに討伐証明部位とは違ってアイテムボックスはやれないな」


 オークの討伐証明部位である右耳を渡しはしたが、レイが冒険者をしている上で最大の……それこそ、レイ自身が持っている莫大な魔力よりも重要なミスティリングを渡すようなことはさすがにしないらしい。


「あら、残念だったわね。ただ、もう少しお金に余裕があればアイテムボックスはともかく、マジックポーチなら買えるんじゃない? ここ数年でかなり稼いだんでしょ?」

「……ん」


 ヴィヘラの言葉に、小さく首を振るビューネ。

 確かにビューネはその才能と金を稼ぐという意志、そしてヴィヘラの協力もあってランクD冒険者としてはかなりの額をこの半年で稼いでいた。それこそ、ランクC……いや、ランクB冒険者並の額を。

 だが、その稼いだ金の殆どは屋敷の維持や借金の返済に使われてしまい、手元には殆ど残っていない。その残っている金額に関しても、ダンジョンの探索に使う消耗品や、武器防具の補修、買い換えといった費用に消えていくのだから、実際にビューネが自由に使える金額は殆ど残っていないと言ってもいい。

 マジックアイテムの中でも高価なマジックポーチを買う金は、どこを探しても出てこない。

 ビューネがダンジョンに潜っている理由の1つが、実はそのマジックポーチだった。正確には空間魔法が付与されている道具と言うべきか。

 アイテムボックスの数が稀少であるというのは、今も昔も……そして古代魔法文明自体があった頃もそう変わりは無い。現在よりも数多くアイテムボックスはあったのだが、それでもやはり少ないのは事実である。それ故、マジックポーチのように空間魔法が付与されたマジックアイテムは数多く作られてきたのだ。

 ……勿論、その全てが無事に残っている訳では無く、何らかの理由で壊されたりして失われた物も多い。それに空間魔法を永続的に付与するというのは通常のマジックアイテムを作るよりも遥かに難しい為、アイテムボックス程では無いにしてもマジックポーチもまた稀少品であるというのは変わりないのだが。


「さ、とにかく地下7階に向かいましょう。そしたら地上に出て、ギルドの方に顔を出さないといけないしね」


 ヴィヘラの言葉に頷き、レイ達一行はそのまま地下6階を進み続け……幾度かの戦闘で遭遇したモンスターを鎧袖一触とばかりに薙ぎ倒しながら、地下7階へと到着。その後はマジックテントの中で全員揃って遅めの昼食を食べてから魔法陣を使って地上へと戻るのだった。

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