第405話

「あの人は……凄いな」


 レイの隣で、ヴィヘラの戦いを見守っていた弓術士の男が呟く。

 それを聞いていたビューネは自慢するかのように、胸を張る。

 もっとも表情が殆ど動かないので、弓術士の男にはそれを理解出来なかったが。

 ……ただ、そんなビューネを見て何かを思い出すかのように視線をあらぬ方へと向け……次の瞬間、思わず息を呑む。

 自分の目の前にいるのが誰なのかは分かったのだろう。

 エグジルに来たばかりの男だったが、それでも迷宮都市の礎を築いた4家のことは聞き及んでいる。そして、4家のうちの1つが既に没落していることも。

 10歳程という幼い少女の盗賊というのは珍しく、それ故に特定出来たのだろう。さすがにフラウト家と言うべきか、知る人ぞ知るといったヴィヘラとは違って弓術士の男にしてもあっさりと見当がつけられたらしい。

 それでも表情を変えただけで、助けて貰ったという態度を変えない辺りは立派だと言えるだろう。


「その、助かった。さっきも言ったが、まさかあんなにストーンパペットが強いだなんて思わなくて」

「確かにマッドパペットとは随分と違っていたな」

「ああ、俺達もマッドパペットとは何度か戦闘をしていたから余裕はあると思っていたんだけど……出会い頭に盗賊が攻撃されてこの様だ。不幸中の幸いと言うべきか、死んだ訳じゃなくて気を失っているだけ……」


 弓術士の男がそう言った、その瞬間。


「ふざけるなっ! あの石ころ野郎は俺の獲物だったんだぞ! それが何を勝手に横からしゃしゃり出てきてやがる!」

「おい、助けて貰ったんだからそんな口の利き方は無いだろ。分かっている筈だ、俺達だけではこのストーンパペットには勝てなかったって」


 そんな声がレイと弓術士の男の耳へと聞こえてきた。

 弓術士の男が慌てて声の聞こえてきた方へと視線を向けると、そこではヴィヘラへと噛みつかんばかりに怒鳴りつけているラムロスの姿があり、ハンマーを持った男が窘めている。

 そんな怒声を浴びせかけられているヴィヘラだったが、本人は毛程も気にした様子が無く手甲や足甲の様子を確認していた。

 前日の夜に武器の調整をして貰っているので、その様子を確認しているのだろう。

 だが、そんな風に無視されたラムロスとしては到底我慢出来る話ではない。自分の言葉を聞く価値も無いとばかりのヴィヘラに、額に血管を浮かび上がらせ……


「止めるんだ、ラムロス!」


 再び何かを怒鳴ろうとしたラムロスへと、急いで駆け寄った弓術士の男が鋭く叫ぶ。


「メノス、何で止めるんだよ! こいつらは勝手に俺達の戦闘に乱入してきたんだぞ!」


 矛先を変え、ラムロスは弓術士の男へと怒鳴り声を上げる。

 その様子を横目で見ていたヴィヘラは、一瞬だけそちらへと視線を向けて呆れた様に溜息を吐く。

 そう、どうしようも無い馬鹿を目にした時にするように。

 当然そんな風に溜息を吐かれ、頭に血が上りやすいラムロスが我慢出来る訳が無い。再度矛先を変えてヴィヘラへと怒鳴りつけようとして……


「落ち着け!」


 その声と共に弓術士の男、メノスの平手がラムロスの頬を打つ。

 一瞬何が起きたのか分からなかったのだろう。だが、すぐに自分が殴られたということに気が付き……


「いい加減にしろ、見苦しいぞ。カルサナを守れなかったのを他人に……それも俺達を助けてくれた恩人達に八つ当たりするような真似をするな、みっともない」


 ハンマー使いの男もまた、メノス同様の意見なのだろう。溜息を吐きながら低い声でラムロスへとそう告げると、改めて視線をヴィヘラの方へと向ける。

 下着のような服の上に薄布を幾重にも纏っているような、まるで踊り子にしか見えないその姿。

 ただし普通の踊り子と違うのは、両手足に装備されている手甲と足甲だろう。男の欲情を掻き立てるかのような扇情的な衣装と、手足を覆っている強烈な印象を残す手甲に足甲。そのアンバランスさが、余計にヴィヘラに対する印象を強くしていた。


「うちのパーティーメンバーが済まない。俺はエネルゲイア。青き空のパーティーリーダーをしているものだ」


 ハンマーを地面に置き、エネルゲイアと名乗った男が改めてヴィヘラへと頭を下げる。

 そこまでされて、ようやく相手をする気になったのだろう。あるいは手甲と足甲の状態確認を終えたのか、ヴィヘラもエネルゲイアと名乗ったハンマー使いの男へと視線を向ける。


「ようやく話の分かる男が出て来たのね。……で、どうするのかしら? このストーンパペットはこっちで貰ってもいいの?」

「おいこら! こいつと最初に戦っていたのは俺達だぞ!」

「……ふぅ。貴方、いい加減にしてくれる? そもそも、貴方の剣じゃ全く手も足も出なかったじゃない。倒したのは純粋に私1人の力よ? 役立たずなのは夜だけにしておいて欲しいわね」


 ピキリ。

 ヴィヘラの言葉を聞いていたラムロスの額に、再び血管が浮き上がった。

 だが、ヴィヘラとしても言いたい放題に言われていて面白い訳が無い。そのまま蔑むような視線をラムロスに向け、口元に挑発するような笑みを浮かべる。


「おい! おま……」

「止めろ! 今のはどう考えてもお前が悪い! 分かってるだろ、あのままじゃ俺達はこのストーンパペットにやられてたんだ。それを助けて貰った、謂わば命の恩人だぞ! それに、お前は彼女に突っかかるよりも先にやるべきことがあるだろ!」


 エネルゲイアの言葉に、ラムロスは小さく息を呑み慌てて通路の隅で寝かされている恋人へと視線を向ける。


「カルサナ!」


 持っていた剣を鞘に収めるのももどかしいのか、その場に放り投げてから慌ててそちらへと向かう。

 その際、ストーンパペットに幾度も叩きつけて限界が来ていたのか地面にぶつかった長剣は刀身半ばで折れてしまったのだが、それに気が付いたのはラムロス以外の者達だけであり、本人は全く気が付いた様子も無いまま走り去っていく。


「あー……改めて礼を言わせて欲しい。君達のおかげで助かった。ありがとう。君達は命の恩人だよ」

「ふふっ、彼はそうは思っていないようだけどね」

「そう言わないでくれ。ああ見えて普段は人に対する思いやりを忘れない奴なんだが、いきなり恋人が怪我をして意識不明だからな。焦る気持ちは分かるんだよ」

「そうね。けど、それを理由にして私に八つ当たりされるのはちょっと嬉しく無いんだけど?」

「分かっているさ。後で奴にはしっかりと言い聞かせておく」

「そ。別に私としてはあの程度の強さなら興味ないからいいんだけどね。それよりも、このストーンパペットは私が貰ってもいいのよね?」

「勿論だ。俺達が出来たのはただの時間稼ぎだけなのは自分自身が一番良く分かっている。持っていってくれ。それでいいな?」


 ヴィヘラの言葉にエネルゲイアは弓術士のメノスへとそう声を掛けると、異論は無いと頷く。


「正直、ストーンパペットがこうも強いとは思わなかった。マッドパペットなら何度か倒したんだが……俺達にとってこの地下6階というのは随分と荷が重かったみたいだな。もう少し実力を付けてから出直そう」

「ああ、カルサナの回復も待たないといけないし」


 エネルゲイアとメノスが、お互いに溜息を吐きながら頷く。

 だが……


「んー……ん!?」


 その言葉を聞いていたビューネが、チョコチョコと地面に倒れて既に動きを止めているストーンパペットを見ながら、思わず声を上げる。


「ビューネ、どうしたんだ? ……困ったな、私ではビューネが何を言っているのかはっきり分からない」

「まぁ、そもそも『ん』だけで意思疎通を図るのがおかしいんだけどな」


 エレーナの言葉に、レイが苦笑を浮かべながら同意する。

 だが、そのおかしい出来事を平気でやれる人物がこの場には存在していた。いや、意思疎通云々という話では無く、ストーンパペットと戦った者としてその異常さに気が付いていたのだ。


「このストーンパペットは変だって言ってるのよ」


 その言葉に首を傾げたのは、ストーンパペットの戦闘経験が無い者……即ち、口を開いたヴィヘラとストーンパペットの身体をペタペタと触って調べているビューネ以外の全員だった。ラムロスですら、地面に倒れているカルサナの近くで視線をヴィヘラへと向けている。

 その場にいる殆ど全員の視線を向けられたヴィヘラは、小さく肩を竦めてから口を開く。


「確かにストーンパペットはマッドパペットよりも強いわ。けど、マッドパペットと比べて桁外れに強いって訳じゃない。いいところ、ドングリの背比べといったところよ」

「待ってくれ。俺達はマッドパペットとも戦っている。だが……」


 ヴィヘラの言葉にエネルゲイアが思わずといった様子で口を挟む。

 それを見ていたヴィヘラは、分かっているとでもいうように小さく頷く。


「そう、明らかにこのストーンパペットは強かった。いえ、ストーンパペットと考えれば強すぎると言ってもいいわ。ビューネ、どう?」

「ん」


 ヴィヘラの言葉に頷き、エネルゲイアのハンマーによる攻撃で地面に落ちていたストーンパペットの破片を手に取りヴィヘラへと手渡す。

 それをじっと見て、メノスが何か口を開こうとした時。


「やっぱりね。これは石じゃないわ。いえ、正確には石じゃ無く何らかの魔法金属になりかけている鉱石と表現した方が正しいかしら」

「ちょっと待って欲しい。それはつまり、このストーンパペットは……」


 メノスの言葉を最後まで聞かずに頷くヴィヘラ。


「ええ、恐らくは希少種……あるいは上位種なんでしょうね」

「……また、か?」


 ピクリ。

 レイが口の中で呟いた言葉を聞いたヴィヘラの眉が動き、視線をレイへと向ける。


「レイ、『また』ってどういう意味かしら?」

「ん? ああ、上の階層でソード・ビーの女王蜂らしい相手と戦ったんだよ。そっちも本来ならその階層に出て来るような敵じゃなかったという話だ」

「そうだな。普通に戦う分ならまだしも、あの女王蜂はソード・ビーに対して稚拙ながらも戦術行動を取らせていた。それを考えればソード・ビーよりも高ランクのモンスターであるのは間違い無いだろうな」


 レイの言葉にエレーナが同意するように頷き、それを聞いて数秒程考えていたヴィヘラがビューネへと視線を向けて尋ねる。


「……ビューネ、どう思う? 私よりも長年このダンジョンに潜ってきた貴方にしてみても、これはおかしい話かしら?」

「ん」


 いつものように一言だけ呟き頷くビューネだったが、その瞳にはどこか厳しい色が浮かんでいる。

 もっとも、それを感じ取れるのはヴィヘラくらいだったが。


「そうよね。明らかにおかしいわ。今までこんなことは殆ど無かった。……となると、何かが起きている? けど、何か? ……その辺はちょっと分からないか。もう少し詳しく調べてみないと」


 呟きながら、視線をエネルゲイアとメノスの方へと向けるヴィヘラ。


「ねえ、貴方達。こんな状況になったからには、今日はもうダンジョンを脱出するんでしょう?」

「あ、ああ。勿論だ。さすがに盗賊がいない状況でダンジョンを探索しようとは思わない。それに、盗賊のカルサナ以外にも問題はあるしな」


 そう告げたエネルゲイアの視線の先にあるのは、ラムロスが放り投げた為に刀身半ばで真っ二つに折れた長剣だ。

 パーティのメインアタッカーの1人でもあるラムロスの武器が折れてしまっている状態で、これ以上この地下6階を探索するような真似は自殺行為以外のなにものでもない。

 勿論ここまで来ることが出来たのだから、ラムロスもある程度以上の実力を持っているのは事実だ。そして、当然の如く予備の武器も持ってはいる。だが、それでも予備はあくまでも予備であるダガーであり、今まで使っていた長剣と比べると1段、2段と落ちるのは事実だった。


「あー、やっぱりポーターを連れてくるべきでしたね。そうすれば、予備の長剣を持って貰うことも出来たんですけど」


 メノスが溜息と共にそう呟くが、エネルゲイアは溜息を吐いて小さく肩を竦める。


「確かにそうだったかもしれないが、俺達のパーティは元々ポーター無しでやってたからな。そもそも、ダンジョンに潜るのにここまでポーターが必須だとは思わなかった。……けどまぁ、怪我をしたとは言っても全員命はあったんだ。それを考えればマシだろ。で、えっと、俺達が上に戻るんなら、どうしろと?」

「この件をギルドに伝えて欲しいのよ。何か妙なことが起きているかもしれないってね」

「まぁ、そのくらいなら構わないけど……お前さん達は? あんた、深紅だろ? それくらいの人が説明した方が説得力があるんじゃ無いのか?」


 セトを撫でながら周囲を警戒していたレイへとエネルゲイアは声を掛けた。

 自分のことが知られているのはセトを連れている以上半ば予想していたが、すぐに答えずにヴィヘラの方へと視線を向ける。


「あいにくと私達はもう少しこの辺を……出来れば地下7階辺りも調査してみるわ。このストーンパペット以外にも何らかの異変があるかもしれないし」

「……そうか、そういうことならしょうがない。ならその辺は任せるよ。この状況で俺達が無理を言っても足手纏いにしかならないしな。ラムロス、行くぞ!」

「ああ、分かった」


 エネルゲイアの声に頷き、気絶しているカルサナを背負ったラムロスがヴィヘラの前を通り過ぎる時……


「無意味に当たって悪かったな。助けてくれてありがとよ」


 短く礼を言ってから去って行くのだった。

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