第403話

『風の刃よ、我が敵を斬り裂け』


 呪文が唱えられ、魔力によって世界が変容し、エレーナを中心にして風の魔力が集まる。


『エア・カッター!』


 その言葉と共に魔法が完成し、20近くの風の刃が放たれた。

 風の刃という不可視の攻撃は、グチャ、グチャ、と汚らしい足音を立てながら近づいて来ていたマッドパペットの身体を幾重にも分断し、やがて身体を形成出来るだけの力を失い地面へと崩れ落ちる。

 後に残ったのは魔力を纏った泥と、その泥の中に埋まっている魔石。


「なるほど。炎の魔法は駄目でも、風の魔法なら問題無いようだな」

「そうね、問題になっているのは泥の水分を蒸発させて土にしてしまうことだから、風の魔法でなら問題は無いでしょうね」


 エレーナの呟きに、ヴィヘラが同意するように頷く。

 そんな横では、早速とばかりにビューネが泥の中から魔石を取り出し、レイへと手渡していた。


「ん」

「ああ、分かってる」


 その言葉と共にミスティリングから取り出されたのは、流水の短剣。魔力を流して生み出された水で魔石を洗い、そのままミスティリングの中に収納する。

 その後は樽を取り出して4人で泥を詰め、そちらもまた収納する。


「……何だか妙に手間が掛かるな」


 溜息を吐きながら呟くレイ。

 魔石を洗うというのはともかくとして、マッドパペットの身体を形成していた泥を樽に詰め込むという作業は10分程掛かっている。

 そんな回数が既に3回。確かにマッドパペットを倒す度に移動を止めて泥を回収して……となると、時間が掛かっているのは事実だろう。

 だが……


「モンスターから素材を剥ぎ取ったりするのに掛かる時間を考えれば、短いと思うわよ?」

「……なるほど」


 事実、収入という点では身体を形成している泥の全てが錬金術の素材として買い取って貰えるのだから、普通のモンスターと違って無駄に捨てる場所が無いのは事実だった。

 もっとも、当然泥を持ち帰るとなればそれ相応の重さになるので、最低限ポーターがいなければこの泥を回収するのは不可能なのだが。更に樽のような入れ物も別途用意しなければならないので、普通のパーティーにとってマッドパペットは美味しい獲物ではない。マッドパペット1匹分の泥を持ち帰るのなら、それ以上の魔石やらもっと高価な素材やらを持って帰った方がより多くの収入を得られるのだから。

 今回はレイがミスティリングの中に貯め込んでいた樽があったので、持ち帰るのに苦労することは無かったが。

 それ故に、マッドパペットの泥やストーンパペットの石材を持ち帰るのはアイテムボックス……とまではいかないが、エレーナのようにマジックポーチを持っている人物がいる場合が殆どであった。

 中には、転移装置で目的の階層に直接転移出来るというのを利用して荷車を引っ張って地下6階に転移、そのままマッドパペットやストーンパペットを倒して素材をまるごと回収するという猛者も存在している。

 マッドパペットの素材回収を完了したレイ達は再びダンジョンの地下6階、洞窟の中を進んで行く。

 たまに罠が存在しており、それを見つけたビューネがレイやエレーナへと罠の存在を教えつつ、解除方法を教えたりもしていた。

 ただし基本的に言葉を話さないビューネなので、見て覚えろとでもいうような、どこかの職人のような教育方法だったが。

 そんな風にして洞窟の中を歩いていると、先頭を歩いているビューネが手を伸ばして停止の合図を出す。


「また罠?」

「ん!」


 ビューネはヴィヘラの言葉に小さく頷き、レイ達をその場に残すと5m程先行して地面にしゃがみ込み、罠の解除を開始する。

 この際にレイやエレーナを招き寄せなかったのは、それだけ危険な罠だったからだろう。

 事実、ビューネの作業している場所へと視線を向けたレイは、地面から20cm程の高さの場所に存在している細い蜘蛛の糸のようなものを見ることが出来た。その蜘蛛の糸のようなものは洞窟の壁へと繋がっており、その壁の更に上、天井の鍾乳石まで続いている。

 それを見れば、レイにも現在ビューネが解除している罠がどのようなものかは半ば想像がついた。恐らく、あの蜘蛛の糸のようなものに触れると頭上の鍾乳石が落ちてくるのだろうと。 

 更に悪辣なのは、トラップのスイッチが蜘蛛の糸のようなものになっていることだろう。細く、軽い。特にダンジョンの中を探索している冒険者なら大抵は防具を装備しているので、糸に触れても気が付かないのだ。

 レイ達の中で最も装備している防具が少ないヴィヘラにしても、足甲は脛までを包んでいるので高さ20cmの場所に張られている糸に触れても気が付かないだろう。あるいは防具をつけていないセトなら感触で分かるかもしれないし、それ以前に鋭い視覚で見つけられるかもしれないが。


「随分と物騒な罠だな」

「あら、分かったの?」


 意外、と驚きに小さく目を開きながら視線を向けて来るヴィヘラへと頷くレイ。


「む? 罠の正体が分かったのか?」


 そんなレイに、見ただけでは罠を判別出来なかったエレーナが尋ねてくる。


「ああ。簡単に言えば、鍾乳石を頭上から落とす罠だな。あれだけの大きさの鍾乳石が頭上から落ちてくれば、何も知らない者ならまず間違い無く死ぬだろう。……地下6階になってから、急に罠の危険度が上がっているように見えるな」

「そうね、実際この地下6階に来たばかりの初心者だと、この類の罠に引っ掛かって死んだり重傷を負う者も少なくないわ。一応ギルドの方で注意はしているらしいんだけど、ここまで来た自分達なら大丈夫だと自信過剰になったパーティとかね」

「どこでもそういうのはいる……ん?」

「グルルゥ」


 レイが何かを言おうとしたその時、周囲を警戒していたセトが警戒に喉を鳴らす。

 その視線は、これからレイ達が進もうとしている通路の先へと向けられていた。


「どうやら新しい敵のお出ましらしい。……またマッドパペットか?」


 呟き、すぐに首を横に振る。

 これまで何度となく聞こえてきた、グチャ、グチャ、という足音が聞こえてこないからだ。そして、まだ遭遇したことの無いストーンパペットが立てるであろう石が地面を叩く音も聞こえてこない。


(となると、ウィンド・バットか? いや、他にも罠が仕掛けられている以上はそれ以外のモンスターの可能性もあるか)


 そんな風に考えていると、不意に何かが自分目掛けて飛んでくるのに気が付き、反射的にデスサイズを振るうレイ。

 その瞬間、見えない何かとデスサイズの刃がぶつかり……呆気なく見えない何かが砕け散る。

 それでも殆ど反射的にその何かの正体を掴めていたのは、少し前に似たような攻撃方法を見ていたからだろう。


「風の刃、か?」

「そうね。ウィンド・バットらしいわ。ビューネ!」

「ん!」

「おい、ヴィヘラ?」


 こちらへと戻ってこようとしていたビューネにヴィヘラが声を掛けると、分かっているとでも言いたげに小さく頷き、何故か罠のあった方へと戻っていく。

 それを見ていたエレーナが尋ねるが、ヴィヘラは笑みを浮かべたままで何を答えるでもなくじっと通路の先を見据えていた。

 そんな2人が何を狙っているのか。それが明らかになったのは、通路の先から音も無く体長1.5m程の巨大な蝙蝠が姿を現した時だ。


「今よ!」


 ヴィヘラのその声と共に、罠の近くでじっと気配を殺していたビューネが糸を切り、同時に素早くレイ達の近くまで戻って来る。

 そして糸を切ったのだから、当然罠が起動して天井から生えている鍾乳石が幾つも降り注ぐ。……ただし、レイ達の頭上ではなくウィンド・バットの頭上へとだが。


「おい、こっちまで降ってこないだろうな?」


 尖った鍾乳石がウィンド・バットを貫きながら地面へと叩きつけられたのを見て、思わず尋ねるレイ。

 そんなレイの隣では、セトもまた喉を鳴らして心配そうに幾つもの鍾乳石が降り注いでいる光景を見据えていた。


「大丈夫よ。この階層付近の罠なら、効果範囲はそれ程広くないの。罠のあった場所を中心にして半径数mってところね。だからこそウィンド・バットを引きつける必要があったんだし」


 当然といった風に鍾乳石に押し潰されたウィンド・バットを見ながら言葉を返す。

 幾つもの鍾乳石が落下した影響で、地面には鍾乳石が小さな山となっている。そんな状況である以上、当然ウィンド・バットは鍾乳石に完全に潰されており、身体の一部分どころか流れている血すら見えない。

 もっとも、この場にいるのは人外の身体能力や五感を持つレイに、エンシェントドラゴンの魔石を継承したエレーナ、グリフォンのセトに、小さいとは言ってもドラゴンのイエロ、盗賊として通常の冒険者よりも五感の鋭いビューネに、戦闘狂であり相応に五感が発達しているヴィヘラと、全員が全員鋭い五感を持っているので鍾乳石の方から漂ってくる血の臭いは十分に嗅ぎとれていたのだが。


「こういう風に、盗賊がいればダンジョンに仕掛けられた罠を利用してモンスターにダメージを与えることも出来るわ。レイやエレーナは盗賊じゃ無いからあまり役に立たないかもしれないけど、覚えておいて損をすることはないでしょ」

「確かに勉強にはなったな。まさか罠を逆に利用するとは思わなかった」

「ま、当然こんな真似をするには相応の技量が必要になるでしょうけど。少なくても素人の私やエレーナ、貴方には無理だと思うわよ」

「それくらいは分かっているさ。そもそも私に盗賊技能といったものはないからな」

「あら、ちょっと意外ね。てっきり何かを言い返してくるとばかり思ってたのに」


 これまでの……特に、前日の夜のレイとの出来事を考えれば、自分の意見に大人しく同意するとは思わなかったのだろう。ヴィヘラは小さく驚きの表情を浮かべる。

 だがそんなヴィヘラに対し、エレーナは小さく鼻を鳴らして口を開く。

 もしその様子を見ているのが同じ女でなければ、見惚れていたかもしれない仕草で縦ロールの金髪を掻き上げながら。


「確かにお前に思うところは色々と……本当に色々とある。だが、それはダンジョンの中という危険な場所で語るべき話では無い」


 そこまで告げ、思わず内心で安堵の息を吐くレイを横目で睨みながら再び口を開く。


「その件に関しては、今日ダンジョンを出た後でレイにしっかりと説明をして貰うつもりだしな。だから今は気にする必要が無い」

「あら、そうなの。……嫉妬深い恋人を持つと大変ね」


 小さく笑みを浮かべてレイへと声を掛けるヴィヘラに、思わずジト目を向けるレイ。

 どう考えても、お前のせいでこんな目に遭っているんだぞと抗議を込めて。

 だが、ヴィヘラはそんなレイの視線を向けられても気にした様子もなく地面で山になっている鍾乳石へと視線を向ける。


「ウィンド・バットはどうするの? わざわざ鍾乳石を寄せて魔石とか討伐証明部位の牙はともかく、素材の剥ぎ取りは潰れているのを思えばちょっと難しいと思うけど」

「素材は……翼と目玉だったか?」

「ええ。ただ、間違い無く頭部は潰れてるでしょうし、翼も破けていると思うわよ」

「……まぁ、いい。ウィンド・バットの魔石は入手してないから俺がやる」


 そう告げ、レイはセトと共に鍾乳石の山へと近寄っていく。さすがに巨大な鍾乳石ではあっても、天井から地上へと落下すれば砕けている物も多くあり、1つ1つの大きさはそれ程でもない。また、中には殆ど壊れていない鍾乳石も数個程あったが、レイやセトの膂力があれば移動させるのはそう難しい話では無かった。


「砕けると光らなくなるんだな。……いや、違う。天井から外れるとか」


 レイ自身の身長と同程度の長さの鍾乳石を、ひょいとばかりに持ち上げながら呟くレイ。

 実際地面に落ちている鍾乳石から光は既に失われており、ごく普通の鍾乳石と化している。


「そうね。これで光ったままなら、多少はここに来る冒険者も多くなっていたかもしれないけど。この鍾乳石は光っている壁と同じで、ダンジョンから離れると光らなくなるのよ。……この辺の謎が解き明かされれば、どこの街でも都市でも村でも、もっと夜が明るくなるんでしょうけどね」


 残念そうにレイが持ち上げては通路の端に置いていく鍾乳石を眺めて呟くヴィヘラ。

 そんな言葉を聞きつつ、ようやくレイとセトはウィンド・バットの上に落ちてきた鍾乳石をどかすことに成功する。


「グルルルゥ」


 前足で鍾乳石を転がしながらもウィンド・バットを覗き込み、残念そうに喉を鳴らすセト。

 鍾乳石が大量に落ちてきたのだから、当然と言えば当然のことながらウィンド・バットは原型を留めない程に潰され、無事な場所は殆ど無い状態となっていたのだ。

 その無事な部分……とは言っても、それは討伐証明部位の牙が無事なだけであり頭部は砕けていた。

 一般人が見たら思わず眉を顰めそうになる光景を目にしつつ、レイは手を伸ばして牙をもぎ取る。


「魔石は……駄目だな」


 1番欲しかった魔石が鍾乳石により胴体諸共に砕け散っているのを見て溜息を吐く。


「言った通りでしょ? まぁ、それでも討伐証明部位の牙を回収出来ただけでも良しとしましょう。……ビューネ、そっちはどう? 新しいモンスターの気配は?」

「ん!」

「エレーナは?」

「こっちも問題無い。……と言うよりも、ビューネが警戒している以上は私が警戒しても意味が無いのでは無いか?」


 エレーナの言葉に、意味あり気な微笑を浮かべるヴィヘラ。


「そうね、そうかもしれないわ。……けど、ビューネとパーティを組めたのは偶然でしょう? なら慣れておくに越したことはないわ。それよりも、もう進めるのなら進みましょうか」


 ヴィヘラの言葉を合図にして、レイ達は再び洞窟の中を進んで行くのだった。

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