第401話

「グルルルルルゥッ!」


 ダンジョンの通路にセトの鳴き声が響き、同時に剛力の腕輪が装備されている前足を振るう。

 鷲爪の一撃は、体重100kgを優に超えるオークの胴体へと命中してあっさりと吹き飛ばす。

 肋を砕かれつつ吹き飛ばされたオークは、更に追撃のダメージとばかりに壁へと強く身体を打ち付けられ、声も出ない状態になり……


「ん!」


 痛みと衝撃で動きを止めたその数秒で懐に潜りこんだビューネの振るう2本の短剣のうち右の短剣がオークの喉を斬り裂き、左の短剣が下顎から脳みそを狙って突き刺さる。

 その様子を見ていたレイが感心したのは、下顎から短剣を引き抜く時に短剣をオークの頭部の中で大きく上下左右に動かしながら引き抜いたことだ。ただ単純に短剣を引き抜いた場合、あるいは何らかの不運――オークにとっては幸運――で意識がまだあり、朧気な意識のままで反射的に反撃をしてくることもあるのだ。それを防ぐ為に頭部に突き込んだ刃を大きく動かし、意識を……そして命を奪う。その用心深さはレイにとって好ましいものだった。

 たまにヴィヘラとパーティを組む時もあるが、基本的にはソロでダンジョンに潜っているビューネだ。それだけに用心深さは自然と身に付き、敵を倒しきれずに油断をして反撃を受ける危険性は何度か経験して知っていた。それ故の行動である。

 だが感心するレイとは逆に、エレーナはビューネへと心配そうな視線を向けていた。

 エレーナにしても小さい時から戦いの経験を積んではきている。だが、それでも実戦に参加したのは10代も半ば程になってからのことであり、それまでは指導役の騎士との模擬戦が精々だったのだ。


「貴方があの子に対して同情心を抱くのは勝手だけど、だからと言ってそれを態度に出すのは侮辱になるわ。それを覚えておきなさい」


 そんな自分へと声を掛けてくるヴィヘラをエレーナは反射的に睨み返す。

 だがヴィヘラは、エレーナの責めるような視線を向けられても慌てることなく平然と見返すのみだった。

 数秒程視線を交差させた後で、そっとエレーナが視線を逸らす。

 分かっているのだ。自分の態度がヴィヘラの言っていたようにビューネに対する侮辱でしか無いというのは。だが、それでもまだ10歳程度の子供であるビューネが……それもソロでダンジョンに潜っているのをみれば、元々心優しいエレーナとしてはどうしても心配してしまう。

 そんな風に女2人でやり取りをしているのを尻目に、レイは素早くオークの討伐証明部位でもある右耳を切り取って魔石を取り出した後に死体をミスティリングの中へと収納する。

 オークの肉に関しては、以前食べてそこそこの味であることを知っているのでセトの食用になる予定だ。

 続いて魔石をミスティリングに収容しようとした、その時。


「ん」


 不意にドラゴンローブを引っ張られ、そちらへと視線を向けるレイ。

 そこでは何故か先程倒したシール・ワームの魔石を2個持ったビューネが、レイの持っているオークの魔石に視線を向けている。


「……ん?」

「あー……悪いけど、俺にはお前が何を言ってるのか感じ取る能力は無いんだよ。ヴィヘラ、分かるか?」


 感情を宿さない視線を向けて来るビューネに困り、ヴィヘラの方へと視線を向けるレイ。そんなレイの様子に、ヴィヘラは小さく肩を竦めて口を開く。


「別にそれ程難しい話じゃないわ。レイが1種類のモンスターにつき2つずつ魔石を集めているって話してたでしょ? で、シール・ワームの魔石は持って無いと。だから今倒したオークの魔石と交換して欲しいんだと思うわ。シール・ワームの魔石2個とオークの魔石1個なら、ランクの差もあって少しだけどオークの魔石の方が高く売れるし」

「なるほど。けど、俺がオークの魔石を持って無かったらどうしたんだ?」

「さぁ? それこそ、ある意味で断られて元々って思ってたんじゃない?」

「ん!」


 ヴィヘラの言葉に、そうだと頷くビューネ。

 一瞬どうするべきか迷ったレイだったが、既にオークの魔石はセトもデスサイズも吸収しているのだから交換に応じない方が損だと判断し、持っていた魔石をビューネの小さい手の平の上にそっと置く。


「ん」


 小さく頷き、次に視線をオークの討伐証明部位でもある右耳へと向け、再びレイへと視線を戻す。

 言葉にはしていないが、どう見てもそっちも欲しいと態度で示している。


「……ん」


 そのまま上目遣いでレイへと視線を向けて来るビューネ。

 数秒程考え、ここは盗賊でもあるビューネと仲良くなっておいた方がいいと判断したのか、小さく溜息を吐いて持っていた右耳も渡す。

 若干損失が多いかもしれないと思ったレイだったが、ビューネと一緒に行動するので罠に対しての警戒をしなくてもいいというのは明らかにメリットだったからだ。オークの討伐証明部位程度を渡すだけで、これからも臨時とは言ってもパーティを組めるかもしれないと思えば逆に安い出費だったと言えるだろう。これがオークの肉なら多少考えたかもしれないが。


「さて、話が纏まったところで先を急ごうか。この調子でいけば今日中に地下5階……いや、もっと下まで行けるだろうしな」


 微笑を浮かべてレイとビューネのやり取りを見守っていたエレーナの言葉に、その場にいる全員が異論が無く頷いて通路の歩みを進めていく。

 地下3階とは違い十字路が幾つもあるのではなく、普通の通路が続いておりたまに分かれ道がある。そんな、ある意味で普通のダンジョンの中をビューネの後をついて進む。

 時々出て来るモンスターも強くて通常のオーク程度であり、レイ達一行にしてみればビューネ以外は苦戦する相手ではなかった。

 厚い脂肪と強靱な筋肉を覆っている皮に小柄な体格故に重い一撃の放てないビューネは苦労していたが、それでも得意の針を投げて目潰しをしながら他のメンバーの攻撃をフォローするという役目で貢献していたのだが。

 そのまま数時間程歩みを続け……やがて地下5階へと向かう階段を発見する。


「……何と言うか、随分とあっさりとしているな。私とレイは、昨日まで階段を見つけるのに随分と時間が掛かっていたんだが」

「地図を買ったのに苦戦していたの?」


 この階層でも最初は地図を出そうとしたエレーナだったのだが、ビューネが道を完全に覚えていると言われて結局任せることにしたのだ。

 本来なら地図を持っていれば迷うようなことは無い、そう言いたげなヴィヘラにレイは苦笑を浮かべて口を開く。


「盗賊がいない時のことを考えて罠を発見しながら進んだり、あるいは思ってもいなかったモンスターとの戦いになったりしたからな」

「盗賊、ねぇ。……どうしても盗賊が欲しかったんなら、ダンジョン前の広場にいる聖光教の盗賊を雇っても良かったんじゃ無い?」


 そのヴィヘラの言葉に、エレーナは小さく肩を竦めてレイへと視線を向ける。


「レイがどうにも聖光教を……と言うか、宗教を好んでいないようでな。それさえ無ければ収入の3割というのは払っても構わないと思うが」

「……宗教が嫌いなの?」

「まぁ、正直に言えばそうだな。どうにも宗教には良いイメージがなくてな。それに収入の3割となると、魔石を始めとした素材を売った金額ならまだしも、俺達が狙っているマジックアイテムの類やモンスターの魔石の件で色々と揉めそうな気もするし」


 そんな風に会話をしながら地下5階の階段へと降りていくと……


『あ』


 そこにいた存在を目にし、思わずそう呟く。

 地下5階の階段周辺にいたのは、4人組の冒険者パーティ。それはいいのだが、問題はその中に聖光教の戦士が1人いたことだ。


「ん、あー……よう、お前さんあれだろ、グリフォン連れているってことは、噂の深紅。他にも色々と濃い面子のパーティだな」


 お互いの気まずさをどうにかしようと思ったのだろう、パーティのリーダー格らしい戦士の男がレイへと声を掛けてくる。

 確かにレイのパーティは深紅の異名をとるレイに、エグジルでは自らの美貌を使ってまで戦闘を好む狂獣のヴィヘラ、この地にあったダンジョンを見つけ出し、迷宮都市の礎を築いた4家の中の1つフラウト家の末裔、更には本人とギルド上層部の意向によって身分を隠されてはいるが、ヴィヘラに勝るとも劣らぬ程の凛とした美貌を持つエレーナ。

 確かにこれだけの濃い面子が揃っていれば人目を引くのは間違い無いだろう。


「確かに目立つ……か? まぁ、恐らくは今日限りのパーティだとは思うけどな。で、そっちは今来たところなのか?」

「ああ。ちょっとあってな。これからこの階層で魔石狩りだよ。今はとにかく魔石が足りないらしくてレビソール家に依頼されてな」


 レビソール家。その名前を聞き、ピクリとビューネの眉が動く。普段無表情なだけにその様子に気が付いた者は多かったが、フラウト家を始めとした4家のうちの1家なのだから無理も無いだろうと皆が流す。

 同時に、ヴィヘラは納得の表情で聖光教の戦士へと視線を向けていた。

 現在エグジルを治めている3家のうちの1つ、レビソール家が聖光教と親しい関係にあるというのは半ば公然の秘密である。そして何が理由なのかは明らかにされていないが、マースチェル家と競い合うようにして魔石を買い集めていることも。


(つまり、ギルドや店で買い漁るだけじゃ足りなくなって、冒険者に直接魔石の採取を依頼した訳ね。……何を考えているのやら)


 ヴィヘラは内心で疑問に思いつつも、それを表情に出すこと無くレイと男の会話へと耳を傾ける。

 やがて、お互いが軽い挨拶を済ませて男達の方が先にダンジョンへと進むことになったのか、小さく手を振ってから階段と魔法陣のある部屋から出て行く……前に、聖光教の戦士がレイの前に進み出る。


「君が宗教嫌いだというのは先程の話で理解した。しかし、私達は聖なる光の女神の祝福を受けた者だ。それを否定するような真似だけはして欲しくはない」

「ああ、悪いな。単純に俺が宗教を好きになれないというだけだ。別に特定の宗教を貶めるような気は無いさ」

「……そうか。個人的には、君のような前途有望な若者にこそ聖なる光の女神の祝福を受けて欲しいのだがな。是非1度教会の方に来て欲しい。そうすれば、君もきっと聖光教の教えを理解出来るだろう」


 笑みを浮かべてレイへと告げる聖光教の男だったが、その様子に微かに眉を顰めたレイはドラゴンローブのフードを被って表情を隠す。


「残念だが、俺にしてみれば宗教なんてのはどれも一緒だからな。悪いけど、聖光教とやらに入信するつもりはない」

「むぅ。勿体ない。君のような異名持ちの強力な戦力は是非とも欲しかったのだが」


 戦力。その言葉が出た時に数人がピクリと反応する。

 ヴィヘラもまたその中の1人だったが、それ以上は反応すること無く自分に見惚れている冒険者パーティの男へと流し目を向ける。まるで、何かを悟られないようにするかのように。

 それが合図になった訳でも無いのだろうが、聖光教の男は溜息を吐くとレイ達に向かって小さく頭を下げてパーティの方へと戻っていく。

 聖光教の男と合流したパーティの者達も、ヴィヘラの肢体に見惚れていた者を強引に引っ張りながら階段のある小部屋から出て行くのだった。


「全く、聖光教は新興宗教だからあまり勢力は強くないけど、宗教に喧嘩を売ったりするのはやめてよ?」


 レイと聖光教の男のやり取りを聞いていたヴィヘラがそう言うが、その口調は本気で言ってはいないというのは明らかだった。

 何らかの思うところがあるというのは事実なのだろう。


「ん」


 それはビューネもまた同様であり、レイのドラゴンローブを引っ張って背伸びをしながら肩を何度も叩いてくる。良く言ったとも、あるいはあんな風にやり取りをして大丈夫なのかとも思えるように。


「……それでどうする? このままダンジョンを進めば今の者達と行動を共にすることになるのではないか? そうなるとこちらも向こうも気分的に良く無いだろうが」

「心配いらないわよ。この地下5階はそれなりに複雑な迷路になっているから、そうそう向こうと出くわすことは無いと思うわ。……もっとも、それも絶対とは言えないけどね。その辺の判断に関してはレイに任せるけど……どうするの?」


 挑発的な笑みを浮かべて尋ねてくるヴィヘラに、ドラゴンローブのフードを下ろしたレイは笑みを浮かべて頷く。


「勿論行くさ。俺達……俺とエレーナの目的は、ダンジョンの深層部にあるマジックアイテムや未知の魔石を得ることだからな」

「そ。なら行きましょうか。向こうとは会わないように注意すれば大丈夫でしょ。……ビューネ、お願いね」

「ん」


 ダンジョンの通路をほぼ完璧に覚えているビューネは、ヴィヘラの言葉にいつもの無表情のままに頷き……そして、その通りに誰にも遭遇することなく地下6階へと向かう階段へと到着するのだった。

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