第399話

「ここは……ダンジョンの地下4階か?」

「ん」


 周囲を見回して呟くエレーナの言葉に、ビューネが小さく頷く。


「ビューネ、何だって私達をこんな場所に?」

「んー!」


 次に発されたヴィヘラの言葉に微かに眉を顰めて首を振る。

 その行為の意味を最初に悟ったのは、意外なことにレイだった。


「あのままあそこで周囲の見世物になっているのが嫌だったんだろ?」

「ん!」


 レイの言葉にその通り、とばかりに頷く。

 何故レイがそれを分かったかと言えば、レイ自身がそう感じていた為だ。レイ本人も当事者であると言うのは分かっていたが、あの状況で感じていた居づらさというのはビューネ自身と同じようなものだった。

 もっともレイ本人は事態の張本人であり、ビューネ自身は全く無関係の人物であったと考えると、あの場に対する居づらさというのは圧倒的にビューネの方が上だったろうが。


「ん!」


 そのまま3人全員へと向けて階段と魔法陣のある部屋から地下4階への通路を指差して短く告げる。

 それだけでビューネが何を言っているのか分かったのは、ビューネとの付き合いがそれなりに長いヴィヘラだったからだろう。


「いいの? 今日はもっと下の階層に向かうって言ってたのに」

「ん」


 ヴィヘラの言葉に問題は無いと頷くビューネ。その視線は、次にレイとエレーナ、セト、イエロの2人と2匹へと向けられる。


「え? レイ達も一緒に?」

「ん」

「……珍しいわね。基本的に人と組むのは好まないのに」


 そう告げるヴィヘラだったが、本人がそのビューネと組んでいるのは例外らしい。


「んー、ん」


 あるいは、基本的に『ん』としか口にしないビューネと意思の疎通が出来ると言うのが関係しているのだろう。

 2人の様子を見ながら、ふとそんな風に内心で思うレイ。

 数度のやり取りの後、やがてヴィヘラがレイ達へと視線を向けて来る。


「取りあえず今日は一緒に行動してみない? ビューネはそれがいいと言っているのだけど」

「……お前と、か?」


 微かに眉を顰めつつ尋ね返すエレーナだったが、ヴィヘラは小さく肩を竦めてそれを受け止める。


「私としてはビューネがそうしたいというなら構わないわ。それに、貴方がいなくてもレイがいれば問題ないしね」

「馬鹿を言うな。何だってレイをお前のような露出狂と一緒にしなければならないのだ。私とレイはパーティを組んでいるのだから、もしレイが残るというのなら当然私も一緒だ。……泥棒猫には監視の目が必要だしな」

「あら? 自分の魅力に自信がない女は大変ねぇ。レイもこんな堅苦しい女じゃなくて、私を選んだら? 私は縛るような真似はしないわよ?」


 レイへとそう誘いを掛けつつも、その視線が向いているのはエレーナだ。

 明らかな挑発だったが、それでもエレーナにとっては見過ごせないのだろう。鋭い視線でヴィヘラを睨みつける。

 だが、そんな目で睨みつけられたヴィヘラはと言えば、笑みすら浮かべて視線を返す。


「やるのかしら? 私としては全く問題無いわよ?」


 手甲を付けたまま構えつつエレーナへと挑戦的な目つきをするヴィヘラに、思わずレイが溜息を吐きながら声を掛ける。


「いや、問題あるからやめろ。それよりも、なんで地下4階なんだ?」


 強引に話を逸らすレイだったが、エレーナとしてもそれは気になっていたので取りあえずヴィヘラの件は横に置いておくことになる。

 ただし、既にエレーナの中でヴィヘラは注意すべき存在として刻み込まれていたが。

 自分がそんな風に思われているとは知らずに――ヴィヘラの場合戦闘を楽しむという目的では寧ろ歓迎するかもしれないが――ヴィヘラとビューネは軽く目を見開いてレイへと視線を向ける。


「知らないの? ……エレーナ、貴方も?」

「お前に名前で呼ばれる謂われは無いが……何の話だ?」

「……はぁ、ダンジョンを攻略している上で、普通は知ってる情報なんだけどね」

「ん」


 ヴィヘラの言葉に、当然だと頷くビューネ。

 その意味が分からなかったのだろう。レイとエレーナは顔を見合わせて首を傾げる。

 ……尚、何故かその隣ではセトとイエロも同様に首を傾げていた。


「ん」


 その様子がツボだったのだろう。ビューネはそっと手を伸ばしてセトとイエロの頭を撫で、2匹も大人しく撫でられている。

 そんな1人と2匹のやり取りをどこかほんわかとした気持ちで眺めていたヴィヘラだったが、すぐに我に返り説明を続ける。


「ダンジョンカードを使って自分が今まで来た階層に転移出来るというのは、これまでに何度も使っているんだから分かるでしょう?」

「ああ」

「その転移する際に一緒に行動している面子がいるとしても、あくまでも自分が今まで到達した階層にしか転移は出来ないのよ。例えば地下10階に到達した冒険者と、地下20階まで到達した冒険者が一緒に転移する場合は地下10階にしか転移が出来ない訳」

「……その一緒に行動するというのは誰が判断するのだ?」

「転移装置よ。ま、さすがに古代の魔法装置だけあって、色々と思いも寄らない能力を持っているんでしょうね。使用者の思考を読んでいるとかいう説もあるらしいけど、詳細は不明。何しろこれだけ稀少な転移装置ですもの。迂闊に調べて壊れたりしたら目も当てられないってことで、調査の許可は下りないらしいわ」


 ヴィヘラの説明に、思わず目を見開いて驚くレイとエレーナ。2人共が一応前もって色々と情報を集めてはいたが、その情報については初耳だったからだ。

 


「じゃあヴィヘラやビューネが地下4階に転移したのは、俺達がここまでしか達していないからってことなのか?」

「そうなるわね。……私としてはもっと強い敵のいる階層が良かったんだけど。ビューネはどう?」

「んー……ん!」


 少し考えた後で頷くビューネ。その顔には相変わらずこれといった表情は浮かんでおらず、無表情のままである。

 ただ、それでもある程度付き合いのあるヴィヘラはちょっとした仕草からその感情を読み取れるらしく、小さく笑みを浮かべて自分の胴体くらいまでの背しか無いビューネの頭をそっと撫でる。


(……へぇ。こういう表情もするんだな)


 その様子を見ていたレイは、思わず内心で呟く。

 今までレイが見て来たヴィヘラの表情といえば、レイを誘惑するような……あるいは挑発するようなものが殆どである。もっとも、挑発にしてもエレーナに対するものとレイに対するものでは色々と違っていたのだが。


「ほう、お前もそのような表情を浮かべるのだな。これはちょっと驚きだ。露出狂の泥棒猫という印象を改めなければならないか」

「……あら? あらあら? 姫将軍とか恥ずかしい異名を偉そうに名乗っている、自分の魅力に自信が無い女が何か言っているけど……これは私が喧嘩を売られているのかしら? 勿論私は買うわよ? 今なら大特価9割引で喧嘩を買ってあげるわ」


 エレーナの言葉を聞き、笑みを浮かべながら拳を構えるヴィヘラ。

 ただし笑みは笑みでも、ビューネを撫でている時に浮かべていたような優しげな笑みとは正反対の笑みだったが。


(同じ笑みでどうしてこうも……)


 思わぬ成り行きに、思わず溜息を吐くレイ。

 ビューネはそんなレイの肩を軽く叩き、必死に手を伸ばしてフードの上からその赤い髪を撫でる。


「ん」


 まるで励ますように撫でられていたレイだったが、視線を再びエレーナとヴィヘラの方に向けると小さく溜息を吐いてから口を開く。

 今日何度目の溜息なんだろう。そんな風に考えながら。


「ほら、とにかく喧嘩は無しだ。で、話を纏めるとビューネとヴィヘラは今日俺達と一緒に行動するってことでいいのか? 正直、かなり深い階層まで到達しているお前達にしてみれば、無駄足だと思うんだが」


 そんな当然と言えば当然のレイの言葉に、ヴィヘラとビューネは揃って首を縦に振る。


「あら? ビューネも? ……まぁ、いいわ。私としてはレイやそっちの堅物の戦闘を近くで見ることが出来るというのは大きいわ」

「ふんっ、誰が堅物だ」


 不満そうに呟くエレーナだが、ヴィヘラはそれを気にした様子も無くビューネへと視線を向ける。


「ん」


 その言葉と共に腰のポーチから取り出したのは数個の瓶だった。高さ5cm程度の小さな瓶であり、青いガラスのような物で出来ている。そして中には何らかの液体が入っているのを確認出来る。


「それは?」

「ああ、なるほど」


 レイの疑問と言葉を重ねるようにして頷くヴィヘラ。


「あれは何なんだ?」

「この地下4階で見ることが多い、シール・ワームというモンスターの体内から取れる液体よ。空気に触れると数秒で固くなるから、ああやって特殊な処理を施した瓶で保存するの」

「シール・ワーム? ……確か、名前通りに虫系のモンスターだったよな?」


 そう告げながら、脳裏で以前にモンスター図鑑に書かれていた内容を思い出すレイ。

 シール・ワーム。外見は体長50cm程の白い芋虫で、最大の特徴として口から液体を吐く。その液体は空気に触れると数秒で固くなり、対象の身動きを止めることが出来る。ただしある程度の力があればあっさりと砕ける程度の固さであり、モンスターランクもE。討伐証明部位は右の牙。剥ぎ取れる素材は討伐証明部位でもある牙だけ。


「液体というと、シール・ワームが口から吐き出す奴だよな? そんなのをどうするんだ?」

「ん!」


 そんなのと言われ、抗議するように瓶を突き出すビューネ。

 どこかいじけたような様子に、ヴィヘラは小さく笑みを浮かべながら口を開く。


「あまり知られてないけど、シール・ワームの液体は錬金術の素材としてそれなりに有益なのよ。……もっとも、所詮はシール・ワーム。有益と言っても、それ程高価で取引されている訳じゃないんだけどね。……普通なら」

「普通、なら?」

「そ。とある人物が独自の製法でマジックアイテムに関する素材として使えるようにしたのよ。それで、そのとある人物と繋がりがあるビューネならそれなりに高く買い取って貰える訳」

「……とある人物?」


 伏せられた名前が気になって尋ねるレイだが、ヴィヘラは笑みを浮かべたまま受け流す。

 さすがに幾らレイに興味があったとしても、話せることと話せないことがあるのだろう。


「ま、とにかくそんな訳で私達はレイと一緒に行動するのは問題無いわ」

「レイだけじゃなくて、私もいるのだがな」

「あら、そうだったっけ? じゃあついでにエレーナが付いてくるのも許してあげるわ」

「ほう? そこまでして私に喧嘩を……」

「ん!」


 再び言い争いになりそうだと悟ったのか、レイが仲裁する前にビューネが2人の間に出て両手を広げる。

 喧嘩は駄目! と態度で示しつつも、表情を変えないだけにエレーナも若干戸惑う。……ヴィヘラのみはすぐに溜息を吐いて構えていた拳を下ろしていたが。

 そこにすかさず声を掛けるのはレイだ。このままここで話をしていてもいつまでも話が進まないと判断したのだろう。


「ほら、とにかく行くぞ。先頭は盗賊のビューネと、格闘がメインのヴィヘラ。中衛がデスサイズが武器の俺と連接剣のエレーナ。後衛がセトとイエロでいいな?」


 その言葉と共にミスティリングからデスサイズを取り出すレイ。

 2mを超える柄に、それに相応しい程に巨大な刃。見る者を惹き付けるその大鎌を見て、ヴィヘラは思わず感嘆の声を上げる。


「これがレイ本来の武器……」


 初めて見るヴィヘラが思わずといった様子で呟く。


「ん」


 以前に1度会った時にデスサイズを見ているビューネにしても、珍しくその無表情な顔の中で目をいつもよりも小さく見開いている。

 だが、さすがと言うべきだろう。ヴィヘラとビューネの2人はすぐに我に返る。


「ダンジョンの中では長柄の武器を使うのはあまりお勧めしないんだけど……まぁ、レイに限って言えば問題は無いでしょうね」

「ん」

「そうだな。正直、レイでなければこんなに馬鹿げた武器を使っているのを見たら、もっと普通の……それこそ、剣とかを使うように言うぞ」

「そう言うエレーナだって、武器は長剣に見せかけた連接剣だろう? 扱いの難しさだけで言えば俺のデスサイズよりも余程上だろ」

「……大鎌に連接剣ねぇ。つくづく一般的じゃ無い武器を使う人達だこと」


 呆れた様に呟くヴィヘラだったが、それに待ったを掛けたのは当然と言うべきかエレーナだった。


「手甲と足甲を武器にしているような奴に言われるとは思わなかったな。それに同じ装備でも防具に関して言えば私は鎧を、レイはローブを装備している。にも関わらず、お前のその防具は何だ? ……正直、それを防具とは呼びたくないな」


 豊かな双丘と下半身のみを覆い隠している、一見すると下着にしか見えない服装。その上から、向こう側が透けて見える程に薄い布が幾重にも重ねられているのだ。確かに何の知識も無い者がヴィヘラを見れば、冒険者ではなく踊り子や娼婦といった風に思うだろう。

 ……もっとも、娼婦だとすればその美貌と相まってとてつもなく高級な娼婦になるのだろうが。

 だが、どこか責めるような視線――レイの目に毒だという意味も込められている――にヴィヘラは逆に挑発的な笑みを浮かべ、見せつけるように身体をくねらせる。


「大丈夫よ、この薄衣はこう見えてもマジックアイテムの1つで、斬撃と貫通、それに魔法に対する強い抵抗力を持っているから。それこそ、その辺の刃物でどうにかしようとしても、逆に刃の方がダメージを受けるでしょうね」

「斬撃と貫通なら、衝撃に対する防御はどうなんだ? それこそ、ハンマーとか斧とか」

「それは当たらなきゃいいだけよ」

「ん!」


 自分に攻撃が当たることは無い。自信に満ちた笑みを浮かべるヴィヘラの横で、自分の装備こそがこの中で1番まともだと主張するビューネがいるのだった。

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