第398話
ヴィヘラとの戦闘をした翌日、レイは何食わぬ顔でエレーナと挨拶を交わし、そのままここ数日と同じようにセトとイエロを引き連れてダンジョンへと向かう。
……そう、レイとしては今までと全く変わった様子も無かった筈なのだ。
だが……
「……」
何故かレイの隣を歩いているエレーナが時々ジトリとした視線をレイへと向ける。
それに気が付きながらも、後ろめたいレイとしては何を言うでも無く努めて気にしないようにして道を歩く。
ダンジョンへと向かう途中でリザードマンの串焼きを買うのも同じだが、その間もエレーナは時々視線をレイへと向けて来る。
「今日もダンジョンですか? 少し休んだ方がいいのでは?」
「何、気にするな。疲れが取れるのは早いし、何より俺やエレーナはエグジルにいられる時間が限られている。なぁ、エレーナ?」
「……うむ。そうだな。確かに時間は限られているな。だからこそレイも羽根を伸ばしたいのだろう」
「セトの翼をか? セトはいつもゆっくりとしていると思うけどな」
ジトリとした視線を向けて来るエレーナから無理矢理に視線を外してセトの頭を撫でるレイ。
「グルゥ?」
どうしたの? と喉を鳴らしながら首を傾げるセトに、何でも無いと頭を撫でるレイ。
そのままいつものように串焼きを食べ終わり、ダンジョンに続く門を通り過ぎて転移装置のある広場へと到着。
同時にその場で野良パーティを集めていた者達がレイ達へと視線を向けるが、前日に必要なのは腕の立つ盗賊だけだと言ったのが効いているのだろう。特に誰が声を掛けてくるでも無く、そのまま転移しようとしたところでその光景を目にすることになる。
「いい、ビューネ。今日は私が前衛よ」
「ん」
「今日こそは強いモンスターが出てくれるといいのだけど。最近はどうにも腕の振るいがいがなくて」
「ん?」
「ええ、そうなの。昨日は充実した夜を過ごせたおかげで、今日の敵に対してはどうしても……」
「……ん」
踊り子のような服装をし、手甲と足甲を身につけている赤紫の髪と金の瞳をもつ極上の美女。その魅力的な肢体を露わにした姿で周囲の男達の視線を集めている……と思いきや、殆どの者がそっと視線を逸らしている。
皆、知っているのだ。この女が狂獣と呼ばれている女だと。異名……というよりは、通称。それもこのエグジルでのみ通じる呼び名だが、その狂獣という通称が伊達ではないというのは、ヴィヘラの側で気絶して倒れている数人の冒険者を見れば明らかだろう。
更に、その狂獣が話しているのはフラウト家の遺児でもあるビューネ。弱冠10歳程でランクDという人物だ。
本人自体は特にこれといって危険ではないのだが、家の影響もあって迂闊に関われば他の3家から注目されることになる。……それも悪い意味で、だ。そういう意味では危険な相手であった。
それだけに自ら近付く相手も少ない。現在ヴィヘラの周囲で転がっている男達は、その辺の事情もまだ良く知らない、それこそエグジルへと来たばかりの新参者だったのだろう。
そんな風に危険人物扱いされている2人だが、同じような扱いだからこそか馬が合った。寧ろヴィヘラが幼いビューネを放っておけなかったというのもあるのだろう。そんな2人だけに、つかず離れずといった距離感を保ったままお互いに気が向けば臨時のパーティを組んでダンジョンを攻略することもあった。
ヴィヘラにしろビューネにしろ、基本的にはソロの冒険者だ。腕の立つ人物であるのは間違い無いのだが、お互いの事情で野良パーティでも既に募集されるようなことは無くなっている。
ビューネはともかく、ヴィヘラがエグジルへとやってきた当初はその美貌を目当てにして大勢の男達と極少数の女が押し寄せ、パーティの誘いを断られたとある冒険者が腕ずくでとなり……逆にあっさりと倒されることになった。それを見て今度は戦闘力を買ってパーティに勧誘しようとする者が多く出たが、弱い相手に興味は無いときっぱり告げ、それを聞いて頭にきた冒険者が……というようなことを繰り返し、結果的に今の地位を築いたのだ。
周辺の冒険者達で事情を知らない者が声を掛けようとして仲間に止められ、事情を知っている者はこのまま2人でダンジョンへと潜るのだろうと思っていた。……そう、この時までは。
「あら? レイ、おはよう」
ヴィヘラの口から漏れたその言葉に、周囲の者が驚愕の表情を浮かべる。そして誰に声を掛けたのかをヴィヘラの視線を追って知り、ある者は納得し、またある者は嫉妬の視線を浴びせる。
勿論嫉妬に関しては、ただでさえエレーナという美女を侍らせているにも関わらず、更にヴィヘラというエレーナと同等クラスの美女に声を掛けられていたからだ。
尚、嫉妬の視線を向けている者の大半は男の冒険者であり、同時にヴィヘラやレイの事情を知らないというエグジルに来たばかりの者であったり、あるいは情報には興味がないとばかりに情報収集を怠っていた者達である。
「……ほう。随分と親しそうだな」
だが、そんなことは関係無いとばかりにレイの隣から聞こえて来る声。
思わずレイの背筋をゾクリとさせるようなその声の持ち主は、黄金に輝く縦ロールの髪を手で掻き上げていた。
言うまでも無くエレーナである。
「あー……エレーナ?」
「うん? 何だ? 何か言いたいことがあるのなら、しっかりと聞かせて貰おうか」
穏やかと言ってもいい口調の柔らかさで口元に笑みすら浮かべているのだが、レイを見据える目は一片の笑みすらも存在していない。
周囲で、美女を引き連れている癖にヴィヘラにまで声を掛けられやがってこの野郎っ! とばかりに嫉妬の視線を送っていた者達も、今のエレーナを見ていると恐怖を感じるのだろう。そっとレイ達一行から視線を逸らす。
「いや、なんでそんなに怒っているのかと思ってだな」
「ほう? レイには私が怒っているように見えるのか。ちょっと不思議だな。私はこんなにも穏やかな気持ちでいるというのに」
嘘だ! レイ達から視線を逸らしつつも、怖い物見たさ――この場合は聞きたさか――で耳だけは意識を集中していた者達が心の中でそう叫ぶ。
それを感じ取った訳でもないのだろうが、エレーナはチラリと周囲に視線を向ける。その瞬間不自然な程に近くにいる者との会話をする冒険者達。
「あらあら、随分と不機嫌ね。どうしたのかしら? 何、もしかして嫉妬? 見かけによらず可愛いところもあるのね」
周囲がピリリとした緊張感で満ちているその状況で、それでも尚嬉しそうにそう告げたのは当然の如くヴィヘラだ。
口元には笑みが浮かんでおり、どこかからかうような視線を2人へと向けている。
尚、そんな風に微妙に修羅場に近い状況になっている横では、ビューネがそっとセトやイエロの頭を撫でて朝の挨拶をしていた。それこそ、修羅場は自分には関係無いと態度で表しているかのように。
「ふんっ、お前のような露出狂に可愛いと言われてもな」
「露出狂? この格好のことかしら? でも、私は貴方と違って人に見せても恥ずかしくない身体をしてるんだから、別にいいじゃない」
そう言いつつ、ヴィヘラは胸を張り巨大な双丘を見せつける。
本人が自慢しているだけあって、確かにその身体付きはエレーナに負けず劣らずに男好きのする身体をしていた。
ただしエレーナと違うのは、ヴィヘラの場合は自分の美しさやその身体付きすらも強者と戦うための武器にしているところか。だからこそ、こうしてあからさまに男を誘うような格好をしているのだ。自分に勝てる相手になら、この身を託してもいいと。
それとは逆にエレーナは貴族として、あるいは兵士を率いる将軍として育ってきた。それ故に、人前でみだりに肌を晒すのは恥だという思いがあったのだが、ヴィヘラがエレーナと同じ価値観を認識しなければいけない理由は無かった。
「きっ、き……貴様。その身体でレイを籠絡したのか!」
周囲に響き渡るエレーナの叫び声。
当然興味津々で会話を聞いていた冒険者達がそれを聞き逃す筈が無く。
「ぐぐぐぐぐぐっ、例え……例え深紅と言えども、今の俺なら勝てる、勝てる筈だ!」
話を聞いていた男の冒険者が顔を真っ赤にして持っている槍を構えようとし……
「おいこら、マジで馬鹿な真似は止めろ。ここで騒ぎを起こしたりしたら、ダンジョンじゃなくて警備隊の詰め所に行くことになるぞ。っていうか、それ以前にお前が深紅に勝つのは絶対に無理だから諦めろって」
「何でだよっ! お前は悔しくないのか!?」
「悔しいさ! けど、俺達の……俺達の力では奴に勝てない。だから、今は誰かもっと力のある男が現れるのを待つしか無いっ!」
そんなやり取りが数ヶ所で行われる。
どこか喜劇染みたやり取りであり、もしレイがそれを外から見ていたのなら笑って見ていたのかもしれない。だが、自分がその渦中にいるとなれば話は別だ。エレーナの口から出た言葉に、思わず視線を向ける。
それが失敗だった。顔に浮かんだ驚愕の表情。エレーナが言っていたのが事実だと自らの態度で示していたのだ。
「な、何を言ってるんだ?」
「誤魔化すのか? ……レイ、1つ聞こう。私の使い魔であるイエロの能力を忘れたのか?」
「っ!?」
エレーナの言葉に息を呑むレイ。
いつの間にかエレーナの左肩からセトの背へと移っていた、小型の竜であるイエロ。その能力は色々とあるが、中でも特徴的な能力の1つとしてイエロの記憶をエレーナが直接見ることが出来るというものがある。
「……まさか」
「パーティを組んでいる相手が、今までしたことのなかった夜遊びに出掛けたのだから、心配しても当然だと思わないか? それこそ、何かあった時の為にイエロを向かわせるくらいには」
「……起きてたのか」
てっきりエレーナが寝ていると思っていたレイだったが、それは早計だったらしいと知る。同時に、ようやくエレーナが今朝から怒っている、あるいは拗ねている理由が理解出来た。
つまりは、レイとヴィヘラの戦いをイエロは見ていたのだ。そうなれば、当然その後のやり取り……即ち、キスに関しても見ていただろう。同時にそれは、イエロの記憶を見たエレーナにも知られたということになる。
「ああ。それでレイが帰ってくるのを、やきもきしていたところにイエロが戻って来て……後は、分かるだろう?」
「……」
言い逃れのしようがない事態に、言葉に詰まるレイ。
勿論レイにしてみれば自分からキスをしたのでは無く、キスされたのだと主張したい。だが、それを言ったとしてもエレーナが納得する訳が無いというのは、笑っていない笑顔という、ある意味で矛盾した状態なのを見れば明らかだった。
そして噴火寸前の火山に爆弾を落とすかの如く現状を掻き回す者もいる。
「あら、私の初めてを捧げたのにそんな風に言われるなんて心外だわ」
「おいこら、あからさまに誤解を招くようなことを言うな」
女が……それも、ヴィヘラのような美女が自分の初めてを捧げた。そう聞かされた者が何を思うかは想像するに難しく無い。周囲で話を聞いている者も当然そうであり、同時にエレーナもまた同様だった。
「初めてだと? お前のような露出狂がか?」
「あら? 外見で人を判断するのかしら?」
「それは当然だろう。私はお前のことを殆ど知らないのだからな。いや、好戦的な戦闘狂だというのは知っているが、それを思えば更に評価は下がるぞ」
「ふーん。お堅いだけの貴方に言われてもねぇ。そんなだから、レイもコロッと私に転ぶんじゃない?」
「転んでない! それに、さっきから思っていたがレイ、レイと気安いぞ」
「あら? だって私とレイは唇を交わした仲なんだから、これくらい普通でしょ」
「その言い方は止めろ! 大体、お前が強引にレイの唇を奪ったのだろう!?」
艶然と微笑むヴィヘラに、エレーナが不愉快そうに眉を吊り上げて叫ぶ。
すると当然、その声を聞いていた周囲の者達の視線がレイへと集まっていく。
男からは嫉妬の、女からは好奇心に満ちたそんな視線。
エレーナとヴィヘラのような美女2人がレイを巡って争っているように見えるのだから、ある意味しょうがない。だが、視線を向けられる本人としては落ち着かないように身じろぎをする。
自分の外見から侮りの視線を向けられるのはこの1年で随分と慣れているし、逆にセトの存在やレイの力を知って畏怖の視線を向けられるのにも慣れた。だが、このような視線を向けられるのは殆ど初めてだったのだ。
敢えて言えば、ギルムのギルドでレノラやケニーとのやり取りの時だが、それにしてもここまで強烈なものではない。
(この状況、どうすればいいんだよ)
取りあえず、とばかりにドラゴンローブのフードを被り視線を遮ってはみるものの、それで視線が向けられなくなる訳では決して無い。
そうしてレイが内心で困っていると……
「ん」
セトとイエロを撫でていた筈のビューネが近付き、いつものように短く声を掛けながらドラゴンローブを掴む。
「どうした?」
「ん!」
短くそう口にし、レイを引っ張って行くビューネ。セトとイエロも何となくそんな2人の後を付いていき……
「ビューネ、どうしたの?」
「ビューネ?」
ヴィヘラとエレーナもまたそんな2人と2匹の様子に気が付いて後を追う。
そのまま転移装置に近付き、自分のダンジョンカードを取り出し、レイにもダンジョンカードを出すように視線で促す。
「はぁ、分かったよ。ほら」
そう告げ、取り出したダンジョンカードを手に取ると頷き……エレーナとヴィヘラにも視線を向け、全員のダンジョンカードを手に取り、次の瞬間には転移が完了してレイ、エレーナ、ヴィヘラ、ビューネ、セト、イエロの4人と2匹の姿は地下4階の魔法陣にあった。
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