第392話

「ここが地下3階……か。これまでと全く変わった様子が無いな」


 地下3階に降りてきてすぐの場所で、エレーナが呟く。

 実際に階段のすぐ横には転移装置用の魔法陣が設置されており、周辺に広がっているのは石畳の通路で壁は薄らと発光している。

 その光景は地下1階、地下2階と殆ど同じであり、一種の既視感すら覚える程だった。


「まだ浅い階層だからな。ほら、俺達が潜った継承の祭壇のダンジョンでも上の階層は殆ど変わらなかっただろ? 特にこのダンジョンは大きさ自体があのダンジョンとは違って桁外れなんだ。それを考えれば、暫く同じような景色が続くのもしょうがないさ」


 現在レイ達が潜っているダンジョンは、最も深い場所まで潜っている冒険者でもまだ地下30階前後。ダンジョンコアがあったのが地下7階だった継承の祭壇のダンジョンと比べると、最低でも6倍前後は大きさの差はある。それも現在攻略が完了している場所までという条件付きで、だ。


「とにかく、昼食を食べてからまだそれ程経ってはいない。そうなると、今日中にこの地下3階を突破して地下4階の魔法陣でダンジョンの外に出る……ということでいいか?」

「ああ、問題無い。階段まではどのくらいだ?」


 魔法陣があるとは言っても、周囲が完全に安全という訳では無い。その為に周囲を警戒しているセトを見ながら尋ねるレイに、エレーナはマジックポーチから取り出した地図へと視線を向ける。


「そうだな。この階層は幾つもの十字路が組み合わさっていて、地図が無ければ階段まで辿り着くのは非常に難しいだろう。だが、幸いなことに私達には地図があるからな。それを考えればそれ程苦労せずに進める……筈だ」


 地図を使えば確かに地下4階に向かう階段までの最短距離を進めるのは間違い無い。だが、徒歩でどれだけの時間が掛かるかというのが地図に書かれている筈も無く、あくまでも地図はその場所まで迷わずに移動出来るということでしかなかった。何度も同じ階層を移動していれば大体どのくらいの時間が掛かるのかは分かるのだが、この地下3階に今日初めて来たレイやエレーナ達にそこまでを期待するのは難しいだろう。


「とにかく進むとするか。罠に関してはどうする? 地下2階だとあの有様だったが」


 レイの言葉に数秒悩んだエレーナだったが、やがて口を開く。


「上の階と同じく警戒しておこう。さすがにこの階でいきなり致命的な罠があるとは思えないが、それでもいつ盗賊を仲間に出来るのかが分からない以上、警戒しておく癖を……ん?」


 エレーナがそう呟いた時だ。階段の近くにある魔法陣が輝き……次の瞬間には5人程の男の集団がその魔法陣の上に現れていた。

 5人とも全員が若いと表現してもいい年齢で、中にはレイより少し年上でエレーナよりは年下といったような年齢の者も存在している。


「よし、じゃあ早速行くぞ。今回の依頼はソード・ビーの魔石だ。数は7つ。ただし、言うまでも無く魔石は素材の中で最も高く売れる。特に今はマースチェル家とレビソール家が高い金を出して買い集めているからな。兄貴の為にも……ん?」


 5人の中でもリーダー格と思われる男が仲間に向かって喋っていたが、その時ようやくすぐ近くに誰かがいるのに気が付いたのだろう。そちらへと顔を向け、自分達に視線を向けているレイとエレーナ、セトの2人と1匹に気が付く。

 尚、残り1匹のイエロはセトの背の上で食休みをしながら微睡んでいる。

 そして、男達のリーダーがレイを見て口を開く。


「ああああああっ、お前等……いや、あんた達は昨日の!?」


 呼び掛ける言葉を言い直したところに、男のレイに対する思いが透けて見えていた。


「……ああ、なるほど。あの時食堂の中から吹っ飛んで来た奴か」


 男の言葉でレイは昨日の出来事を思い出す。食堂に入ろうとした時にヴィヘラに投げられるか何かして吹き飛んできたのを受け止めた男だと。

 いや、レイにしてみれば目の前にいるような男達には何度も絡まれているので、顔を思い出しても中々記憶と一致しないこともそれ程珍しくないのだろう。


「って、今頃思い出したのかよっ!」

「……何か問題でも?」


 文句があるのなら言ってみろ、とばかりに言葉を返すと男は激しく首を左右に振る。


「そう言えば、そっちにも見た顔がいるな」


 レイの隣でエレーナがリーダー格の男の周囲にいる男達を見ながら呟く。

 事実、そこにいたのはリーダー格の男と同様に昨日食堂でヴィヘラに叩きのめされた男達の姿も何人か混ざっていたのだから、見覚えがあって当然だった。


「……で、えっと。そちらさんはこんな浅い階層で一体何を?」


 やがてこのまま黙り込んでいても話は進まないと思ったのか、リーダー格の男がレイへと尋ねてくる。

 まだ直接会ったことは殆ど無いと言うのに、実質的にレイがパーティのリーダーに近いと判断したその理解力は中々に鋭いと言えるだろう。

 だが、レイは何でも無いとばかりに持っていたデスサイズの柄を肩に担ぎながら口を開く。


「何って、ダンジョンの攻略に決まってるだろ?」

「いや、ここにいる以上ダンジョンの攻略なのは分かってるんですけど、なんでこんな浅い階層に?」

「昨日からダンジョン攻略を始めたからだな」

「……ああ」


 レイの言葉に、ようやく納得したといった風に頷く男。

 男の周囲にいた男達も同様に頷いている。

 ヴィヘラとのやり取りで既に気絶していた者はレイ自身の実力といったものは分からないのだろうが、それでもグリフォンであるセトを連れているのを見れば、外見で侮る訳に行かないのは明らかだった。


「で、そっちは……ギルドの依頼か?」

「はい。ソード・ビーの魔石を7つってことで。本来なら俺達は地下10階辺りで活動しているんですが……その、昨日の件で兄貴に怒られてしまいましてね。その罰もあって……」


 へへっと、照れ笑いを浮かべながらリーダー格の男は頬を掻く。


「そうか、なら頑張ってくれ。俺達はそろそろ行くから」

「へいっ、お気を付けて! おらっ、お前等も頭を下げねえか!」

『お気を付けて!』


 リーダー格の男の声に合わせ、声を揃えて頭を下げてくる男達。その様子は、一糸乱れぬ……とまではいかないものの、それでもそれなりに統一された動きだった。

 そんな男達に小さく頷き、レイ達はその場を去っていく。

 その後ろ姿を黙って見送り……そして、完全に見えなくなったところで、男はようやく大きく息を吐く。

 額に浮かんでいるのはびっしりとした冷や汗。レイ達の前ではどうにか我慢していたものが、その姿が見えなくなって一気に襲ってきたのだ。


「……どうしたんです? 兄貴がそんなに冷や汗を掻くなんて珍しいっすね」


 そんなリーダー格の男へと向かい、周囲にいた男のうちの1人が声を掛ける。他の男達もまた同様に不思議そうにリーダー格の男の様子を窺っていた。

 だが、そんな言葉に冷や汗を腕で拭いながらリーダー格の男は声を掛けて来た男の兜に包まれた頭を軽く叩く。


「奴が異名持ちだってのは知ってるな?」

「ええ、それは勿論。ボスクの兄貴が直々に奴には決して喧嘩を売るなって言ってたじゃないっすか」

「ああ。俺も異名持ちってのはさっきの深紅以外にも見たことはある。勿論異名が付けられているんだから、どいつもこいつも俺より余程強い化け物級なのは事実だ。だが、奴はそれだけじゃないんだよ。昨日、俺達が原因とは言ってもボスクの兄貴を戦いに駆り出してしまったヴィヘラとかいう女がいただろう? その女が深紅に向かってお前は強いとか言ってたんだ。信じられるか? あのボスクの兄貴と互角にやり合った女が認めた強さだぞ? つまり、恐らく奴はボスクの兄貴並の強さを持っているってことになる筈だ」

「それは……」


 リーダー格の男の言葉に、周囲で話を聞いていた男達が思わず息を呑む。

 ボスクは自分達が兄貴と慕っている相手であり、シルワ家という家に生まれながらも気楽に声を掛けてくれる相手だ。そして何よりも、大剣を使った戦闘力は非常に高い。以前ランクB冒険者と模擬戦をした時も多少の苦戦はしたが結局ボスクが勝っていたし、ランクA冒険者とも互角に渡り合っている場面を見たことがある者もいる。

 そんな人物と互角……更に言えばその他にもランクAモンスターのグリフォンに、リーダー格の男は弟分達をこれ以上萎縮させないようにと敢えて告げなかったが、姫将軍と呼ばれるエレーナもいたのだ。それだけの戦力差があれば、確かにボスクであっても手を出すなと言うのはしょうがないと思ってしまう。


「とにかく、お前達もダンジョンの中でも外でもあのレイって奴や女にあっても変に絡んだりするんじゃないぞ。話した限りだと、こっちから手を出さなければ向こうから手を出すということは無いようだからな。分かったな? これは俺だけじゃない。兄貴からの命令でもあるぞ」

『分かりました!』


 声を揃えて頷いたのを見て、ようやくこれ以上の心配はいらないと判断したのだろう。手に持っていた槍を改めて握りしめる。


「よし、じゃあ行くぞ。ソード・ビーは動きは素早いが、防御力は低い。攻撃を当てさえすれば俺達なら楽勝で倒せる。依頼分の7個はさっさと集めて、それ以外の魔石もなるべく多く持っていくぞ。その働きが今夜の酒と女になる。分かってるなお前等っ!」

『おおおおおおおお!』


 その場で全員が雄叫びを上げ、そのまま男達がどんどんと進んで行く。

 一応先頭に立っているのは盗賊だが、レイ達とは違って周囲の罠を探っているようには見えない。これは男が本職の盗賊だという理由もあるが、その他にも地下3階程度に仕掛けられている罠では自分達に対して致命的なダメージを与えるようなことは出来ないと、長年のダンジョン探索で身を以て知っているからだ。

 そのまま真っ直ぐに進み、十字路を右に、左に、前にと進んでいく。この地下3階は幾つもの十字路が組み合わさっている複雑な構造になってはいるが、出て来るモンスターはそれ程強くない。出会った端からゴブリンを始めとした低ランクモンスターを倒して素材と討伐証明部位を剥ぎ取り、魔石を取りだしていく。


「ソード・ビーがいないな」

「ああ。結構経つけど1匹も出てこないな。……どうなっているんだ?」

「おい、まさかソード・ビーだけを見つけないようにして道を選んでるとかじゃないよな?」


 背後から聞こえて来る仲間の言葉に、先頭を歩いている盗賊の男は眉を顰めて後ろへと視線を向ける。


「んな訳ないだろ。俺だってソード・ビーがいるような方に向かって進んではいるんだよ。けど、いつもなら姿を現してもおかしくないのに全く姿を現さないんだから、しょうがないだろ」

「……どうなってやがる?」


 盗賊の男の言葉を聞き、リーダー格の男が訝しげに呟く。

 確かにダンジョンの中でソード・ビーを探し始めてから、まだ1匹とも遭遇していないというのは明らかにおかしい。

 勿論ソード・ビーはこの地下3階以外にも生息している。だからここで遭遇しないのなら、他の階層に移動するというのもリーダー格の男の脳裏を過ぎった。だが、それでもすぐにその選択をしなかったのは、どことなく違和感があったからだ。そう、それなりの年月ダンジョンに潜ってきた冒険者としての勘が何かを訴えている。


(どうする? 明らかに何かの異変が起きてやがる。 ……一旦退くか?)


 リーダー格の男が内心でそう考えるが、それは1歩遅かった。


「来たっ! ソード・ビーだ!」


 先頭を歩いていた盗賊の男がそう叫ぶ。それを聞いた周囲の者達はようやくか、とばかりに安堵の息を吐き戦闘準備に入るが……


「待て!」


 再び盗賊の男が叫ぶ。ただしその声は不思議そうな声であり、やがて表情が強張っていく。


「この羽音の数……これは……不味い! 10や20って数じゃない、下手をしたら50匹以上いるぞ!」

「はぁっ!?」


 盗賊の男の声に、思わず返っていく他のメンバーの声。

 だが、リーダー格の男はそんな仲間には構わずに素早く判断する。


「ちっ、一旦退くぞ。何かがおかしい。あるいは……」

 

 その時、リーダー格の男の脳裏を過ぎったのは、魔法陣の側で会話したレイ達の姿。

 あの2人と2匹が何かをしでかした結果がこれなのではないかと。とにかく一旦この場を退いて態勢を立て直すべきだと。

 その判断は早かったが、状況に対処するには遅かった。


「後ろからも来てるぞ!」


 盗賊の男がそう叫ぶや、まるで息を合わせたかのように前後から大量のソード・ビーが姿を現す。前方から50匹程、後方からは若干少なく40匹程か。更に十字路の中心部分にいた為か、左右からもそれなりの数が接近してきている。


「ちぃっ、全員戦闘準備だ! 数は多いが、所詮ソード・ビーでしかない。1撃当たればすぐに死ぬ! これは魔石を大量に得るチャンスだと思え!」


 そう叫ぶも、自分達の不利は認めざるを得ず、何とかして弟分達を生かして地上に返す算段を忙しく頭の中で考えつつ、戦闘に入る。

 リーダー格の男の言葉は実際に正しかった。ソード・ビーは男達にとっては容易い相手であり、当たるを幸いと倒していく。

 だが敵の数は多く背後からの敵に手が回らず、次第に焦り始めた時……


 轟っ!


 背後から迫ってきていた40匹近いソード・ビーのほぼ全てが一瞬にして炎に包まれ、瞬時に燃やし尽くされ、魔石諸共に灰と化して散っていく。

 瞬間的に上がった通路の気温に熱さに対する汗とも、あるいは冷や汗ともとれる汗が額に浮かび……


「手助けはいるか?」


 その炎の飛んできた方向から聞こえてきた、聞き覚えのある声にリーダー格の男は目を見開く。

 そこにいたのは、2mを超える巨大な鎌を持つ少年に、連接剣を手に持った凛とした美女、喉の奥で唸っているグリフォンと、戦闘の邪魔にならないように空中を飛んでいる小さな竜という、見覚えのありすぎる集団だった。

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