第385話
レイ達の見ている魔法陣の中に姿を現した1人の少女。その少女はレイやエレーナはともかく、セトを見ても特に表情を変えること無く一言口にする。
「ん」
それだけで用が済んだとばかりに、レイの横を通り過ぎ……
「ちょっと待て」
レイの隣にいたエレーナが思わず少女の肩へと手を伸ばす。
「ん?」
少女が小首を傾げるという仕草は可愛らしいのだが、表情が殆ど変わらないこともあってどこか無機質な印象を受ける。
「ん? ではなくてだな。ここはダンジョンだぞ? お前のような子供が1人で来ていい場所じゃない。1人なのか? 両親や保護者、あるいはパーティはいないのか?」
「ん」
エレーナの問いに、小さく頷く少女。
エレーナと少女のやり取りを見ながら、レイは目の前にいる少女を観察する。
年齢的には10歳かそこらといったところだろう。動きやすさを重視しているのか、胴体や腕の一部といった必要最小限の場所にモンスターの皮を使ったと思われるレザーアーマーを装備している。そして短剣の収まっている鞘が腰の左右に1本ずつに、手に持っているのは小型のクロスボウ。背には矢筒とリュックが背負われている。
肩の辺りまで伸ばした青い髪に黒い瞳といった整った顔立ちは、将来的に美人になるのは間違い無いとレイにすら思わせた。
何よりも一番特徴的なのは、やはりその表情だろう。これ程にセトを間近で見たというのに、それでも尚表情1つ変えないのだから。
(こんな子供が1人でダンジョンに? いや、俺も人のことを言えるような年齢じゃないのは理解してるけど)
自分の外見年齢が15歳程度だというのは、これまで散々経験してきて知っている。だが、5歳程度の差とは言っても10歳と15歳ではその意味は大きく違う。
エレーナにしても、自分より小さい……否、幼いとすら言ってもいい少女が1人でダンジョンに潜っているのに驚いているのだろう。腰を屈めて視線を合わせながら少女へと尋ねる。
「まさか迷子って訳じゃ無いだろうが、今日はどうして1人でダンジョンに潜ってるんだ?」
「ん? ……ん」
相変わらず無表情で小首を傾げた少女が、やがてエレーナが何を言いたのかを理解したとでも言うかのように、懐から1枚のカードを取り出して差し出す。横から2人のやり取りを見ていたレイも、そのカードがダンジョンカードであるのはすぐに理解出来た。
「これを見ればいいのか?」
「ん」
エレーナの問いに小さく頷き、カードを差し出す少女。
その勢いに押されたかのようにエレーナはダンジョンカードを受け取って目を通す。
そんなエレーナを前に少女は飽きたのか、トテトテとセトに近寄り、じっと視線を向ける。
「グ、グルゥ?」
さすがに表情1つ動かさないままに眺められるというのは、セトにしても居心地が悪かったのだろう。困惑したように喉を鳴らす。
そんなセトをじっと見つめたまま、少女は不意に手を伸ばし、セトの頭を撫でる。
「……」
表情を変えずに自分の頭を撫でる手に、一瞬困惑の表情を浮かべるセト。だが、エグジルへと来てからは怖がられてばかりいた影響もあるのだろう。自分に向かって脅えずに頭を撫でてくる少女に、気持ちよさそうに目を細めて喉を鳴らす。
「初対面でセトを怖がらずに撫でるか。エグジルに来てからだと珍しいな。殆どはセトが物を食べているところを見て初めて怖がらなくなったのに」
感心したように呟き、頷いているレイの肩をエレーナが軽く叩く。
そちらへと視線を向けたレイへと、エレーナが持っていた少女のダンジョンカードが手渡される。
そこには『ビューネ・フラウト』と表記されており、目の前で無表情にセトの頭を撫でている少女が名字持ちであることを証明していた。
「名字持ち? 貴族か? いや、けど貴族がこんな子供1人をダンジョンに放り込んだりするか?」
そんなレイの言葉に、首を左右に振るエレーナ。
「違う。確かにこの少女……ビューネは名字持ちだが、貴族ではない。覚えてないか? 元々このエグジルは4つの家が半ば自治都市として治めていたが、その中の1つが没落したと」
そこまで言われれば、レイにもエレーナが何を言いたのか、そしてビューネがどのような素性の者なのかは理解出来る。
「つまり、このビューネがその没落した家の血を引く者だと?」
「恐らくはな。それに、ダンジョンカードの下の方を見てみろ」
エレーナに促され、改めてダンジョンカードを見るレイ。そこにはギルドランクDの文字が表記されていた。
「おい、この年齢でランクDって……」
「ああ。相当な凄腕なのは間違い無いな。こうして見る限りはソロなのだから」
「いや、そうじゃない」
「ん? どうしたんだ?」
そんなエレーナの言葉に、首を左右に振るレイ。
(冒険者に関しては殆ど詳しくないエレーナが、ランクアップ試験について知らなくても当然、か)
内心でそう呟きながら。
ランクDへ上がる為のランクアップ試験。それは基本的に人を殺すという行為を行わなければならず、ビューネがランクDであるということは目の前の少女はまだ10歳程度の年齢で人殺しを経験したことになる。
(いや、あるいは人を殺すというのはギルムだけだったりするのか? そもそも、幾ら何でもギルドがこんな子供相手に人を殺すような真似をさせるとは限らないだろうし)
レイの脳裏を過ぎったのは、ギルムのギルド職員達だった。ケニー、レノラといった受付嬢や、自分のランクアップ試験を担当したグラン、そしてギルドマスターのマリーナといった面子だ。
脳裏を過ぎった誰もが、目の前にいるビューネのような10歳程度の少女を人殺しが必須のランクアップ試験に参加させるとは思えなかった。15歳程の外見の自分でさえも恐らくはギリギリだったのだから……と。
確かにその意見は正しかった。もしエグジルにあるギルドのギルドマスターがマリーナならそのような真似は出来なかっただろう。
だが、エグジルという迷宮都市を成り立たせたかつての4家の血を引く者が希望した以上はギルドとしても受けざるを得ず、結果的にビューネはまだ10歳にも関わらずランクアップ試験に合格、無事ランクDに昇格したのだ。
ビューネが生半可に冒険者としての……そして盗賊としての才能があったからこそ起きた悲劇であると言えるだろう、
もっとも、ビューネ本人はより多くの金が手に入るのなら全く問題は無く、寧ろ喜んでその手を血に染めたのだが。
「とにかく、このような子供が1人でダンジョンにいるのは色々と危険だろう? どうだ、もし良ければ私達と一緒に行動しないか?」
「ん!」
エレーナの言葉に首を横に振るビューネ。
ビューネとしては、そもそもこの地下2階というのはかなり昔に攻略した階層であり、危険を殆ど感じていない。何故そんな場所に来たのかと言えば、単純にギルドにある依頼で地下2階の罠に使われている特殊な糸を納入する依頼を受けたからだ。
パーティを組めば報酬を山分けにしなければいけないというのも、ビューネがソロで行動している理由の1つだろう。いや、寧ろそれが最大の理由か。
「ん」
エレーナの持っている自分のダンジョンカードに視線を向け、手を差し出すビューネ。それが何を意味しているのか分かったのか、エレーナはそっと持っていたダンジョンカードを返す。
「どうしてもソロで行動するつもりか?」
「ん」
エレーナの問いに頷くビューネ。
それを見ていたエレーナは、やがて溜息を吐きながらビューネの青い髪へとそっと手を伸ばす。
「そうか、本来ならばお前のような子供を1人でダンジョンに潜らせるのはどうかと思うのだが……私はエレーナという。黄金の風亭という宿に泊まっているから、もし何かあったら言ってくるといい」
「ん!」
頷き、続いてレイへと視線を向けるビューネ。
その視線で、自分の名前も聞かれているのだと理解したレイは小さく肩を竦めて口を開く。
「俺はレイだ。こっちはセト。それと、エレーナの肩に乗ってるのがイエロ。ま、よろしくな」
「ん」
「グルゥ」
よろしく、と喉を鳴らすセトにビューネは小さく頷いてから手を伸ばし、頭を撫でる。
「キュキュ!」
「ん!」
エレーナの肩から飛び立ち、セトの背へと着地したイエロも同じように鳴き声を上げ、ビューネはその頭を撫でる。
イエロの見た目は小さいのだが、それでも竜であるのは間違い無い。グリフォンのセト程では無いにしても、何も知らない者にしてみれば多少の怯えを見せてもしょうがない。
だが、ビューネは全く頓着せずにイエロの頭を撫でる。
「キュキュ!」
「ん」
「キュ?」
「ん」
「キュ!」
「ん」
不思議な会話を交わす1人と1匹。ビューネは『ん』の一言しか口に出していないのだが、何故かそれで言葉が通じているのに思わずレイは首を傾げる。
エレーナはいつもの凛とした雰囲気はそのままに、微かに視線に笑みを浮かべながらそんなやり取りを見守っていた。
「ん」
最後に小さく呟き、両手でセトとイエロの頭を撫でるビューネ。
数秒程して2匹の頭から手を離すと、レイとエレーナへと小さく手を上げてからその場を去って行く。
「ビューネ、また会おう!」
「ん!」
ビューネはエレーナの言葉に小さく頷き、そのまま2階の奥へと走り出す。
その後ろ姿を見送り、静かになった周囲を見回してからレイもまた口を開く。
「さて、ビューネはともかく俺達も行くとするか。にしても、ビューネは走って行ったけど罠とか大丈夫……なんだろうな。見るからに盗賊だったし」
「そうだな。……なぁ、レイ」
その言葉で、エレーナが何を言いたいのかレイには分かった。
戦場で少年兵というのは、それ程珍しくはない。領主によって強制的に徴兵される者もいれば、税の代わりにと志願する者もいるし、一発逆転を目当てに自ら兵士となる者もいる。
だが、少年兵とは言っても、ビューネのように10歳程度という存在の兵士はひどく少ない。
探せばいなくもないのだろうが、少なくてもエレーナは見たことが無かった。それ故にビューネのことが気になっているのだろうというのは自覚していたが。
「ま、ランクDなら問題無いと思うぞ。……それに、ダンジョンカードの到達階層を見たか? 地下12階まで到達していた。確か現在の最精鋭パーティでも地下30階に達していないって話だったからな。しかもビューネはソロで行動して、だ。地下2階程度なら全く問題は無いと思う」
「それは分かっているが、どうしても外見が……な」
「グルルルゥ?」
「キュ!」
エレーナとレイの会話に、セトとイエロが割ってはいる。
ここで話してないで、先に進もうと通路の先を眺めながら。
「そうだな。確かにここで話していても意味は無いか。それよりもビューネが先に進んだとなると、恐らく罠の類は全て解除されてるんじゃないか?」
「さて、どうだろうな。ダンジョンの中だし……ほらな」
通路を歩きながら、エレーナに言葉を返すレイ。
その視線の先では十字路になっており、自分達が来た方向を数に入れないにしても前、右、左の3つに道が分かれている。
「……確かにな。道が分かれていれば、私達が進んだ通路の罠をビューネが解除しているかどうかも分からないのは事実だ」
「で、どっちに行く?」
「地図だと右に進めば階段があるが……さすがに初日に地下3階まで降りるというのはちょっと気が進まないな。取りあえず今日は左か正面に進んでみないか? で、どっちに進む? この辺はランクB冒険者としてのレイの勘に任せることになるが」
迷う必要は無い、とばかりにレイの勘に任せると言い切ったエレーナ。そんなエレーナの言葉を聞き、溜息を吐きながらもエレーナに頼りにされるのは悪くない気分なのだろう。黙って左を指差したレイの顔は、フードに覆われてはいたが口には小さな笑みが浮かんでいた。
「グルルルゥ?」
「キュキュ!」
セトが喉を鳴らしながら小首を傾げ、イエロもセトの背の上で真似をするかのように小首を傾げている。
そんな2匹のやり取りにどこかほんわかしたものを感じつつ、2人と2匹は左の通路を進んで行く。
通路を進んでいる途中でモンスターが何匹か現れるが、それは殆ど地下1階と変わらずにゴブリンやポイズントードといった者達であり、少し変わったところではソルジャーアントの姿があるということくらいか。
「ふっ!」
地を蹴り、ソルジャーアントの横へと回り込みながらデスサイズの石突きで掬い上げるようにして引っ繰り返し、そのまま腹の下へと石突きを突き刺す。
そんなレイの隣では、エレーナがソルジャーアントに向けて風の刃を放って胴体を切断し、あるいはセトが振るう右足が別のソルジャーアントの頭部を砕く。
結局この日は2階で数時間程ダンジョンでの戦闘を経験してから、階段の近くにあった魔法陣を使って脱出するのだった。
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