第386話
一瞬身体が光に包まれ、気が付くとレイから見える周囲の景色は一変していた。
つい数秒前まで周囲にあるのはダンジョンを構成する石造りの通路であったり、あるいは壁が仄かに光っているような光景だったというのに、気が付けばレイ達はダンジョンの入り口にある高さ3m程の円柱の形をした転移装置の横に存在していたのだ。
「ほう、これが転移か。全く違和感の類がないな。さすがは古代魔法文明の遺産と言うべきか」
転移装置の前から移動しつつ、エレーナが感心したように呟いた。
そのエレーナの隣を歩きつつ、レイもまた頷く。
尚、レイの手はいきなりの転移で驚いて周囲を見回しているセトの頭を撫でているのだが、そんなレイの手にイエロがよじ登っているのは、周囲にいる者達にしてみればどこかほんわかするような気持ちを抱かせていた。
実は転移という意味ではレイ達の中でもセトが唯一の経験者であったりするのだが、周囲を見回している様子からはとてもそうは見えない。
レイ達が転移して戻って来た時には一瞬驚愕の表情を浮かべつつ距離を取ろうとした者もいたのだが、そんなイエロの様子を見ると思わず頬を緩ませる。
時刻はまだ午後を少し回ったところであり、周囲に冒険者の姿がそれ程多くないというのも騒がしくならなかった原因の1つだろう。
「さて、取りあえずどうする? ダンジョンから戻って来たんだし、食事にでもするか?」
自分の腕を昇ってきているイエロをセトの背に戻しながらエレーナに尋ねるレイだったが、エレーナは小さく首を振る。
「いや、まずはギルドに行こう」
「ギルドに? 何でまた?」
「素材や魔石、討伐証明部位の買い取りに決まっているだろう。以前はこの手の仕事は全てヴェルに任せていたからな。実はちょっと体験してみたいと思っていたんだ」
「体験、ねぇ。別にこれといって変わったことは無いと思うけどな」
「それは既にギルドで精算するのが生活の一部になっているレイだからこそだろう。私は残念ながらそうじゃない。それに……ちょっと聞きたいこともあるしな」
そう告げるエレーナの瞳は一瞬だけだが鋭く光り、本来の目的が素材等の買い取りというものではなく、聞きたいことであるというのが明らかだった。
そして何を聞きたいのかを半ば理解しているレイも、それ以上は何を言うでも無くエレーナの意見に同意してギルドへと向かう。
そんな2人と2匹をその場にいた冒険者達は声もなく見送り……後ろ姿が見えなくなったところでようやく口を開く。
「おいおいおいおい! 何でグリフォンを連れている冒険者とかいるんだよ。ちょっと洒落にならないだろ!?」
「あ、ああ。それに……俺の見間違えじゃなければ、グリフォンの背に乗っていたのは竜に見えたんだが」
「俺にも見えたってことは、夢や幻覚じゃないんだな」
「あんないい女、生まれて初めて見たぞ。うわ、本気で一晩お相手願いたいな」
「ちょっと、止めておきなさいよ。知らないの? あの女の人と一緒にいたのって深紅よ?」
「……マジ?」
「ああ、そう言えばあんたは昨日ダンジョンで一晩過ごしたんだっけ? なら知らないのも無理は無いか。間違い無いわ。昨日エグジルに到着して、ギルドでダンジョンカードを作った時にベスティア帝国との戦争に参加してた人が言ったらしいから。しかも深紅のギルドランクはBなんだって」
「……マジ?」
「マジもマジよ。そっちはギルドの受付がギルドカードを見て洩らしたんだから間違い無いでしょ」
「まだ10代も半ばのガキだろ? それがランクBって……」
「ま、下手に手を出したりしたら、まず間違い無くこれでしょうね」
呟き、首をかき切る仕草をする女冒険者。
それを見ていた男はその仕草に思わず息を呑みつつ首を振る。
「いやいや。幾ら何でもそんな真似は……」
「どうかしら? 深紅の噂話を聞く限りだと、敵対した相手に対しては相当容赦無いみたいよ? ベスティア帝国軍を1人で全部燃やしたって話はともかく、それに文句を言った貴族の四肢を切断して見世物にしたとかいう噂も聞くし」
四肢切断して見世物。そう聞かされた冒険者の男は、再び息を呑む。
文句を言っただけでそのような行為をされるのなら、仲間に手を出したりしたらどうなるのかと。
「……幾らいい女でも、絶対に手を出さねえ方が良さそうだな」
「そうね。ま、あんたの相手なら私がしてあげるから喜びなさい」
「……え?」
そんな風に、レイを出汁にしたかのような行為で1組の恋人が出来たりしてはいたのだが、噂話というのは際限無く広まり、拡大していくのが常である。もっとも、レイが貴族派の貴族でもあったルノジス・イマーヘンという次期侯爵の両肩を切断したというのは事実であったのだが、そこから尾ひれに背びれ、胸びれまでついて噂話は広がっていた。
「素材の買い取りと、ちょっと聞きたい事があるんだが」
「え? あ、は、はい。素材の買い取りは向こうでお願いします。聞きたいことというのは……何でしょう?」
レイの言葉に、ギルドの受付嬢がそう返す。
その受付嬢の言葉に返事をしたのは、レイではなくその隣にいるエレーナだった。
「ビューネ・フラウトについてだ。何故彼女の年齢でダンジョンの中をソロで動くことを容認しているのだ?」
「彼女の場合は自らが望んでの行動ですから。家の問題もあって、ギルドとしても断る訳にはいかなかったというのもあります」
「だが、あの年齢だぞ?」
「はい、それは理解しています。ですが、彼女はお金が必要であり、また私達ギルドにしても腕の立つ盗賊というのは幾らいても困るということはありません。それに、ご存じの通り冒険者というのは自己責任であり、本人に実力とやる気があればギルドとしては拒否できません。それが、このエグジルの繁栄を築いたフラウト家のご令嬢であれば尚更です」
エレーナの迫力に押されつつも、受付嬢は決して退くことなく言い募る。
受付嬢にしてみれば、確かに目の前にいる人物は20年程生きてきた中で初めて見る程の美形であり、さらには公爵令嬢であり、姫将軍の異名も持つ人物だ。だが、それでもギルド職員として決してここで退く訳にはいかなかった。
そんな受付嬢の思いを感じ取ったのだろう。レイがエレーナの白い鎧に包まれた肩へと手を置く。
「エレーナ、お前の負けだ。確かに冒険者はそこの受付が言うように自己責任だ。だからこそ冒険者というのがここまで力を持つようになったんだからな」
「だが!」
言い募るエレーナを宥めつつ、レイもまた考える。
(確かに自己責任だとは言っても、普通10歳程度の子供が登録に来たら周囲の冒険者達が止める。それを止めないというのは色々と怪しい。まぁ、ダンジョンを発見してエグジルを治めていた家ってのが関係しているんだろうが……かと言って、聞いた話によるとフラウト家が没落してから既に300年近くも経っているって話だ。それなのに、まだそこまで影響力が残っているものなのか?)
内心で疑問を抱きつつも、これ以上ここで騒いでもギルドに迷惑を掛けるだけだと悟ったレイは、周囲から向けられている好奇の視線を無視しつつエレーナを連れて素材の買い取りカウンターへと向かう。
受付と買い取りがきっちりと分かれているというのも、冒険者の数が多い迷宮都市であるエグジル独特の制度なのだろう。
「レイ! 何故……」
「エレーナ」
レイは何かを言い募ろうとするエレーナの言葉へと割り込み、声を掛ける。
「……なんだ」
それに不承不承答えるエレーナ。
「お前は今まで軍人として活動してきた。それ故に冒険者については詳しくない。……だろう?」
レイの問いに、無言で頷くエレーナ。
軍人の世界ならこれ以上無い程に知っているし、貴族の世界もそれなりには知っている。だが、冒険者という存在とモンスターの討伐以外で深く関わったことの無いエレーナにとって、レイの問い掛けは頷くしかなかった。
「軍人には軍人の、冒険者には冒険者の流儀がある。……分かるな?」
「……」
レイの言葉に、再び無言で頷くエレーナ。
感情としては納得していないが、理性では理解しているといったところか。
「ほら、また今度ビューネに会ったらその辺のことを聞いてみればいいだろ。今は素材の売却を済ませて宿に戻るぞ」
「分かった」
レイの言葉に従い、2人はギルドの中でも素材の買い取りをしている場所へと向かう。
幸い、まだ日も高い為かカウンターに並んでいる冒険者の数はそれ程多くは無く、空いているカウンターも数ヶ所存在している。そんなカウンターの1つへとレイとエレーナは向かい、ギルド職員へと声を掛ける。
「素材の買い取りを頼む」
「……それは構いませんけど、肝心の素材は? 何も持っているようには見えませんよ?」
30代程の女の職員が、レイを見て首を傾げる。
ただし、内心ではギルド職員に広まっていた姫将軍を間近で見ることが出来て歓喜の悲鳴を上げていた。
この辺、内心で何を考えていても表に出さないのはプロだということなのだろう。
「ああ、悪い。ここだ」
呟き、ミスティリングからカウンターの上に剥ぎ取った素材や、魔石、討伐証明部位を出しては並べていくレイ。
素材その物は有り触れたものだし、剥ぎ取られた素材の質に関しても殆どが中の下辺りで、最も状態が良い物でも中の上といったところ。だが、それでもレイを見ている女の職員は驚愕に目を見開く。
「アイテム……ボックス……」
「ああ、まあな。それよりも買い取りの査定を頼む。まぁ、地下1階と2階のモンスターの素材なんだから金額には期待してないけど」
平然とアイテムボックスの存在を認めるレイに、唖然としつつもすぐに我に返る女。その場で素材の査定を始める。
そんな様子を数人の冒険者が見ていたが、溜息を吐きながら首を振りつつギルドを出て行く。異名持ちである以上、アイテムボックスを持っていてもおかしくないと判断したのだろう。
あるいは、もっと人の多い時間帯であれば無謀にもレイに絡んでミスティリングを奪おうと考える、身の程知らずとしか言えないような存在がいたかもしれない。だが、この点もまだ日が高くギルドにいる冒険者の数が少なかったことが幸いした。
「あ、はい。少々お待ち下さい」
レイの声に買い取り担当の職員も我に返り、素材を確認していく。
とは言っても、量自体がそれ程に多くないので確認はすぐに終わり……
「素材、魔石、討伐証明部位。全て併せて銀貨4枚に銅貨5枚となりますが、よろしいでしょうか?」
「ああ、それで構わない。というか、予想よりもかなり高くて驚いたな。てっきり銀貨2枚になれば御の字程度に考えてたんだけど」
「最近魔石の値段が上がってきてまして、マースチェル家とレビソール家が競うようにギルドから魔石を買い取っているんですよ。勿論ギルドとしても正規の値段で買い取って貰っている以上文句は言えませんが、おかげでマジックアイテムの方に回せる分が足りなくなりそうなんですよね。なので、現在魔石の買い取り額が上がっています。都市の住民が普通に使うマジックアイテムに使う魔石なので、質より量なんですけどね。なので、よろしければレイさんとエレーナさんもその辺を念頭に置いてダンジョンに潜って貰えると助かります」
チラリ、とレイの手首を見ながら言葉を続ける女。
「特にレイさんはアイテムボックスがある以上、ポーターは必要無いでしょうし」
「俺達はどんどんダンジョンに潜って先に進むつもりだから、雑魚モンスターの魔石を売れるのは今のうちだけになりそうだな。それでも良ければなるべく多くの魔石を持ってこよう」
「そうして貰えると助かります」
女の言葉に頷くレイに、エレーナがその言葉に水を差すかのように言葉を掛ける。
「もっとも、レイの場合は魔石を集めるという妙な趣味を持っているから、あまり魔石を買い取って貰うことは出来ないかもしれないけどな」
「魔石の収集?」
その言葉に、チラリとレイへと視線を向ける女。
エレーナにしてみれば、レイがダンジョンにやって来た最大の目的はマジックアイテムと同時にセトやデスサイズに吸収させるための魔石だと知っている。それ故に、これから先ダンジョンで得る魔石を全て売らずに確保しておけるようにという、一種の牽制の為の言葉だった。
それが分かったのだろう。レイはエレーナの気遣いに苦笑を浮かべて女に頷く。
「ああ。基本的に入手出来た魔石は保存用と観賞用の2つずつ確保している。悪いけどこっちは売ることが出来ない」
「……そう、ですか。でも逆に考えれば、その2つ以外はこちらに売って貰えるんですよね? ああ、勿論ギルドじゃなくて街にある店に直接でも構いませんが」
女の言葉に内心で首を傾げつつも頷くレイ。
ギルドにしてみれば、当然マースチェル家やレビソール家が魔石を集めているのならギルドから売りたい筈だ。それがギルドの収益にもなるのだから。なので、ギルド以外に売ってもいいという女の言葉はレイに疑問を抱かせる。
もっとも、これには魔石の絶対数が足りないというエグジルの現在の状況も関係している。
今はまだ魔石の在庫に余裕があるが、このままのペースで魔石を買い取られていくといずれマジックアイテムに回す分が不足する可能性もある。それ故に、少しでも市場に魔石を流して不足分を補おうという考えだった。
貴族としての教育から女の考えを理解したエレーナはともかく、レイは思わず女に尋ねようとして……
「ふざけるな! お前のせいでこっちに被害が出たんだぞ!? なのに報酬を欲張りすぎだろ!?」
そんな怒声がギルドの中へと響き渡る。
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