第360話

「……ん? 何でここで止まるんだ?」


 バイコーンの討伐依頼を完了してギルムの街へと戻っている途中、不意に馬車の速度が緩まってきたのを感じてレイが呟く。

 窓の外を見れば流れていく景色の速度も遅くなってきており、馬車が止まろうとしているのは明らかだった。

 だが、レイの向かいに座っているマルカは何を当然のことを、とばかりに腕を組んで口を開く。


「既に昼も過ぎておる。となれば決まっておろう? 昼食の時間じゃ」

「……ああ、なるほど」


 何となく納得してから、再び首を傾げる。

 そもそも、昼食を食べるのならバイコーンの群れと戦った場所で食べても良かった筈なのだ。正確な時間を計れる時計は持っていないが、それでもあの時既に昼近かったのは事実なのだから。

 あるいは、バイコーンの血の臭いを嗅ぎつけて他のモンスターが襲ってくる可能性もあったが、グリフォンであるセトがその気配を隠さなければ余程自分の力に実力のあるモンスターか、はたまた力の差を感じ取れないような頭の悪いモンスター以外に襲われる心配はなかったのだから。

 だが、レイのそんな疑問は小さな笑みを浮かべて口を開いたコアンの言葉によって解消される。


「冒険者なら、多少血の臭いがしている場所で食事をするのはそう珍しくもありません。ギルド職員のレジデンスさんも同様でしょう。あの身のこなしを見る限りでは、恐らく元冒険者でしょうから。ですが、貴族の方にそれを期待するのは酷というものですよ。私としてもお嬢様にそのような場所で食事をして欲しくはありませんし」

「確かに普通に考えれば有り得ないか」


 あるいはギルムの街の領主でもあるダスカー辺りなら、普通に冒険者達と一緒にそんな場所で食事をしてもおかしくない。そんな風に思いつつ、今回共に行動している貴族3人の顔を思い浮かべてすぐに納得する。


(マルカはその辺、あまり気にしそうにない。オルキデにしても面倒なことは嫌うタイプだろうから、わざわざ場所を移してまでとは思わないだろう。となると、問題なのはアルニヒトか。……もっとも、あれが本当に素の性格なら、だが)


 これまでにも何度か会話をしたが、そのたびに偉そうな口調や態度でレイを含めた試験参加者達に接してくるアルニヒト。だが、レイの目から見てどうしてもこれまでに幾度となく自分に絡んできたような貴族と同じ人種には見えなかったのだ。

 そして何よりも、セトがアルニヒトに対して警戒や嫌悪感を抱いていない。それが決定的だった。


「ほら、降りるぞ。外の者も妾達を待っておるだろうからな」


 マルカに連れられ馬車から降りたレイは、レジデンスの近くにロブレとシュティー、オンズの3人がいるのを確認する。


「さ、ここはいいので行って下さい。お嬢様の面倒は私が引き受けますので」

「むぅ、コアン、あまり妾を子供扱いするでない」

「そうは言っても、お嬢様はまだまだお若いですしね」

「……幼い、と言いたそうな顔に見えるぞ。まぁ、それはよいからレイは向こうに行ってくるといい」


 そんなマルカに促され、レジデンスの近くまで移動するとレイが来るのを待っていたのだろう。小さく頷き口を開く。


「さて。それぞれ馬車の中で聞いていると思うが、今から昼食だ。お前達には俺を含めた者達の分も食事を作って貰う」

「……は?」


 案の定と言うべきか、レジデンスの言葉に間の抜けた声を漏らすロブレ。

 その隣ではシュティーが難しい顔をして何かを考え込んでいたが、やがてレジデンスに向かって口を開く。


「その、昼食に関してもランクアップ試験に関係しているのでしょうか?」

「そう思ってくれて構わない。お前達も知っての通り、ランクBにもなれば貴族と行動を共にすることがある。その時に貴族が料理人を連れていればいいが、必ずしもそうとは限らない。その時に一緒にいる冒険者が食事の1つも作れなかったりすると色々と不味いだろう?」

「いやいやいやいや。それなら、干し肉とか焼き固めたパンとかの保存食を食わせておけばいいじゃないか」


 そこまで甘やかすのはごめんだとばかりにロブレが告げるが、レジデンスは小さく首を横に振る。


「貴族はその類の保存食を食べ慣れていないからな。それこそ身体に合わなくて食べられずに体調を崩すかもしれない。それを防ぐ為には多少なりとも調理された料理を出せるようになっておいた方がいい。この件に関しては、出来た方がいいという程度だが」


 そうは言いつつも、これも試験の一環であると聞いた以上はレイ達にしても手を抜ける筈が無い。


「一応、俺のアイテムボックスの中には大量に料理が入ってるけど、それを使うのは駄目なのか?」

「お前だけの試験ならともかく、今回はこの場にいる全員の試験だからな。今回の試験で使えるのはお前達が持ってきた荷物に入っていた材料と、バイコーンの肉のみとする」

「アイテムボックスを使うのが駄目となると、他の連中の荷物も俺のアイテムボックスの中に入ってるんだが?」

「そちらに関しては使用を許可しよう。元々は馬車に積んで持ってくることが出来たんだしな。他に質問は?」


 アイテムボックスの中に入っている料理をそのまま出すのは却下されたレイは、手を上げて口を開く。


「料理そのものを出すのは却下というのは分かった。なら、調味料に関しては?」

「……そうだな、調味料なら普通の冒険者も場所を取らないからある程度持っていてもおかしくは無いか。構わない、料理と材料以外は許可しよう。他に質問がある者はいるか?」


 レジデンスの言葉に、誰も口を開く様子は無い。

 ロブレはまさか料理までもがランクアップ試験に関係してくるとは思っていなかったのか頭を抱えており、シュティーは一応料理が出来る身としてこの場で自分が采配をしなければ駄目だろうと早速何を作るのかで頭を悩ませ、オンズは相変わらず何を言うでもなく表情を変える様子は無い。


「よし、なら早速準備に掛かってくれ。ただし、調理に掛ける時間は最長でも1時間とする」


 レジデンスはそう告げ、マルカ達の下へと戻っていく。

 それを見送ったシュティーは、早速とばかりにレイへと声を掛ける。


「レイ、早速で悪いんだけど調味料は何がある?」

「塩、胡椒、砂糖を初めとした基本的な物や香草の類は結構あるな。後は串焼きとかで使うタレもあるぞ」

「他に何か料理に使えそうな物はある? 禁止されたのは料理その物と材料でしょう?」

「そうだな……」


 数秒悩み、脳裏に展開したミスティリングのリストを眺めていき……やがて、ある物を見つけて笑みを浮かべる。


「これとかどうだ?」


 呟き、取り出したのは複数の青い宝石が埋め込まれた鞘に収まっている短剣だ。


「短剣? これでバイコーンの……ああ、そうだ、悪いけどまずはバイコーンを1匹出してくれる? 時間が無いんだから、まず捌いていかないと。ロブレ、オンズ、バイコーンの解体をお願い。素材に関しては……」

「そうだな、一応俺が一番多くバイコーンを貰ってるんだし、料理に使うバイコーンは俺が出すとしよう」

「ありがと。ってことだから、バイコーンの素材に関してもきちんと剥ぎ取っておいてね。皮と魔石はきちんと処理しておいて頂戴」

「ああ、分かった。任せろ」

「……」


 シュティーの言葉にロブレはやる気を見せて頷き、オンズもまた同様に無言で頷く。

 2人はレイがミスティリングから出したバイコーンの死体を引っ張って少し離れた場所へと向かい、早速解体を開始する。


「話を遮ってごめんね。で、この短剣はなんなの?」

「流水の短剣というマジックアイテムだ。水を出すという効果を持つマジックアイテムだが……ほら、飲んでみろ」


 流水の短剣を発動させ、ミスティリングから取り出した木のコップに水を注いでシュティーへと手渡すレイ。

 それを受け取り、若干怪しみながらも1口、2口と水を口に含み……


「っ!? こ、これって……美味しい。とんでもなく美味しいわ、この水」

「食材は駄目だって話だが、マジックアイテムの使用は禁止されていないからな。この水を使ってスープとかを作ってみるとかはどうだ?」

「そう、ね。……そうね」


 呟き、同じ言葉を繰り返したシュティーはやがて首を横に振る。


「確かにこの水を使わない手は無いわ。ただ、ちょっと尋常じゃないくらいにこの水が美味しすぎるのを考えると、スープにしても具材の方が圧倒的に負けてしまうんじゃないかしら。それなら、普通に飲料水として出した方がいいと思うわ」

「そうか? まぁ、俺よりも料理の腕が良さそうなシュティーがそう言うなら、そうした方がよさそうだな」

「スープに関しては、普通の飲み水を使って作りましょ。バイコーンの肉と……野菜が問題ね。幾つか干した物は持ってきてるけど。レイ、私の荷物を出してくれる?」


 シュティーの言葉を聞き、ミスティリングから2個のバッグを取り出す。

 それを受け取り、その中から袋を取り出すシュティー。

 袋の中には、乾燥させたキノコが何種類か入っており、それを使ってスープを作るつもりのようだ。

 他にも、塩漬けや乾燥させた野菜や肉、あるいは木の実といったものを取り出しては料理を考えるシュティー。

 その様子を横目に、レイは近くにある枯れ木を集めて魔法を使って火を起こしてからバイコーンの解体をしているロブレとオンズの方へと向かう。


「どうだ?」

「見れば分かるだろ。もう少しで終わるよ」


 レイの声に素っ気無く返すロブレ。

 恋人のシュティーがレイと一緒に仲良く――ロブレ視点で――昼食のメニューの相談をしている光景を見たのが原因なのだろう。

 だが、その手のことに鈍いレイはロブレが不機嫌な原因に気が付かず、小さく首を振って解体されているバイコーンへと視線を向ける。

 皮は既に剥ぎ取られており、内臓の類も既に取り出されて魔石も心臓と一緒に取り出されている。

 今は既に肉を切り分ける段階に入っており、10分もしないうちにここまで解体を進める手際は際立っていると言ってもいいだろう。


「グルルルゥ」


 そんなレイ達の横では、セトが喉を鳴らしながらバイコーンの生肉をオンズから幾らか分けて貰って味わっていた。


「セト、食い過ぎるなよ」


 レイもそう言いはするものの、特に止める様子は無くセトの好きにさせる。


「ロブレ、肉を持ってきて! 時間が無いから、簡単な料理から作り始めるわよ!」

「分かった、すぐに持っていく!」


 レイの作った焚き火の前でスープの準備を進めていたシュティーの声を聞き、得意気な表情を浮かべたままレイを一瞥し、バイコーンのもも肉の固まりを担いで移動する。


「……何だ?」


 だが、ロブレの行動の意味を理解出来ていないレイは、困惑した表情のままロブレを見送るのだった。


「……」


 そんなレイの横では、短時間の調理では固くて食べられないすね肉の部分を切り取っていたオンズが、レイへと視線を向けて来る。


「どうした?」

「この肉、セトにやってもいいか?」


 久しぶりに聞いたオンズの声に頷くレイ。

 それを見たオンズは寡黙な表情を浮かべつつも、微かに口元に笑みを浮かべながらセトへとすね肉を渡す。


「グルゥ、グルルルルゥッ!」


 こちらも生ではあるが、多少固いくらいの肉でもセトのクチバシはあっさりと食い千切る。

 そのまま次々にクチバシで食い千切り、バイコーン1匹分、足4本分のすね肉は瞬く間にセトの胃の中に収まるのだった。

 そして30分程経ち……ようやく料理が完成する。


「料理が出来たので、昼食の時間でーす!」


 そんな声に呼ばれるように、レイとセトの1人と1匹。そしてセトへの餌付けに挑戦していたオンズは、呼んでいるシュティーの方へと向かう。

 尚、解体して料理に使わない分のバイコーンの肉に関しては、何度かロブレが取りに来て持っていった部位とセトが食べた分を除き既にレイのミスティリングの中へと収納されている。勿論、魔石や皮といった剥ぎ取った素材も同様にだ。


「……ほう、予想外に豪華なものじゃな。以前コアンに聞いた話によれば、依頼中の食事というのは干し肉や焼き固めたパンといった、味よりも保存性を優先したものになると聞いておったが」


 出された料理にマルカが感心の声を上げる。


「そうですね。今回はバイコーンというモンスターの肉がありましたし、街を出る前に多少でも食料を買い揃えていたおかげでしょう」


 コアンがマルカに説明するように告げながら、バイコーンの串焼きに手を伸ばす。


「だが、貴族である私達に地面に座って食事をしろというのは些かどうかと思うがな。それに料理にしても家で出されるのに比べれば質素極まりない」

「まぁ、そう言うなよ。そもそも街の外で調理したんだからしょうがないだろ? それに面倒臭い礼儀作法とか気にしなくてもいいのを考えると、俺としては歓迎だけどな」


 微かに眉を顰めたアルニヒトがスープに手を伸ばしながらそう告げ、オルキデは面倒臭い作法を気にしなくてもいいと嬉しそうに笑みを浮かべて串焼きへと手を伸ばす。

 シュティーの手によって作られた料理は、バイコーンの串焼きと、バイコーンの肉や干した野菜、草原に生えている食べられる野草を使って作ったスープ、こればかりは保存性を考えるとしょうがない焼き固められたパンの3つだった。

 ただし、串焼きにはバイコーンの肉でもロース、もも肉、バラ肉、ヒレ肉といった風に様々な部位が使われており、調味料も塩や胡椒以外にレイが持っていた香草や複数のタレを使って飽きさせない作りになっている。本来であれば肉は熟成させた方が美味いのだが、各種肉の部位、あるいは多種多様な味付けで舌を楽しませていた。

 そして何よりも……


「美味い! な、何だこの水は!? これまで飲んできた中で、ここまで美味い水は飲んだことがないぞ!?」


 アルニヒトがコップの水を飲み、そう叫ぶ。

 そう、レイが流水の短剣で作り出した水だ。

 込められた魔力によりその水の美味さが変わるという特性を持っている流水の短剣が、レイの莫大な魔力を用いて生み出した水なのだ。その水はただの水というよりも、既に1品の料理として考えてもおかしくない程の味となっている。

 それも、串焼きやスープといった料理に負けない程に。

 こうして、一同はシュティーの作った料理とレイの作り出した水を満喫し――手の込んだ料理よりも水の方が美味いと言われてシュティーがショックを受けていたが――無事に昼食を終えることが出来たのだった。

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