第358話
眼下には草原が広がり、その緑の絨毯の中にはポツポツと白や茶の点のような物がある。
かなりの高度を取って飛んでいる為に点に見えるが、その白や茶の点は草原に寝転がっているバイコーンであり、セトはそれを空高くから見下ろしていた。
「グルルゥ……」
いつもならレイと一緒に行動しているのだが、現在は自分だけ。その状況に若干の心細さと寂しさを感じながらも、セトは小さく喉を鳴らして意識を下にいるバイコーン達へと向ける。
シュティーの提案した作戦というのは非常にシンプルなもので、セトが気配を隠さずにバイコーンの群れへと近づき、レイ達がいる場所まで追い込むというものだった。本来であればこれ程に単純な、作戦とも呼べないような作戦が群れを成して狩りをするバイコーンに通じる筈も無い。……そう、本来なら、だ。
だが、今回バイコーンの群れを追い立てるのはグリフォンのセトであり、バイコーンとの格の違いは明らかだった。だからこそ、バイコーンはセトが気配を隠さずに近付けば、それを察知してさっさと逃げ出すのは明らかだった。
上空を飛んでバイコーンの群れの真上を通り過ぎ、その反対側へと移動した後は翼を羽ばたかせ……地上へと降下してく。
「グルルルルルルゥッ!」
自分はここにいる、グリフォンという存在がお前達を狙っている、と明確に示しながら。
「ヒヒヒヒヒィィィンッ!」
自分達のいる場所へと近づいて来た、圧倒的に格上の気配。最初にそれに気が付いたバイコーンの1匹が高く嘶き、次の瞬間には寝転がっていた草原から立ち上がり、セトが近付いてくるのとは正反対の方向……即ち、レイ達が待ち受けている方へと向かって駆けていく。
「グルルルルゥッ!」
それを確認しながらも、群れの中の数匹がレイ達がいる方向とは別の場所へと向かおうとすればウィンドアローや水球といったスキルを駆使してバイコーンの逃げる方向を調整していく。
その様は、傍から見た者がいれば恐らく牧羊犬を思い起こさせていただろう。
……もっとも、凶悪と言ってもいい程の性能を持つ牧羊犬なのだが。
「ブルルルルル!」
「ヒヒィン!」
群れから離れた場所に移動しようとしても、その進行方向に水球が着弾して草と大地を弾けさせる。あるいは、ウィンドアローが連続して放たれてバイコーンの進行方向にある草を次々に斬り裂いていく。
それに驚いたバイコーン達は悲鳴を上げながらも、1つの群れのままでレイ達が待ち構えている方へと走っていく。
ある時は群れの先頭が目的地から逸れていくのを見て、群れの位置を調整するように小刻みに群れの近くを飛び回って群れの位置を調整し……そのまま15分程バイコーンの群れは走り続け、やがてセトの視界の先にレイを含めた者達の姿が目に入ってくる。
「グルルルルルルゥッ!」
視線の先にいるレイへと届けと、高く鳴き声を上げるセト。
その声が聞こえたのだろう。レイ達は近付いてくるバイコーンを待ち受けるようにそれぞれの武器を構える。
時は少し遡る。
シュティーの作戦を採用し、飛び立ったセトがバイコーンの群れを追い立ててくるのを待ち受けるかのように、レイ達はそれぞれ武器の準備を整えていた。
ミスティリングからデスサイズと投擲用の槍を取り出し、デスサイズの巨大さに初めて見た者達に驚愕の視線を向けられ、またロブレやシュティー、オンズもそれぞれが槍、弓矢、短剣と自分の武器を手に持ち、背の高い草に身を潜めるようにして待ち構える。
尚、馬車に関しては戦場として設定したこの場所から少し離れた場所に置いておき、戦闘の邪魔にならないようになっている。
他のモンスターに襲撃されるかもしれないということを考えれば多少危険かもしれないとシュティーも悩んだが、かと言ってバイコーンと戦うすぐ近くに馬車を纏めておく方が危険だとロブレに主張され、まさかランクアップ試験であるのに誰かを護衛として馬車に付ける訳にもいかず、結局は妥協案として見える場所に馬車を纏めておき、モンスターが襲撃してきたら御者が急いでレイ達の下に駆け付けるということになったのだった。
「おい、レイとか言ったな。ちょっといいか?」
草の影に隠れていたレイへと、唐突に声が掛けられる。
振り向いたレイの視線の先にいたのは、バイコーン討伐の時にも守らなければいけない筈の貴族であるアルニヒトだった。
「何だ? 見ての通りいつバイコーンの群れが追い立てられるか分からないんだ。用事なら手早く済ませてくれ」
「ああ、勿論だ。こっちとしてもそれ程複雑な話をするつもりないしな。……で、だ。単刀直入に言おう。悪いが今回の試験をわざと失敗して欲しい」
「……何?」
目の前にいる人物が何を言っているのか分からない。思わずそんな視線をアルニヒトへと向けるレイ。
数秒程目の前にいる人物が本物かどうかを確認し、あるいは正気かどうかをも確かめた後に口を開く。
「何故だ? バイコーンの群れは凶暴で、色々とギルムの街の素材調達にも影響が出るかもしれないと聞いてるが?」
「だからだよ。実はちょっとした伝手があってな。バイコーンの群れが辺境の素材を多少でも品薄にすればこちらに利益が出ることになっている。どうだ?」
そんなアルニヒトの言葉に、不愉快そうに眉を顰めるレイ。
「今回の依頼は、俺のランクアップ試験も兼ねての……いや、そっちがより重要な事項の筈だが? その状態で意図的にバイコーンを見逃せと?」
「勿論それ相応の謝礼はする。お前はマジックアイテムを集めていると聞いているが?」
「……よく知ってるな」
「交渉を持ちかける相手のことを調べるのは当然だろう? で、どうする」
返事を促すアルニヒトだったが、一瞬の悩みすらもなくレイは決断する。
「悪いが断る。確かにマジックアイテムに関しては集めているが、ランクBとお前が俺に提供するマジックアイテムで考えると前者の方が上だしな。それにお前は次期男爵との話だが、それなら俺が持っている金で買える程度のマジックアイテムしかないだろう?」
「ぐっ、……まぁ、いい。お前が断ると言うのならそれもしょうがない。どうしても必要な利益という訳では無いしな。だが、忠告しておくが私の提案を他人には話さない方がいい。この試験に合格したいのならな」
どこか脅すように告げてくるアルニヒトだったが、レイはそれに小さく肩を竦めて答える。
既に視線はアルニヒトから外れており、いつセトがバイコーンの群れを追い立てて来たとしても問題無いように構えていた。
その態度を見て大丈夫だと判断したのだろう。アルニヒトはそれ以上特に何を言うでもなく、レイの側から離れていく。
(さて、今回の件は試験の一環なのか、あるいはアルニヒト自身の金銭欲からか。……どのみち、レジデンスに対して報告だけはしておいた方がいいだろうな)
内心でこれからどう行動するのかを考えていると、やがて草原の向こうからポツポツと馬の形をしたモンスターの姿を確認出来るようになってきた。
セトの追い込みが上手くいっているのだろうと判断し、レイは周囲へと視線を向ける。
当然、見える範囲には身を晒している者はいない。更に追い立てられたバイコーンがどう動くのかが不明な為に、全体的に広がるように待ち伏せているのだから当然だろう。
だが、姿が見えないからといって声が聞こえない訳でも無く……
「もうすぐ来るぞ!」
その声と共に、それぞれが自分の武器を構えて待ち受ける。
中でも、弓を武器とするシュティーはセトに追いやられているバイコーンに対して遠距離から攻撃することが可能であり、同じく飛斬のスキルや槍の投擲によって遠距離攻撃が可能なレイよりも射程距離が長いこともあって戦いの火蓋を切る役目を任されていた。
例えこの場にいる面子は全員がランクC冒険者であり、バイコーン単体では相手にならないとしても、それでも不用意な危険を冒すような真似をする必要は無いとしてこの選択肢になったのだ。
本来であれば、自分達が遠くから矢で狙われていると気が付けば進路をずらすだろう。だが、背後からセトが追って来ている以上はそんな悠長な真似が出来る筈も無い。それ故に……
「ふっ!」
500m程の距離まで縮まり、射程距離に入ったと判断した瞬間シュティーは弓に番えていた矢を放つ。
冒険者でも何でも無い普通の狩人が使う弓の射程が100m前後であると考えれば、シュティーがどれだけ突出した弓術士なのかというが分かるだろう。逆に言えば、それ程の能力を持っているからこそランクC冒険者まで上り詰めることが出来、ランクアップ試験に挑めるということなのだが。
シュティーの弓から放たれた矢は、山なりの軌道を描きながら自分達の方へと向かってくるバイコーンへと降っていき、バイコーンの群れの中にいる1匹の胴体へと命中する。
「ヒヒヒヒイイィィィンッ!」
痛みに悲鳴を上げるバイコーンだが、それでも足は止めない。速度は多少遅くなったが、それでも背後から迫って来る死から逃れようと必死に足を動かしている。
「見たか、シュティーの弓の腕を!」
ロブレが隠れていると思しき丈の長い草から自慢気な声が聞こえて来るが、シュティーはそれに何を言うでもなく次から次に矢を放つ。
さすがにこれ程の距離があれば雨の如く矢を降らせるといった真似は出来ないのだが、それでも途切れることなく矢は一矢ずつバイコーンの群れへと降り注ぎ続ける。
そして不幸なことに何本もの矢が突き刺さったバイコーンや、あるいは太股や足に矢が命中したバイコーンはそれ以上走ることが出来ずに地面へと倒れ込み、自分の後ろを走っていたバイコーンの蹄に踏みつけられて命を散らしていく。
あるいは速度が遅くなったバイコーンは、群れから置いて行かれて背後から迫っているセトに追いつかれ……前足の一撃によりあっさりと命を散らす。
バイコーンの群れはシュティーの攻撃により脱落し、あるいは傷つきながらもレイ達の待ち受けている方へと迫って来る。
その距離が100m程になった時、レイは隠れていた場所から槍を手に、筋力の全てを使って思い切りバイコーンへと向かって投擲を開始する。
空気を斬り裂くかのように放たれた槍は、先頭を突き進んでいたバイコーンのうちの1匹の胴体を貫通、その背後にいた個体の胴体へと突き刺さってようやく止まった。
その投擲を見ていた貴族達やロブレは、槍を投げただけだというのに見せつけられたその威力と射程距離に驚愕する。
特にシュティーは、唖然とし過ぎて数秒程ではあるが矢を射るという行為そのものを忘れ去ってしまっていた。
「シュティーッ!」
そのことに気が付いたロブレの叱責するような声を聞き、慌てて再び矢を射始める。
レイもその様子に気が付いてはいたが、声をかけるよりもとにかく敵の数を減らすことを優先し、ミスティリングから槍を取り出しては人外とも言える筋力で投げ続け、次々にバイコーンを串刺しにしていく。
さすがに最初に投擲した時のように、1度の投擲で2匹のバイコーンを仕留めるというのはそれ程多くは出来ない。だが、それでも幾度かは2匹、あるいは3匹のバイコーンを仕留めている。
ただし、バイコーンにしても背後から迫って来るセトから必死に逃げ延びようとしており、中には槍で貫かれたにも関わらず全く速度を落とすことなく突き進んでくる個体も少なからず存在していた。
そして……やがてそのバイコーンの群れは無数の傷を負い、多くが脱落しながらもレイ達の隠れている草原の中へと突入してくる。
「うおりゃあああぁっ!」
まず最初に隠れていた草むらから飛び出したのは、当然の如く血の気の多いロブレだ。
2m程の槍を手に、真っ直ぐに自分達の方へと向かってくるバイコーンへと向かって鋭く穂先を突き出す。
狼の獣人の膂力で突き出されたその槍は、バイコーンが迎えうとうとした2本の角を容易くへし折り、その頭部を貫く。
(へぇ、口に出すだけあって腕は立つんだな)
手に持っていた武器を、投擲用の槍からデスサイズへと持ち替えながらその様子を眺め、内心で呟くレイ。
そのまま自分も一気にバイコーンの群れの前に躍り出て……
「はああぁぁぁっ!」
死神が魂を刈るかの如く、バイコーンの首を切断していく。
魔力を流したデスサイズの刃は、ロブレの槍すらも受け止められない角で防げる筈も無く、その巨大な刃が閃く度に並みの馬よりも大きなバイコーンの首が切断され、頭部が空中に舞う。
一瞬の後、切断面から鮮血が噴き出し、周囲を血の色で染める。
そんな中で踊るようにデスサイズを振り回し、あるいは炎の魔法を放つレイの姿は、確かに深紅という異名が付けられるのに相応しいものだったのだろう。
同時に、そんなレイに負けていられないとばかりにロブレの槍捌きも冴え、シュティーの放つ矢も逃げようとしているバイコーンの胴体へと突き刺さり、オンズはシュティーの護衛をこなし、あるいは突出しがちなロブレのフォローに徹底していた。
更にバイコーンにとっては致命的なことに、とうとう背後からセトが追いつき前足を振るい、あるいはクチバシによる鋭い一撃で次々に命を絶たれていく。
「角には気をつけろよ!」
念の為にレイがそう叫ぶも、そもそもバイコーンは単独ではランクDでしかない。集団になって初めてレイ達と同じランクCになるのだが、それも背後からセトに追われて半ば恐慌状態になっている状態ではその連携を発揮できる筈も無く……最終的には群れを率いていたと思われる、他のバイコーンよりも1回り程大きな個体の首をレイがデスサイズで切断し、バイコーンの群れの駆除はあっさりと終了するのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます