第352話

「おおっ! レイ。随分と久しぶりだな。遅くなってしまったが、お前のおかげでベスティア帝国との戦争は勝つことが出来たし、中立派としての面目も保たれた。感謝するぞ」


 領主の館にあるダスカーの執務室。そこに入った途端、執務机で書類を整理していたダスカーはその厳つい顔に笑みを浮かべて椅子から立ち上がり、レイへと感謝の言葉を掛けてくる。

 一見すると戦士や騎士にしか見えないような、厳つい顔をした中年の男が書類仕事をこなしているのに一瞬だけ似合わないという驚きの表情を作るも、すぐにレイもまた笑みを浮かべて頭を下げる。


「俺としても、傭兵として雇われた以上は仕事をこなしただけです」

「はっはっは。そうは言うがな、お前が果たした役割はかなり大きい。物資の輸送に行軍中にセトを使っての周囲の索敵。そして極めつけがあの戦いだ。もしお前がいなかったら、俺達中立派や貴族派はかなりの被害を受けていただろうよ。王都でのゴタゴタがあってギルムの街に戻ってくるのは遅くなったが、マジックテントに関してはギルドマスター経由で受け取ったか?」

「はい、エモシオンの街に向かう時にも随分と重宝しました」

「そうか、それは何よりだ。あのマジックテントは俺が持っているマジックアイテムの中でもかなりの品でな。多少型が古くて中で火や水は使えないが、夜営する時に使う分としては問題無いだろう」

「そうですね。俺の場合は水を出す短剣も持ってますし、火に関しては魔法でどうとでも出来ます。もっとも、外でやらないといけないのは多少面倒かもしれませんが、普通に夜営をするのと比べると雲泥の差ですよ」


 レイの言葉に笑みを浮かべて頷くダスカー。

 本人にしてみれば満足そうな笑みなのだろうが、何も知らない者がその笑顔を見れば獰猛な肉食獣の笑みと表現しても構わない程度に威圧的に見えていた。

 ランクアップ試験を受けると決めた翌日、レイはダスカーにマジックアイテムのお礼を言おうと領主の屋敷にやって来たのだが、そのレイを出迎えたのは妙に好意的な騎士団員達であり、その上司であるダスカーもまた同様にレイに対して非常に好意的だった。

 もっとも、レイのおかげで得た利益を思えばそれは不思議でも何でも無い。本来ならば先陣部隊として莫大な被害を負っていた筈だったのが、レイの魔法で被害が殆ど無いままに勝ち残れたのだから。それによって得た利益は、ミレアーナ王国内での中立派の影響力を高めるのに十分なものがあったのだ。

 その影響力を駆使するべく長期間王都に残っていたのだが、それも一段落したとあってようやく自らの領地でもあるギルムの街に戻って来たのはつい最近、それこそ数日程前の話だった。

 街に戻って来たら戻って来たで、溜まっていた仕事を次々に片付け、あるいは自分がいない間に街で起こった出来事について話を聞き、数日掛けてその辺を片付けたところに、レイがやってきたのだ。

 ダスカーにしてみれば、機嫌が良くなるのも当然だった。


「にしても、レムレースか。エモシオンの街に関してはモンスターに封鎖されているって話を王都でも聞いたが……そうか、レイが解決してくれたのか。ありがたい」

「いえ、それ程でも。それに、レムレースは高い知性と知能を持ったモンスターでした。それが、何故エモシオンの街を封鎖したのか。その原因が解明されない限りは完璧に安全とは言えませんし」

「……そうだな。確かにその辺はまだ解決していなかったか。だが、それに関しては王都からも研究者がいずれ派遣されるって噂も聞いているし、お前がそれ程気にする必要は無いだろう。それよりも、だ」


 笑みを浮かべて上機嫌で話し続けていたダスカーが、不意に真面目な表情になってレイへと視線を向けて来る。


「クエント公爵令嬢に会ったんだってな?」

「はい、会いましたが。何か不味いことでも?」

「……いや、俺にはお前が誰と会おうが止める権利は無いから、会うなとは言えねえよ。それよりも、どうだった? あのお嬢ちゃんにあって」

「そうですね、色々と驚きました。まだ10歳にも満たない年齢なのに、あそこまで魔法を使いこなせるというのは凄いですね」

「お前が魔法云々で言っても嫌味にしか聞こえないけどな」


 苦笑を浮かべつつそう告げてくるダスカーだったが、レイにしてみれば炎の魔法しか使えない自分と違い、風、土、光と3つの魔法を得意としているという意味では、手数に関しては確実に自分よりも多いという思いがあった。


(まぁ、だからと言って戦って負けるとは思えないけどな)


 攻撃の手数そのものはマルカに及ばないという自覚があるが、炎の魔法に特化している自分の攻撃を向こうがどうにか出来るとは思えなかった。

 もっとも、それをフォローする為にコアンという前衛がいるのだろうが。


「取りあえずマルカとは友人としてこれから付き合っていくことになりましたよ」

「……友人、ねぇ。まぁ、お前がそのつもりなら俺は何も言わないが。ただ、マルカはともかくその父親は中々に強かだから気を付けろよ」

「はい、ご忠告ありがとうございます」


 ダスカーの言葉に、素直に頭を下げるレイ。


「さて、取りあえずこれからの予定を聞いてもいいか? ランクアップ試験を受けるそうだが、暫くはギルムの街で冒険者として活動すると考えてもいいのか?」

「……いえ。申し訳ありませんが、もう少ししたら迷宮都市に向かう予定となっています」

「迷宮都市? ……なるほど、マジックアイテムや魔石を集めるのが趣味なら、その選択肢はそう悪くないか。だが、ソロでダンジョンに潜るのは厳しいぞ?」


 心配そうにレイへと視線を向けてくるダスカー。

 かつて王都で騎士団に所属していた時、ちょっとした任務で迷宮都市でダンジョンに潜ったことがあるだけに、その言葉は本物を知っている者だけが口に出せる真剣さが存在していた。

 だが、そんなダスカーの言葉にレイは小さく笑みを浮かべて首を横に振る。


「大丈夫です、俺1人で潜る訳ではないですから。セトもいますし」


 本来はそこでエレーナも共にダンジョンへと潜ると口にするべきだったのだろう。だが、貴族派と中立派という派閥の違いを考えるとそれを説明するのを躊躇してしまう。


「そうか。……そうか」


 2度頷き、分かったとでも言うように強面の顔に笑みを浮かべるダスカー。

 レイが何かを言い渋っているというのは見ていれば理解出来たし、何を言い渋っているのかというのも、レイとの付き合いがそれなりに長くなってきたダスカーにしてみれば想像するのはそう難しい話ではなかった。


(恐らくは姫将軍……だろうな)


 ギルムの街の近くに存在するダンジョン。そこへ共に潜った時や、ベスティア帝国との戦争といったことで幾度となく顔を合わせ、2人の仲が深まっているというのは当然ダスカーも知っていた。だが、当然ダスカーに人の恋愛に関して口を出す権利がある筈も無く、あるいはこの2人の関係が中立派と貴族派の間に友好的な関係を作り出せるかもしれないという希望的観測も持っていた。

 それ故に、薄々は察しつつも特に何を言うでもなく話題を逸らす。


「ランクアップ試験か。これで合格すれば、最速でランクB冒険者になった男ってことになるな」

「その辺はあまり自覚ありませんけどね」


 小さく肩を竦め、メイドが用意してくれた冷たい水で喉を潤す。

 コップの中に入っている氷水は、夏に客を出迎えるのはこれ以上無い程のもてなしだった。

 その冷たい水を飲み干し、コップをテーブルの上に置かれたのを合図にしたかのように、扉からノックの音が聞こえてくる。


「入れ」

「失礼します、ダスカー様。そろそろミロトス男爵とお約束の時間となりますが、どうされますか?」


 ダスカーの声に入って来たメイドは、優雅に一礼してそう尋ねる。

 レイとの話に集中していたダスカーは、面会の約束をすっかり忘れていたのだろう。


(あるいは、面会したく無かったのかもしれないな)


 微かに顰められた眉に、ふと内心でそんな風に思うレイ。

 とは言っても、レイにしてもまさか貴族との約束があるというダスカーをこれ以上引き留めることが出来る筈も無く、また同様にその必要性も認めていなかった。そもそもレイが今回領主の館に来たのは、エモシオンの街へと向かう前にマジックテントを貰った礼を告げる為だったのだから。


「ではダスカー様が忙しいようなので、俺もこの辺で……ああ、そう言えば忘れてましたね、これをどうぞ」


 そう告げ、ミスティリングから取り出したのは50cm程もあろうかという、巨大な魚だった。緑と赤、2色の鱗が無数に生えているのが非常に目立つ魚だ。これをエモシオンの街の魚屋で見た時には、こんなに目立って海中のモンスターとかに狙われないのか? というものだった。

 魚屋の主人に聞いた話だと、岩の隙間や海草に潜りこんでいるような魚であり、それなりに美味い魚であると言われて購入に踏み切ったのだ。


「うおっ、この魚は……?」

「エモシオン土産ですので、良ければ夕食にでも食べて下さい。幸いこの大きさですし、ダスカー様だけではなく何人かで食べても十分かと。ちなみに魚屋で聞いたお薦めの食べ方は蒸して酸味のあるソースを掛けるという料理法だそうです」

「……そうか、ありがたく貰っておく。おい」

「はい、お任せ下さい。今日の夕食のメインはこれを使わせて貰います」


 ダスカーの声にペコリと頭を下げ、レイの手から受け取った大きめの魚の尻尾を持ち、去って行くメイド。

 どちらかと言えば大きめの魚を素手で鷲掴みにして平気な顔で持っていくその様は、一種異様なものを感じさせるのだった。


「……さ、さて。じゃあ俺はこれで失礼しますね」

「ああ、ランクアップ試験は頑張ってくれ。腕のいい高ランク冒険者が出て来るのは街の領主としても嬉しいしな」


 メイドに関しては特に何も感じていないのか、特に表情を変えずにそう告げ、ダスカーはレイを見送る。


 




「グルルルゥ」


 領主の館から出たレイを見つけ、嬉しそうに喉を鳴らしたセトが駆け寄ってくる。 

 最初にレイが領主の屋敷に来た時には厩舎に入れられていたのだが、幾度となく訪れている間に騎士達もセトがいる光景に慣れたのか今ではすっかり自由にさせていた。

 もっとも、ベスティア帝国との戦争でレイとセトが先陣を切って攻撃してくれたおかげで戦死者が驚く程少なかったという理由もあるのだろう。中には感謝の意味も込めて街中で会った時には干し肉を与えている騎士の姿を見ることも出来る。

 この時も、セトは口の中に干し肉を収めていた。

 いつもよりも低い声で鳴いたのは、それが理由なのだろう。


「何だ、干し肉を貰ったのか?」

「グルルゥ」


 コクリと頷くセトを軽く撫で、領主の館の正門へと向かう。

 そこにいたのは、それこそ既に何度となく会ったことのある門番であり、顔見知りの相手といっても良かった。

 実際、この日も朝に領主の館へと訪れた時に取り次ぎをして貰っている。

 ただし、いつもは2人いるのだが今日は何かの理由があるのか1人のみで門番としてそこに立っていた。


「ん? もういいのか? 随分と早かったな」

「ああ、ダスカー様も他の貴族と面会の約束があるとかいう話だったからな」

「……なるほど。そう言えばさっき馬車がここを通り過ぎていったな」


 門番の男にしてもあまり好んでいる相手ではないのか、微かに眉を顰めて呟く。

 そんな様子に気が付きつつも、これ以上突っ込むのは色々と不味いと判断して受け流し、セトと共に門の外へと出る。

 そのまま街へと戻ろうかとし、ふと気が付きミスティリングから小さい魚の一夜干しを取り出す。


「やるよ」

「ん? これは……魚?」


 怪訝そうな顔で尋ねてくる門番に、一夜干しを手渡しながら頷くレイ。


「知ってるかどうか分からないが、エモシオンの街まで出掛けていてな。その土産だ。言っておくが賄賂とかそういうのじゃないぞ。いつもダスカー様に取り次いで貰って世話になってるから、その礼だ」

「ほう、海の魚か。確かにそれは珍しいな。ありがたく貰っておこう」


 門番の男は、小さく笑みを浮かべて一夜干しを受け取ってから言葉を続ける。


「まぁ、俺みたいな門番に賄賂を渡しても大して意味が無いのは事実だからな。それに、幾ら何でも魚を1匹渡して賄賂に……なんて風には考えられないだろうし、気にしなくてもいい。この魚については、今日の夕食にでも楽しませて貰うよ」

「そうしてくれ」


 小さく手を上げ、レイとセトは領主の屋敷から街へと向かって行く。

 まずはエモシオン土産を顔見知りの者達へと配り、あるいはランクアップ試験についての準備を整える為に。






 こうして残り2日が過ぎ……ランクアップ試験の説明の日がやってくるのだった。

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