第351話
ギルドマスターの執務室でマリーナが口にした、ランクBへのランクアップ試験。
それを聞いたレイは小さく頷く。
「そう言えば、そんな話もあったな」
ベスティア帝国との戦争で異名を付けられる程に活躍し、更にはランクB、あるいはランクA相当と思われるレムレースの討伐を行ったのだ。それを思えばランクアップ試験の話が出るのも無理は無いし、何よりベスティア帝国との戦争が終わった時点で既にレイはランクアップ試験に挑戦出来るだけの実績と実力は兼ね備えていた。
それでもすぐにランクアップ試験が行われなかったのは、単純にレイを目当てにした有象無象がギルムの街に入り込んでいた為だ。もしそのままランクアップ試験を続けていたとしたら、恐らく少なくない数の騒動が街中で起こっていたのは間違い無いだろう。
「あらあら、もしかして忘れてたの?」
蠱惑的な笑みを浮かべ、近くにあった道具を使って自分用のお茶を淹れる。
レイはその仕草に感心しながらも、小さく肩を竦めて口を開く。
「そうは言っても、レムレースの件があったからな。ランクアップ試験については思い出さなかったってのが正確なところだ」
「ふぅん。……じゃあ、どうする? 試験を受けるのは止めておく?」
「いや、勿論受けられるなら受けるさ。こっちとしてもランクが上がるのは願ったり叶ったりだからな。特に希少種とか高ランクモンスターの討伐依頼はランク制限されていることも多いし」
「そう、ならある意味では丁度良かったかもしれないわね」
「……何がだ?」
「今のこの状況が、よ。昨日クエント公爵家の屋敷に向かったんだから、レイが今どんな状況にいるのかは大体予想出来るでしょ?」
濡れたような唇をお茶の入ったカップに付け、目で笑みを浮かべるマリーナ。
レイにしても、マリーナが何を言いたいのかは半ば理解していた。
何しろ、自分に向けられている視線が幾つもあるのだ。その中には当然ギルムの街に住んでいて、レイとセトに対して親しみを持つ視線や、あるいは冒険者達の憧れや畏怖、あるいは好意や恐怖といった視線もあるし、レイがいない間にギルムの街にやってきた冒険者の、力を計るような視線もある。だが、それ以外にもいつ接触しようかという、タイミングを見計らっているような視線もあったのだ。
そして、昨日のマルカとの話。それを考えれば、その視線の持ち主達がどんな思惑を持っているのかは明らかだった。
「仕官するつもりは全く無いんだがな」
「その程度は向こうも分かってるでしょうけど、それを知った上でもレイを自分達の味方に引き込みたいんでしょ。それに、普通の冒険者なら絶対に納得させられる条件を用意してるんでしょうし」
笑みを浮かべ、そのままお茶が入っているカップへと口を付けてから再び口を開く。
「で、話を戻すけどランクアップ試験についてよ。内容は貴族と一緒に討伐依頼を行って貰うだけ」
「……何?」
ある意味で予想外の言葉に、思わず尋ね返すレイ。
ランクDへと上がる時のランクアップ試験は、人を殺せるかどうかということと、臨時のパーティを組んでその中で連携を上手く出来るかというものだった。それなのに、今度のランクアップ試験については貴族と共に討伐依頼を行うというものなのだ。
そんなレイの驚きを他所に、マリーナは言葉を続ける。
「恐らくこれまでにも聞いたことはあるでしょうけど、ランクB以上になれば貴族からの依頼、あるいは国から……更には王族からの依頼といったものが出て来ることもあるわ。それを踏まえての決断が必要になるの。その結果を見て合否を判断させて貰うわ。……本来なら、この手の試験に関してはギルムの街に常駐している貴族に手伝って貰うんだけど、今回はレイを目当てにした貴族の関係者が大勢いるしね。折角だからそっちに手伝って貰うことにしたのよ」
「何で、と聞いてもいいか?」
わざわざレイを引き込む為に来た貴族達と、その標的でもあるレイと一緒に行動させる。それは、色々な意味でトラブルをもたらす要因にしか思えなかった。少なくてもレイにとっては。
「折角この街にレイを目当てにして来てるんだもの。断るにしろ、受けるにしろ、会っておかないと向こうにとっても面子ってものがあるでしょ。……まぁ、そうは言っても大勢いる中で数人程度といったところになるんでしょうけど」
「数人? 試験を受けるのは俺だけじゃないのか?」
「そうよ。レイ以外にも今回のランクアップ試験を受ける人はいるわ。そっちにはもう連絡がいってるけどね」
「なるほど、結構前から決まっていたのか」
「そういうこと。試験の説明については3日後よ。午前9時の鐘が鳴るまでにギルド2階にある会議室まで来てね」
笑みを浮かべて告げてくるマリーナに、小さく溜息を吐くレイ。
既にここまで準備が整っている以上、断るという選択肢は無かった。いや、あったのかもしれないが、その選択肢を取ると色々と問題が起きるのを理解していたのだ。
「了解、3日後の午前9時だな。一応聞いておくが、セトは連れていってもいいのか? 前回のランクアップ試験では却下されたが」
「ええ。前回は連携を見るという目的があったからセトを連れていくのは駄目だったけど、今回は連れて行っても問題無いわ。……ただし、分かっているとは思うけど従魔が問題行動を起こした場合はレイの責任になるから。その辺を理解した上で連れてきてね」
その言葉に、思わずピクリと反応するレイ。
基本的に従魔が問題を起こした場合、何らかの明確な理由が無い限り責任を取るのがその飼い主であるというのは一般的な事実である。だが、わざわざそれを強調するかのような言葉で告げてくるのを考えると、そこに別の意図があるように思えた。
(その貴族とかが、セトに対して何かする可能性があるのか? あるいは、そうならざるを得ないような状況に持って行かれるのか? ……いや、ここで考えてもしょうがない。これ自体が何らかの意図を含んでいるのかもしれないし)
内心で呟き、ふと気が付き改めてマリーナへと視線を向ける。
「ちなみに、今回のランクアップ試験に参加するのは俺以外に何人いるのか聞いてもいいか?」
「レイの他にもう3人いるわ。その人達と協力して挑んで貰うことになると思う」
「……なるほど、分かった」
自分1人ではないというのは素直に嬉しかったが、逆に不安に思う要素もあった。
ランクBへのランクアップ試験を受けるのだから、それは当然腕の立つ人物であるのは間違いの無い事実であり、そのような人物と上手くやっていけるかどうかということだ。
基本的には人付き合いがそれ程得意ではないレイにとって、足手纏い云々という話よりもそちらの方が大きな問題だった。
「さて、じゃあこっちからの連絡事項は以上よ。後は3日後に会議室で試験官から詳しい話を聞いてね」
「ああ、そうさせてもらうよ」
最後に冷えてしまったお茶を一気に喉へと流し込み、ソファから立ち上がる。
「あらあら。折角の美味しいお茶なのに、冷まして飲むなんて勿体ない」
「そうでもないさ。夏なのを考えれば、冷たいお茶も悪くない」
そう告げ、ミスティリングから魚の一夜干しを数匹程取り出してテーブルの上に置く。
「……これは?」
何故こんな物が置かれるのか分からない。そんな風に小首を傾げるマリーナに、レイは小さく肩を竦めて口を開く。
「エモシオン土産だよ。向こうでも美味いと評判の店から買ってきた魚の一夜干しだ」
「……そう、ありがとう」
何とも言えない顔で、それでもお土産を貰ったことに短く礼を告げるマリーナ。
この部屋にやってきて以来、手の平の上で踊らされていた感じのするマリーナに対してようやく一矢報いたレイは、一夜干しの匂いが苦手なのか微かに眉を顰めているのを見てしてやったりといった笑顔を浮かべて執務室を出て行くのだった。
尚、レイがお土産として一夜干しを渡したのは決して純粋な嫌がらせという訳では無く、本当に美味い一夜干しであったという理由もある。実際、マリーナの視線の先にある一夜干しはそれなりに高級な品であり、銅貨5枚程の値段であったのだから。
「……どうしたものかしら、これ。海の魚は匂いがきつくてあまり好きではないのだけど」
ダークエルフとして森の中で生まれたマリーナだけに、魚といえば川魚であり、それ故に目の前の魚をどうするべきか非常に悩むのだった。
尚、エモシオンの街のような港街の住人に言わせると、川魚は泥臭くて苦手だということになり、この辺はそれぞれが育って来た環境によるものなのだろう。
「あ、レイ君。ギルドマスターとのお話終わったの?」
「ん? ああ。ランクアップ試験に関してだったな」
執務室から降りてきたレイを目敏く見つけたケニーが耳を動かしながら声を掛ける。
やはり自分以上の色気のある人物ということで警戒しているのか、例え上司であってもレイにちょっかいを掛ける相手として認識しているらしい。
だが、それもレイの口から出た言葉に目を丸くする。
「え? レイ君、もうランクアップ試験を受けるの!?」
その言葉が思いの外周囲に響いたのは、やはり忙しい時間帯が終わって皆一段落していたからこそだろう。カウンターの中にいた事務員達や、ケニーの隣にいるレノラ、更にはレイがまだ殆ど話したことも無いような受付嬢達までもが驚愕の視線を向けている。
そしてその言葉に驚いているのはギルドの職員だけではない。レイがギルドにやってきた時よりも大分数が少なくなったとは言っても、まだある程度の冒険者達は残っている。その冒険者達までもがカウンター内部にいるレイへと驚愕の視線を向けていた。
ただし、それはある意味ではしょうがないことでもあった。現在のレイはギルド登録後に最短でランクCまで駆け上がった人物としても有名である以上、もしそれが今回のランクアップ試験に合格すれば最短でランクBになった冒険者ということになるのだから。
「レイさん、本当にランクアップ試験を受けるんですか?」
レノラもまた、自分がある意味では弟のように思っているレイがランクアップ試験を受けると聞き、心配そうに声を掛ける。
「ああ、幸い実績は十分にあるからな。そのおかげで受けられることになった」
「けど……ちょっと早すぎじゃないですか? もう少しランクCで経験を積んでもいいのでは?」
「ちょっと、レノラ。レイ君の実力があればランクBでもやっていけるって判断されたからランクアップ試験の打診があったんでしょ? なら問題無いじゃない」
「それは確かにそうだけど……」
ケニーにそう返しながらも、レノラの視線はどこか心配そうにレイへと向けられている。
レイにしても自分のことを心配してレノラがそう言っているのは分かっているので、安心させるように小さく笑みを浮かべて口を開く。
「それに、今回は前回と違ってセトも一緒だからな」
「……それが心配なんですけど。基本的にランクBへのランクアップ試験は冒険者としての実力よりも、どちらかと言えばそれ以外のものが審査されることが多いと聞きます。ああ、勿論実力に関しても十分に審査はされるんですが。そこに、セトちゃんが一緒になったりしたらどんな騒動が巻き起こるか……」
小さな溜息。セトが……グリフォンがどれだけ貴重な存在なのかというのは、冒険者に関わっている者なら誰でも理解している。そう、理解しているからこそ、心配をしていた。
基本的にランクBへのランクアップ試験に関しては貴族が関わってくることが多く、試験を受ける冒険者の中には、最終的にその貴族と敵対するなり喧嘩別れするなりする者もいる。ギルドとしてはそのような貴族との付き合いは遠慮したいというのが正直な気持ちなのだが、それでもギルドに対して色々な意味で影響力を持っている貴族を完全に排除することは出来ない。
更に言えば、このギルムの街に関しては領主が質実剛健なラルクス辺境伯のダスカーということもあり、王都のような貴族の勢力が強い場所よりは大分マシと言えるだろう。
「その、本当ならまだランクアップ試験を受けるには早いと思うのですが、それでも受けるというのなら貴族の方との付き合いには十分に注意して下さい」
「そうだな。レノラにそこまで心配させるようなら、その辺は注意しよう」
そうは言うものの、レイの中では基本的に貴族に対する尊敬というものは殆ど無い。いや、極少数の貴族に対しては敬う気持ちはあるものの、自分のことしか考えていないような貴族に対して酷く冷酷な気持ちを抱いているのだった。
こうして、レイはランクアップ試験を受けることになる。
尚、ギルド職員に対する土産として渡したシーフードを大量に使ったサンドイッチは、大変喜ばれるのだった。
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