第331話
自らが空中を落下していく感覚を覚えつつも、レイの目に宿るのは恐怖ではなく強固な決意のみだった。
エモシオンの街へとやってきて暫くの間、延々と見えない場所から攻撃され続けた苛立ちといったものも勿論感じてはいるが、それも含めて周囲一帯を覆い隠す水蒸気の向こう側にいるだろうレムレースに対しての戦意を燃え上がらせる。
そのまま水蒸気の中を落下し続けること数秒。直感的に今が攻撃の好機であると判断したレイは、持っていたデスサイズを振るう。
1m先も見えないような水蒸気の中では、レムレースとの間合いを正確に計るのは不可能だ。そんな状況では幾ら大鎌であるとはいっても近接戦闘用の武器は役に立たないだろう。……レイに遠距離攻撃の手段が無ければ、だ。
(魔法で片付けるにしても、さっきのウォーターブレスを見た限りじゃかなり難しいしな)
内心で呟き、デスサイズのスキルを発動する。
「飛斬っ!」
その叫びと共に振るわれたデスサイズの刃から斬撃が飛び、水蒸気を斬り裂きながらその向こうにいるだろうレムレースを切り刻まんと飛んでいく。だが……
「駄目だっ、レイ!」
地上から聞こえて来るエグレットの言葉に、レイはデスサイズを振り抜いた状態のままで落下しながら小さく眉を顰める。
不審には思ったものの、空中にいる状態では何を言っているのか分からない為にそのまま地上へと落下していき、地上に衝突寸前でスレイプニルの靴を発動。落下速度を殺してフワリと音も立てずに地面へと着地する。
水蒸気は地上にまで及んでいなかったのか、厳しい顔付きでポール・アックスの残骸と思しきものを持っているエグレットの姿と、苦々しげな表情をしているミロワール、半ば顔を青ざめさせているヘンデカといった面々を確認出来た。
自分達の近くにレイが降り立ったのに気が付いた3人は急いでレイの下へと走り寄る。
「レイ、こっちだ。一旦離れるぞ。幸い、今は水蒸気で奴から周囲一帯が見えなく……」
「エグレット!」
反射的に自分へと近寄ってきたエグレットを鎧の上から蹴り、エグレットをミロワール、ヘンデカの3人共々纏めて吹き飛ばす。同時に、レイもまたその反動を使って大きく飛ぶ。そして次の瞬間……
「シャアアアアアッ!」
そんな声を上げつつ、レムレースの頭部がつい一瞬前までレイのいた場所を通り過ぎていく。
「ちっ、相変わらず視力以外でこっちの居場所を探る手段は生きてるらしいな。海中でなければ使えないのがベストだったんだが」
空中で体勢を整えてそのまま地面へと着地してレムレースの追撃に備えるも、ふと気がつく。
(いや、待て。セトじゃなくて俺に気が付く? となると海での出来事も空を飛んでいるセトじゃなくて俺の気配を……確かにシェンと一緒に飛んでいる時も、攻撃が仕掛けられたのは俺とセトだけだった。つまり……ちぃっ!)
内心で考えが纏まりそうなところで、再び迫ってくる巨大なレムレースの頭部。真横を通り過ぎてから一端上へと移動し、そのまま真下にいるレイへと向かって丸呑みにしてやるとばかりに迫ってくる。
「食われてたまるか!」
叫びつつ跳躍し、再びスレイプニルの靴を発動。1歩、2歩、3歩と空中を跳ねるように移動しながら、デスサイズを振るう。
「飛斬!」
再度放たれた飛ぶ斬撃。レイの攻撃方法の中では瞬時に使用出来て、威力もそれなりに高い。更には遠距離攻撃であるというのもあって、最も使い慣れているスキルだ。
だが……次の瞬間、レイは何故先程エグレットが自分へと制止の声を掛けたのか理由を知ることになる。
デスサイズの刃から飛んでいった斬撃は、確かにレムレースの胴体へと命中する。だが紫色の粘液で覆われたその胴体は、斬撃が命中した後も何ら変わりなくそこに存在していた。そう、一切の傷を負うことすらもなく。
「ばっ!」
これまで幾度となく使用してきた飛斬。それだけ威力には自信があっただけに、無傷のレムレースを見て空中で一瞬だけだが動きを止める。
そしてスレイプニルの靴の効果も切れ、空中にただ浮かんでいるだけのその状態を、知性を持っているレムレースが見逃す筈が無かった。
轟っ!
頭部ではなく尾を振るい、その巨体がレイへと迫って来る。
「っ!? ちぃっ、くそがああぁぁぁぁっ!」
空中に浮かんでいたレイに出来たのは、咄嗟にドラゴンローブを使って防御を固めるだけだった。
それで直接的なダメージを防ぐことは出来るが、体長30mを越えるレムレースの尾が命中した衝撃まで全てを防げる訳ではない。
大人が投げた石ころのように吹き飛ばされ、そのまま数度のバウンドをしつつ地面を削りながらようやく勢いを殺すことに成功する。
レムレースがいた場所から500m程も吹き飛ばされ、それでも尚デスサイズの柄を離さなかったのはさすがというべきだろう。
そのまま石突きを地面に突きながら立ち上がろうとして、脇腹に鈍い痛みを感じ取る。
(痛っ、……折れていないのは不幸中の幸いってところか)
ドラゴンローブの中に手を入れ、脇腹を探って怪我の具合を確認して内心で忌々しげに呟く。
そんな風にしている間にも、視線の先にいるレムレースは再び身体を持ち上げ、高い位置からレイの方へと視線を向けて喉を光らせる。
上空から飛び下りて攻撃した時は分からなかったが、恐らくあれがウォーターブレスの準備段階なのだろうと判断したレイは素早くデスサイズを構えながらスキルを発動する。
「マジックシールド!」
その言葉と同時に、レイのすぐ側に現れる光の盾。それを確認するや否や、レイはレムレースとの間合いを縮めるべく距離を詰める。同時にデスサイズを左手に持ち替え、右手にはミスティリングから取り出した投擲用の槍を握る。
レイが得意としている……というよりも唯一使える炎の魔法がレムレースのウォーターブレスによって防がれるかもしれない以上、他の手段を取るべきだと判断した為だ。
だが、勢いを付けて槍を投擲しようとしているレイへと向かい、エグレットが大声で叫ぶ。
「駄目だ、レイ! 奴の身体の表面から溢れている紫の液体は武器を腐らせるぞ!」
その言葉を聞き、一瞬だけエグレットの手元へと視線を向けるレイ。
確かにエグレットの持っていたポール・アックスは、既に武器とは呼べない程の残骸となっていた。精々使えて柄の部分を棍棒代わりに使えるといったところだろう。事実、エグレットは代わりの武器を腐食させて使えなくするよりはと、ポール・アックスの残骸を打撃武器として使っていた。
そんなエグレットの声を聞き流しつつ、レムレースの胴体目掛けて力の限り投擲する槍。同時に、レムレースもレイが攻撃した隙を突くかのように大きく開いた口から大量の水流を吐き出す。
(頼むぞ!)
レイの手から放たれた槍は、空気を斬り裂きながら獲物を貫かんとレムレースの太い胴体目掛けて突き進む。
同時にレムレースから吐き出されたウォーターブレスはマジックシールドに命中し、レイへと一切ダメージを与えないままに周囲へと盛大に水を撒き散らす。
その様子を見ながら、レイは再度ミスティリングから比較的状態のいい、普通に武器として使える槍を取り出してエグレットの方へと放り投げた。
「それを使え!」
叫ぶと同時に、3度ミスティリングから槍を取り出していつでも放てるように狙いを付ける。
レムレースの吐き出しているウォーターブレスを防ぎ続けているマジックシールドを見ながら、一瞬だけ先程自分の投擲した槍の方へと視線を向ける。だが、そこにあるのは、レムレースの胴体に刺さりもせずに地面に落ちている槍のみだ。
「くそっ、駄目か!」
レイの目から見ても分かる程に地面に落ちている槍の穂先は腐食しており、エグレットに忠告された武器を腐食させるという言葉が事実だということを理解する。
その様子を確認し、再び視線をレムレースへと戻し……
「っ!?」
その瞬間、目に入ってきた光景に思わず息を呑む。
そう、レムレースから放たれてるウォーターブレスを防いでいるマジックシールドを構成している光の盾が、端から徐々に霞のように消えていっているのだ。
「馬鹿なっ!」
その様子に思わず叫ぶレイだが、ここで叫んだところで何が変わる訳でもない。今考えるべきは、マジックシールドが消滅した後にどうやって自分に降り注ぐであろうウォーターブレスを防ぐかということだ。
(どんな攻撃も1度だけ防ぐことは可能だと思っていたんたが……いや、ウォーターブレスを受け続けている間が1度以上と判断された……じゃない! 今考えるのは、どうやってこの状況から抜け出すかだ!)
慌てて周囲へと視線を巡らすと、少し離れた場所でヘンデカが必死になって弓を引き絞ってレムレースの頭部を狙って矢を射っている光景が目に入ってくる。鏃はレムレースの身体から滲み出ている紫の液体に触れ、その殆どが意味をなしていない。だが、それでも必死になって矢を放っているその光景を目にし、すぐにエグレットやミロワールもヘンデカが何を狙っているのかを理解したのだろう。鞭や槍では届かないと知ると、周囲に落ちている石を拾ってはレムレースの頭部目掛けて投げ付ける。
同時に、空を飛んでいたセトとシェンもまた同様にレムレースの顔面目掛けて攻撃を仕掛け始めた。
「キキキキィッ!」
甲高い鳴き声と共にシェンの周囲に5本程の氷の矢が姿を現し、レムレースの頭部目掛けて撃ち放たれる。
さすがに紫の液体で武器を防ぐといっても魔法は別らしく、レムレースは狙われている頭部、中でも目を氷の矢で貫かれるのは嫌らしく瞼を閉じて目を防護する。
それでも尚、口から放たれているウォーターブレスを止めずにレイへと攻撃をし続けているのが、レムレースがどれだけレイに対して脅威を覚えているかの証だった。また、レムレースがレイの存在を感じ取ることが可能で、逃がす心配が無いというのも、瞼を閉じた理由の1つだろう。
だが……この時レムレースは判断を誤った。レイの相棒であり、魔獣術によって生み出された存在を忘れていたのだ。
「グルルルルルゥッ!」
雄叫びを上げながら、上空から真下へと向かって落下していくセト。ただの落下ではなく、少しでも威力を増す為に翼で羽ばたき、更にその速度を上げていた。
その雄叫びに、自分へと近づいて来ている脅威に気が付いたのだろう。レムレースは身動きをし……次の瞬間、セトの振るった前足の一撃が頭部へと叩きつけられる。
セト自身の体重に、翼を羽ばたかせて落下速度を上げ、更には前足に嵌っている剛力の腕輪の効果をも加えた一撃。その一撃は、30mを越える体長を持つレムレースの頭部へと命中し、次の瞬間には頭部が地面へと叩きつけられる。
バキャッという、生肉が地面に叩きつけられるような音を周囲に響かせ、同時にレムレースの頭部が地面に叩きつけられた振動によりその場にいた者は地震でもあったかのような衝撃を感じ取っていた。
当然、一瞬前までレムレースが放っていたウォーターブレスにしても強制的に口を閉じさせられている為に中断されており、それを見た瞬間にレイは叫ぶ。
「今だ! 頭部には腐食液が無いから、攻撃が通じる筈だ!」
「うおおおおおおおぉぉぉっ!」
レイの声が周囲に響くと同時に……否、それより一瞬早く動き出したエグレットが、手に持っていた槍をレムレースの頭部に突きささんと雄叫びを上げながら襲い掛かる。
「シャ、シャアアアアアアッ!」
レムレースにもそれが分かったのだろう。首を振って自分に襲い掛かってきたエグレットへと向かい、牙で噛み砕かんと牙を剥き出しにして大きく顎を開く。
その瞬間、セトの強力極まりない一撃により頭部を地面に強烈に叩きつけられたレムレースが混乱と動揺をしたその一瞬に、最大のチャンスがレイへと巡ってくる。
レムレースにしてみれば、身体の表面から出している紫色の腐食液の影響が無い頭部を狙って襲い掛かって来る、すでに自分のすぐ側まで迫っているエグレットと、自分の攻撃を防いだとはいってもまだ100m程度離れた場所にいるレイ。どちらも自分の間合いの内側ではあるが、それでもすぐ近くまで迫ってきているエグレットの方が脅威度が高いと認識し……
轟っ!
大きく開いた牙がエグレットへと襲い掛かろうとしたその瞬間、レイが渾身の力を込めて投擲した槍が空気を斬り裂きながら飛来し、レムレースの喉、ウォーターブレスを放つのに必要な箇所へと突き刺さる。
「ジャアアアアアアアアッ!」
喉を貫かれた影響か、先程よりもどこか籠もった叫び声を上げ……
「死ねやこらぁぁぁぁぁぁっ!!」
激痛で悲鳴を上げているレムレースの右目へと向かって、エグレットの雄叫びと共に槍が突き刺さるのだった。
その一撃を食らい、あまりの激痛に地面を転がって暴れているレムレースを相手に、レイもまた脇腹の痛みを覚えつつデスサイズを握りしめて慎重に間合いを詰めていく。
命を絶つ一撃を与える為に。
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