第330話
「これは……」
「グルルルゥ」
レイとセトが自分達の隣に浮かんでいるグリムの姿を見て思わず息を呑む。
レイには魔力を感じ取る能力というものは無い。だが、それでも隣に立っているグリムが集めている強大な魔力は、強烈な違和感としてレイにその存在を強く意識させていた。
『では、まずはこの付近に存在しているレムレースとやらを探すとしようか』
呟き、豪奢なローブに覆われている腕を振るうグリム。レイ自身は気が付かなかったが、それだけで振るわれた腕を通すようにして魔力が放たれ、海中へと広がって行く。グリムを中心にして円状に魔力が広がって行くその様子は、もしレイが魔力を見る、あるいは感じることが出来ていれば、恐らく潜水艦が使うというソナーという言葉を思い出していただろう。
『ふむ、どうやら噂のレムレースというのは此奴のことのようじゃな。儂の存在を感じ取ったのか、急いで逃げようとしておるが……少し遅かったようじゃな。……ほれ、捕まえた』
まるで地面に落ちていた石を拾うかのように、それが出来て当たり前だというようにレムレースの存在を魔力のソナーで把握するグリム。
最初にレムレースの攻撃を受けてから……即ちレイがエモシオンの街へと来た日から、どうやってもその姿を見つけることが出来なかったレムレースの存在をこうも容易く見つけるというその様は、純粋に魔法の技術という点で見ればレイとグリムの間に天と地程の差があることの証明でもあった。
『ほう、ほう。……姿形から見るとどうやらシーサーペント系のモンスターのようじゃの。希少種かはたまた上位種か。……いや、どちらかと言えば新種と言うべきか? 儂も初めて見る種族じゃな。ほれ、逃げるでないわ』
少しでもレムレースの情報を得ようと、グリムの言葉に耳を傾けるレイ。
(シーサーペント? なるほど。クラーケンやら何やらを想像していたが、方向性が違っていたようだな。海中を漂うんじゃなくて、海底を移動していたと考えるべきか?)
『ふむ、他にもなるほど。色々と面白い能力を持ってそうじゃな。これならば易々と姿が見つからなかったのは理解出来る』
「グリム?」
『このレムレースと呼ばれたモンスターは……いや、やめておこう。ゼパイル殿の志を継いだ者が、この程度の敵にやられるようでは話にならぬからの。お主自身の修行の為にも、これ以上の情報を与えるのはやめておく。それよりも……そちらの準備はいいか?』
意味ありげなグリムの言葉に微かに眉を顰めつつも、頷くレイ。これ以上何を聞いても情報を得られないと判断した為だ。
同時にセトもまた何が起きても対処出来るように海面を鋭く見据える。
そんな1人と1匹の様子を一瞥し、どこか微笑ましそうな雰囲気を発しながら幾つものマジックアイテムの指輪や腕輪が嵌っている右手を海面へと向ける。
『さて、では始めるぞ』
呟き、魔力を集中させて短く呪文を呟く。
ほんの1動作でしかないそれだけで海中が裂けた。
その裂け目は、まさに海その物を斬り裂くかのように大きく、数km程にも及んでいる。
それでもその裂け目から海水が溢れた様子が無いのは、グリムの操る空間魔術がそれだけ高い技量によって用いられているということの証だろう。
『逃げようと暴れても無駄じゃよ。お主程度の存在では儂の魔力から逃げるのは不可能じゃ』
楽しそうに含み笑いをしながらレムレースを転移させようとしているグリムだが、裂け目はともかくレムレースは海底にいるのか上空からは見えない。
それでも諦めずに目を凝らして海中へと視線を向けていたレイへグリムが声を掛ける。
『レイ、既に昨日の夜にお主に指示された場所と海底は繋げた。レムレースとやらも必死に暴れておるが、時間の問題じゃ。故に、もう向こうに行ってもよいぞ』
「ああ。本当はその空間魔術で俺も転移させて貰えれば良かったんだけどな」
『それはお主自身が却下したじゃろう? レムレースをマジックアイテムで強制的に転移させた時のアリバイをより確実にする為にな』
「分かってるよ。……だから、行かせて貰う。グリム、頼んだ」
『うむ、任せるがいい。お主はセトと共に存分に戦うがいい』
グリムの言葉に頷き、レイはセトの背を撫でながらミスティリングからデスサイズを取り出す。
「さぁ、セト。ずっと隠れたままこそこそと俺達に攻撃を仕掛けてきたレムレースはその姿を現す。後は退治するだけだ」
「グルルルゥッ!」
レイの声に、闘志を剥き出しにしながら高く鳴くセト。
普段はどちらかと言えば温厚といってもいいセトだが、やはり長期間一方的にレムレースから攻撃を仕掛けられ続けていたというのは思うところがあったらしい。
力強く翼を羽ばたかせ、前もってミロワール達と決めておいた戦場へと向かって突き進んでいく。
エモシオンの街を大きく回り込むようにして移動するその様子は、街の中にいる者達からもしっかり見えており一瞬何か異常事態があったのではないかと思う者も多かったが、海の方を見ても特に何も起きていないと知り再び各々の生活へと戻っていく。
ただしそんな中、数少ない例外がこれまで幾度となく街に集まってきている冒険者達の騒動で何度も手を煩わされた警備兵達だった。数少ないながらも魔力を感知出来る能力をもった魔法使いが、グリムの操る空間魔術の際に使われた魔力を見て半ば恐慌状態に陥ったのだ。
レイという存在から感じる魔力だけでも圧倒されるものがあったというのに、更に同程度――感知出来る限界以上という意味で――の魔力がもう1つ現れたのだから、それも無理がなかっただろう。その状況を知った警備隊の上層部の者達は苦々しげな顔をしながらも、エモシオンの街に直接的な被害が無いことに安堵の息を吐くのだった。
そして警備隊や街の住民と違った反応をとったのは冒険者達だ。
レイとグリムの魔力を感じ取った者達が外の様子を確認すべくギルドや宿の外へと出て、それを見かけた他の冒険者達もまた同様に外へと出る。
その結果冒険者達が見たのは、エモシオンの街からかなり離れた位置にあるにも関わらず、それでも街中から見ることが出来た存在である。名前だけは知られ、エモシオンの街を襲った災厄として懸賞金を掛けられた存在であるレムレースの巨体だ。
さすがにこの時点でそのモンスターがレムレースであるとは知らなかったが、それでも危険と儲け話を天秤に掛けて後者を取った者達が急いで街を出て行く。
レムレースの賞金目当てにエモシオンの街へと来たのに、倒すどころか姿を見ることすら出来ずにいた存在。その為に多くの冒険者はレムレースの討伐を諦めてエモシオンの街を後にしたが、それでもレムレースに掛けられた賞金を諦めきれない者、あるいはこの街に来るまでに路銀を使い果たして他の街に向かうに向かえない者達の金銭欲へと火を付けた。更には最近レムレースを引きつけるという名目で船主や船長達から少なくない金を稼いでいるレイが、セトに乗ってその巨大なモンスターに向かっているというのも冒険者達に決心させた大きな要因だろう。即ち、レイの後に続けば金が待っていると。
これまでは海という場所の問題上、船の伝手が無い者達はそう考えたとしてもレイについていく事が出来無かった。だが、今回は地上での出来事なのだから場所の制約という問題は無い。その為、数多くの冒険者達がエモシオンの街を出てセトの飛び去った方へと向かうのだった。
馬車を持っている冒険者パーティは馬車で。あるいは移動用の馬を持っている者は馬で。それらが無い者は街の住民と交渉して借りて。そのいずれも選択出来ない者達は自らの足で走って。
それぞれが自らの金銭欲、あるいは名誉欲に従いセトの向かって行った方向、即ち巨大な生物が姿を現した場所へと向かうのだった。
自分達がエモシオンの街の横を通り過ぎた後、街にいた冒険者達の多くが決戦の場として定めた場所へと向かっているのを知らぬまま、レイはセトに乗って目標地点へと向かっていた。
だがその表情は眉を顰め、不機嫌そうに視線の先にいる存在を睨みつけている。
地上にあるエモシオンの街からでも見ることが出来たのだから、当然空を飛んでいるセトが体長30mを越えるレムレースの巨体を見逃す筈が無い。
レイがそんなレムレースを睨みつけているのは、視線の先にいるレムレースという存在が派手に動いているのが見えていたからだ。
それはつまり現在何者かがレムレースと戦っているという証拠であり、その何者かというのがエグレット、ミロワール、ヘンデカ、シェンの3人と1匹であるのは明白だった。
「セト、急ごう。まさかあんな巨大な奴が出て来るとは思わなかったからな」
「グルルルゥッ!」
セトがレイの呼び掛けに応え、高く鳴いて翼を一層羽ばたかせる。
そのおかげで空を飛ぶ速度が増し、見る見るレムレースの巨体が近付いてくる。
デスサイズを握りしめ、小さく深呼吸をしながら魔力を溜め込んでいくレイ。出会い頭に強力な一撃を加えるべく呪文を唱え始める。
『炎よ、汝の力は我が力。我が意志のままに魔力を燃やして敵を焼け。汝の特性は延焼、業火。我が魔力を呼び水としてより火力を増せ』
呪文を唱えると同時に、デスサイズの周囲へと10の火球が作り出される。その全てがレイの圧倒的な魔力をもって作られた火球であり、更にはある程度の誘導性すら持つ。30mを越える体長をもつレムレースを相手にするに相応しい魔法だった。
魔法の射程範囲に入ったらこの火球全てをその巨体に叩きつける。そのつもりで唱えていた呪文だったのだが……
「シャアアアアアアアアアッ!」
近付いてくる危機を感知したかのように、レムレースの頭部がレイとセトを見据える。まるで近付いてくるのが分かっていたかのように。
(……いや、海底からこっちの動きを把握出来るんだ。当然この程度は察知するか)
内心で呟き、跨がっている足で軽くセトの胴体を蹴る。
回避は任せたと、その意志を込めて。
近付いてくるレイとセトに対して警戒しているのだろう。そのすぐ側で攻撃を加えているだろうエグレット達に対しては、既に興味を持っていないかのようにレイとセトへ視線を向けるレムレース。急速に近付いてくるその姿を見ながら、レイはいつでも魔法を発動出来るようにしながら相手を観察する。
(紫色の粘液を出しているとはいっても、姿ははっきりと見える。これだけの巨体が海底で蠢いていれば、全体はともかく1部分程度は見かけても良さそうなものだが……)
そんな風に考えている間にも、レムレースとの距離は急速に縮まり、魔法の間合いへと入り……その瞬間にデスサイズを振るい、魔法を発動する。
『10の火球』
その言葉と共に放たれた10個の火球は、それぞれが独自の意志を持つかのようにレムレースへと向かって飛んでいく。
それぞれがレイの魔力で作られた灼熱の火球であり、ランクD程度のモンスターなら火球が1つ命中するだけで骨も残さずに燃やし尽くされるだろう。その破滅的な威力を本能的に感じ取ったシェンは巻き添えを食らうのはごめんだとばかりに翼を羽ばたかせてレムレースから距離を取る。だが……
「シャアアアアアッ!」
自らに向かって一直線に飛んでくる10の火球を見据えたレムレースが、甲高い雄叫びを上げながら凶悪ともいえる牙の生えている口を開く。
瞬間。
「セトッ!」
「グルゥッ!」
反射的に危険を感じ取ったレイが鋭く叫び、セトはそれに応えて強引に翼を振り抜き右斜め前へと向かって移動する。
そんなセトの回避行動と殆ど同時にレムレースの口からは大量の水が吐き出される。ファイアブレスならぬウォーターブレスといったところか。
ただし純粋に水、あるいは海水だけを吐き出しているらしく、質量そのものはともかく、もし命中しても致命的な一撃とはならなかっただろう。そう、レイとセトにとっては。
だが、そのウォーターブレスが放たれたのはレイとセトに向かってでは無い。いや、正確に言えばレイとセトもその射程範囲に収めてはいたが、1人と1匹はついででしかなかった。レムレースが狙った標的は、自分に向かって来ている10個の火球。
ウォーターブレスを吐き出したまま大きく首を動かし、自分を燃やさんと向かって来る火球を迎え撃ったのだ。
火と水。その2つがぶつかればどうなるか。普通ならすぐに火が水に消されて終わるだろう。だが、今回は火と水の威力が拮抗しており、放たれた火球と空中でぶつかりあい……やがて火球が水に押し負けて消滅していく。
そのままレムレースが首を振るようにしてレイのコントロールに従って動いていた火球へと狙いを付け、やがて全ての火球が消滅する。
だが、レイの放った火球にしてもただでは終わらない。最後の抵抗だとでもいうように大量の水蒸気を発生させて周囲一帯を覆い隠す。
その様子を見ていたレイは小さく舌打ちしながら大声で叫ぶ。
「エグレット、ミロワール、レムレースから離れろ! セト!」
その言葉だけでレイが何を言いたいのか理解したのだろう。セトは翼を大きく羽ばたかせレムレースの上空へと到着し……
「セト、上空からのフォローを頼むぞ」
「グルゥッ!」
短く言葉を交わし、レイは水蒸気に紛れて真下にいるレムレースへと向かってセトの背から飛び下りるのだった。
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