第329話

 決戦当日。その日はまるでレイ達を応援するかのように前日以上に太陽が顔を出し、これでもかとばかりに日光が降り注がれていた。

 ここ数日はずっと好天に恵まれていたのだが、今日に限って言えばこれまでに無い程の晴天であり、春よりも寧ろ夏と言われた方が納得出来る天気となっている。


「まだ朝だってのに、この暑さとか勘弁して欲しいわね」


 うんざりとした表情を浮かべつつ、恨めしげに強烈な自己主張を続けている太陽を睨みつけるミロワール。


「まぁまぁ。ミロワールさん。ここが港街であると考えれば、海風がある分内陸よりは快適に過ごせる筈ですよ」


 いつもの剣はそのままに、矢筒と弓を背負ったヘンデカが取りなすようにミロワールへと告げる。


「確かに海風がある分涼しいかもしれないけど、でもあいつみたいに暑さを無視出来る程に図太くないのよ」

「ん? この程度の暑さがどうだってんだ。それよりも、いよいよレムレースと戦えるんだから嬉しく無い訳が無いだろ。特に昨日の戦いは相手が弱すぎて逆にストレスが貯まったし。レムレースと戦う前にちょっと身体は動かしておきたいところだな」


 まるで街道を歩いている自分達に向かってモンスターが襲ってこないかとでも願っているような相棒の台詞に、ミロワールは思わず溜息を吐く。


「あんたねぇ。これからレムレースと戦うってのに、何でそんなにやる気が漲っているのよ。……あ、エグレットだからか」

「その通りだ!」


 ある意味侮蔑とも取れるような言葉だったのだが、何故か胸を張って笑みを浮かべるのはそれこそエグレットである故か。


「昨日の戦いって、何かありましたっけ? 別に街がモンスターに襲撃とかされたとかは聞きませんでしたけど?」


 話の流れが分からずにヘンデカが尋ねるのだが、ミロワールは笑みを浮かべながらヘンデカのすぐ側まで近寄り、その頬を撫でる。


「ヘンデカ、世の中には知らない方がいいこともあるのよ?」

「は、はははは、はい!」


 突然のその行動に、ヘンデカの頬は照れと羞恥で真っ赤に染まる。

 ヘンデカにしてみれば、ミロワールは自分と5歳も離れていないのにランクB冒険者になっている、ある意味ではレイ以上に雲の上の人だ。更に言えばミロワール自身も十分に整った顔立ちをしており、そんな美人に頬と頬が接触してもおかしくない程に近付かれれば、女慣れしていないヘンデカとしてはこのような状態になるのも無理は無かった。


「エ、エグレットさーん……」


 現状を打破すべく、ミロワールの相棒でもあるエグレットへと声を掛けるヘンデカだったが、その肝心のエグレットは何故か腕にシェンをとまらせ、上機嫌にポーチの中から取りだした干し肉を与えていた。


「キッ、キキキ!」


 シェンも与えられた干し肉を美味そうにクチバシで啄み、上機嫌な鳴き声を上げている。


(あ、いいな)


 その様子を見て思わずそう内心で呟くヘンデカ。ヘンデカにしてみれば、従魔のシェンが自分の腕にとまったりしたらそれを支えることが出来ないのだ。いや、正確には1分程度ならまだしも、長時間支えるのは無理というべきか。だからこそエグレットが事も無げにシェンを腕にとめているのを目にした時、素直に羨ましいという思いが湧き上がってきた。


「ん? どうした? ミロワールの相手はもういいのか? 悪いが、ミロワールは色々と気難しいところもあってな。出来れば俺に被害が及ばない範囲で仲良く……」


 エグレットの言葉を遮るかのように鞭が振るわれ、先端が地面を叩く音が周囲へと響く。


「エグレット、あたしに喧嘩を売ってるなら買うよ?」

「……訂正だ。ミロワールはとても素晴らしい女だから、是非その魅力を理解して欲しい」


 さすがのエグレットも難しいことを一手に引き受けているミロワールに逆らう勇気はないのか、あっさりと前言を翻す。

 実際エグレットにしてみれば、もしミロワールと別行動をとるようなことにでもなってしまえば不都合が多いのは事実だ。自分が脳筋であるというのをきちんと認識しているからこその判断と言えるだろう。


「あ、あははは。そうですね。ミロワールさんは確かに魅力的な人ですから」


 ヘンデカに出来るのは、そう呟いて場を誤魔化すだけだった。

 そんなやり取りをしながら歩き続け、やがて一昨日レイと共にレムレースとの戦いの場として選んだ草原へと到着する。


「さて、後はレイがマジックアイテムを使ってレムレースをここに強制転移させてくるのを待つだけだね」

「にしてもよぉ、敵を強制的に転移させるようなとんでもないマジックアイテムを、よくもこうあっさりと使うよな」

「それだけレムレースが強敵だと判断したんでしょ。実際、姿が見えない状態でどこからともなく攻撃してくるモンスターなんて、そんなイカサマでも無ければ相手に出来ないだろうさ。もっとも……」


 そこまで呟き言い淀む相棒の姿に、小首を傾げるエグレット。

 それはヘンデカにしても同様だったのだろう。どこか心配そうな表情を浮かべながらミロワールへと声を掛ける。


「ミロワールさん?」

「いや、あたしの気のせいだろきっと。とにかくあたし達に任された仕事は、レムレースが姿を現したらレイが来るまでここで足止めをするだけなんだから」


 そこまで口にし、相棒が不満そうな表情を浮かべているのを目にして溜息と共に口を開く。


「レイがここに来るまでに倒せるならそれでもいいんだろうけど、とにかくあたし達はレムレースがこの場所から移動しないように攻撃し続けていればいいんだから……って、言っている間にも来たね」


 上空10m程の位置にある空間が、まるで目でも開くかのように……あるいは口を開くかのように大きく開かれていく。その先に見えるのは海の底。

 不思議なことに、こうして海の底と空間が繋がっているにも関わらず空間の裂け目から海水が降り注ぐ様子は無い。

 自分達の想像が出来ないようなその光景に一瞬目を奪われた3人と1匹だったが、最初に我に返ったのは当然と言うべきかレムレースとの戦いを最も楽しみにしていたエグレットだった。


「来るぞ、全員戦闘準備だ! ヘンデカは後ろに下がって弓で援護をしろ! シェンは空中から牽制を。ミロワールはいつも通り中距離から、俺はこいつを叩き込む!」


 エグレットの指示にヘンデカが多少慌てながらも弓を構えながら後方へと下がり、シェンは羽ばたいて上空へと上がって行く。ミロワールがいつでも鞭を振るえるように構え、エグレットも背負っていたポール・アックスを構える。

 それぞれが戦闘準備を整え、いつでも行動に移せるようになったその時。不意に空間の裂け目からズルリと何かが落ちて巨大な地響きを周囲へと響かせ、落下の衝撃で地震の如く3人を揺らす。


「あれは……」


 そう呟いたのはヘンデカか、あるいはミロワールか。呟きには畏怖と恐怖が含まれており、2人共表情が強張っている。

 唯一、エグレットのみが獰猛な笑みを浮かべて落ちてきた存在へ戦意に満ちた笑みを浮かべながら好戦的な視線を向けていたが、それでも目の前にいる存在を見た途端に冷や汗が浮かぶのを止めることは出来ていない。

 その存在は大きく、長く、落下した衝撃で危険を感じたのか、身体から出ている紫色の粘液でぬめっていた。体長にして30m程はあろうかという存在であり、その胴体の太さは大の男が5人程集まって手を繋いでも尚足りない程。

 顔の半分程が口であり、その口からは鋭利な牙が幾本も伸びているのが外見からでも判別出来る。何故か最初に目に宿っていたのは恐怖だったのだが、それはすぐに憤怒へと変わる。それでもすぐに行動に移らずに周囲を伺うように観察しているのは、3人の前に存在している巨大なモンスターが一定以上の智恵や知性を持っているということの証でもあった。

 

「シーサーペント? いや、それにしては大きさも姿形も随分と違う」


 ミロワールが戸惑った様に呟くが、即ちそれが答えでもあった。


「つまり、シーサーペントの希少種、あるいは上位種なんじゃ!?」


 シーサーペント。本来であればランクCのモンスターではあるが、その姿はどれ程大きくても体長10mを越えることは無く、胴体の太さも3m程度だ。胴体から毒々しい紫の液体を吹き出すようなことも無いし、牙にしても口の中に収まる程度の大きさしかない。そして何よりも、シーサーペントであるのなら本能に忠実であり、智恵や知性といったものは存在していない筈だった。


「まさかこれ程の大物が出て来るなんて予想外もいいところよ。シーサーペントは本来ならランクC、海中という戦場を考えて総合的にランクBを与えられているモンスターだけど、これはどう見てもこの状態でランクB、下手をしたらランクA相当だわ」


 数分前までは正体不明の為にレムレースと呼ばれていたシーサーペントらしきモンスター。その睥睨するかのような視線に脅えて堪るかとばかりに必死に戦意を掻き集め、震えそうになる身体を誤魔化すようにして早口で喋るミロワール。

 そんなミロワールの説明に、ランクD冒険者でしかないヘンデカは小さく頷くことしか出来ていない。つい数秒前に自分が叫んだ言葉も忘れて、既に目の前にいる巨大な存在に意識を飲み込まれる寸前だった。

 あるいは、後数秒でもこの状態が続いていればヘンデカは何をするでもなく心を折られていただろう。だが……


「うおおおおおっ! ランクBなら俺達と同じ程度の戦力の筈だ。やってやれないことはねえっ! それに俺達の役目は、レイがこの場に来るまで奴をここに足止めするだけだ。ビビってんじゃねぇっ!」



 己を鼓舞するかのように叫びながら……否、実際に自分の中から湧き上がってくる恐怖を雄叫びで押し殺してポール・アックスを手にシーサーペントとの間合いを鋭く縮めていくエグレット。それで我に返ったのだろう。ミロワールが鞭を振るい、ヘンデカもまた若干震えながらも矢を放つべく弓を引き絞る。


「キッ、キキキキッ!」


 そして上空を飛んでいたシェンにしても、目の前にいる自分とは比べることすら愚かであると思われる存在へと向かって襲い掛かって行く。

 全ては、自らの大事な主人であるヘンデカを守る為に。


「シャアアアアアアアアッ!」


 だが、その全ての攻撃をシーサーペントは何もせずにただその場でじっとしながら受け止める。


「うおおおおおおっ!」


 雄叫びと共に力一杯振るわれたポール・アックスの刃は、振り下ろされたシーサーペントの皮膚に触れた瞬間刃が紫の液体に滑り、エグレットの手元にヌルリとした感覚を与えながらあらぬ方向へと逸らされ、更にはその刃の部分が見る見る腐食していく。

 同時にヘンデカの放った矢も、紫の液体で濡れている皮膚へと触れた瞬間に鏃が突き刺さらずにあらぬ方向へと飛んでいった。

 唯一効果があったのは、ミロワールの振るった鞭だった。鞭の先端が皮膚に触れた瞬間に素早く手首を返し、その衝撃をシーサーペントの内部へと通す。だが体長30m近い巨躯に鞭の一撃が致命的なダメージになる筈も無く、逆に中途半端にシーサーペントの注目を集めるだけに終わる。


「ちょっと……これってどうしろってのよ……」


 シーサーペントの瞳に晒されながら、思わず呟くミロワールだった。

 この時からレイが到着するまでの間、3人と1匹は絶望的な戦いに挑むことになる。






 時は戻り、レイがまだエモシオンの沖の上空をセトと共に飛んでいた頃。

 街から十分に離れて、港からは点のようにしか見えない位置まで到着したレイは、周囲を見回しながら口を開く。


「グリム、そろそろいいんじゃないか? 幸い、今はまだレムレースに攻撃されていないが、そう遠くない内に襲ってくるだろう。その前に強制転移を頼みたいんだが」

『ふむ、そうじゃな。こちらとしても太陽の光の下にいつまでもいるのは厳しい。せめて雲が出ていればまだ良かったんじゃが』


 レイ自身に一切気が付かせず、いつの間にかセトの隣に浮かんでいたグリムの姿を見て小さく息を呑むレイ。

 言葉でグリムに呼びかけはしたものの、まさかこのように何の前兆も無く唐突に姿を現すとは思ってもいなかったからだ。


『フォフォフォ、驚くこともあるまい。この時間帯に約束をしていたのじゃから、儂とてすぐに行動に移れるように準備はしておったのさ』

「……そうか。さすがと言うべきだろうな」


 自分とセトに一切気配を悟らせないのは、永劫の時を生きてきたリッチならではなのだろう。

 そんな風に自分自身を納得させながらも、突然隣に現れた強大なモンスターでもあるグリムに一瞬身体を強張らせるセトの首筋を撫でながら落ち着かせる。

 そんな1人と1匹を微笑ましげに眺め――顔が骸骨である以上、レイもセトもそれには気が付かないが――それでも延々と自分の身を焼く太陽の光へと不愉快そうに視線を向ける。

 もしレイとセトがいつものように冷静であれば、グリムの身体から微かに漏れ出ているような黒い何かに気が付いただろう。

 リッチにとって、太陽の光というのは毒にも等しい。それは長き時を生きるグリムにしても変わらない。こうして会話をしている今もまた、微かにではあるが、その身を焼かれているのだ。


『さて、時間も無い。そろそろ始めようかの』


 呟き、魔力を集中するグリム。今ここに、数千年を生きるグリムの魔術がその姿を現そうとしていた。

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