第328話

 春から夏に移り変わりつつあり、まだ朝だというのに降り注ぐ日光の勢いは強い。そんな中、エモシオンの街中を1人の冒険者が移動していた。

 動きやすさを重視したレザーアーマーを身につけ、腰には剣の収まった鞘がぶら下がっている。これだけを見れば、その表情からちょっと気弱そうなどこにでもいる普通の戦士と思しき存在だったのだが、その人物を見ていた者が上を見上げれば驚愕の表情を浮かべただろう。体長1mを越えるアイスバードが悠々と空を飛んでいたのだから。

 だが、当然普通に暮らしていて上を見上げるような者は殆どおらず、それ故に空を飛ぶアイスバードの姿を目にする者は殆どいなかった。

 極少数の警備隊の兵士はその様子を見てはいたが、きちんとギルドに登録されている従魔である以上は特に何を言える訳でも無く、沈黙を保つ。あるいは、人懐っこいアイスバードのシェンの空を飛ぶ姿に目を奪われる者も少数だが存在していた。

 とにかく、上空を飛ぶアイスバードを引き連れ、ヘンデカは街中を走って目的の場所へと向かう。

 軽いとは言っても、レザーアーマーを身につけたまま走り続けられるのはさすがに冒険者といったところか。そのまま街を走り続け、やがて視界の先に目的の建物が見えてくる。このエモシオンの街でも幾つかある武器屋の中でも、宿屋の主人から教えて貰ったお薦めの店だ。


「弓を下さい!」


 武器屋に入るや否や、そう叫ぶヘンデカ。

 店の中にいた数名の冒険者と思しき客や、40代程の中年の男と思しき店主が突然の大声にヘンデカへと視線を向ける。

 やがて自分に視線が集中しているのに気が付いたのだろう。顔を赤くしながら、カウンターにいる店主へと向かって近付いていく。


「その、すいませんが弓をお願い出来ますか?」

「あ? ああ、勿論こっちは商売なんだから構わねえが……予算はどのくらいだ?」

「えっと、そうですね。銀貨3枚程度でお願いします」

「……その値段だと、それ程上物は買えねえぞ?」

「はい、それで構いません。取りあえず1度の戦闘で使えればそれでいいので。後、弓だけじゃなくて矢もお願いします」

「うちは商売だから、物が売れるのは構わないけどよ。ちょっと待ってろ」


 そう言い、カウンターの奥へと向かって行く店主。その姿を見送り、ふと周囲の冒険者達が自分へと視線を向けているのに気が付いたヘンデカは、先程の自分の言動を思い出して恥ずかしそうに顔を赤く染める、それは店主が弓と矢を手に戻って来るまで続くのだった。






「……さて。とにかく恥ずかしかったけど弓と矢は手に入ったから、早速勘を取り戻さなくちゃね」

「キキッ!」


 港街だけあって広い土地を確保出来なかったのか、ギルドの地下に作られた訓練場の一画でヘンデカは呟きつつ弓を手に取りながら周囲を見回しながら呟き、その隣ではシェンが応援をするように鳴き声を上げている。


「それにしても、さすがに港街にあるギルドだよね。まさか、弓を練習する為の施設もきちんと整っているとは思わなかったし」


 海賊や海中を泳ぐモンスターに対する攻撃手段として弓が有効だという理由もあるのだろうが、エモシオンの街のギルドの訓練場には弓の訓練をする為の専門の施設――とは言ってもそれ程手の込んでいる物ではない――がきちんと存在していた。

 弓を引き絞りつつ、視線の先にある土の魔法で作られたと思われる標的へと狙いを絞り、放つ。

 ヒュッという、空気を斬り裂くような音を出しつつ放たれた矢は、土で出来た標的へと向かい……右足へと命中する。


「うーん、やっぱりずっと使ってなかっただけあって鈍ってるな」


 溜息を吐きつつ、再び矢を番えて弓を引き絞る。

 再び空気を斬り裂くような音が響き渡るが、次に命中したのは標的の左腕だった。

 一応小さい頃から狩りで使っていたとはいっても、何年も弓には手を触れていなかったのだから腕が落ちるのは当然だろう。いや、寧ろ数年ぶりに触れた弓で曲がりなりにも標的に命中する辺りは弓に関しての才能が多少はあると言ってもいいのかもしれない。

 その後も買ってきたばかりの弓を引き、矢を放つ。やがて明日の本番用ではなく練習用に買ってきた矢が無くなった頃、ヘンデカの視線の先にある土の標的は身体中に矢が突き刺さり、一見すると身体中から棘を生やしたハリネズミのようにも見えていた。

 ヘンデカが狙った標的の頭部であったり、あるいは胴体の中心部分といった場所にも何本かの矢は突き刺さってはいるが、それが殆ど偶然の産物に過ぎないと自分自身で理解している為に、土から矢を引き抜いては元の場所に戻っては弓を引く。


「キッ、キキキ!」


 シェンがそんな自分の主人を応援するように鳴き声を上げ、他の場所で同じように弓の練習や剣をしていた冒険者達も、ただひたすらに弓の訓練をしているヘンデカに感心の目を向けるのだった。






「ポーションの類はこの程度でいいのか?」

「そうだね、レムレースってのがどれだけ強力な攻撃方法を持っているのか分からないから、もう少し余裕をもって買っておいた方がいいかも。レイから聞いた話じゃ、今のところ判明しているのは海水の槍だけでしょ? 地上に強制的に転移させられたとしても、水魔法か種族固有の能力かは分からないけど完全に使えないってことはないでしょうし。それでも海で戦うよりは大分威力が落ちるのは間違い無いでしょうけど」


 晴天の中、エモシオンの街を2人の冒険者が歩いている。

 片方はポール・アックスを背負ったエグレットであり、もう片方はその相棒でもあるミロワールだ。

 2人が何をやっているのかと言えば、明日のレムレースとの戦いで使うだろう消耗品の買い出しであり、レムレースに挑む中で最も長い間冒険者をやっているということでその役目を任されていた。


「他には何が必要だ?」

「海のモンスターだろう? なら麻痺や毒を使ってくるかもしれないから、そっちの解毒薬だね。ほら、以前どこだったかの浜辺で巨大な亀のモンスターと戦ったことがあったでしょ?」


 ミロワールの言葉に記憶を探り、やがてすぐ思い至るエグレット。


「ああ、あの固かった奴か。あいつを倒すのは苦労したよな。自分が危険になるとさっさと甲羅に手足を引っ込めて周囲に毒液を飛ばしまくって」

「そう、それよ。漁師達に頼まれて格安の依頼料でランクCモンスターと戦うことになったあの時。ああいう感じで、毒やら何やらを使ってくるかもしれないからね。対処方法は用意しておかないと」

「……そう言えば、この辺の漁師はモンスターに困っていないのか?」

「大丈夫じゃない? 今はこの街にレムレース目当てに大量に冒険者が入って来てるんだから、何かあったらすぐに討伐依頼が出るわよ。それに、そもそも漁師達はある程度のモンスターは自分達で何とか出来るんでしょうし。あの時のように2mもある亀のようなモンスターが陸地の近くまで来ることなんか滅多に無いわよ。……じゃなきゃ、そもそも漁師として生活出来ないじゃない」

「そうか」


 ミロワールの説明を聞き、微かに肩を落とすエグレット。エグレットにしてみれば、強敵と戦えるのならその機会は多ければ多い程いいのだ。それが、例え明日にでもレムレースというこの周辺一帯を脅かしているようなモンスターと戦うのだとしても。

 2人で会話をしながらも、道具屋やあるいは武器屋を覗いていくが、その途中でふとエグレットが不愉快そうに眉を顰める。


「エグレット?」


 素早く相棒の異変に気が付いたミロワールがエグレットの様子を窺うと、その視線は通りの脇にある細い道……より正確にはその脇道の前に立っている5人程の男達へと向けられていた。

 男達の方も、自分達がエグレット達を見ているというのは知られても構わないと判断しているのだろう。エグレットと視線が合っても特に動じた様子も無く……否、どちらかと言えば挑発するような視線を向けている。

 エグレットとミロワールの2人は知らなかったが、前日に街道付近でゴブリンの群れと戦った冒険者達の一員がこの5人であり、同時に金を出し合って船を購入し、レイを囮にしてレムレースを仕留めようとして結果的に船が沈んだのもこの男達の船だった。だが、エグレットとミロワールがこの街に来てからまた5日と経っておらず、2人が冒険者達の素性を知るようなことは無い。同時に、不幸なことに男達も自分が喧嘩を売っている相手がランクBの腕利き冒険者であるというのは知らなかった。


「はぁ、全く……あまり時間を掛けないでよ」


 男達へと向かって行くエグレットの後を追いつつ、腰の横に付けている器具からいつでも鞭を振るえるように手で触れる。


「ずっとこっちを見ていたようだが、俺達に何か用事でもあるのか?」


 エグレットの問い掛けに、男達の代表なのだろう。髭を生やした男が下卑た笑みを浮かべて口を開く。


「ああ、ちょっと話があってな。ここじゃなんだし、この奥までちょっと来てくれないか?」

「そうだな、そうするか。その方がお互いに手間が省けるだろうしな」


 一般人であれば、冒険者達が放っている荒事の気配に怖じ気づいたかもしれない。あるいは、低ランク冒険者であっても同様だっただろう。だがエグレットは戦闘を好む質であり、同時に相棒にすら脳筋と呼ばれる程に深く物事を考えない。それ故にあからさまな誘いではあったが、獰猛な笑みを浮かべながら男達の後を付いていく。

 そのまま進み、1分もしないうちにやがて行き止まりに辿り着き、リーダー格であろう髭面の男が振り向く。同時に、他の冒険者達が2人を逃すまいとして背後を含めて囲む。


「で、準備も整ったところで一応聞いておこうか。話ってのは?」

「何、簡単な話だ。ちょっとあのレイとかいう小生意気な冒険者を呼び出して欲しいんだよ。ここにな。あぁ、勿論グリフォンなんて従魔は抜きでだ」

「ふんっ、察するところレイが現状で1人だけ金を稼ぎ続けていることへの嫉妬か?」

「……うるせえ。こっちも船が沈んでしまった以上、もう後がねえんだよ。あのレイって奴が何かを隠しているのは間違いねえんだ。どうあっても呼び出して貰うぜ」

「あのさぁ、呼び出してどうするのよ。レイはランクCにも関わらず異名持ちの冒険者よ? あんたらみたいなのにどうにか出来る筈がないでしょ?」

「はっ、グリフォンがいなきゃあんな奴はどうとでもなるに決まってる!」


 自分自身の実力ではなく、グリフォンであるセトの力で名を上げている。レイを直接見た者であれば、その小さな身長やとても戦士とは思えないような華奢な身体、そして見習いの魔法使いのようにしか見えないローブといった風に誤解してもおかしくはない。ただしそのような者達にしても、実際にレイが戦闘をしている光景を見ればすぐに自分の思い込みが間違っている筈だと理解するのだが。


(……いえ、違うわね。こいつらは自分に都合のいい想像を現実だと思い込んでいるんでしょうね。実際レイの振るうあの大鎌を見てるなら、ここまでお気楽な態度に出られる筈は無いと思うんだけど)


 内心で自分とエグレットを囲んでいる冒険者達の評価を数段階落としたミロワールは、相棒へと声を掛ける。


「やっちゃってもいいわよ。ただし、騒ぎが大きくなるから骨折程度にしておいてね」

「おうよ!」


 獰猛な笑みを浮かべたエグレットが背負っていたポール・アックスへと手を……伸ばさず、そのまま拳を握りしめて突っ込んでいくのだった。

 数分後、この路地裏から手足の骨を数本程折られた冒険者達が出て来るのを、少なくない街の住人が見ることになる。






「セト!」

「グルゥッ!」


 レイの呼び掛けに、身体を斜めにしながら翼を羽ばたかせるセト。

 一瞬前にセトの身体があった場所を、海面から生えた海水の槍の切っ先が貫く。

 だがレムレースにしてもそれは承知の上なのか、他にも10本近く現れた海水の槍がセトを覆い隠すように一斉に周囲から襲い掛かって来る。


「飛斬っ!」


 レイの叫びと共にデスサイズが振るわれて斬撃が飛び、セトを包囲せんとしていた海水の槍数本を纏めて切断する。


「グルルルルゥッ!」


 包囲に出来た一瞬の隙を見逃さず、セトは高く鳴きながら翼を羽ばたかせて包囲網を突破する。


「ふぅ、何度も同じことを繰り返しているところを見ると攻撃の手段自体は少ないのか、あるいは単純に頭が悪いのか……そもそもセトにだけ攻撃を集中させる理由も未だに不明のままだしな」


 呟きながら出港していく船の様子を一瞬だけ視界に移し、再び周囲の様子に気を配る。


「明日の依頼については念の為に断ってあるから、後は今日を何とかやり遂げれば問題無い……筈なんだけどな」


 再び10本以上の海水の槍が作り出されたのを見ながら、思わず呟くレイだった。

 こうして、明日の決戦へと向けたそれぞれの準備期間としての1日は過ぎて行く。

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