第318話

 ミレアーナ王国の玄関口といってもいい、港街エモシオン。その中にある一室ではこの街の警備隊の幹部達が喧々諤々と話し合っていた。


「だから! グリフォンなんていう高ランクモンスターをこの街に入れるのは私は反対です!」


 生真面目そうな顔をした20代後半程の男がそう叫ぶと、向かいに座っている同年代の女がテーブルを手の平で叩いて叫び返す。


「では、どうしろと!? このまま奴を……レムレースを放置しておけと言うのですか!」


 女の言葉につい数秒前に叫んだ男が黙り込み、同時に他の会議参加者達も黙り込むことになる。

 レムレース。それが今現在ミレアーナ王国最大の港街であるエモシオンを襲っている災厄の名前だ。

 沖合に潜んでおり、気紛れのように近くを通る船を沈める。何の目的があるのかは全く不明で、同時に姿を現さないままに船を破壊する為、その姿すらも碌に確認出来ていない。

 辛うじて撃退に成功した者達からは触手のようなものが見えたという報告もあったのだが、それとて海水を槍のようにして使っているのを見れば見間違いかもしれないと行政や冒険者ギルドには思われていた。

 そして最終的に行政側が打った手が、その原因となったモンスターのレムレース――正体不明なので仮に付けられた名前ではあるが――に光金貨2枚という莫大な賞金を掛けるということだった。

 エモシオン側としてもそれ程の賞金を掛けるというのは非常に手痛い出費なのだが、それでもこのまま船を沈められ続けるという損害に比べればまだ許容範囲内だった。

 何よりも被害を広げているのは、レムレースが船に対して攻撃するのは不規則だということだ。ある時は数日程全く動かずに港は自由に使えたかと思えば、その翌日には港へと入ろうとした船を沈めるといったように。

 それ故、船主達もこのまま荷物を抱え続けて赤字を垂れ流すよりは……と判断し、あるいは水や食料の限界が近いという理由等で港へと船を向け……結果、レムレースにより沈められるという事態が何度となく起きていた。

 そんなエモシオン側としては、これ以上無い程に厄介な存在であるレムレースを討伐する為、冒険者ギルドの本場とも言えるギルムの街から派遣された冒険者。それもただの冒険者では無くギルドマスターから紹介状を貰う程の強さを持ち、更に言えばつい先日ベスティア帝国との間で起こった戦争でも多大な戦功を挙げた人物であり、決して高ランクとは言えないランクCでありながら、深紅と呼ばれる異名を付けられた人物。

 それだけを聞けば諸手を挙げて歓迎してもおかしくない人物なのは事実だった。ただ1つ、その冒険者がランクAモンスターであるグリフォンさえ連れていなければ。

 その1点のみがこの会議が紛糾する理由となっており、グリフォンを従えているレイをこのまま迎え入れるか、あるいはグリフォンをどうにかして隔離するかという話で揉めていた。ただし、レイをこのまま受け入れるのが決定事項となっているのは、明らかにエモシオンの街の苦しさを表していると言えるだろう。


「グリフォンはレイという冒険者にきちんと従っていて、一般人には手出しをしていないそうです。いえ、逆に一般人……特に救助された子供達からは寧ろ慕われているとか。それを考えれば、そこまで神経質になることもないのではないですか?」


 そのままレイを受け入れると主張している者達の中の男がそう告げるが、その意見に反対するようにグリフォンの危険性を説く1派が口を開く。


「だから、万が一を考えろと言っているんだ。このエモシオンの街はミレアーナ王国最大の港街。つまり、それだけ住人の数も多い。自分の住んでいる街をこう言いたくはないが、よからぬことを考えている者も当然多い筈だ。そんな中で、もし下手にグリフォンに対してちょっかいを出すような馬鹿が現れてみろ。その場合は街中でグリフォンが暴れるようなことになるんだぞ? そうなった場合の被害は、それこそレムレースが暴れている以上に酷くなるかもしれないんだ」

「その辺に関しては、先程も言ったようにテイムしている冒険者がいれば問題無いかと」

「そうか? 俺が聞いた話だと、その冒険者も相当に荒っぽいと聞いているが? でもって異名を持つ程の冒険者が街中で暴れたりしたらどうなると思う? レイとかいう冒険者はまだ少年程度の年齢で、更に言えば広範囲殲滅魔法を得意としているとも聞いている。現に、先の戦争でベスティア帝国軍の先陣部隊を炎の竜巻を作り出して丸ごと焼き滅ぼしたって噂もあるじゃないか」

「それは……ですが、それ程の力を持つ冒険者でもなければレムレースを倒すことは出来ないのでは?」


 レイはともかく、セトを受け入れるべきだと主張する集団と、受け入れるべきではないと主張する集団。

 そんな集団の論争を黙って聞いていた人物が不意に口を開く。


「そもそも、そのレイって魔法使いは炎の魔法を得意としているんだよな?」

「はい、私に入って来ている情報によるとそうなっています」


 セトを受け入れるべきと主張していた集団のリーダー格の女が頷いて答える。


「……なら、そいつは今回の場合悪手じゃないか? しっかりと確認した訳じゃないが、レムレースがいるのは海の底だと言われている。なのに、何で炎の魔法を得意としている冒険者なんだ?」


 その一言に会議室の中が静まり返る。

 実際、そう思っていた者は多いのは事実なのだ。以前襲撃してきたクラーケンのように、海の外に姿を出すのなら炎の魔法でも十分対応が可能だろう。いや、寧ろ普段は海中にいるだけに炎はより効果的な攻撃方法となる可能性も高い。

 だが今回のレムレースの場合は違う。海中に引き籠もっていると予想されており、誰もまともにその姿を見た者はいないのだ。つまり現状では海中に対して炎の魔法を使わなければいけないということになり、それはレイの有用性に疑問を投げかけるのに十分な問題だった。


「確かに炎の魔法を得意としているとは聞いてますが、それ以外にも風の魔法を使っているとも聞いています」

「いや、だからさ。海中にいる敵に対して効果がある程の風の魔法を使えるのかってことなんだが。確かに炎の魔法よりは有効だろうが、最も得意としているのが炎の魔法なんだろう?」

「それは……いえ、あるいは港にある海水を丸ごと沸騰させるとかは……駄目、ですよね、はい」


 自分でも無茶を言っているのが分かったのだろう。レイを擁護していた女の声は次第に小さくなっていく。


「当然だろ。確かにレムレースはこのエモシオンの街にとって厄介極まりない敵には違いない。けど、だからと言って海その物を沸騰させられるとは思えないし、ましてや出来るとしてもそんなことをして貰っちゃ困る。そんなことをしてみろ、遠洋に出る漁師はともかく近場で漁をしている漁師は収入を絶たれることになるんだぞ? 他にも港に停泊している船に対する保証やら何やらでとんでもない金額が飛んでいくだろうよ」

「それは……でも、隊長。それならどうしろって言うんです? 異名持ちの冒険者だけに実力は間違い無いんですよ? それに、ギルムの街のギルドマスターからの紹介状を持っている冒険者に、従魔のグリフォンが混乱を招くから帰ってくれとでも言うんですか?」


 ギルムの街のギルドマスターからの紹介状。その言葉が出た時点で既に半ば判断は決まっていた。

 マリーナ・アリアンサというダークエルフは、それだけの影響力を持っているのだ。


「ちっ、確かにな。その件を出されるとどうしようも無いか。……しょうがねえ、街への立ち入りを認める」

『隊長!』


 隊長と呼ばれた男の決断に、部屋の中にいた者達の声が響く。だが、その声に込められたのは失望と歓喜という正反対の感情が込められていた。


「ただし!」


 失望にしろ、歓喜にしろ、声を発した部屋の者達へと向けて鋭く言葉を続ける隊長。


「いくらギルムの街のギルドマスターからの紹介状があるといっても、露骨に贔屓なんぞをする必要はない。他の賞金目当てに来た冒険者達と同じように扱え。グリフォンにしても同様だ。他に従魔を連れている者達と同様、何か騒ぎを起こしたりしたら責任はそのレイって奴にあるというのを承知させた上で街に入れろ。勿論従魔の首飾りも忘れずにな」


 その言葉で片方は嬉しそうに、もう片方は忌々しそうに頷き、早速役目を果たすべく部屋を出て行くのだった。

 部下達の後ろ姿を見送り、深く溜息を吐く隊長。


「ったく、上がこの街の冒険者の実力を信用出来ないってのはいいが、そのおかげで賞金目当てに来た冒険者達の騒動でこっちは休む暇も無いときたもんだ。賞金を掛けるのはいいが、せめてもうちょっとこっちに人手を出してくれないもんかねぇ」


 賞金を掛けられて以降周辺の街から続々とやって来る冒険者達、どちらかといえば荒くれ者の割合が多い冒険者である以上、多数が集まれば当然騒動に発展するのは当然であり、エモシオンの街の警備兵達はここ暫くは朝も夜も無い程に忙しい日々を送っていた。

 それは警備兵の隊長であるこの男も同様であり、仕事が終わって家に帰ると4歳になる娘は既に眠っており、朝に関しても娘が起きる前に仕事に出ているので、起きている愛娘の姿をここ数週間程見ていない。


「あー……今日もまた間違い無く遅くなるな」


 レムレースが現れて船を沈めた以上それだけは間違い無く、男は結局今日も愛娘の起きている姿を見ることが出来ないと深い溜息を吐きながらテーブルへと上半身を倒れ込ませる。






「お待たせしました、レイさん」


 港へと戻って来た救助船。その甲板上でレイとセトは2人の人物を出迎えていた。

 1人は友好的な笑みを浮かべている女で、もう片方はまるで睨むような鋭い視線をレイへと向けている男だ。どちらも年齢は20代程だろう。


「確かに随分と待たされたな」


 既に救助船が港へと戻って来てから3時間程が経ち、太陽も夕日へと変わっている。当然、救助された者達も既に下船しており、この船に残っていたのは甲板上で待機していたレイとセト。そしてレイが船に残る以上は責任者である自分も残らなければならないと言い切った船長のみだった。

 船員達は今頃港での作業を終えて、酒場なり娼館なりに繰り出しているだろう。


「すいませんね。こちらでも色々と相談すべきことがありまして。……その、さすがにグリフォンをはいそうですかと街中に入れる訳にもいきませんので」

「グルゥ?」


 自分のことだと分かったのだろう。喉を小さく鳴らしながら女の方へと円らな瞳を向けるセト。


「っ!?」


 グリフォンであるセトの突然の行動に、女の後ろにいた男が息を呑んで数歩後退る。

 そして、自分の行動に気が付いたのだろう。顔を赤くしながら口を開く。


「い、いいいか! 街に入るのは許可するが、何か揉め事を起こしたらそれはお前の責任になる! それを忘れずに、くれぐれも俺達の手を煩わせるなよ!」

「ちょっと、いきなり何を言い出すのよ! ……すいません、ですが彼の言うことも間違っていないんです。グリフォンの……えっと、セトとか言いましたよね。そのセトを街中に入れるのは許可がでました」


 そう言い、手に持っていた従魔の首飾りをレイへと手渡す女。


「ギルムのギルドマスターの紹介状もありましたし、その辺は何の問題もありません。ただし従魔に対しての扱いは通常と同じとなります。これについては申し訳ありませんが、紹介状があっても変わりありませんのでご了承下さい」

「分かっている。別に特別扱いされるのを期待していた訳じゃ無いから、それで構わない。セトも人に迷惑を掛けるような真似はしないしな」

「グルルゥ」


 レイの呼びかけに、当然! とでもいうように喉を鳴らすセト。

 そんなセトの頭を撫でているレイを見ながら、これなら安心だと女が安堵の息を吐き、男の方はそれでも疑い深そうな視線を向けていた。


「では、こちらで手続きをしますのでギルドカードを貸して貰えますか。紹介状の方にレイさんのことについて書かれてはいましたが、それでも一応規則ですので」

「ああ、構わない」


 そう言い、ローブの内側でミスティリングを展開してギルドカードを取り出すレイ。

 警備兵の2人が受け取り、規則通りに手続きを進めていく。

 それでもレイに対する態度が好意的な女と、どこか疑わしい視線を向けている男とではレイが受ける印象も違っていた。

 だが、男の方にしても別にレイそのものを嫌っている訳では無く、レイのように目立つ冒険者が街中で起こすトラブルを予想してうんざりしているというのが正しく、逆に女の方は未知のモンスターでもあるレムレースに対する有効な戦力として期待している為に好意的なのだった。

 どちらにしろエモシオンの街を思うという気持ちに嘘は無く、だからこそ態度が正反対でありつつも2人共ぎこちなくならず共に仕事を続けていられるのだろう。

 やがて5分もしない内に手続きが終了し、女がレイへとギルドカードを返してくる。


「手続きが完了しました。ようこそ、ミレアーナ王国最大の港街エモシオンへ。私達はレイさんを歓迎します。この街の滞在が貴方に幸多からんことを」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る