第319話
夕暮れの太陽に街中を照らされる中、レイとセトはエモシオンの街の大通りを歩いていた。
レムレースという未知のモンスターに掛かっている賞金を目当てにやって来たのだが、1人と1匹の向かっている先は冒険者ギルドではない。
本来であれば冒険者ギルドに向かってレムレースの情報を聞くのが普通なのだろうが、既に時刻は夕方であり、そうなると当然今日の依頼を済ませた冒険者が大量にギルドに戻って来ているだろう。そんな中でギルド職員に手間を掛けさせるよりは、明日の少し遅い時間にギルドに行って情報を聞いた方がいいと判断した為だ。もっともレイ自身が人混みが嫌いであり、あるいは大量に冒険者のいる場所に行って変に絡まれないようにした方がいいと街に入る手続きをしてくれた警備兵に言われたというのもあるのだが。
警備兵達にしても街中で異名持ちの冒険者やグリフォンに暴れるような真似をされては手に負えないので、内心必死の思いでレイに忠告したのだ。
勿論警備兵が行った行為はそれだけではない。
「グルルルゥ?」
「そうだな、セトを怖がるような奴が随分と少ないな」
セトも嬉しそうにしつつも、何で? と小首を傾げてくるその様子に、レイもまた同様に首を傾げる。
これが警備兵達の打った手の1つ。グリフォンのセトが沈没した船に乗っていた乗客や船員達を助けるのに大いに貢献したという情報を、大々的に広げたのだ。
その他にも、異名持ちの冒険者と高ランクモンスターのグリフォンがレムレースに対する重要な戦力になるだろうという話も広められている。
ただ、これらの噂話に関しては純粋に警備兵が広げたものだけではなく、実際に救助された乗客や船員、あるいは現場にいた冒険者や、救援に向かっていた多数の船の船員達が広めた情報も多かった。
「まぁ、友好的な相手が多いのなら、それに越したことは無いんだけどな。こっちも騒動を引き起こしたい訳じゃないし」
「グルルゥ」
勿論全員が全員レイとセトに対して友好的な視線を送ってきている訳では無い。中にはレムレースというモンスターと関連づけて忌々しそうな視線を送ってくる者もいるし、あるいはグリフォンであるセトの姿を見て逃げ出そうとする者もいる。だが、それ以上に救助活動を行ってくれた感謝の視線が多かった。そして何よりも多かったのは、グリフォン程の高ランクモンスターならこのエモシオンの街を蝕んでいると言っても過言では無いレムレースをどうにかしてくれるのではないかという、希望の視線だった。
「こっちの実益も兼ねてその期待には応えたいところだけど……まさか完全に海中に身を潜めたままでいるとは思わなかったからな。さて、どうしたものやら」
「グルゥ」
元気を出してと言いたげに喉を鳴らし、頭を擦りつけるセト。
そんなセトの頭をコリコリと掻きながら、レイとセトは道を進んでいく。
(『舞い踊る炎蛇』を切り札に考えていたんだが、そもそも本体が海中から姿を現さないとどうしようもないしな。触手の類でも……)
一瞬そう考えるレイだが、すぐに以前クイーンアントに『舞い踊る炎蛇』を使った時のことを思い出す。
(駄目だな、触手とかだとクイーンアントの時のように本体に炎蛇が到達する前に切り離される可能性が高い。そもそも、触手があるのかどうかも分からないし)
また新しい攻撃方法を考えなければいけない。そんな風に思いながら街中を進んでいると、ふと香ばしい匂いが漂ってくる。
「グルゥ」
セトも同様にその匂いを嗅いだのだろう。匂いの元を探すようにして周囲を見回す。そして……
「へぇ」
セトの視線が止まったのを追うようにして視線を向けると1軒の屋台を見つける。それは、串焼きの魚を始めとした海産物を焼いて売っている屋台だった。
色々な種類の魚が下処理をされて串焼きにされ火の上で焼かれているその光景は、味付けは塩のみであるにも関わらず魚の脂が焼ける匂いでどこまでも食欲を誘ってくる。
元々ギルムの街はどちらかと言えば平原にあり、山や森はともかく海は存在しない。捕れる魚といえば川魚くらいであり、海鮮料理を楽しみにエモシオンの街へと来たのも事実だ。
「食べていくか?」
「グルゥ!」
レイの言葉に、食べる! とセトが頷き、1人と1匹は早速とばかりに屋台の方へと近付いていく。
近付けば近付く程に魚の焼ける香ばしい香りが漂い、これまで以上に食欲を掻き立てる。
実際、その屋台の周囲には夕食までの繋ぎのつもりなのか、幸せそうに串焼きや網の上で焼かれた海産物を味わっている者達が10人近くいた。
「うおっ!」
そんな中、体長30cm程の緑の蛍光色を持つという、レイから見ると何とも怪しげな魚の串焼きを食べていた男がレイとセトに……より正確にはセトに気が付き驚愕の声を上げる。
その声を聞いた他の客達もレイやセトへと視線を向けるのだが、その場にいた殆どの者が逃げるような真似をせずに興味深そうに見守っていた。
勿論全員が逃げ出さなかった訳では無い。数人程は慌てたように走り去っていったが、その者達にしても騒ぐような真似はせずに殆ど反射的な行動だったことを思えば、エモシオンの街に来る前に立ち寄った街に比べると雲泥の差と言ってもいいだろう。
屋台をやっていた50代程の初老の男もグリフォンが近づいて来ているのに気が付いてはいた。だが、特に表情を変えること無く串焼きや網焼きの焼き具合に集中していた。
そしてレイとセトが近付き……
「親爺、魚の串焼き2本もら……」
「ほれ、食え」
レイに最後まで言わせずに焼き上がった串焼きを差し出す。黄色と青の斑模様をした魚の串焼きという、普通に考えれば食べるのに躊躇せざるを得ないような料理だ。だが、屋台の周囲で様子を見守っていた客達は皆が揃って驚愕の声を上げる。
「おい、あれって確か高級魚の……」
「ああ。美味いけど漁獲量が少なくて、かなり高値が付いている魚だ」
「しかも今はレムレースのせいで漁に出る奴も減ってきてるから……」
「さすがおやっさんだ。豪毅だね」
「ああ、私1回でいいから食べてみたかったんだよね。でも、さすがにおやつに銀貨2枚とか無理だし」
周囲の声を聞き、自分の持っている串焼きの魚が銀貨2枚だと知るレイは、屋台の親爺へと驚きの表情を浮かべる。
「こんな高級魚は頼んでないんだが」
「俺の奢りだ。腹減ってんだろ? 食え。坊主のおかげでレムレースに襲われたにしては、随分と助かった奴が多かったからな。エモシオンの街の者としての礼だ」
「……そうか、ならありがたく頂くよ。ありがとう」
短く礼を言い、渡された魚の串焼きへと齧り付くレイ。
皮は魚とは思えない程にパリッとしており、口の中に入れた途端に身が解けていく。
身には脂がこれでもかとばかりに乗っているのだが、後のしつこさは存在しない。
1口食べると、続けて2口、3口、4口と続けざまに頬張る。
そんなレイの隣では、セトもまた上機嫌に喉を鳴らしていた。ただ、魚の大きさはセトにしてみればそれ程大きくない為に1口で食べきってしまったので、若干物足りなさそうでもあったのだが。
そのまま無言で串焼きを食べきり、満足そうに息を吐き屋台の親爺へと声を掛ける。
「美味かった」
「そうか。ならいい」
言葉にせずとも伝わる親爺の心遣いに笑みを浮かべ、ふと思いついたかのように尋ねる。
「この街でグリフォンも一緒に泊まれるようなお薦めの宿があったら教えてくれないか?」
「……そうだな。そこの通りをまっすぐ進んで、5つ目の曲がり角を右に曲がって、そのまま10分程歩けば碧海の珊瑚亭って宿がある。ちょっと値段は高いが、グリフォンでも受け入れてくれる筈だ。今はかなり混雑していると聞いているが、儂の……アルクトスの紹介だと言えば大丈夫だろう」
「碧海の珊瑚亭だな、分かった。色々と助かる」
「気にするな。礼だ」
短く告げる親爺……否、アルクトスの言葉に笑みを浮かべ、そのままセトと共に教えて貰った宿に向かおうとして……その場で反転して再びアルクトスへと声を掛ける。
「済まないが、串焼きと貝を銀貨5枚分適当に見繕ってくれ」
久しぶりに食べる海産物の味と、セトの訴えるような瞳に負けてそう告げるのだった。
「碧海の珊瑚亭、ね。確かに名前通りの店だな」
アルクトスに教えて貰った道順を通って見つけた宿は海を思わせる青に塗られている壁と、その壁に埋め込まれている珊瑚が酷く印象的な建物だ。
大きさで言えば夕暮れの小麦亭より若干大きい程度だが、それでもギルムの街と比べて数倍の住人が住み、あるいは外からやってくるエモシオンの街としては中程度の規模の宿だろう。
「聞いた通りに随分と繁盛しているようだが……まぁ、今の時期ならしょうがないのか?」
そう口にしつつ、串焼きの魚を頭や骨ごと噛み砕いて飲み込み、串をミスティリングの中へと収納する。
「グルルルゥ」
セトもまた初めて見る綺麗な建物に、上機嫌に喉を鳴らす。
碧海の珊瑚亭。本来であれば知る人ぞ知るといった隠れた名店なのだが、現在のエモシオンの街ではレムレースの賞金を目当てにして大量の冒険者が溢れている。そうなれば当然宿の数も足りなくなり、隠れ家的な宿として有名だった碧海の珊瑚亭にも大勢の冒険者達が押し寄せてきていたのだ。
「……泊まれるのか?」
外から見てもかなり賑わっている声が建物の中から聞こえて来る為に思わず呟くが、それでも取りあえず入るだけ入ってみようと判断してセトを外に待たせて建物の中に入っていく。
その時に目に入ってきたのは、1階の奥にある食堂で大量の冒険者が飲み食いしている光景だ。
一般的な宿と同じく1階が食堂兼酒場となっており、2階以降が宿屋となっているらしい。そう判断したレイは宿屋のカウンターにいる10代半ば程の少女へと声を掛ける。
「悪いが、宿を取りたいんだが」
「え? あー……ごめん、今はちょっと難しいかな。見ての通り、部屋が埋まっちゃってて……」
申し訳なさそうに告げてくる少女に、逆に納得してしまうレイ。
宿の入り口から見る限り、食堂もほぼ満員に近い状態になっているのは目に見えていたからだ。
だが、一応念の為ということでアルクトスの名前を出してみる。
「屋台をやっているアルクトスって親爺から紹介されてきたんだが……それでも駄目か?」
「アルクトスさんの紹介!? え、えっと……ちょっと待っててね。すぐにお父さんに聞いてくるから」
それだけ告げ、さっさと食堂の方へと走っていく少女の後ろ姿を見送り、その場に置き去りにされるレイだった。
「どうしろと?」
さすがに予想外の展開だったのか呆けたように呟くが、幸い走り去っていった少女は1分もしない内に戻って来る。
先程と違っているのは、後ろに30代程の母親らしき人物を連れていることだろうか。
(いや、父親に聞きに行くとか言ってなかったか?)
そんな風に思っていると、女将と思しき少女の母親が声を掛けてくる。
「アルクトスさんからの紹介だと聞きましたが」
「ああ。串焼きを買ったついでに聞いたら、ここを紹介されたんだ」
「失礼ですが、串焼きを買った程度でアルクトスさんがうちを紹介するとは思えないんですけど」
「何でも、レムレースとかいうのに沈められた船の乗客や船員を助けた礼ってことらしいぞ」
「……ああ! お客さんが街で噂になっている!」
レイの言葉で紹介された理由を理解したのだろう。どこか疑わしそうだった表情が笑顔に変わる。
「グリフォンを連れていると噂ではありましたけど?」
「表にいるよ。それで、泊まれるか?」
「その、泊まれるかどうかと言えば泊まれるんですが……」
どこか言いにくそうに口籠もる少女の母親。そんな母親を見かねたのだろう。少女の方が口を開く。
「その、今普通の客室はお客さんで一杯なのよ」
「だろうな」
再度食堂の方へと視線を向けるが、そこでは冒険者と思しき者達が宴会を行っているのが見える。
「なら、他の宿に……」
「だから!」
レイが他の宿を探すと口にしそうになったその言葉を遮るようにして少女が言葉を続ける。
「その、普通じゃないお部屋なら用意出来るんだけど、それでもいい?」
「普通じゃない部屋?」
「うん。その、角部屋で他の部屋の半分くらいの大きさなんだけど……」
その言葉に数秒程考えるも、レイはすぐに頷く。
「そうだな、俺としては寝る場所と食事さえあれば部屋の大きさは気にしない。それで頼めるか?」
「あ、うん。ねえ、お母さん。いいわよね?」
「え、ええ。アルクトスさんの紹介ですし、部屋もそれでいいのならこちらとしても街の恩人ですし大歓迎です」
「それで、料金は幾らになる? ああ、グリフォンの食費も込みで頼む」
「朝食と夕食も含めて1泊銀貨1枚で構いません」
その、余りの安さに思わず驚きの表情を浮かべるレイ。
ギルムの街の夕暮れの小麦亭でさえセトの食費を抜きにしても1泊銀貨3枚なのだ。ここの人口や物価を考えると破格の安さと言ってもいいだろう。
「アルクトスさんの紹介ですし、街の恩人ともあればそれ以上は貰えません。こちらが提供出来るお部屋にしても普通の半分くらいの大きさしかありませんし……」
その言葉に押され、結局レイはエモシオンの街にいる間は碧海の珊瑚亭に宿を決めるのだった。
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