第304話
「ギルムの街だ、ギルムの街が見えたぞ!」
街道をすすむラルクス領軍の中に、そんな叫びが響き渡る。
既にダスカー率いる王都へと向かう部隊と分かれてから約2週間。ギルムの街へと進んで行く中で、次から次へとその通り道付近にある貴族達の部隊が離れていき、最後の部隊と別れたアブエロの街から進み続け、途中で1泊してようやくギルムの街が視界に入ったのだから、ラルクス領軍の中で歓喜の声が上がるのは当然だったのだろう。
戦争が始まるとしてギルムの街から出て一月程度だが、それでもやはり懐かしいのか皆が嬉しそうに笑みを浮かべている。
そんな中、レイが乗り込んでいる馬車の中でも当然笑みが溢れていた。
「ようやく戻って来たか。やっぱりこうして見るとほっとするよな」
馬車の窓から見えてきたギルムの街を眺めながら、ルーノがしみじみと呟く。
その顔には当然のことながら、どこか安堵したような笑みが小さく浮かんでいる。
「そうだな。こうして戻って来て、初めて実感するよ。この街が俺達の故郷なんだって」
騎士の1人もまたルーノの言葉に頷きながら安堵の表情を浮かべ、もう1人の騎士が同感だと頷く。
だが、そんな騎士達やルーノと一緒に馬車の中にいるレイにしてみれば、ギルムの街にやって来てからまだ1年も経っていないのだからそこまで強い郷愁の念は抱きようがない。
とは言え、わざわざ口出しをするのも野暮な真似だろうと手に持っていたモンスターの紹介が載っている本へと視線を戻す。
勿論ギルムに帰ってきたのは嬉しいのだが、それよりもレイにとってはギルムの街に戻ってから厄介ごとが待ち受けているのだ。そういう関係もあり、お気楽に喜んでばかりもいられない。
そんなレイの様子に気が付いたのだろう。騎士のうちの片方が安堵の笑みから苦笑へと笑みの種類を変えてレイへと声を掛ける。
「レイ、少しはお前も喜んだらどうだ?」
「嬉しく無い訳じゃないさ。ただ、戻ってからの面倒事を考えるとどうしてもな」
「ああ、アイテムボックスの中にある補給物資の返却か」
2人の声を聞いたルーノが、意地の悪い笑みを浮かべながらレイへと視線を向ける。
そう。レイのミスティリングの中には、今回の戦争で必要になると思われていた補給物資の数々が存在している。弓、矢、剣、槍といった武器から、酒、食料といった代物、テントや天幕、その他にも各種回復アイテムを始めとして膨大な量の物資だ。
物資が足りなくなるという事態を恐れたダスカーが数ヶ月分を用意したのだが、実際の戦闘は1日で終わっている。そうなると当然消費する物資も少なくなる訳で、それらの多くは結局1度も外に出されること無くミスティリングの中に入っている。
セレムース平原へと向かう時は念の為ということもあって馬車に分散させてはいたのだが、既に戦争が終わっており、更には完勝に近いとはいっても怪我人も全くいない訳でもない。それらを馬車に乗せる為、余っていた物資の殆どがレイへと押しつけられたのだ。
当然、その物資はレイの物という訳では無いのでギルムの街に戻ったら返却せねばならず、その手間を考えたレイの顔は非常に面倒臭そうなものになっている。
「武器なんかはともかく、糧食とかの保存食はある程度アイテムボックスの中に保存して貰っておいた方がいいのかもしれないな。特に、出来たての料理なんかはまだ大量にあるんだろう?」
騎士の問いに、脳裏のリストを確認して溜息と共に頷く。
ラルクス領軍の高い士気は、最精鋭の冒険者であるという自負を始めとして多数理由があったが、その中の1つに出来たての料理を食べられるというものも当然あった。
あるいは他の部隊から向けられる羨望の眼差しも士気の高さには一役買っていただろう。勿論、羨望のままにしておけば後々揉め事になる可能性も高いので、ある程度分けたりはしていたのだが。
とにかく、それでも数ヶ月分の出来たての料理がレイのミスティリングの中に入っており、もしそれを全部出してしまえば当然腐ってしまうことになる。それを考えると、迂闊に料理の類を出して貰う訳にはいかなかった。
「その件については、取りあえずダスカー様が王都から戻って来てからだな。いや、留守を預かっている人に聞けばいいのか? とにかく今は、薬とか武器とかテントとか、普通に保存の効く保存食を出して貰って、日持ちが悪いようなのはまだアイテムボックスに入れておいた方がいいだろう。レイにしても、1度に全部中身を出すよりは数回に分けた方が楽だろ?」
騎士の言葉に頷くレイ。
「そうして貰えると助かる」
そんな風に会話をしていると、やがて馬車が止まる。
窓から見えるのは、ギルムの街の正門。そして、正門の周囲にずらりと並んで歓声を上げながら出迎えている街の住民達だった。
「王都まで行かなくても、ここでも十分に喜ばれているよな」
「ま、王都なら住んでいる人数がギルムの街とは大違いなんだろうけど」
騎士とルーノが、どこか照れたように呟いている声を聞いていると、馬車の扉がノックされる。
ここまできて、刺客に襲われることも無いだろうと判断したレイが扉を開けると、そこには見知った顔が姿を現す。
「レイさん、それにルーノさんや騎士のお2人も。随分と早いお帰りでしたね」
厳つい顔にも関わらず、相変わらずのんびりとした言葉使いで笑みを浮かべていたのは、ギルムの街の警備隊隊長でもあるランガだった。
「ランガ、久しぶりだな。ギルムの街は問題無かったか?」
立場上では警備隊隊長であるランガと騎士だが、顔馴染みである為か特に鯱張った言葉使いもせずお互いに声を掛け合う。
「そうですね。さすがにこれだけの数の冒険者がいなくなったので色々と問題は起きてますが、幸いにも致命的な問題は起きてませんよ。それよりもこうして無事に帰ってきたということは……?」
視線を向けてくるランガに、騎士が笑みを浮かべて頷く。
「ああ。ベスティア帝国軍はセレムース平原から追い払った。どこぞの冒険者とその従魔のグリフォンが大活躍してくれてな」
「……なるほど。そうなるとやっぱりあの噂は……」
騎士の言葉にレイへと視線を向けてくるランガ。
従魔のグリフォンと言っている時点で、それが誰を示しているのかは明らかだったのだろう。何かを納得したように頷いている。噂というのが気になったレイだったが、それを口にする前にランガがすぐに我に返って口を開く。
「とにかく急いで手続きをしますので、ギルドカード等の身分証をお願いします。本来ならここでこんな無粋な真似をしたくはないのですが、規則は規則ですので」
「分かっている。なら、手続きが済んだ者から街中に入れてやってくれ。中でも相当のお祭り騒ぎになっているんだろう?」
「ええ、皆さんが戻ってくる姿を見つけてからずっとですね。最初は負けて戻って来たんじゃないかと言ってる人もいましたが、皆さんの様子を見る限りそんな風には見えませんでしたから。残ったのが圧倒的な勝利で早く戦争を終わらせたのだろうという意見でしたから。それに……」
意味ありげに一瞬笑みを浮かべるランガ。こうして話している間にも、警備兵達が他の馬車や徒歩の冒険者や兵士、騎士達のギルドカードやその他の身分証を確認していく。
警備兵の頑張りもあって30分と掛からずに手続きは終わり、いよいよギルムの街へと入ることになる。
「では、手続きはこれで終了です。皆さん、お帰りなさい」
従魔の首飾りをレイへと手渡しながら馬車の中の皆へと笑みを浮かべながら改めて声を掛けてくるランガ。
その心遣いに笑みを浮かべてそれぞれが言葉を返し、レイもまた扉から首を突っ込んできたセトへと従魔の首飾りを掛けてからランガへと笑みを返し、馬車はギルムの街中へと入っていく。
『わああああああああああっ!』
街中へと入った瞬間、唐突に聞こえてきたその声。
馬車の中から見えるのは、人、人、人。無数に連なっている人の群れと呼んでもいいような光景だった。
さすがに予想外だったのか、レイは思わず目を見開く。
だが、ある意味で予想通りの光景だったのだろう。ルーノと騎士の2人は嬉しそうな、あるいは満足そうな笑みを浮かべながら馬車の窓から群衆へと視線を向けている。
「これは……凄いな」
その人の数に、ようやく我に返ったレイが呟く。
ギルムの街にいる住人、その殆ど全てが集まっているのではないかと思う程の人数が集まっているように見えたのだ。
勿論、それはあくまでも錯覚でしかない。10万人もの人数がここに集まれる訳が無いし、そもそも10万人の中でも冒険者、兵士、騎士といった数千人近い者達が自分達ラルクス領軍なのだから。
だが、それでも勘違いしてしまいそうになる程に帰還してきたレイ達に対して歓声を上げている群衆の数は多く、黄色い声や叫び声といったものが至る場所から聞こえている。
「オークの集落の時もかなり歓迎されていたが、今回はそれ以上だな」
「そりゃそうだろ。オークは所詮……と言ってしまうとちょっと差を付けるようでなんだが、結局はモンスターでしかない。だが、今回は隣国との戦争だからな。それも俺達は侵略された側だ。それを考えればこの喜びようも無理は無い。しかも、今回はレイのおかげでギルムの街から出撃した者達の死者はかなり少なく抑えられたし。ほら、お前も手を振ってやれよ」
馬車の窓から手を振っているルーノに言われ、小さく溜息を吐いてからレイもまた手を振る。
元々こういう風に見知らぬ相手から注目を浴びるのは好きではない為か、ルーノや騎士とは違ってどこかぎこちない笑顔を浮かべてのものだったが。
「おい、あの馬車の横を見てみろよ。グリフォンだぜ。じゃあ、あの馬車に乗ってるのか?」
「ああ、今回の戦争で活躍したとかいう……なんて言ったっけか? 赤? いや、違うな。確か深紅とか」
「そうそう、まだ10代半ば程度の年齢だって話じゃねえか。天才ってのはいるもんだね」
「セトちゃーん! お父さんを無事に連れてきてくれてありがとー!」
「セト、ほら。これでも食え。頑張った褒美だ」
馬車の中まで聞こえて来るざわめきの数々。もちろん、他の声に、紛れてルーノ達は聞こえていなかったが、人外の五感を備えるレイにとっては全く問題無く聞こえてくる。
そして聞こえてきた声の中に、幾つか聞き流せない情報が入っているのも当然気が付く。
「なぁ、何か俺達が勝ったってのはともかく、深紅って異名まで広まっているんだが……何でだ?」
レイの言葉に、一瞬驚いたような表情を浮かべるルーノや騎士達だが、すぐに納得したように頷く。
「商人の情報網は凄いからな。それに俺達がまだセレムース平原で撤収準備をしている間にも、先に戻っていった貴族の軍隊や、あるいは商人達がいただろ。恐らくその辺から流れた情報じゃないか? いや、まさか辺境のここまで情報が届いているとは思わなかったが……」
「ルーノの言う通りで間違い無いだろうな。商人というのは利に聡い。そうなれば当然情報についても聡くなる。その辺は俺達よりも冒険者であるレイの方が詳しいんじゃないのか?」
騎士の言葉に、以前護衛した商人を思い出す。レイの行動の結果ギルムの街が手に入れることが出来た火炎鉱石。その情報をどこからともなく仕入れていたその様子を。
「なるほど、そんなものか」
「それと、この街にいる以上はセトのことを良く知っているというのもあるだろうな。街の人気者でもあるセトが活躍したのは嬉しかったんだろ」
馬車の窓から、集まってきている者達の投げた干し肉を嬉しそうに食べているセトへと視線を向けるルーノ。
そんなセトの様子に黄色い声が上がっては再び干し肉が投げ入れられ、器用にクチバシで受け止めては飲み込んでいく。
「こうして見ると、セトも随分と人気者になったよな。俺が初めてこの街に来た時には凄い怖がられていたのに」
「そりゃそうだろ。グリフォンだぜ? 幾ら従魔の首飾りをしていても、すぐに安心出来る筈がないだろ。寧ろ1年も経たないうちにセトが街に溶け込んだことの方が驚きだぞ」
「そうだろうな。街の見回りをしていた警備兵達にしても、最初は皆怖がっていたという話だし」
騎士がルーノの言葉に同調し、どこか呆れた様な視線をレイへと向ける。
「そもそも、グリフォンを従魔としている奴がいるのがおかしいんだけどな。普通はこんな高ランクモンスターを従魔になんて、考えもしないぞ」
そんな騎士達の言葉を誤魔化しつつ、レイ達ラルクス領軍は冒険者ギルドへと向かって騎士代表の軽い挨拶の後、解散となった。
正式な式典に関してはダスカーが戻って来てからということになっているのだが、それでもこの日は街中が戦勝の報告に半ば祭の如く1日中騒ぐことになる。
尚、その際の料理の多くは、留守を預かっていた騎士の指示によりレイのミスティリングの中に入っていた料理や酒が振る舞われたのだった。
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