第303話

「んー、また半月掛かるのか……それはさすがに退屈だな」


 馬車の中で呟くレイ。

 その言葉を聞いたルーノが、呆れた様に視線を向ける。


「退屈って言ってもな。まさかお前さんだけセトに乗って先にギルムまで帰る訳にもいかないだろ?」

「まあな。本当に俺だけが戻るのならそれもありなんだろうが、補給担当として雇われている以上、好き勝手には出来ないさ」

「当然だ。そんなことをされては規律が乱れるだけではなく、俺達が餓死してしまうぞ」


 護衛として同じ馬車に乗り込んでいた騎士の1人が、呆れた様に呟く。

 セレムース平原へと向かう時の護衛とは違う騎士だが、それでもレイに対して気安く接するのはラルクス領軍の仲間と見ているからだろう。

 精鋭の冒険者達が集まるギルムの街に住んでいるだけあって、異名を付けられ、畏れすら受けるようになった今のレイに対しても気安く接してくるのは、ダスカーがその辺に注意を払ってそういう性格の騎士を護衛として付けているからだ。

 そう、現在レイ達ラルクス領軍は既にセレムース平原を発っており、ギルムの街へと向かっているところだった。

 今はまだラルクス辺境伯でもあるダスカーと共に進んでいるが、ダスカーを含む騎士団の半分程は戦争の勝利を祝う式典に出席する為に王都へと向かい、それ以外の騎士団と冒険者達はギルムの街へと真っ直ぐに戻るのだ。


「にしても、式典か」

「何だ、羨ましいのか? そういうのには興味がないと思っていたんだが」


 呟いたルーノに、騎士が珍しいものを見たとでも言いたげに視線を向ける。


「確かに面倒臭い式典とかには興味無いが、それでもパーティで出る豪華な料理や、着飾った貴族の女には惹かれるものがあるのは事実だな」

「……料理か。確かに」


 そんなルーノの言葉に反応したのはレイだ。ただし、着飾った貴族の女ではなく料理というところがレイらしいと言えばレイらしいのだが。


「確かに貴族のパーティに参加すれば珍しい料理は食えるだろうが……参加するには余程の手柄を挙げなきゃ無理だろ? ダスカー様みたいに貴族としての地位を持っているならともかくな。そういう意味ではレイなんかはパーティに参加していれば上手い料理や美味い酒にありつけたんだろうが」

「……で、貴族の揉め事に巻き込まれろと? 冗談じゃない。それなら豪華な料理を食えなくても、自由に過ごせるギルムの街の方が余程気楽でいいよ」


(特に、ルノジスの実家を考えれば、まず間違い無く揉め事に巻き込まれるだろうし)


 内心で呟き、脳裏に一瞬だけ両肩から先を失った傲慢な貴族の顔が過ぎる。

 結局、ルノジスの件に関しては全面的にダスカーへと任せることになったのだ。勿論、ダスカーにしても貴族派に対する交渉材料の1つ……しかもかなり大きな交渉材料の1つとなるだけに、喜んで後始末を引き受けることになった。

 もっとも、最初からそのつもりがあったからこそ、エッグやその古馴染みでもあるベルダを使ったのだろうが。


「貴族の揉め事ねぇ。俺は今回それ程活躍しなかったし、あまり関係無いからな。もし式典に参加していればゆっくりと料理や酒を楽しめただろうよ」

「……活躍してないんなら、そもそも式典に呼ばれるようなこともないだろうに」


 ルーノの言葉に小さく呟いたレイだったが、その言葉を聞きつけた騎士の1人が小さく笑みを浮かべる。


「そうでもないぞ? ルーノはレイの護衛という役割を任されている。そしてレイが人の注目を集める以上、その護衛にも当然意識が向けられるだろうな」

「うげっ、俺も巻き込まれるって? そりゃ御免だな。ならレイが言ってるように、さっさとギルムの街に帰った方がいいか」


 簡単に前言を翻したルーノに対し、ジト目を向けるレイ。

 それでも開戦前のどこか張り詰めたような雰囲気では無く、柔らかな雰囲気であるというのは戦争で勝利したからこそなのだろう。

 もしセレムース平原での戦いで敗れていれば、今頃ミレアーナ王国へとベスティア帝国軍が雪崩れ込んでいたのは確実であったのだから。


「にしても、今回の戦争は予想以上に楽だったよな。実際の戦いは1日程度で終わったし、その戦いにしても中立派はレイの魔法で混乱している場所に突っ込んだだけだったり、後は奇襲部隊が敵の本陣を襲った時に陽動として戦った国王派の援護として後ろから魔法を撃ち込んでただけだし」

「本来なら数日、下手をしたら数週間から1ヶ月程度は戦闘を続けるということも珍しく無いんだけどな。……実際、レイのミスティリングの中に入っている補給物資は殆ど使われてはいないだろう?」


 ルーノの言葉を受け、レイへと視線を向けてくる騎士。


「ああ。一番消費したのが糧食として持ってきた料理だ。もっとも、だからこそ勝利の宴としてあれだけ豪快に振る舞ったんだろうが」


 脳裏に、戦勝の宴として開かれた宴会を思い出すレイ。

 本来は糧食として使われる筈の大量の料理。出来たてのままでミスティリングに入っていたそれらの料理が宴会では大量に振る舞われたのだ。おかげで、レイは戦闘で戦うよりも消耗が激しかったのだが。

 そんな状態でラルクス領軍は街道を進んで行くのだった。






 セレムース平原から移動を始めて数日、徐々に一行の人数は少なくなって来ていた。

 移動の途中で、同行していた貴族達の軍が領地へと戻る為に離れていった為だ。

 勿論貴族達は王都で行われる予定になっている式典に参加するので中立派としてラルクス領軍と行動を共にしているのだが、それでも率いていた全戦力を王都へと引き連れていくわけにはいかない。もしそんな真似をすれば、中立派が国王に対して反旗を翻した……そんな風に言われる可能性もある。


「……本気か? ようやくベスティア帝国軍を撃退したってのに、何でそんな下らない揉め事を起こすんだ?」


 馬車の中で暇潰しにと騎士から聞かされた話に思わずレイがそう返すが、騎士は今だからこそだと告げる。


「ベスティア帝国という身近に迫った脅威を追い払ったからな。しかも、こっちの被害は全軍で見ると軽微だ。……ただ、その軽微な被害の大部分を受けたのが国王派だってのが問題なんだよ。中立派は今回お前のおかげでかなりの名を売れた。それは、お前についた深紅って異名を考えれば当然だろう?」

「まぁ、それは否定出来ない事実だろうな」


 ベスティア帝国軍の捕虜が自分に向ける視線を思い出し、頷くレイ。


「一応敵の総大将を国王派の貴族が討ったとはいっても、間違い無くこの戦争で最も名を上げたのはお前であり、ひいてはお前を雇っていたダスカー様。つまりは中立派な訳だ。それを最大派閥の国王派が喜ぶと思うか? 少しでも難癖を付けて、戦争で上げた中立派の影響力を削ごうとしてくるだろうよ。それを考えれば、お前が王都へ出向かないってのは最良の選択肢ではあるな」


 貴族に対する礼儀作法等を知らないレイでは、どのような難癖を付けられるか分からない。言外にそう滲ませる騎士の言葉に、レイとしても特に異論は無かった。


「これが、せめて戦争に参加した国王派の貴族ならお前を怒らせることの危険性を知ってはいるんだろうが……あいにく、今回の戦争に参加した国王派の貴族はとても本流とは呼べない奴等だからな。話では聞いても、実際にお前を怒らせることの危険性を知らないと実感は出来ないだろう。貴族派なんかは、かなり詳細にお前の危険性を分かっているとは思うが」


 苦笑を浮かべる騎士。

 レイが自分を暗殺しようとしたルノジスという貴族に対して行った仕打ちの噂は、ミレアーナ王国軍の貴族達全てに広まっていた。

 ただし、ダスカーがそのように話を持っていったというのもあるがその殆どはレイの実力を自分の目で確認していただけに、ある意味では自業自得という空気が漂っていたのも事実だ。

 貴族派の貴族という、プライドの高い貴族達に対してさえそのように納得させられる実力を見せつけたレイだが、それはあくまでも戦争に参加した貴族達に限っての話だ。自分の目で直接見て確認した訳でも無く、人から聞いた話だけで判断する者の場合はレイに対していらないちょっかいを出してこないとも限らない。そうなれば、最終的に待っているのはレイに対する捕縛命令といった風になる恐れは十分以上にあった。

 それを考えると、王都にレイを連れていかないというダスカーの判断はこれ以上ない程に正しかっただろう。


「……王都であの炎の竜巻を出されたりしたら、折角ベスティア帝国軍を撃退したのにそれ以上の被害を受けることになるだろうしな。更にレイにはセトもいるし」


 騎士の話を聞いていたルーノが、しみじみと呟く。

 空を飛ぶという手段が限られている中、最強の集団として存在している竜騎士団ですらレイとセトの前には容易く蹴散らされたのだ。それを思えば、もし王都で捕縛命令の類が出てもセトがいる限り無駄な被害が出るのは明らかだった。


「とにかく、レイや俺達はこのまま無事にギルムの街に戻れる、と。後の問題は……」

「……問題? まだ何かあるのか?」


 戦争は終わり、間違い無く揉め事が起きるだろう王都にも自分は行かない。それなのに、何故問題が起きるのか。そんな意味も込めて尋ねたレイだったが、ルーノは肩を竦めてから口を開く。


「いいか? ギルムの街からこれだけ大量の冒険者が戦争に駆り出されているんだ。勿論街の防衛戦力はある程度残ってはいるが、それでも必要最低限でしかない。以前の戦争に参加した経験から考えると、まず間違い無くギルドに持ち込まれる依頼が滞っているだろうな。勿論緊急の依頼や被害が出やすい討伐依頼なんかは最優先で片付けているだろうが、逆に言えば緊急性のない依頼や討伐依頼以外の依頼。そんな依頼がかなり依頼ボードに溜まっている筈だ。……覚悟しておいた方がいいぞ? ギルムの街に戻ったら、暫くはギルドから優先的に依頼を振り分けられる可能性が高い。普段はこっちが依頼を選んでカウンターに持って行って……って感じだが、依頼がある程度片付くまでは忙しくなるのは確実だろうよ」

「……うわ……」


 ルーノの言葉を聞き、思わず呻き声を上げるレイ。

 基本的にモンスターの魔石を集めるのを目的としているレイとしては討伐依頼なら大歓迎なのだが、それ以外の依頼はそれ程好んではいない。勿論護衛依頼を受けた時のように全くやらないという訳では無いのだが、それでも好まないというのは事実なのだ。その護衛依頼にしても、護衛というだけあってモンスターに襲われるかもしれないという思いがあったのも間違い無い。


(となると、そんな風に少しでもモンスターと戦えそうな依頼を選ぶべきだな。……迷宮都市に行くまでの3ヶ月で何とかなればいいんだが)


「ま、しょうがないさ。ここで俺達が頑張らなきゃ、それだけギルムの街が色々な意味で危険な状態になるんだし」

「そうだな。何しろ、俺達騎士にまで依頼が回ってくることがあるしな」

「いいのか? 騎士が冒険者の真似事をして」

「勿論良くはないが、規則に則ったせいでギルムの街の経済とか安全とかが滞るようになったりしたら意味が無いだろ? その為に、ある程度の……本当に冒険者の手が回らない時に限っては黙認されてるんだよ」


 そう言った時、馬車の扉がノックされる音が響く。


「誰だ?」


 馬車の隣を歩いているセトが警戒しなかったということは敵ではないだろうと判断しつつも、それでも一応念の為とばかりに尋ねるルーノ。


「騎士団の者だ。ダスカー様がレイを呼んでいるから来てくれ」


 そう言い、扉を開けて顔を出したのは、確かに騎士団に所属する騎士だった。レイにしてもルーノにしても見覚えのある顔だ。

 当然、レイと話をしていた騎士は同僚の顔を知らない筈が無く、笑みを浮かべて出迎え、口を開く。


「ダスカー様が? 何でまた?」

「そろそろ王都と辺境に行く道が分かれるからな。その前に今回の殊勲者でもあるレイと話しておきたいんだろう。それに色々と注意事項の類もあると思う」

「ああ、もうそんな場所まで来たのか。分かった。すぐにレイを連れてダスカー様の乗っている馬車まで行く」


 騎士はそう言い、レイを連れてダスカーの乗っている馬車へと向かう。

 何故か護衛である筈のルーノは、レイに付いていくことはなくそのまま馬車へと残っている。


「おい?」

「ここにいれば基本的には安全だろ。それに冒険者がそう気安く貴族に会うってのもな。息苦しいのは苦手なんだよ」

「ダスカー様はそんなのを気にするような人じゃないんだがな」


 騎士がそう告げるも、ルーノは御免だとばかりに肩を竦めてレイ達を見送っていた。

 この数時間後、レイ達ギルムの街へと戻る集団と、王都へと向かうダスカー率いる集団に分かれることになる。

 尚、報酬のラルクス家に伝わっているマジックアイテムに関してはダスカーがギルムの街に戻って来てからということになり、それまでは基本報酬のみギルドで受け取るということになるのだった。

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