第305話
春の日差しが窓から降り注ぐ中、ベッドで眠っていたレイが目を覚ます。
ここ1月程の目覚めとは全く違う周囲の様子に小さく眉を顰めるが、すぐに自分が今どこにいるのかを思い出す。
夕暮れの小麦亭。レイがギルムの街で定宿にしている宿だ。
数ヶ月単位で戦争が行われる可能性もあったが、それでも金に困っていないレイとしては料理が美味く、気配りも細やかで、各種マジックアイテムで快適に過ごせる宿を……ましてや、グリフォンであるセトを受け入れてくれるような宿を解約する筈も無く、戦争に参加する為に留守にしていた1月程の分の料金もきちんと支払われていた。
「そう言えば……戻って来たんだったな」
その呟きと共に、前日の馬鹿騒ぎの様子を思い出したのだろう。溜息を吐きながら窓の外へと目を向ける。
太陽の光が降り注いでいる以上晴れているのは分かっていたが、それでも前日に続いて雲が殆ど無い青空を見れば気分が落ち着くのは事実だった。
そのまま1分程黙って外の景色を眺めていたレイは、やがて身支度を済ませて1階へと降りていく。
時間としてはまだ朝6時の鐘が鳴ってからそれ程経っていないのだが、それでも食堂には既に大量の人が存在していた。
……ただし、その大量の人のうち半分以上は酔い潰れて寝ていたのだが。
「地獄だな」
食堂の中には未だにアルコールの匂いが充満しており、レイが眠った後も……それどころか、つい数時間前まで飲んで騒いでいたのは明白だった。
それでも、レイと同様に早めに宴会から抜け出た者もいるのだろう。そんな数少ない客達が朝食を食べているのを見ながら、レイもまた席に着く。
「おはようございます、昨日は色々と大変でしたね」
そんな風に早速レイへと声を掛けてくる1人の女。
その声の方へと視線を向けると、そこにいたのは恰幅のいい中年の女だった。この夕暮れの小麦亭の女将でもあるラナだ。
「ああ、戻って来て早々あんなに忙しくなるとは思わなかったよ」
レイの脳裏を過ぎったのは、早速とばかりにミスティリングから出していった物資の数々だ。
殆ど空に近かった騎士団の倉庫が、取り出した各種物資で溢れんばかりに詰め込まれた状態になったのだ。
その後も街を上げての大騒ぎの宴会が開かれ、再びミスティリングから残っていた料理や酒を大量に出し、あるいはセトと共に揉みくちゃにされ、戦争の話を聞きたがった子供達……どころか大人達も含めて囲まれたりと、まさに色々な意味で疲労を覚えたのだった。
他にもレノラやケニーの2人には喜ばれ、心配されと忙しい時間を過ごし、戦争には参加せずにギルムの街の防衛として残ったランクCパーティ砕きし戦士のブラッソやフロンのような者達との会話をしながら過ごしたのだ。
その後、夜も更けてきた頃には酔っ払いに絡まれたりするのも面倒だという理由でさっさと宿へと戻り、食堂で騒いでいる者達を無視して自分の部屋へと戻って疲れを……主に精神的な疲れを癒すべく、ベッドへと倒れ込むことになった。
前日の出来事を数秒程思い出し、やがてラナへと頷く。
「祝勝パーティだからしょうがないさ。それよりも朝食を頼む」
「はい、分かりました。ただ、その……うちの人も昨日は騒ぎすぎて、簡単な物しか出せないんですが……」
申し訳なさそうな顔をするラナに、レイは問題無いと頷く。
どのみち、ある程度の量があったところで宿で出される食事程度では絶対的に足りないのだ。それなら前日のこともあるし、露店か何かでいつもより大目に買い食いをすればいいだろうと判断する。
その後、ラナが持ってきた料理はサンドイッチに野菜スープ、ゆで卵といった簡単な物であったが、それを食べ終わるとセトと共に街中へと繰り出していくのだった。
「セト、昨日は疲れただろ。ほら、これでも食え」
「セトちゃん、はい、これ」
「グルルルゥ」
ギルドへと向かって大通りを歩いていると、そんな声と共に干し肉やパン、あるいは串焼きがセトへと与えられる。
戦争に行く前よりも食べ物を与える者が多いのは、やはり前日に行われたパレードの類でセトの存在が以前より広まったというのもあるのだろう。
「おう、レイ。串焼きはどうだ?」
「レイ兄ちゃん、戦争の話を聞かせてよ!」
「あ、ずるいぞ。僕が先に目を付けてたのに!」
レイにしてもセト程では無いが露店の商人に食べ物を勧められたり、あるいは子供達に戦争の話を聞かせて欲しいと群がられることになる。
「あー、悪いが今はギルドに行く予定でな。ちょっとそんな暇は無い。誰か他の奴に頼んでくれ」
さすがに付き合いが悪いレイにしても、まさか子供相手に無視したり脅したりといった真似をするようなことは出来ない。なので結局は溜息を吐きながら受け流し、恵んで貰った餌を喉を鳴らして食べているセトと共にギルドへと向かう。
そして……ギルドへと到着すると、その光景を目にすることになる。
「何だこの人数は」
セトとはいつものように入り口で分かれ、ギルドの中に入ったレイが口に出した第一声がそれだった。
まずは酒場。そちらの方では、夕暮れの小麦亭の食堂と似たような感じで冒険者や街の住人、あるいは商売に来ている商人達といった者が区別無く潰れている。匂いからして、ほんの数時間前までは宴会をしていたのだろう。そちらはある意味でレイの予想通りだったのだが、受付のある方は違っていた。
「貴方はこの依頼をお願い」
「了解!」
レノラに渡された依頼用紙を手に、数人の冒険者が受付から離れる。
その際に一瞬だけレイへと視線を向けるが、すぐにそれどころでは無いとばかりに急いで出て行く。
「ね、そっちの2人はこの依頼をお願いね。ゴブリンが10匹くらい街道で目撃されてるのよ。それを確認して、事実だったら出来れば倒してきてくれると嬉しいんだけど」
「は、はい! ケニーさんの為ならゴブリンの10匹や20匹! なあ!」
「あ、ああ。えっと、その代わり……この依頼を達成したら今度食事でも!」
「馬鹿、ずるいぞ。ケニーさん。こんな奴よりも俺と一緒に食事を!」
ケニーに流し目で見られてお願いされた20代程の男の冒険者2人組が、先を争うようにして食事の約束を取り付けようとするが……
「残念だけど今は溜まった依頼の片付けや、その事務処理で手が回らないのよ」
にこやかな笑みを浮かべつつ口を開くケニーに、冒険者は無念そうに下を向く。
だが、さすがに冒険者ギルドの受付嬢というべきだろう。……あるいは、ケニーだからこそというべきか。すぐに2人の男へと向かって口を開く。
「でも、この忙しいのが一段落したら……もしかすれば食事にいく時間が出来るかもしれないわね」
その言葉に、2人の冒険者は揃って下を向いていた顔を上げる。
「ほ、本当ですか!?」
「確実にとは言えないけど、でも、今より時間がとれるのは間違い無いわ。……もっとも、この忙しさだといつになるか分からないけど」
「なら俺がもっと頑張って溜まっている依頼を片付けます!」
「おい待て、そこはせめて俺達だろ」
「フフフ。頑張ってちょうだいね」
『はい!』
ケニーに向けられる笑顔に、顔を真っ赤にしながら頷きギルドを出て行く。
そして受付の前にいた冒険者達がいなくなり、ようやく一段落したのを見計らってレノラはケニーへとジト目を向ける。
「ちょっと、色仕掛けとかやり過ぎだと思うんだけど?」
「あら、そうかしら? でも、それを込みで受付嬢として採用されているのよ? 少しの無茶は私達のお願いで聞いて貰う為にね。……まぁ、どこかの誰かさんにはちょっと無理かもしれないけど」
と、いつものように胸を強調してみせるケニー。
いつもならすぐに顔を赤くして怒るレノラだが、この日は違っていた。何故なら、対ケニー用の必殺兵器の姿が視界に入っていたのだ。
「へー、そうなの。ケニーったらやっぱり男に対する色仕掛けが得意なのね。そんなのをレイさんが見たら何て言うかしら?」
ピクリ。
いつもと違うレノラの反応に、思わずケニーの動きが止まる。
「ちょっとレノラ。もしかしてレイ君に妙なことを吹き込む気じゃないでしょうね?」
「妙なことって何かしら? 私は別に嘘や出鱈目を言うつもりはないわよ?」
「……特定の事実を誇張表現したりしそうで怖いんだけど」
「誇張表現ねぇ。……どう思います?」
そこまで言って、ようやくレイへと視線を向けるレノラ。
その動きでレノラが余裕を持っていた理由に気が付いたのだろう。微かに冷や汗を滲ませつつレノラの方へと向けていた視線を向けると、そこにはいつものようにドラゴンローブを身に纏っているレイの姿があった。
「ちょっ、レ、レイ君!? もしかして今の見てた?」
「あー、まぁ」
さすがにこの状況で見ていなかったとは言えないのか、ケニーの言葉に曖昧に頷くレイ。
そしてケニーは何とかフォローしようとするものの、パクパクと口を開くだけで声が出ない。
そんな中、しょうがないとばかりにレノラが口を開く。もっとも、その顔にはいつもしてやられている――正確には胸の大きさでだが――ケニーに対して勝利の笑みが浮かんでいたが。
「レイさん、今日の用事は何でしょう? 戦争の件の報酬なら昨日受け取ったと思いますが」
「いや、報酬じゃなくて今は色々と依頼が貯まってるって話を聞いたからな。討伐系の依頼があればと思ったんだが」
馬車の中で討伐系の依頼は最優先で片付けられているとルーノから聞いてはいたが、それでも一応念の為とばかりにやってきたのだ。
だが、案の定というべきかレノラは小さく首を振る。
「残念ながら危険度が高い討伐系の依頼は最優先で処理していましたので……それに、レイさんは戦争から帰ってきたばかりなんですから、もう少し休まれてもいいかと。一応緊急の依頼はありませんし、あったとしてもこちらに残った冒険者でどうにか出来る代物ですし」
「そうか?」
「そ……そうよ! レイ君は戦争で活躍したんでしょ? それに従軍経験も無かったんだから、少しは休まないと!」
ようやく復活したケニーがそう告げるが、首を横に振るレイ。
「昨日一晩ゆっくりと眠ったから、体力的には問題無い。それより討伐依頼が無いなら他の用事があるから失礼する」
「あ、ちょっと待った。レイ君、用事が無いなら私とデートでも! 戦争で活躍したお祝いに何かプレゼントでも……あ、それともやっぱりここは私が裸でリボンを巻いてプレゼントだって言った方がいい?」
「ちょっと、レイさんは他に用事があるって言ってるじゃない。って言うか、色惚けも大概にしなさいよね。何よ、その裸でリボンって」
持っていた書類でケニーの頭を叩くレノラ。
「いいじゃない、レイ君にどんなプレゼントをしようと私の自由でしょ? ……まぁ、レノラ程度の胸しかないのならリボンを掛けても胸で止まらないで下までずり落ちていきそうだけど」
「ちょっと! 幾ら何でもそこまで貧乳じゃないわよ! これでも普通の人よりはあるんだから!」
ケニーの言葉に、持っていた書類をそのままに怒鳴りつけるレノラ。その声を聞いた冒険者達が、じっとレノラの胸へと視線を向ける。
実際にレノラの胸はケニーが言う程に小さくは無い。勿論ケニーのように大きいという訳では無いのだが、それでも平均以上は確実にあるのだ。だが、比べる相手がギルドの制服の胸元を大きく盛り上げているケニーとあっては、さすがに相手が悪かった。
『……』
「っ!?」
レノラの叫び声を聞いた冒険者達の視線が自分の胸元に集まっているのに気が付いたのだろう。胸を押さえ、顔を羞恥で赤く染めながらすぐに受付の席へと座り込む。
だがそんな風に視線を集めている中でも、ケニーだけは自慢の胸を隠すでもなく……制服を大きく盛り上げているその胸をまるで見せつけるようにしてから、一瞬だけレノラへと勝ち誇ったような笑みを浮かべて席へと着く。
そんなケニーを相手に半ば据わった目付きで睨むレノラ。さすがに今のレノラに近付きたくは無いのか、多くの冒険者達はそっと受付カウンターから離れるのだった。
そんな中、ある意味で2人の諍いの原因ともなったと言えるレイは、これ以上の騒動はごめんだとばかりに既にギルドの中から消えている。
「え? あれ? レイ君? 私とのデートは?」
レイの姿が見えないことに気が付いたのだろう。ケニーがどこか艶のある声で叫ぶが、隣のレノラに恥を掻かされた分も併せて再びその頭部へと丸められた書類が振り下ろされるのだった。
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