第292話

 ベスティア帝国軍の本陣にある天幕。その中で1人の男が怒鳴り声を上げていた。


「馬鹿者がっ、敵の攻撃が激しいのは最初から予想していたことだろうが! どこぞの馬鹿者が奇襲攻撃に失敗した以上、敵の総大将でもあるアリウス伯爵がその失態を取り戻そうと激しく攻撃してくるのは分かりきっていたことだ! 今はとにかく防衛に専念しろ。敵の攻撃は激しいが、それだけに長時間この勢いを維持するのは無理だ。敵の息切れを待ってから逆撃を仕掛ける。……テオレーム、貴様も閃光という分不相応な異名を持っているのなら、それだけの実力を見せてみろ!」


 身長は2mを越え、黒く染められたハーフプレートアーマーを装備している男。剃っているのか頭部には髪の毛1本生えておらず、現在はその代わりだとでもいうように血管が幾本も浮かび上がり、怒りと興奮で赤く染まっている。

 年齢にして50代程の、既に初老といってもいいような年齢。しかし、その身体にこれでもかとばかりに筋肉が詰まっているのを見れば誰もこの男を老人と呼ぶことは出来ないだろう。

 そんな男の怒鳴り声とも呼べるような声を掛けられ、テオレームは涼しい顔で首を振る。


「カストム将軍、アリウス伯爵が失態を取り返そうとしているというのは、たった今ご自身が口にした筈。その可能性がある以上、ここを空ける訳にはいきません」


 そこまで告げ、意味あり気な視線をカストムへと向け、言葉を続ける。


「それに私が前線に出たら、ここの守りは薄くなりますが?」


 そんな状態で安心して戦えるのですか? 言外に匂わせたその言葉に、カストムの頭部に更に血管が浮き上がる。


「儂が貴様如きに守って貰わないと生き残れないように見えるのか!? 貴様のような軟弱者に心配される程、戦場の経験は短くないわ! 貴様はとっとと前線に向かって、その過分な異名でも利用して士気を上げてこい!」


 既に命令ではなく侮辱とすら言ってもいいような言葉を投げかけられるも、テオレームは表情を変えずに……否、薄らと笑みすら浮かべて小さく頷く。寧ろ、その横に控えていたシアンスの方が不愉快そうに眉をピクリと動かしていた。


「では、総大将であるカストム将軍からの命もありましたし、私は前線へと向かわせて貰います。率いる兵に関しては、魔獣兵を使ってもよろしいのでしょうか?」


 そんな問い掛けに、不愉快そうに眉を顰めて口を開くカストム。


「そうだな。貴様には人間の兵士よりも、あのような化け物共を率いている方がお似合いだ。好きにしろ。ただし、決してこちらの軍に無駄な被害を与えるような真似だけはするなよ! 精々そのご大層な異名に負けない程度の働きはして見せろ。その程度の功績を挙げねば、メルクリオ様にも面目が立たんだろうしな」

「……そうですね。確かに現状ではそれ程の功績を挙げたとは言えません。今の状況ではメルクリオ様に対して胸を張ってお会い出来ないのは事実かと」


 今の状況では。その言葉を口にした時、いつもよりも力が入っていたのだが、それに気が付かずにカストムは顎で天幕の入り口を向き、出て行けと言外に命じる。

 その言葉に小さく一礼したテオレームは、シアンスと共に天幕から出て行く。そして。


「テオレーム様、何故あのような者にあそこまでいいように言わせているのです? カストム将軍が第2皇子派だからですか?」


 天幕から出るや否や、シアンスがテオレームのみに聞こえるような小声で呟く。

 感情を表に出すことが滅多にないシアンスにしては、珍しくその顔が憤りで薄らと赤く染まっている。

 確かにテオレームは奇襲に失敗した。だが、それでも敵の総大将がいる部隊に攻撃を行い、敵に対して衝撃を与えたのだ。その奇襲のおかげで、グリフォンを従えている化け物や姫将軍といった強力な戦力を前線から引き剥がすことにも成功した。もしあの奇襲が無ければ、恐らく炎の竜巻と先陣部隊の猛攻に耐えきれずに完全に勢いをミレアーナ王国軍側に持って行かれ、そのまま負けていた可能性が高い。あの奇襲があったからこそ、まだここでもう1戦交えることが出来ているというのに、カストムの言動はシアンスにとって到底許容出来るものではなかった。

 だが、テオレームはそんなシアンスに向けて小さく笑みを浮かべる。


「私が奇襲に失敗したというのは事実なのだ。魔獣兵にしても、今回は初めて投入したのだからあれ程の衝撃を与えられた。だが、魔獣兵という存在をミレアーナ王国軍側が大々的に知った以上、次からはここまでの衝撃を与えることは出来ない。それに、非常に高価なマジックアイテムでもある転移石をあそこまで使って、それでもアリウス伯爵を討てなかったのだ。カストム将軍は間違ったことを言っていない」

「だからと言って、あそこまでテオレーム様を侮蔑した言動を取る必要もありません!」

「落ち着け、シアンス。周りの兵達が見ているぞ」

「……すいません」


 テオレームの言葉で我に返ったシアンスが、小さく頭を下げる。

 普段は冷静沈着であるシアンスが、見て分かる程に激昂しているというのは酷く珍しい光景なのだろう。天幕の入り口にいる警備兵や、周囲で臨戦態勢になっている者達が軽く目を見開きながらシアンスへと視線を送っている。

 そのことに気が付き、先程の憤りとは違った意味で顔を赤く染めるシアンス。

 そんな己の副官の様子を小さく笑みを浮かべて眺めていたテオレームだったが、やがて周囲の視線が無くなったのを察知すると、シアンスの耳にギリギリ届くかどうかといった大きさで囁く。


「先程も言ったが、確かに今の私の立場は悪い。それは、先程のカストム将軍の態度を見ていれば分かるだろう?」


 テオレームの声に小さく頷き、話の先を促すシアンス。


「だが、皇帝陛下に報告する内容が私の失態よりも更に大きなものだったとしたら……さて、私に咎は来ると思うか?」

「それは……確かにそうなればテオレーム様の仰る通りですが、そもそもそんな事態になる可能性があるのですか?」


 小首を傾げて尋ねるシアンスに、笑みを浮かべて頷くテオレーム。


「まず間違い無く。何せ、もうすぐそこまでミレアーナ王国軍の奇襲部隊が迫っているからな」

「っ!?」


 予想外の言葉に息を呑み、テオレームの顔を見上げる。あるいは錯乱しているのでは? と疑ったが故の行為だったのだが、そこにあったのは怜悧な眼差しと薄く浮かんだ笑み。つまりはいつも通りのテオレームの姿だった。


「何故、そうお思いに?」

「何、難しい話じゃない。念の為近くに伏せておいた魔獣兵が1人、消えたらしい。魔獣兵の強さは知っているだろう? その辺の兵士如きに殺される程に弱くは無い」

「それこそ、何故そんなことが分かったんですか?」

「ギルゴスから連絡があったからな」


 そう言い、テオレームは視線を先程自分が出て来た天幕の方へと向ける。

 どういう手段かは分からないが、天幕の中でギルゴスからの報せを受け取ったのだ。だからこそ、カストムにあれだけ侮辱されてもあっさりと受け流した。どうせ死ぬ相手に対して怒ってみても意味が無いから、と。そう理解したシアンスはそっと視線をテオレームに習い天幕の方へと向ける。


「カストム将軍は第2皇子派の中でも戦力という意味では有力な人物だ。この戦争で不幸にも討ち取られると、第2皇子派は影響力がそれなりに小さくなるだろう」

「まさか、最初からそれを狙って?」

「それこそまさかだ。勿論最初はアリウス伯爵を討つつもりだった。実際、海を手に入れたという功績があれば、カストム将軍がどう動こうとも私の功績を隠蔽することは不可能だからな。そうすればメルクリオ殿下の影響力も上がる。それが達成出来ていれば文句無しだったが……残念ながらそうもいかなくなった。故に次善の手を打つことにしただけだ」

「それが第2皇子派のカストム将軍を排除することだと?」


 確認の意味を込めて尋ねた質問に、テオレームは頷く。


「現在皇帝の地位を狙っている人物は全部で4人。第1皇子、第2皇子、第1皇女、そして私達が忠誠を誓っている第3皇子メルクリオ殿下だ」

「勿論知ってます。その中で最も大きい勢力が第1皇子派で、それとは逆に最も小さい勢力が我々第3皇子派ということも」

「そうだな。これでもし第2皇女が皇位に興味を持っていれば、更に下になっていたかもしれんが」


 テオレームは苦笑を浮かべながら第2皇女の姿を思い浮かべる。

 類い希なる美貌を持ち、美しさだけで言えば第1皇女すらも上回ると言われていたのだが、その性格はとてもお淑やかとは言えなく、寧ろ戦闘狂と表現すべきものだった。それ故、城での窮屈な暮らしに耐えられず2年程前にベスティア帝国を出奔したのだ。もちろん皇帝は近衛兵や騎士、軍、更には貴族達にも命じて捜索したのだが結局見つけられず、姿を眩ましたのだった。その為、第2皇女派というのも少ないながら存在していたのだが、今では有名無実の存在と化している。


「話が逸れたな。とにかく、勢力的に私達のすぐ上にいるのが第2皇子派だ。その第2皇子派の中でも重要人物のカストム将軍には、残念ながらここで退場して貰うとしよう。猛将にして老将。苛烈さと強かさを併せ持つ人物は、メルクリオ様にとって邪魔でしかないからな」

「……分かりました。そういうことでしたら問題ありません。では、私達はカストム将軍が討たれた時に前線にいた為に責任を追及されない訳ですね」

「そうだ。カストム将軍直々の命令によって前線に出るんだ。総大将を守れなかったという責めは、あの場にいる他の者達が引き受けてくれるだろう」

「それでも、奇襲の失敗は責められそうな気はするのですが、その辺は本当に大丈夫なのですか? 第2皇子派の者達がカストム将軍が討たれた原因は奇襲に失敗したテオレーム様にあると主張するかもしれませんが?」

「その辺に関しては、しょうがない。実際に奇襲には失敗したのだ。だが、それでも総大将を直接守れなかった者達の責任を私に負わせるような真似は無理がある。例えば私がメルクリオ様の派閥に入っていなければそのような無理も押し通せたかもしれないが、な」

「そうですか。では、奇襲が開始される前に前線に向かいましょう。魔獣兵達をすぐに招集します」


 テオレームへと言葉を返したシアンスだったが、その時ふと周囲の視線が自分達に……正確には、自分へと集まっていることに気が付く。


「おい、やっぱりシアンス様とテオレーム将軍って出来てるのか?」

「そんなのは見てればわかるだろ? ああやって戦場の中でもイチャついてるんだからな」

「……テオレーム様、やっぱりシアンスなんかには勿体ないわ。ここは私が」

「やめておきなさいって。あんたじゃシアンス様には勝てないわよ」


 微かに漏れ聞こえてくる声で、自分とテオレームがどのような関係になっているのか噂されているのを知ったシアンスは、急速に顔を赤くしていく。それは天幕を出た時の憤りの赤でもなく、興奮したところを周囲の兵士達に見られた照れでもない。羞恥の赤だった。


「私としてはシアンスと噂になれば他の者に対する優越感があるんだがな」


 からかうように告げてくるテオレームの顔へと一瞬だけ強い視線を向け、そのまま魔獣兵に指示を出すべく去って行く。

 そんなシアンスの後ろ姿を見送り、あらぬ方へと視線を向けるテオレーム。何人かが気になってその視線を追ったが、その視線の先にあるのはセレムース平原が広がっているだけで、特に何も無い。

 だが、もし驚異的な視力を……それこそセト程の視力を持っている者がいたとしたら、テオレームの視線の先にミレアーナ王国軍の奇襲部隊の姿を見ることが出来ただろう。もちろんテオレームにしても五感や身体能力はあくまでも普通の人間なので、奇襲部隊をその目で捉えたわけではない。だが、テオレームには頼りになる部下がいる。その部下からの報告で、現在自分が見ている方向に配置していた魔獣兵の見張りが死んだという情報を得たのだ。

 つまり、既にすぐ近くまで奇襲部隊はやって来ているということになる。


(奇襲部隊に選ばれるくらいなのだから、恐らくはミレアーナ王国軍の最精鋭。そうなると誰がいるのかは大体の予想が付く。姫将軍エレーナ・ケレベル。そして……先陣部隊が深紅と呼んで恐れているあの男、か。他にも雷神の斧のエルクがこの戦争に参加しているという噂もある。さて、竜騎士がいるといっても、カストム将軍はこの規格外を相手にどこまで抗えるかな?)


「テオレーム様、前線でミレアーナ王国軍が攻勢を強めているそうです。至急援軍に向かえと」

「そうか、では行くとしよう。私達の目的の為に」


 魔獣兵の出撃準備を整えてやってきたシアンスの言葉に小さく頷き、テオレームは本陣を後にする。

 その心にミレアーナ王国軍の奇襲部隊が作戦を成功することを祈って。

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