第291話
レイとエレーナを含む一団の視線の先では、ミレアーナ王国軍とベスティア帝国軍の本隊同士が正面からぶつかっていた。
少し離れた場所でそれを見ているのは、軍馬に乗っている30人程の集団。その中にはレイやエレーナの他にもシミナールの姿も混ざっている。いや、寧ろ部隊の隊列を考えるとシミナールがこの部隊の指揮を執っているといってもいいだろう。
息を潜めながら移動している中で、ふとセトに跨がっているレイの耳に小さな話し声が聞こえてきた。
「奇襲には奇襲か。アリウス伯爵は余程に頭にきたと見えるな」
そんな風に話しているのは、国王派に雇われている冒険者の1人だ。言葉の中に皮肉が混じっているのは、現状を考えればしょうがないだろう。
「自分がやられたことを、そっくりそのまま返すってか? まあ、最大派閥である国王派を率いている総大将としての面子を潰されたんだから、気持ちは分からないでもないけどな」
「だろうな。で、それを逆手にとったという形にしたいんだろうよ。まさか自分達が仕掛けたのと、同じような奇襲攻撃を受けるとは思わなかっただろうな、とか」
「くっくっく、違いねえ。面子を大事にする貴族ってのも大変だな」
冒険者の言葉に、奇襲部隊全体へと笑いが広がる。
本来であればそれを窘めるべきシミナールなのだが、特に何も言うでもなく黙っている。いや、寧ろその顔には冒険者達の言葉に同意するかのような笑みすら浮かんでいたが、奇襲部隊を率いている以上注意をしないわけにもいかず口を開く。
「ほら、少し静かにしろ。状況はお前達も知ってると思うが、だからこそ奇襲は成功させなければならないんだ。当然、この奇襲部隊に選ばれたということは、報酬にも相応に上乗せされるだろう。……もっとも、この奇襲が失敗すれば報酬は期待出来ないだろうがな」
そんなシミナールの言葉に、冒険者の1人が思わずといった様子で口を挟む。
「いや、隊長さんよ。奇襲に失敗したら、どのみち俺達は敵本陣のど真ん中で孤立することになるんだ。そうしたら、報酬云々って話じゃなくなると思うんだがな」
「確かにそれはそうだが、じゃあなんだ? お前はそうなった場合は報酬がいらないと? いや、冒険者にしては見事な心意気だ。奇襲部隊を率いる者として鼻が高いよ」
「ちょっ、待ってくれよ。誰も報酬がいらないなんて言ってないだろ!? 大体、この部隊にはグリフォンを従えている冒険者や、何よりも姫将軍がいるんだぜ? 奇襲の成功を疑ってなんかいないさ。だから報酬はきちんとくれ」
冒険者の慌てた言葉に、周囲の者達が押し殺した笑い声を上げる。
その様子からは、これから敵の本隊へと……それも、総大将のいる場所へと奇襲攻撃を仕掛けるというのに、一切の悲愴感は存在していない。
(これもレイの……いや、セトのおかげだろうな)
冒険者達と共に移動しながら、シミナールはそっと部隊の先頭を進んでいるセトと、その背に跨がっているレイへと視線を向ける。
その際、レイの隣を進んでいるエレーナの姿を目にして再びドクンと心臓が高鳴ったような気がしたが、今はそれどころではないと無理矢理にその感情を押し殺す。
グリフォンであるセトの感覚を利用して進むというので安心して移動を行え、奇襲攻撃を仕掛ける時にもグリフォンのセトがいるおかげで戦力的な不安は無い。
更に炎の竜巻を作りあげて敵の先陣部隊を壊走に追い込んだレイや、姫将軍として名高いエレーナ。それだけの戦力が揃っていれば、奇襲部隊を構成している冒険者達が不安を覚えないというのはシミナールにも理解出来た。
(だが……それでも油断をしていいという訳じゃない)
内心で呟いたシミナールの脳裏を過ぎったのは、モンスターとの合いの子とも呼べる存在の魔獣兵。それに閃光と異名を取るテオレームの姿だった。1人で兵士数十人分以上の戦力を持っていると言っても過言では無い魔獣兵。そして魔獣兵を統率し、強さでも上をいくと思われるテオレーム。
(魔獣兵に関しては、奇襲部隊の参加者達を見れば何とかなると思う)
この奇襲部隊に参加しているのは、その殆どが国王派に雇われた実力ある冒険者達なのだ。実力的に見ても、辺境にある冒険者の街として有名なギルムの街の冒険者達に引けを取るとは思っていない。魔獣兵が一般兵士数十人分の力を持っているとしても、ここに参加している者達の力量を考えれば決して対抗するのは不可能では無いのだ。それに奇襲攻撃という形を取る以上、決して魔獣兵と正面から戦う必要はない。狙うのは、あくまでもベスティア帝国軍の総大将の首なのだから。
あるいは、もしアリウス伯爵が草原の狼について知っていればダスカーに要請して力を借りたかもしれない。だが、アリウス伯爵は草原の狼の存在を全く知らず、ダスカーにしてもそれを教えて無駄に消耗させるつもりはなかった。
(だが、閃光は違う。自らが奇襲攻撃を得意としている以上、こっちの手を読んでいる可能性は高い。そうなれば、何らかの手を打っていると見て間違い無い。そして閃光に対抗出来るのは、この奇襲部隊にもレイと姫将軍だけだ。その時、どういう状況になっているか……)
そんな風に頭の中で答えの出ない問答を繰り返していると、不意に右肩にポン、と手を乗せられる。
振り返った先にいたのは、先程報酬がどうこうという話をしていた冒険者だった。軍馬に乗ったままの行為だが、さすがに奇襲部隊に選ばれるだけあって馬の扱いにも慣れているらしく馬上で身体を安定させている。
「貴族らしく色々と考えることがあるんだろうけど、少なくても俺はこの奇襲部隊に関しては心配してないぞ。だから、あんたも難しく考え込まないで気楽にやればいいんじゃないか?」
「そう言われてもな。実際この奇襲部隊の戦果で戦争の行く末が大きく変わるのは間違い無い。それを考えると、さすがに気楽には……」
出来ない。そう言おうとしたその時、先頭を歩いているセトの歩みが止まり、同時にエレーナも軍馬の歩みを止める。
奇襲部隊の者達にしても、遊んでいるように見えてきちんと周囲の状況には気を配っていたのだろう。すぐに軍馬の歩みを止める。
そしてようやく周囲の雰囲気が変わっていることに気が付いたシミナールは、表情を引き締めてレイへと問い掛ける。
「何かあったのか?」
「ああ。……やっぱり向こうにしても奇襲は警戒しているらしいな。自分達がやったからこそ警戒心も増しているんだろうが」
その言葉を聞き、レイの見ている方へと視線を向けるが、生憎シミナールにはレイの見ているものは見えなかった。
「……何か見えるのか? 俺には何も見えないが」
「シミナール殿、あそこだ」
レイの横にいるエレーナが、平原の中に生えてる木々を指差す。距離にして大体1km程度の場所に生えている小さな林だが、それでもシミナールには普通の木々にしか見えなかった。
「何か見えるか?」
先程まで話していた冒険者へと尋ねるが、帰ってきたのは無言で首を振るという自分にも分からないといったものだった。
だが、レイはそんなシミナールに構わずに跨がっていたセトの背から降り、背中を撫でながら声を掛ける。
「セト、行けるか?」
「グルゥッ!」
大丈夫! とばかりに喉を鳴らすセトに、改めて視線をシミナールへと向けるレイ。
「あの林の中に魔獣兵らしき存在がいる。恐らく見張りだろうな。セトを先行させて一撃で片付けたいと思うんだが、奇襲部隊の隊長としての意見を聞かせて貰えるか?」
「本当にいるのなら頼むとしか言えないが……いるのか?」
セトとレイの実力は知っているし、実際にその目で見ている。それでも、自分が判別出来るかどうかの距離にいる敵を……それも魔獣兵を見つけたから片付けてくると言われれば、さすがに首を傾げざるを得ない。それでも、もし本当に見張りがいるのなら放って置くわけにも行かずに許可を出し、それを確認したレイは、セトへと頷いて合図を出す。
「グルルゥ!」
短く鳴き、そのまま地を蹴り空へと駆け上がっていくセト。その様子を奇襲部隊の一行は黙って見送るのだった。
そして、それから5分程経ち……
「グルルルルルゥ」
レイが示した林の方から、一見するとリザードマンのような鱗が生え、昆虫のような複眼を持ち、狐のような毛の生えている尾を生やした魔獣兵の死体をクチバシで銜えながら戻って来たのだった。
「……さすが、と言うべきだな」
周囲の冒険者達が静まり返る中、ポツリと呟いたのはシミナールだ。その言葉に無言で冒険者達が頷く。
基本的に1人でも強力な戦闘力を持っている魔獣兵を、たった数分で……それも、殆ど音を出さずに仕留めるというのは、腕利きとして奇襲部隊に加えられた者達にしてもそう出来ることでは無かった。
「グルルゥ」
シミナールの言葉に死体を地面へと下ろしてから自慢気に鳴き、視線をレイへと向けるセト。
褒めろ、と無言で訴えられ、苦笑を浮かべながらそっと頭を撫でてやる。
「キュ!」
そして自分も褒める! と言わんばかりにイエロが鳴き、エレーナの肩からセトの背へと飛び移って小声で会話する。
「……なぁ、レイ」
「何だ?」
「その、この2匹ってまるっきり種族が違うし、それ以前に鳴き声も違うんだが……会話出来るのか?」
「……ああ。どういう理由なのかは分からないが、何故か会話が通じているんだよな」
「恐らくは会話が通じているというより、仕草で自分の意志を伝えているのだと思うが」
レイとシミナールの会話を聞いていたエレーナが、2匹の様子に笑みを浮かべながらそう言葉を挟む。
厳つい者達が集まっている奇襲部隊だというのに、そこに流れている空気はどこかほんわかしたものだった。
数少ない女冒険者は、今にも抱きしめたいという衝動を我慢し、じっと2匹のやり取りを見つめている。
そんな、戦場とは思えない雰囲気を発している2匹を目に、シミナールが申し訳なさそうに口を開く。
「悪いが、今も戦闘が行われているというのを忘れないでくれ。こうしている間も、ベスティア帝国軍との戦いは続いているんだ。早いところ奇襲の準備を済ませて合図を出せるように準備を整えるぞ」
その言葉に残念そうな表情を浮かべながらも皆が頷き、そのまま再び歩みを再開する。
戦場となっている場所を大きく遠回りにしながら進むこと1時間程。そこでようやく先頭を歩いていたセトの足が止まる。
「グルゥ」
短い鳴き声と共に、遠くへと視線を向けるセト。
その行為が何を意味しているのかは、先程の魔獣兵を遠くから見つけたことで全員が理解していた。
そう、即ち……敵本隊の中でも、総司令官のいる本陣。それを発見したのだ。
「……エレーナ殿、伝令を頼む」
「うむ、了解した」
シミナールの言葉に頷き、肩に止まっていたイエロに視線を向ける。すると、そのまま羽を羽ばたかせながら、イエロが空へと昇っていく。
「……予想よりも早いな」
冒険者達の1人が呟く。
実際、イエロの飛ぶ速度はレイへと手紙を届けに来た時に比べると随分と速くなっていた。勿論セトには及ばないが、それでも軍馬が走る速度と比べても圧倒的に速い。それにベスティア帝国軍に空を攻撃する手段が少ない以上、下手に軍馬に乗った伝令を向かわせるよりは速く確実な手段でもあった。もっとも、作戦がはっきりと決まっているからこその伝令でもある。何らかの難しい判断が必要な場合は、やはり人による伝令が必要なのだが。
「どのくらいでアリウス伯爵の下に到着する?」
「何もなければ30分掛からないだろう。後はアリウス伯爵が動くのを待って、私達がベスティア帝国軍の総大将がいる、あの本陣へと奇襲攻撃を仕掛けるだけだ」
「上手くいくと思うか?」
どこか縋るようなシミナールの問いに、エレーナは小さく首を振る。その勢いで豪奢な金髪が空中を舞い、一瞬シミナールがその輝きに目を奪われる。
「この作戦はかなりの不確定要素がある。そもそも奇襲攻撃というのは、敵の不意を打ってこそ効果のある策だ。実際、私達の場合もそうだっただろう? 先陣部隊同士がぶつかっている時に、いきなり後方に魔獣兵達が現れて奇襲を仕掛けてきた。その結果、国王派は混乱して壊走状態になった。……戦力を消耗する前にその状態になったからこそ、こうして逆襲を仕掛ける戦力を確保出来た訳だが……現状を閃光が理解していないとは思えない。正直、確かにこの先にはベスティア帝国軍の総大将がいるのだろうが、それでも私は罠の可能性を疑っている」
「こっちの攻撃を誘い出す為の餌か」
エレーナの言葉に頷きながらレイが呟き、それに周囲の奇襲部隊に参加している者達が驚きの表情を浮かべる。
ここにいる奇襲部隊の殆どが国王派に雇われている冒険者で構成されている以上、魔獣兵の強さを理解し、更にはそれを率いていたテオレームをその目で見ているのだから、それも当然だろう。
「だが、それはあくまでも予想でしかない」
そんな奇襲部隊の緊張を和らげるようにシミナールが告げる。奇襲部隊を率いる者としては、士気を下げるような言動を認める訳にはいかなかったという理由もある。そして何よりも……
「もし奇襲を読んで待ち伏せをしていたとしても、俺達には姫将軍がいる。そして、グリフォンのセトに、あの馬鹿げた炎の竜巻を作り出したレイもいる。魔獣兵がいたとしても、勝機は十分にある」
その言葉を聞き、奇襲部隊の士気が上がる。
エレーナやセトの実力は直接その目で見ている者が多いし、レイに至ってはこの場にいる全員が火災旋風を目撃したのだから、士気が上がるのも当然だろう。
そして……そのまま待機すること40分程。前線が騒がしくなり、総大将がいると思われる陣幕が騒がしくなったところで、奇襲部隊は軍馬を駆って敵本陣へと突っ込んでいくのだった。
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