第290話

 セレムース平原。その平原は、現在奇妙な膠着状態に陥っていた。

 レイの放った火災旋風によりベスティア帝国軍の先陣部隊は大きな被害を受けたが、それでも致命的な状態になる前に何とか生き残りを率いて本隊と合流することに成功する。同時に、ミレアーナ王国軍の先陣部隊である中立派、貴族派もいつでも攻撃を再開出来るように戦力を整えていた。

 そう、本来であれば先陣部隊と本隊が合流して混乱している今こそが、攻撃をする絶好の機会だった。戦力の再編成には少なからず混乱をもたらすのを考えると、その最中に攻撃を仕掛けたいというのは当然であっただろう。だが、それをしない。否、出来ないのは、本隊である国王派から攻撃を控えるようにとの命令が届いていた為だ。


「アリウス伯爵は何を考えている!? 折角敵が混乱してくれているというのに、それをわざわざ見逃せというのか!」


 急遽用意された指揮所として使われている天幕の中で、ダスカーは座っていた椅子の肘掛けに拳を叩きつける。


「恐らく、総司令官が奇襲されたという失態を、敵本隊を完膚無きまでに叩き潰したという功績で帳消しにしたいのでしょうな」


 貴族派の総指揮を執っているフィルマの言葉を聞き、同感だという風に周囲の貴族達も頷く。


「全く、自らの失態を覆い隠す為にこのような手段を取るとは。国王派の傲慢、ここに極まれりですな」

「そもそも、敵の先陣部隊を撃破したのは我等貴族派の功績。それを棚に上げて自らの手柄として掠め取ろうと……」

「ちょっと待て。先陣部隊を撃破した最大の功績は、あの炎の竜巻だろう。なら、当然その炎の竜巻を作り出した冒険者を雇っている我等中立派の手柄こそがより大きいだろう」

「何を言っている? 確かにあの炎の竜巻は敵を驚かせたことは認めよう。だが、その後実際に敵を多く討ったのは人数に勝る我等貴族派であるのは、誰の目にも明白だ。自分達の功績を大きく見せたいのは分かるが、人の手柄を横取りするというのはどうかと思うが?」

「何を言う! その台詞はそっくりそのまま返させて貰うぞ。あの炎の竜巻が、どれ程敵先陣に被害を与えたと思っているのだ!? その功績を奪おうというのは、幾ら何でも看過できんぞ!」


 自分達がより功績を挙げている、それは自分達のものだ。そんな風に言い争いが始まったのを見て、ダスカーは溜息を吐く。そして同時に聞こえてきた音にそちらを見ると、そこでは自分と同じように溜息を吐いているフィルマの姿があった。


『……』


 お互いが無言で意志のやり取りをし、再び小さく溜息を吐く。

 ダスカーにしろ、フィルマにしろ、このような状況になるのも無理は無いと判断していた。自分達に殆ど被害が出ないままにベスティア帝国軍の先陣部隊に大きな被害を与え、血が高ぶっている状態でいざ敵本隊に攻撃を仕掛けようとした直前に、本隊のアリウス伯爵から攻撃を中止するようにとの命令が届いたのだから。いざ攻撃、と士気を高めていただけにそれを向ける先がなくなればこのような状況になってもおかしくはなかった。

 敵の数が圧倒的であり、だからこそ違う派閥である中立派と貴族派が協力し合って何とか対応していたのだ。しかし今はその必要が無くなった為、派閥の争いが表面化し始めている。

 お互いが目と目で相手にこの状況を静めさせようとしていたダスカーとフィルマだったが、やがて中立派の中心人物故にその役目を押しつけられたダスカーが口を開く。


「お前等、いい加減にしろ。こっちの奇襲で敵の先陣にかなりの損害を与えたといっても、総合的に見ればようやく互角といったところなんだぞ。その状態で味方同士が手柄争いをしても、ベスティア帝国軍の利益にしかならないのが分からないのか? 戦功については、戦争が終わった後できちんと評価されることになる筈だ。だから今は戦争に集中しろ」

「ダスカー殿の言葉通りだ。貴族派として見苦しい真似はせず、その誇りに相応しい行動をして欲しい。それに……どうやら事態も動くようだしな」


 ダスカーに続いてフィルマが告げ、その言葉を示すかのように、周囲からざわめきが聞こえて来る。

 議論……というよりも、言い合いに夢中になっていた貴族達もざわめきに気が付いたのだろう。天幕の外へと貴族達の視線が向けられ……


「姫将軍エレーナ様と、冒険者のレイ殿がお見えです。アリウス伯爵からの指示書を持ってきたとのことですが」


 護衛の兵士の言葉に、貴族達はざわめきの理由に納得するのだった。

 だが、同時に一瞬だけとはいってもその顔に怯えの色を見せた者も多い。

 レイからの報告を聞き、敵先陣部隊に対して攻撃を仕掛けたのはいいのだが、その時になって初めてその目で火災旋風により死んだ者達の姿を見た貴族達も多かったからだ。

 勿論話には聞いていたし、どのような光景が広がっているのか予想もしていた。何よりこの場にいる貴族の殆どは、これまで幾度となく戦いに身を置いてきた者達なのだ。その貴族達にして、火災旋風で生まれた無数の死者には目を見張ることになる。肉体が炭化する程に焼け焦げ、更にはその炭化した肉体が衝撃により砕けている者。身体中を風やレイの投入した刃の破片で斬り裂かれた者。身体中に指先程の穴が幾つも開いている者。それらの死体は異様としか言いようがなかった。


「ダスカー殿、フィルマ。どうにか向こうの奇襲は退けることが出来たが……ん? どうしたのだ?」


 天幕の中に入ってきたエレーナが、周囲の空気が変なのを感じて見回す。

 その言葉にようやく我に返った貴族達が、エレーナの後ろにいるレイからそっと視線を逸らす。


(……なるほど)


 そんな中、レイだけは自分に向けられた視線の意味を理解していた。

 いや、寧ろあれだけ殺戮の限りを尽くしたというのに、それでもこの程度の恐怖で済んでいるのは、レイにとって良い意味で予想外の出来事だった。


「いや、何でも無い。それでエレーナ殿、アリウス伯爵からの指示書を持ってきたとのことだが?」

「……ああ、これだ」


 一瞬訝しげな顔をしたが、それでもまずは役目を果たすべく、指示書の入っている封筒を渡すエレーナ。

 それを受け取ったダスカーは、フィルマと一瞬目を合わせた後で封筒を破り指示書を取り出す。

 そのまま1分程じっと指示書を読み、そのままフィルマへと手渡すダスカーだったが、その顔は苦々しげな表情を浮かべている。


「俺達先陣部隊は、このまま待機。アリウス伯爵率いる本隊が敵本隊に攻撃を仕掛けたら後方から援護」


 ダスカーの言葉に、周囲の貴族達が再び騒ぎ出す。

 自分達の手柄を横取りしようというのがあからさまな命令なだけに、憤っている貴族達の中には既にレイに対する恐怖や畏怖というものは浮かんでいない。ダスカーはそんな周囲の様子を見て内心で胸をなで下ろすのだった。


「ダスカー様! このまま国王派のいいようにさせてよろしいのですか!? 確かに総大将は国王派のアリウス伯爵でしょう。ですが、この戦をここまで有利に運んできたのは、間違い無く我々先陣部隊です。なのに!」

「落ち着け。そうは言っても、まさか総大将の命令を公然と無視する訳にはいかんだろう。エレーナ殿、アリウス伯爵の……いや、国王派の様子はどうだった?」


 ダスカーに視線を向けられたエレーナは、沈黙を保ったまま首を左右に振る。

 それだけで大体アリウスを含む国王派の様子は理解したのだろう。どうあってもベスティア帝国軍の本隊を自分達で攻撃するつもりなのだと。

 ダスカーもその気持ちを理解出来ないではなかった。恐らくアリウス伯爵は総大将の地位を得る為に相応の裏金や賄賂といったものを使っている筈であり、最低でもその為に費やした分の何かを得るまでは貪欲に勝利を求めるだろうと。

 そしてこれまでの戦いで戦力を失い、恐らく士気も下がっているベスティア帝国軍の戦力なら、国王派だけでも倒せると考えているのだろうと。

 更に言えば、そこに自分達中立派やフィルマ率いる貴族派が遠距離から援護をするのだから、負けるとは考えていないのだろう。

 実際、アリウス伯爵という人物は色々と問題のある性格をしているが、こと戦争に限って言えば決して無能ではないのだ。寧ろ有能と言ってもいいだろう。そのアリウス伯爵が行けると判断した以上、当然勝ちを拾う為の何らかの策があるのだろうとダスカーにも判断出来る。


(だが……)


 内心で呟き、微かに眉を顰めるダスカー。

 だが。そう、だがという言葉がその後に続くのだ。


(これまで幾度となくうちの領地にちょっかいを出してきたベスティア帝国軍が、何の手も無いままに大人しくしているか? いや、あり得ないだろ。事実、どういう手段を使ってかは分からないが、本隊の後方から奇襲を……待て。姿を現してから奇襲を仕掛け、それを失敗したと見るや躊躇せずに退く? この判断の早さはもしかして……そうか、だから命令書でこの2人を)


 ふと脳裏に浮かんだ敵国の名将の顔を思い出し、レイとエレーナの方へと視線を向ける。


「エレーナ殿、レイ。国王派の本隊に奇襲攻撃を仕掛けた部隊の指揮官……誰か分かるか?」


 その問いに事情を殆ど知らないレイは何も答えなかったが、エレーナは小さく頷く。


「閃光、テオレーム・エネルジー将軍でした」


 閃光。その言葉が出た瞬間、再び周囲の貴族達がざわめく。

 だがそのざわめきは、少し前に上がっていたベスティア帝国軍に対して攻撃を仕掛ける意欲に満ちたものではない。寧ろ、つい先程レイへと向けられていた畏怖や恐怖に近い。


「閃光? 奴が、テオレームが参戦していたのか!?」

「なるほど。それなら確かに敵の戦意がまだ保たれているのも頷ける」

「いや、しかし……幾ら閃光とは言っても、ここまで状況が決まってしまってはどうにもならないのでは?」

「馬鹿を言うな。この程度の不利、閃光にとっては不利ですらないわ。寧ろ奴を相手にするには、この程度の戦力差ではまだ足りない。奴が率いた部隊の動きは、その異名通りの素早さよ」


 ざわめいている貴族達の中で、不意に1人の貴族が口を開く。


「ですが……それでは、アリウス伯爵はどうやってその閃光を相手にするので? 国王派を主戦力とすると言っているからには、何か手があるのでは?」


 その言葉に、周囲の貴族達も困惑の表情を浮かべる。

 もちろん国王派に人材がいない訳では無い。エレーナの姫将軍、テオレームの閃光。それに対抗するに足る異名持ちは存在しているし、ランクSの冒険者も王都には存在している。だが、存在はしているが、今回の戦争には参加していないのだ。その状況で異名持ちに対抗するにはどうするかと尋ねられれば、答えは1つしか存在していない。


「エレーナ様と、レイを国王派の攻撃に加える為に一時的に指揮下に置くそうだ」


 その答えを口にしたのは、ダスカーから渡された司令書へと目を通していたフィルマだった。


「そんな、エレーナ様は国王派ではないのですよ!?」

「……そう言われてもな。エレーナ殿やレイを国王派に派遣すると決めたのは、俺やフィルマ殿じゃない。向こうから言ってきたことだ。それも、アリウス伯爵直々の命令でな。そして残念なことに、アリウス伯爵はミレアーナ王国軍の総司令官だ。つまり、部下である俺達に命令できる権限を持っている。……まあ、普通は派閥間の関係を考えてこんな真似はしないんだが、今のアリウス伯爵はそんなことに構っていられる程の余裕が無いんだろうな。だからこそ、こんな手段に打って出たんだろうが」


 貴族派の1人の抗議するような言葉に、ダスカーが取りなすように告げる。

 実際に総司令官直々の命令であり、指揮系統を考えれば全く問題の無い行為なのだから、貴族達もそれ以上言い募ることは出来ない。


「って訳なんだが。レイ、悪いが行ってくれるか? 正直、今回の戦争ではお前を酷使しすぎている気がするが、それでも俺の立場上はお前を派遣しなければならない」


 申し訳なさそうな顔をしながらも命じてくるダスカーに、レイは問題無いと頷く。


「この戦争中はダスカー様に雇われている身なので、特に問題はありません。幸い、魔力に関してもまだ十分に余裕がありますし、セトも元気ですから。それに……」

「それに?」

「この戦争で一番手柄を挙げれば、ラルクス家秘蔵のマジックアイテムを貰えると約束をしましたからね。その手柄を挙げる機会が来たと思えば、それ程悪いことばかりでもないかと」


 天幕の中に広がる雰囲気を一蹴するように告げ、それを理解したダスカーもまた、ニヤリとした笑みを浮かべる。


「そうか。そう言えば確かにそんな約束をしていたな。正直、今の段階でもレイの挙げた手柄は比類無いものだと思うが、そこまで言うのなら、いいだろう。決して誰にも文句を言わせない程の手柄を挙げてこい」


 笑みを含んだダスカーの声が天幕の中に広がり、フィルマと話していたエレーナもまた、レイと共に国王派へと協力することになるのだった。

 勿論ミレアーナ王国軍の被害をこれ以上増やさない為というのもあるのだろうが、その中にレイと共に行動したいという思いが欠片程も無かったのかと言えば、それは嘘になるだろう。

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