第246話

「……ふぅ」


 エルクの攻撃によって厩舎の中に吹き飛ばされた形のレイは、溜息を吐きながらドラゴンローブについた埃や藁をはたき落として、小首を傾げて自分へと視線を送っているセトへと近寄っていく。


「セト、ちょっと頼みがある」

「グルゥ?」


 何? と小首を傾げるセトに、素早く事情を説明していく。

 エルクの妻と息子であるミンとロドスが人質に取られていること。そしてそれを利用されてエルクが自分の命を狙うように脅されていること。敵の人数自体は少ないらしく、エルクが裏切らないように監視役としてギルムの街に来ているのは1人であるということ。そして、恐らくこの近辺でこちらの様子を窺っているということ。


「遠見の水晶のようなマジックアイテムは基本的に非常に高価だし、見られていると気が付けば妨害する手段もある。それを考えると、恐らくその類のマジックアイテムではなく直接自分の目で確認していると思う。だからセトはその監視役を捜して捕らえてくれ。出来れば生かして捕獲して欲しいが、逃がすようなら殺しても構わない。頼めるか?」

「グルルゥ」


 任せろ、とばかりに頷くセト。

 その頭を素早く撫でてから、厩舎の奥の壁へと向けてデスサイズを振るう。

 するとその壁が音もなく切断され、丁度セトが出て行くのに丁度いい大きさの穴が開く。


「いいか、今から俺が厩舎から出てエルクとの戦いを再開する。そうすれば監視役の注意も俺達に引きつけられるだろうから、セトはその隙にそこの穴から出てくれ」

「グルル」


 セトが頷いたのを見て、小さく深呼吸。そして……エルクに吹き飛ばされた穴へと向かって走り出す。

 一連の出来事に厩舎の中にいた他の馬や従魔達は驚き、騒いではいたものの、セトという存在で異常に慣れていた為だろう。暴走するようなことは一切無かった。


「うおおおおっ!」


 監視役の注意を引きつける為、わざと大声を発しながら厩舎の外へと飛び出すレイ。

 エルクもまたそれを迎え撃つべく、雷神の斧を構えながら大声で叫ぶ。


「来い! ここで勝負を付ける!」


 その言葉に応えるようにレイはデスサイズを振るい、速度の乗った一撃を放つ。

 ただでさえ純粋な膂力や武器の重さで劣っているエルクだ。そこに助走が付けられてさらに威力を増した一撃に耐えられる筈も無く、まるでピンボールか何かのように大きく吹き飛ばされるも、そのまま無様に地面を転がるようなことは無く態勢を立て直して地面を滑りながらレイへと鋭い視線を向ける。

 幸いだったのは吹き飛ばされた先に建物や木、岩といったものが存在しなかったことだろう。もしそのような物があれば、エルクは致命的とはいかないまでも大きなダメージを受けていただろうから。


「ちぃっ、この馬鹿力が。少しは加減ってものをしろよな」


 追撃とばかりに、再び地面を蹴って振るわれたデスサイズの刃を受け流しながらエルクが顔を顰めて呟く。


「ふんっ、何を言ってるんだよ。あからさまに手を抜いているのを監視役に見破られたら、困るのは俺じゃなくてお前だろうに」


 鍔迫り合いになっている状態でレイが言葉を返し、そのまま刃を合わせている部分を支点として柄を反転。石突きをエルク目掛けて跳ね上げる。


「うおっ!」


 石突きが自分の顎を狙って跳ね上がってきたのを反射的に察知したエルクは、そのまま雷神の斧の柄でそれを受け止めるも……


「ばっ!」


 レイの力の強さに対抗出来ずに、そのまま石突きを防いだ柄諸共に3m程上空へと浮き上げられる。

 空中で必死に体勢を立て直そうとするエルクだったが、わざわざそんな暇をレイが与える筈も無い。横薙ぎに振るわれたデスサイズの一撃により、再びピンボールの如く吹き飛ばされるエルク。それでも、その一撃を雷神の斧でどうにか防いでいたのはさすがというべきだろう。

 真横へと吹き飛びながらも、地面へと足を付け、雷神の斧を持っていない方の手で地面を削りつつ吹き飛ばされた威力を殺してバランスを取るエルク。そのまま何とか地面に転がるような真似をせずに、体勢を立て直すことに成功する。

 そしてゾクリとした殺気を感じ取り、再度雷神の斧を真横へと突き出し……ギィンッ、という甲高い金属音と共に振るわれたデスサイズの一撃を受け止める。


「おい、ちょっとやり過ぎじゃねえか? さっきのも今のも、俺じゃなかったら真っ二つだぞ!?」

「お前だからこそだよ。それに、この街の有名人でもあるお前とまともに手合わせをしたことは無かったからな。この機会にギルムでもトップクラスだと言われているお前の戦闘力を体験させて貰おうか」

「おいおいおいおい、そんなことをしている場合じゃないだろう」


 先程同様鍔迫り合いをしつつ、膝を突き出し、それを回避しつつ相手の残った足首を刈るべく蹴りを放ち、さらには武器を持っていない方の手を突き出してと、ゼロ距離での近接戦闘を繰り広げる。

 そんな攻防をお互いにこなしながらも、その口調は切羽詰まったものではなくお互いに愚痴のように会話を続けていた。


「どうせ監視役に見られている以上はある程度本気に見える戦いをしないといけないんだ。ならいっそのこと、割り切って充実した戦闘訓練だとでも思って行動した方が得だろう……よっ!」


 デスサイズの石突きの部分で地面を擦り上げ、夜露に濡れた土と日中の気温で解け、夜になった気温で再び凍った雪の残骸とでも呼ぶべき物を削りとってエルクの顔面目掛けて放つレイ。


「ぐっ、こ、このっ!」


 咄嗟に顔を背けて目に入るのは防ぐものの、当然そうなれば隙が出来る訳であり……


「はああぁっ!」

「ちぃっ、やらせるかよ!」


 振るわれるデスサイズの音を聞き、殆ど反射的な勘に頼って頭部の横へと雷神の斧を突き出すエルク。だが……次の瞬間にエルクが感じ取ったのは、レイが放った攻撃とは思えない程の軽い威力の攻撃であり、雷神の斧にぶつかった音もカンッという非常に軽いものだった。


「何? ぐがっ!?」


 頭部の横に受けた攻撃はその軽い一撃だったのだが、それは元からフェイントとして放った一撃。デスサイズの柄の部分を雷神の斧と軽く接触させ、その予想外の軽さに眉を顰めたエルクだったが、次の瞬間には雷神の斧で防御しようとした下の部分。脇腹へと強烈な衝撃を食らってそのまま真横へと吹き飛んでいく。

 人間が……それも身体中を筋肉で包み込まれている男が真横へと吹き飛んだのだ。その光景を見ている者達にとっては、まるで夢か何かのようにしか思えなかった。もちろんそれは幸せな夢という訳ではなく、悪夢と表すべき夢だったが。


「げっ、げほっ、げほっ……ふぅ、ふぅ……」


 そのまま地面を削りながら吹き飛んだエルクだったが、こちらもまたさすがにランクA冒険者と呼ぶべきか。地面に雷神の斧を叩きつけ、強引に速度を殺してその場で留まる。


「ほう、まだそんな余裕があるのか。さすが、と言うべきだろうな」

「……お前にそんなことを言われるのは心外以外の何ものでもないけどな。もう少しで肋骨が全滅するところだったぜ」

「ふんっ、自分から跳んで衝撃を殺した割には随分と……ん?」


 左脇腹を押さえていたエルクへと声を掛けていたレイだったが、不意に視線を夜の闇へと向ける。

 それに釣られたのだろう。エルクもまたレイの視線を追い、同時に宿屋から2人の戦いを見守っていた観客達もまた同様にレイの視線を追う。


「間に合ったらしいな」

「グルゥ」


 その声に答えたのは、人ではなくセトの声だった。暗闇の空から殆ど音を発さないままに翼を羽ばたかせ、レイとエルクのいる宿の裏庭へと着地してくる。ただし、いつもと違うのは左右前足の鉤爪で1人の人間と思われる黒尽くめの相手を掴んでいることか。


「そいつは……」


 セトの掴んでいる黒尽くめの男を見ながらエルクが呟く。


「こいつがお前の言っていた監視役だろう?」

「……」


 セトが地面へと置いた男の顔を無言で確認し、やがて小さく頷く。


「ああ、間違いねえ。この街に入る時にも妙な行動をしないようにと一緒に入って来たからな。その辺の記録は警備隊が持っている筈だ」

「なるほど」


 エルクの言葉に頷きつつ、男の着ている服を調べていくレイ。


「おい、何をしてるんだ? もしかしてそっちの趣味があるのか?」

「そんな訳ないだろう。何か通信用のマジックアイテムか何かを持っていたら、折角こいつを捕らえても危険だろう?」

「っ!?」


 その可能性を考えていなかったのか、息を呑むエルク。そしてじっと男の顔を睨みつけ……やがて持っていた雷神の斧へと力を入れ。


「やめておけ」


 その手がレイに掴まれて、止められる。


「何でだ! こいつは……こいつらはなぁっ! ロドスを人質にしてミンを捕らえて、そしてその2人を人質にして俺にお前を殺せと命令してきたんだぞ! 何でそんな奴を庇う!」

「別に庇おうとは思っていないさ」


 激昂するエルクとは裏腹に、レイの視線は冷静そのものだった。いや、その視線は冷静というよりは冷酷と表現した方がいいだろう。


「っ!?」


 そしてレイと目を合わせて視線を向けられたエルクは、思わず息を呑んで数歩後退る。

 言葉通りの意味で、レイが黒尽くめの男に対して何も感じていない。それこそ路傍の石の如く感じているのが明らかだったからだ。


「ちょっとここで待ってろ」


 レイの視線に息を呑んだエルクをそのままに、宿屋の方へと向かっていく。そして自分の部屋にいた者達へと向けて声を掛ける。


「おいっ! 悪いが警備隊を呼んでくれ!」

「もう呼んでいる! けどエルクさんはどうしたんだ!」


 レイの声に返事をしたのは、つい先程レイ自身を取り押さえようとして蹴飛ばされた男だった。身体が頑丈らしく、レイに蹴飛ばされたというのに特に怪我をした様子も無い。

 その声は純粋にエルクを心配していたのだが、レイ自身を押さえつけたことによる謝罪の言葉は一切無かった。

 男にしてみればレイよりもエルクに対する比重の方が上なのだろうが、それでもやはりレイにしてみれば微かに不愉快な気持ちになるのは抑えられる筈も無く。


「どうやらあの男に脅されていたらしいな。警備兵については感謝する」


 それだけ言って、まだ何かを聞きたそうにしている男に背を向けてエルクの方へと戻る。

 そして黒尽くめの男を睨みつけているエルクと、もしエルクが何か行動を起こそうとしたらすぐに止められるようにじっとその隣にいたセトの下へと戻ると、セトの頭を撫でながらエルクへと声を掛ける。


「警備兵はもう呼ばれているようだ」

「……それはいいが、こいつを引き渡して終わりってのは納得できねえぞ」

「気を失っている状態でお前に殺されるのと、警備隊を通して騎士団に引き渡され、あらゆる手段を使って情報を引き出される。……さて、より辛いのはどっちだろうな」


 レイの口から出た言葉に、ピクリと反応するエルク。

 まさかそんな言葉が出て来るとは思っていなかったのか、目を見開いてレイへと視線を向けている。

 エルクから視線を向けられているのを感じつつも、それを気にした風もなくレイは笑みを浮かべながら口を開く。


「それに、こいつがどこの奴かを想像するのは難しい話じゃないからな」

「……何?」


 聞き捨てならない、とばかりに再びレイへと視線を向けるエルク。その目付きは先程の驚愕ではなく、獲物を見定めた猛禽の如く鋭い光を発している。


「どこの手の者だ?」

「それを聞いてどうする?」

「決まっている。俺に……ミンやロドスに手を出したことを後悔させてやる」

「残念だが、それは難しいだろうな。いくらお前でも、相手が国家とあっては攻撃を仕掛けても捕らえられて終わりだろう」

「国家、だと? それはまさか……」


 レイの言葉にエルクの眉が顰められる。エルクにしても、このギルムの街で暮らしてそれなりに長い。そして去年からこの街で幾度か起こった騒ぎについては知っていた。それがどこかの国家が裏で糸を引いているというのは、騎士団や警備隊から公表された訳ではないがそれでも人の口に戸は立てられない。特に雷神の斧はランクAパーティなのだ。当然情報収集に関しても抜かりはない。

 もっとも、雷神の斧で情報収集を担当していたのはミンであり、エルクはその話を聞いているだけだ。それでも幾度か聞いたその話の中で、ギルムに対して何度も謀略を仕掛けてきている相手の名前については聞いていた。

 即ち……


「ベスティア帝国」


 夜闇に包まれる夕暮れの小麦亭の裏庭。そこにエルクが忌々しげに呟いた声が響くが、それが聞こえたのはレイとセトの1人と1匹のみだった。

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