雷神の斧

第245話

「っ!?」


 自分へと振り下ろされる巨大なバトルアックスを見た、その瞬間。殆ど反射的に床を蹴って部屋の中へと逃げ込もうとしたレイだったが……


「ぐぅっ!」


 さすがにランクA冒険者と呼ぶべきなのだろう。エルクの振り下ろしたバトルアックスは、レイを逃がさんとばかりに刃の部分が床へと接触する直前に跳ね上がり、標的を追跡するかのように後を追ってその一撃を叩き込む。

 レイの不幸は、ランクA冒険者であるエルクの力量が予想以上だったこと。そして、エルクの使っているバトルアックスがマジックアイテムであったことだろう。

 逆にレイの幸運は、外から帰ってきたばかりでドラゴンローブを着ていたこと。そして、振り下ろされたバトルアックスが床に接触する直前に跳ね上がるという動作をした為に、その威力を大きく落としていたことだろう。

 結果的にドラゴンローブの防御力により致命傷を負うようなことは無かったが、レイの身体は激しく吹き飛ばされて部屋の壁へと叩きつけられる。


「ぐっ、こ、この……何のつもりだ、エルクゥッ!」


 壁に叩きつけられて一瞬息が詰まったレイだったが、すぐに体勢を立て直して目の前でバトルアックスを持っているエルクへと向かって怒鳴る。……いや、それは既に吠えると表現した方が相応しい。現に食堂にいた客や冒険者達の大半はその声を聞いた瞬間ビクリと身を竦めて動きを止め、数少ない高ランク冒険者達にしても金縛り状態になることはなかったものの、反射的に戦闘態勢を取っていたのだから。


「……レイ。悪いが、俺はお前を殺さなきゃいけないんだよ。許せ、とは言わない。俺を恨んでくれてもいい。憎んでくれてもいい。だが……その命、ここで散らしてくれ」


 一見無表情に見える様子で呟くエルク。だが怒りのままに叫んだレイは、そんなエルクの状態を見て違和感を覚える。


(何だ? 今のエルクの様子は……別に操られているって風でもない。かといって、殺気の類も殆ど……ちぃっ!)


 考える暇すらも与えまいとしたのだろう。バトルアックスを構えたエルクが素早く部屋の中へと突入してくる。

 振り下ろされるバトルアックスを、その場で右半身を後ろへと引いて強引に回避する。


(くそっ! この部屋の中だと俺の武器はどれも使いにくい!)


 レイが基本的に使用する武器は長さ2m以上のデスサイズと投擲用の槍だ。その両方ともが長柄武器であり、この狭い部屋の中では十分に威力を発揮出来なかった。

 もちろんナイフの類も持っている。だが、そんなナイフでエルクの持つ巨大なバトルアックスに対抗出来るかと言われれば、まず無理だというのがレイの結論だった。


(とは言っても、素手よりはマシか)


 呟き、素早く脳裏に出て来たリストからミスリルナイフを選択。次の瞬間には右手にミスリルナイフがその姿を現す。


「……」


 その様子に特に何を言うでもなく視線で一瞥し、再びバトルアックスを手に襲い掛かって来るエルク。

 横薙ぎに振るわれるその一撃を床にしゃがみ込むようにして回避し……


「甘いっ!」


 バトルアックスが頭上を通過する直前、エルクのそんな声と共にバトルアックスから紫電が発生してその雷をレイへと叩きつける。だが。


「甘いのは……そっちだよっ!」


 レイはそんな言葉と共に、自分の真上で止まっている腕を掴み上げ、そのまま強引に2mを越える巨体を持つエルクを床へと叩きつける。


「がはっ!」


 背中をまともに床へとぶつけられたものの、それでも掴んでいたバトルアックスを離さないのはさすがと言うべきだろう。それどころか、反撃だとばかりに再びバトルアックスから幾筋もの紫電が放たれては、レイへと叩きつけられる。


「言っただろう。甘いって……なっ!」


 再び身体が右腕の手首を掴まれたまま身体を持ち上げられ、床へと叩きつけられる。

 幾度も、幾度も、幾度も、幾度も。

 エルクのミスは、ドラゴンローブの性能を知らなかったことだろう。長き時を生きた竜の皮や鱗を用いて作られたドラゴンローブの防御力を突破する程の威力は、さすがに雷神の斧というパーティ名の由来となったマジックアイテムにも発揮出来なかったのだ。


「おいっ、何の騒ぎだ!」

「ちょっと、一体何なの!?」


 先程廊下で上げられた女の悲鳴やレイの咆吼、あるいは6畳程度の部屋の中で繰り広げられている戦闘の音を聞き部屋の入り口へと数名の人影が姿を現す。

 そして見たのは、小柄なレイが2mを越えるエルクの右腕を掴みながら延々と床へと叩きつけている姿だった。

 この光景を端から見ると、どう考えてもレイの方が一方的にエルクへと危害を加えているという光景である。また、エルク自身がギルムの街で有名で人気のある人物だというのも影響しただろう。レイにしても冒険者の間で有名と言えば有名だが、それはどちらかと言えば悪い意味での有名である。その為……


「おいっ、何してるんだよお前! エルクさんを離せ!」


 真っ先に駆け付けた体格のいい男が、床へとエルクを叩きつけようとしていたレイを押さえつける。

 当然その程度でどうにかなるレイではない。だが動きを邪魔されたというのは事実であり……


「うおおおぉっ!」


 怒号を上げつつレイに掴まれていた右腕を振り解くエルク。

 その時レイに出来たのは、咄嗟に掴んでいたエルクの右腕に力を込めて右手首にヒビを入れることだけだった。


「痛っ!」


 その痛みに軽く眉を顰めるものの、エルクはそのまま床から跳び起きる。そして駆け付けた男と揉み合いになっているレイへと向かい、手首にヒビを入れられても離さなかった雷神の斧を手に、再び床を蹴ってレイへと襲い掛かる。

 その時、ようやく様子を見に来ていた者達も事態を理解したのだろう。レイがエルクに襲い掛かったのではなく、エルクこそがレイへと襲い掛かっているのだと。


「え? ちょっ、エルクさん!?」


 レイと揉み合いになっていた男が、自分に……より正確に言えばレイへと向かってバトルアックスを振り仰ぎながら向かって来る迫力に、小さく呟くが、そんなことで今のエルクが止まる筈も無い。自分に迫ってくる巨大な斧に、恐怖で頬を引き攣らせる男。


「ちっ、邪魔だ!」


 そんな男に業を煮やしたレイは自分を押さえつけようとしている手を強引に振り解き、その胴体へと蹴りを入れる。

 同時に、その反動を使ってすぐ側まで斧を構えて迫ってきていたエルクから距離を取るべく窓へと向かい……ガラスを割ってそのまま外へと飛び出した。

 そう、部屋の中にいて自分が得意とする長柄の武器を使えないというのなら、それを使える場所へと移動すればいいのだとばかりに。

 問題としてはレイの部屋が2階にあったことだが、その程度の高さから飛び下りるのはレイの身体能力であれば全く問題が無い。殆ど音を立てずに地面へと着地し、衝撃を殺してすぐさま背後を……自分の部屋のある場所へと振り向く。

 その時に見えたのは、数秒前のレイ同様に窓から飛び出してくるエルクの姿だった。


「……ちっ、諦める様子は無いか」


 舌打ちをしながら、ミスティリングからデスサイズを取り出して構えるレイ。

 同時にエルクが地面に着地し、こちらもレイ同様に殆どの衝撃を殺したままで着地する。その体術はさすがランクA冒険者と言えるだろう。


「お前が何で俺の命を狙っているのかは知らない。だが、俺の命を狙う以上は自分も命を奪われる覚悟があっての行動だな?」

「……ああ」


 短く、それでいて唸るようにして返事をするエルク。その様子を見て、そしてその目に映っている苦悩の色を確認してレイは微かに眉を顰める。


(何か訳ありか。とは言っても、エルク程の実力を持っている奴を相手にして生かして捕らえるなんて悠長な真似は出来ない。出来れば生かして捕らえて俺を襲う理由を……待て。何でここにいるのがエルク1人なんだ? ロドスは実力で俺に及ばないからここにいないのは分かる。だがミン自身はランクAの冒険者で、更には腕の立つ魔法使いだ。そして暴走しやすいエルクのストッパーでもある筈。そのミンがここにいない? そんなことがあり得るのか? そうなると恐らく……)


「だから、お前も自分の命を賭けろ、レイ! そうしなきゃ、死ぬのはお前だぞ!」


 レイの考えを断ち切るかのような声と共に、エルクは地面を蹴って素早く間合いを詰めて雷神の斧を横薙ぎに一閃する。

 部屋の中という場所で実力を発揮出来なかったのはメインの武器を使えないレイもそうだが、エルクもまた同様だったのだろう。踏み込みの早さは、室内での戦闘時とは比べものにならないくらいの鋭さだった。


「そうそう好きにやらせるか!」


 レイもまたデスサイズを振るい、エルクの雷神の斧を迎撃する。

 既に太陽も沈み、夜の闇が周囲を覆う中で大鎌と斧の2つがぶつかり合って火花を散らし、同時に斧からは紫電が走る。


「ちぃっ!」


 エルクの誤算は、レイの膂力とデスサイズ自体の重さ。腕力に自信のあるエルクと、愛用のマジックアイテムであり、パーティ名になっている雷神の斧を振るっても力で負け、武器の重さで負け、武器を振るう速度で負けている。それでもこれまでレイが相手をしてきた者達のように1撃で吹き飛ばされたりせずに曲がりなりにも打ち合っていられるのは、純粋にそれだけエルクの実力が高い為だろう。

 レイの誤算は、エルクの持っている雷神の斧が予想していたよりも高レベルのマジックアイテムであり、デスサイズとまともに打ち合えること。当初は魔力を通したデスサイズで雷神の斧を切断しようとしたのだが、紫電を纏った雷神の斧は魔力を通したデスサイズと打ち合うことが可能だった。

 双方に誤算があり、同時にそれでも戦闘の流れはレイ有利のままに進んで行く。

 だがレイはエルクの行動の不自然さに気が付いており、その為に戦闘自体は有利に進めていても勝負を決めようとは思わなかった。雷神の斧の一撃を捌きつつ、エルクの目を見ながら小声で呟く。


「エルク、お前が何でこんなことをしているのかは分からないが、ここにミンがいないということで大体の予想がつく」


 斧と鎌がぶつかり合いながら聞こえてきたその声に、一瞬だけ……そう、ほんの一瞬だけだがエルクの顔が引き攣り、同時に目に逡巡の色が浮かぶ。

 そして間近でエルクの顔を観察していたレイが、一瞬とはいってもその動きを見逃す筈が無かった。


(やっぱりな。恐らくはミンやロドスが捕らえられて人質か何かにされて、その解放条件が俺の命……ってところか)


 そんな風に考えている間も、レイとエルクは鎌と斧で打ち合っている。その度に火花や紫電が周囲へと散らばり、宿屋の方からも何事かと視線を向ける者達や、レイの部屋から先程集まってきた者達が庭で戦っている2人の様子を見守っていた。

 迂闊に手を出してこないのは、さすがに2人の戦いに手を出せば自分達の命が無くなると理解しているからだろう。


(ここまで話しても俺への攻撃をやめないが、その割には最初のようにこちらの命を奪うかのような攻撃ではない。となると恐らく……)


 殺気の籠もっていない、既に剣舞とすらいってもいいようなやり取りの中、デスサイズと雷神の斧が打ち合わさった時にレイは再び小さく呟く。


「監視役がいるな?」

「っ!?」


 その言葉に驚きつつも、すぐさま微かに頷くエルク。

 それを見てお互いに鍔迫り合いに近い状態のまま、タイミングを合わせてお互いに後方へと跳んで距離を取る。


(なら、この下らない茶番を終わらせる為には、まずその監視役をどうにかしないといけない訳か。幸いここは宿の裏庭。厩舎もすぐそこだ。ならやるべきことは至極単純!)


 一旦距離を取った2人が、再び地を蹴り鎌と斧を繰り出して打ち合い始める。

 その様子は、一見すると真面目に戦っているようにしか見えないやり取りだった。素早く振るわれるデスサイズ、エルクは雷神の斧で死神の刃を受け止め、そのまま滑らせるようにして受け流し、紫電がカウンター気味に放たれた。

 しかしそんなやり取りをしている2人は、鎌と斧で打ち合いつつもお互いに情報を交換している。

 その結果分かったことは、ミンとロドスが人質に取られてエルクが戦いを強制されていること。人質を取った者達の手の者が1人監視役としてギルムの街に入り込んでこの戦いを見ていること。敵の数は全部で4人と少なく、監視役は1人であるということ。人質の2人はアブエロの街にいるということ。

 それらの情報を得たレイは、自分と打ち合っているエルクへと素早く指示を出す。


「いいか、すぐに俺が大振りで攻撃する。お前はそれを回避して、俺を吹き飛ばすような攻撃をしろ。吹き飛ばす先は厩舎の中だ。セトに頼んで監視役とやらを探して貰う」

「……出来るのか? 奴等は闇に潜むのが上手い。見つけるのは困難だぞ」


 下から掬い上げられるようにして放たれた雷神の斧を、デスサイズを一閃して弾きつつレイは小さく頷く。


「ああ。セトは夜目が利くし、それになにより現在一番頼れる相手だ。……いいな?」

「しょうがない。俺にはお前に頼ることしか出来ないからな。……頼んだ」


 済まなさそうな顔をするエルクに小さく頷き……


「これで……決めさせて貰おう!」


 監視役へと聞かせるように大声でそう宣言し、デスサイズの刃を真横に一閃。エルクはその一閃を地面に沈み込むようにして回避し、そのまま雷神の斧を振るい……レイがデスサイズの柄でそれを受け止めるが、エルクの膂力に押されるかのように吹き飛ばされ、厩舎の中へと突っ込んでいくのだった。

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