第229話

 ミレアーナ王国第2の都市とも言える、アネシス。その上空を20cm程の小さな竜が小さな羽をパタパタと動かして飛んでいた。

 その竜の名前はイエロ。アネシスを治めるケレベル公爵令嬢であるエレーナ・ケレベルが、竜言語魔法を使って作り出した使い魔である。

 ギルムの街まで主人の手紙を届けに行き、更には秘密裏に受けた命令でレイの周囲にどのような女がいるのかを調べてきたイエロだったが、ようやく主人の下へと帰ってきたのだ。

 そのまま自分の特殊能力を使い、透明となってアネシスの街へと入ってケレベル公爵邸へと向かって行く。エレーナとは魔力で繋がっている為に、特に迷うことなく主人の下へと帰り着く。


「キュウ!」


 小さいが、それでも鋭い爪の生えている前足で窓をペタペタと何度も叩くイエロ。

 もちろんその手から生えている爪で窓が傷つかないように、十分注意をしての行動だった。

 そしてやがて部屋の中にいたエレーナがイエロに気が付き、笑みを浮かべながら窓を開けて出迎える。


「イエロ、よく戻ったな。怪我も無いようで何よりだ」


 ドレス姿のエレーナが、その豊満な双丘にイエロを押しつけるようにして抱きしめる。


「キュッ! キュキュウッ!?」


 イエロ自体は魔力で作られた使い魔であるだけに、普通の生き物ではない。その為に呼吸をしなくても窒息するということはないのだが、それでも抱きしめる腕の力と、身動きが出来ない程に巨大な双丘に押さえ込まれては暴れたくなるのも当然だった。


「ん? あぁ、すまんな。つい嬉しすぎて思わず。……さて、それで無事に手紙は渡してきてくれたのか?」


 暴れるイエロを落ち着かせるように撫でながら、その身体に巻き付けられていた布を解いていく。布の中には、当然の如く手紙の入った封筒が入っており、その封筒の差出人が『レイ』とあるのを見て、微かな笑みを口元に浮かべるエレーナ。

 ただでさえ姫将軍と呼ばれるのに相応しい美貌に、更には恋する乙女の色気が備わったその表情は、恐らく見る者が見ればそれだけで心を奪われる者が数多く出るだろう。


「エレーナ様、失礼します。お茶をお持ちしました」


 そしてその中には、当然の如く幼少の頃よりエレーナと付き合いのある親友にして護衛騎士団の一員でもあるアーラという存在も含まれているのだった。

 部屋の中に入ってきた途端に目に入ってきたエレーナの艶のある表情に、手に持っていたお盆を落としそうになるアーラ。

 だがそれでも、エレーナと共に育って来たアーラにとっては一瞬で混乱した状態を何とか整えるのはそれ程難しいことではなかった。


「エレーナ様、随分と嬉しそうですね。……あら、イエロ? なるほど。レイ殿からの手紙が届いた訳ですか」

「む? いや、その……まぁ、そうなる」


 自分が笑みを浮かべていた自覚があった為に何とか誤魔化そうとしたエレーナだったが、長年一緒にいたアーラにそんな誤魔化しが通じる筈が無いというのを理解し、小さく溜息を吐いて渋々とそれを認める。

 そしてアーラが笑みを浮かべて自分を眺めているその様子に照れくさいものを感じつつも、封筒から手紙を取り出す。

 自分を落ち着かせるようにアーラの淹れたお茶を一口飲み、手紙へと目を通していく。


「ふむ、なるほど。マジックアイテムか。茨の槍とは、随分と物騒な名前の槍だが……手紙に書いてある性能通りだとするのなら、確かに槍を投げるというレイの戦闘スタイルとの相性は悪く無いかもしれな……い……な……」


 ピクリ。

 手紙へと目を通している時、その一文に目を止めるエレーナ。その表情に浮かんでいるのは、驚愕。あるいは焦燥。そして混乱。……最後に嫉妬。それら様々な感情が交じり合ったような、複雑な感情をその顔に浮かべている。


「エレーナ様?」


 自らの主君でもあるエレーナのその表情に思わず尋ねるが、エレーナはそれに気が付いた様子も無くその一文。即ち、ギルムの街の冒険者ギルドのギルドマスターを務めているのがダークエルフの美女であるという部分に何度となく目を通す。

 そしてやがて自分を落ち着かせるように紅茶の入ったカップを口へと運ぶのだが、動揺の為か腕が微かに震えており、カップの中の紅茶が波打っていた。

 それでも、紅茶を溢す程にまで動揺しなかったのはさすがと言うべきなのだろう。あるいは、初心な乙女の如く動揺するのは未熟だと言うべきだろうか。とにかく紅茶を飲んで心を落ち着かせたエレーナは、アーラへと視線を向ける。


「アーラ、確かバールの街でギルドマスターや領主代理と会ったと言っていたな?」

「え? あ、はい。確かに会いましたけど」


 突然の話題変更に混乱しつつも、空になったエレーナのカップへと改めて紅茶を注ぎながらアーラが頷く。


「それで、その2人はどのような人物だった?」

「え? その辺は以前報告したと思いますが」

「違う、そうじゃない。今私が聞いているのは、その2人の能力ではなく性格や容姿についてだ」

「……性格は、領主代理でもあるディアーロゴ様は豪放で細かいルールを気にしない人でしたね。ギルドマスターのセイス様は、思慮深くて懐の深い人でした」

「容姿は? 領主代理やギルドマスターともなれば、相応の年齢だと思うが」

「そうですね。2人共初老と表現してもいいと思います」


 当然とばかりに頷くアーラ。

 何しろディアーロゴにしろセイスにしろ、出身は冒険者。つまりは一般人だ。これが貴族であるのなら20代の若さで要職に就くという可能性もあるのだが、一般人では奇跡に近い何かが無い限りはそんなことは不可能だった。


「では、当然この手紙に書いてあるダークエルフも相応の年で間違い無いだろう。いや、だがエルフとなると、その外見は若々しいと考えて間違い無い筈」


 深刻な顔をして悩み始めるエレーナだったが、やがて自分が座っているソファの端で丸くなって眠っているイエロに気が付く。

 そう、イエロに命じた幾つかの命令のうち、レイの側にいる女で好意を抱いている人物をその目で確認してくるようにしたのだ。


「イエロ」

「キュ?」


 名前を呼ばれ、顔をエレーナの方へと向けるイエロ。

 そんなイエロの胴体を抱え上げ、額と額をくっつける。


「イエロ、お前が見てきたレイの近くにいる女の姿を見せてくれ」

「キュウ!」


 任せろ! とばかりに鳴くと、接触している額を通してイエロが見てきた記憶がエレーナへと流れ込んでいく。

 圧縮されて送られて来た映像の数々に圧迫されるものを感じて軽く眉を顰めながらも、それを受け取っていくエレーナ。この、イエロ自身が見てきたものを受け取れるという能力こそが使い魔という存在の最大のメリットだろう。

 もっともここまで高性能な使い魔は、竜言語魔法という存在があってこそのものなのだが。

 そしてエレーナの脳裏には、あからさまにレイを誘惑する猫の獣人らしき女や、その隣で獣人を窘めつつもレイと和やかに会話を交わす女の姿が過ぎる。

 言うまでも無くギルドの受付嬢であるケニーとレノラである。


「……全く。仮にも私の唇を捧げたというのに、他の女に気を取られおって。しかし、肝心のギルドマスターの姿は無いが……その辺は無理を言ってもしょうがないか」


 レノラはともかく、明確にレイへと秋波を送っていたケニーを見てもそれ程に危機感を覚えなかったのは、イエロ経由で見た記憶ではレイ自身がそれ程ケニーに対して惹かれている様子が無かった為か。あるいは、手紙に書かれていたダークエルフに対する美人だという言葉に気を取られていた為か……その辺についてはエレーナ本人にしか分からないだろう。あるいは、エレーナ本人ですら自分の心の中の様子を分かっていなかったかもしれないが。

 とにかくこの日から暫く、エレーナはギルムの街のダークエルフがどのような人物なのかを悶々と考えて過ごすことになる。

 あるいはケレベル公爵家の情報網を使えば、ある程度の情報が手に入ったのかもしれない。だが、来春に間違い無く起こるであろう戦争に向けて余裕のあるような者は殆どいなかった為に、そんな我が儘を言える状況ではなかった。

 そしてエレーナ自身もまた、その戦争に向けて自身や配下の者を鍛えるという仕事があり、それどころでは無かったのだ。






「いらっしゃいませ、レイさん」


 アイスバードの群れとの戦いを終えた翌日、レイはセトと共にシスネ男爵家へと訪れていた。

 これまで何度か訪れた時と同じようにアシエに出迎えられ、応接室へと通される。

 屋敷に入ってから応接室まではすぐである為に、特に会話らしい会話も無かったが、それでもアシエの目が赤くなって腫れぼったくなっているのを見ると、前日に泣いたのだろうというのはレイにも容易に想像がつく。

 そんなアシエだったが、前日に泣いた名残といえば目だけであり、態度には全く出していなかった。

 メイドの鑑とも言える態度に感心しつつ、応接室の中へと入るとレイの姿を見るやいなやムエットが座っていたソファから立ち上がって近付いてくる。


「レイさん! 昨日は本当に……本当に、ありがとう御座いました」


 そう言い、深く頭を下げるムエット。貴族である誇りを勘違いしている者が見たら激怒しそうな光景ではあったが、ムエットにとってはそんなことは全く関係無かった。何よりも大事な1人息子のバスレロを、その身を挺してまでアイスバードの攻撃から守ってくれたのだ。もちろん、マジックアイテムで無傷だったのだが、それでもムエットにとっては頭を下げるのが最大限の感謝の表し方だった。

 その真摯な思いを受け取ったのだろう。レイもまた、小さく頷いてから口を開く。


「気にするな。アシエに言ったと思うが、戦闘訓練の依頼を受けていたんだから、昨日の戦いもまたその一環だと思えば依頼のうちだ」

「ですが……バスレロが勝手に馬車の中に忍び込んだと聞いています。それが無ければ……」


 頭を上げたムエットが、ソファから立ち上がって自分同様に頭を下げているバスレロへと視線を向ける。


「……ふぅ。確かに昨日の件は色々な意味で危険な出来事ではあった。だが何度も言うように、実戦の現場をその目で見て、体験したという風に考えれば決して無駄だった訳じゃない。……ただし」


 ジロリ、とバスレロへと視線を向けるレイ。


「次から何か行動を起こす時には、自分の実力というものをしっかりと考えてからにするんだな。そうでなければ、そのうち自分だけじゃなくて仲間まで道連れにして死ぬことになるだろうな」

「……はい」


 レイの言葉に、大人しく頷くバスレロ。その表情には、つい先日までレイと戦闘訓練を受けていた時の明るい色は殆ど無かった。馬車へと忍び込んでアイスバードとの戦いに参加したというのを、アシエ経由で聞いたムエットに散々説教され、あるいは泣かれすらもしたのだ。

 その父親の姿を見て、改めて自分がどれだけ危険なことをしたのかを実感したバスレロはその重大さに対してどうすればいいのか分からないでいた。その結果が、数日前までとはまるで違う今の様子である。


「はぁ……いいか、バスレロ。こう考えろ。もし何も知らないままでいたら、お前が昨日のような経験をするのはもっと致命的な時だったかもしれない。それこそ、パーティを組んでいる冒険者達が生きるか死ぬかの瀬戸際だったりな。だが、幸いお前は本物の戦場をしっかりと見た。それも、俺やセト、あるいはミレイヌやエクリルのようなランクCパーティがいるという状況でな。そう考えると、お前の行動は幸運だったと言ってもいいだろう?」

「……はい」

「だから、これからは同じミスを繰り返さないようにしろ。そして今回の経験を糧として活かせ。そして、お前が冒険者なり貴族の当主になったりして、今のお前と同じような相手を前にした時にその経験を活かしてくれればそれでいい」

「はい」


 レイの言葉に先程までよりは多少元気が出たのか、すぐに頷くバスレロ。

 そして、そんなバスレロを見て微かに笑みを浮かべるムエットとアシエ。


「ありがとうございます。今回は本当に色々と助かりました」

「何度も言うが、今回の依頼の範囲内だったんだ。それ程気にしないでくれ。ただ、そうだな……次に何かあった時に今回の件を覚えていたら手を貸してくれればそれでいいさ。もちろん手を貸せる範囲でな」

「ええ。シスネ男爵家の名前に掛けて約束致します。……シスネ男爵家がその時まで残っていれば、ですけどね」


 場の空気を和ませようとしたのだろう。ふにゃり、とでも表現出来そうな笑みを浮かべながら告げるムエット。


「取りあえず、これが依頼の完遂証明書です。ギルドの方に提出して下さい」


 ムエットの名前が書かれた書類を貰い、色々と予想外のイベントはあったものの無事に戦闘訓練の依頼を完了するのだった。

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