第222話

 バスレロの戦闘訓練6日目。この日は、レイとバスレロ。そしてセトの姿は珍しくシスネ男爵家ではなく街中にあった。

 昨日に引き続き晴天に恵まれ、明るい太陽の光が降り注ぐ中を2人と1匹は目的地へと向かって進んでいる。

 だが、当然レイとセトが街中を歩いていれば声を掛けてくる者がいる訳で。


「お、レイじゃないか。久しぶりだな。どうする? いつものように買っていくか?」

「あら、レイ。今日のサンドイッチはガルム鳥がメインだけど、どうする?」


 屋台で串焼きを売っている50代程の元気のいい初老の男に声を掛けられ、あるいはその隣の屋台でサンドイッチを売っている20代程の女にガルム鳥のサンドイッチを勧められる。

 ちなみにガルム鳥というのは鶏がモンスター化したものだ。空を飛べないという致命的な欠点があり攻撃自体もクチバシと足の爪程度と、ランクGの冒険者でも簡単に倒せる上に肉もそれなりに美味い為に、低ランク冒険者にとっても文字通りの意味で美味しいモンスターである。

 そんな風に声を掛けられ、いつものように串焼きやサンドイッチを買い込みながら街中を歩いて行く。


「ほら、バスレロ。お前も食え」


 そう言い、焼きたてのファングボアの串焼きをバスレロへと渡すレイ。

 その隣では、セトがガルム鳥のサンドイッチをグルグルと喉を鳴らしながら食べていた。

 それを見たバスレロは一瞬共食いなんじゃ? と内心で思ったのだが、さすがにそれを尋ねる勇気は無かったので、そのまま大人しくレイと共に街中を進んで行くのだった。


(あ、美味しい)


 まだ脂が滴っている、焼きたてのファングボアの串焼きを幸せそうに食べながら。

 そしてそのまま中央通りを真っ直ぐに進み、やがて到着したのは冒険者ギルドだった。


「……先生? 僕はまだ冒険者になると決めた訳じゃ」


 いつものようにセトと別れてギルドの中へと向かおうとするレイへと、バスレロが慌てたように声を掛ける。

 だが、レイは安心させるようにそんなバスレロの頭へと手を置く。


「別にお前の冒険者登録をしに来た訳じゃない。……というか、普通に考えてお前のような子供を冒険者登録はさせてくれないだろう」

「あ、そうですよね。……ふぅ」


 レイの声を聞き、思わず安堵の息を吐くバスレロ。

 そんな様子を見ながら笑みを浮かべ、ギルドの扉へと手を掛ける。


「今日、用があるのは……ギルドの訓練場だ」


 そうして開かれたギルドの中へと、レイはバスレロを伴ったまま入っていく。


「訓練場?」


 バスレロもまた、首を傾げつつレイの後を追う。

 何しろ、訓練をするだけならシスネ男爵家の裏庭があるのだ。もちろんそれ程大きく走り回って行動出来る訳では無いが、それでもある程度の広さはある。それなのに、わざわざギルドまで来る理由がバスレロには分からなかった。

 それでも特に何か文句を言うでもなくレイの後を付いてギルドの中へと入っていったのは、やはりこれまでの戦闘訓練を経てレイに対する尊敬の念を抱いているからだろう。……もし、レイが戦闘訓練で昨日、一昨日とやっていた回避や防御を鍛えるやり方が漫画を思い出して考えたものだと知ったらどうなるのかは分からないのだが。


「うわぁ。……ここがギル……ド?」


 ギルドの中に入った途端に聞こえてきたざわめきに、バスレロは思わず感嘆の息を漏らしそうになったのだが、すぐにその表情は不思議なものを見たようなものになる。何しろ、ざわめきが聞こえて来るのはギルドの中でも併設されている酒場の方からのみなのだ。肝心要のギルドの受付付近には数人の姿しかない。既に移動して受付嬢と話しているレイの姿もそこにあったのだが、それを入れても4人程だ。


「えっと……あれ?」


 混乱しつつ周囲を見回していると、ふと足取りも覚束ない程に酔っ払った冒険者らしき人物が自分へと近付いてくるのが見え、バスレロはその場で留まって相手を待つ。

 自分に近付いてくるのだろうから、何か用があるのだろう。そう判断したのだったが、それはある意味では正しく、ある意味では間違っていた。


「おいおい、何でガキがこんな場所にいるんだよ。ほら、さっさとお家に帰ってママのおっぱいでも吸ってな」

「っ!? 今、何て言ったんだ」


 突然の侮辱に、バスレロの頬が赤くなる。

 特に、母親という単語を出したのが悪かった。バスレロにとって母親とは、物心ついた時には既に存在していなかったのだ。つまりそれだけ憧れの存在でもある。そんな憧れの存在を馬鹿にされて、黙っていられる訳が無かった。


「はぁ? 聞こえませんでしたでちゅか? 坊やはお家に帰りなさいって言ってるんでちゅよー」


 あからさまに馬鹿にしたように告げてくる酔っ払い。そして、その酔っ払いが座っていたテーブルに残っていた男の仲間は、怒りで頬を赤く染めているバスレロを見て、いい酒の肴だとばかりに笑っている。


「っ!?」


 その様子に、腰の剣へと手を伸ばし掛けたところで……


「ちょっと目を離したらすぐにこれか」


 横から伸びてきた手が、溜息と共にバスレロの剣の鞘を押さえ込む。


「全く。酒を飲んで騒ぐのはいいが、見苦しい真似をするな」

「あぁん!? 手前、何を偉そうに……」


 酔っ払っている為に、そこにいるのがレイだと……このギルムの街の冒険者の中で迂闊に絡んではいけない相手だとは気が付いていないのだろう。自分の楽しみの邪魔をした小生意気な相手を、自慢の腕力で殴り倒してやるとばかりに腕まくりをしながら睨みつける男。

 だが、それを見ていた男の仲間達は数秒前の愉快に笑っていた状態から急激に引き攣った笑みへと変わり、ほどよい酔いに関してもすぐに醒める。そう、男の仲間達はバスレロへと絡んでいる男と違ってまだ完全に酔っ払ってはいなかった。その為にレイの存在を見過ごすような真似もしなかった。


「……」


 チラリ、と男達の方へと呆れた様な視線を向けるレイ。その視線の意味、即ち『目の前にいる男をどうにかしろ』というのを理解した男達は慌てたように椅子から立ち上がってレイ達の方へとやってくる。


「おい、プレージ。酔っ払うのもいい加減にしろよ」

「そうそう。お前、誰に絡んでいるのか分かっているのか?」

「ほら、とにかくこっちに来い。こんな所で酔っ払って騒ぎを起こしたりしたらどうなるか分かってるだろ?」


 酔いで顔を真っ赤に染めている男は、そんな仲間達へと胡乱げな視線を向ける。


「ああん? 俺がこんなガキ共相手に騒ぎになる程に手こずると思ってるのか?」

「いや、分かったから。ほら、行くぞ。坊主、悪かったな。こいつも酔っ払ってたんだ。それに坊主がレイの知り合いだってのも知らなかったし。これで許してやってくれ。迷惑料だ」


 男達の中の1人が、プレージと呼ばれた男の懐から銀貨を1枚取り出すとバスレロへと手渡す。


「おいっ、何で勝手に俺の財布から……」


 プレージが喚こうとするが、次の瞬間には仲間の男達の手で口を押さえられ、同時にそのままテーブルの方へと引っ張って行かれる。


「……」


 無言で自分を睨みつけるバスレロに、男は苦笑を浮かべて頭を下げてくる。


「ほら、悪かったって。別に俺達もレイの知り合いに喧嘩を売る程に馬鹿じゃねぇ。頼むから、これを受け取って手打ちにしてくれねえか?」


 男にしてみれば、レイに喧嘩を売ったあげく全財産を取られた鷹の爪という存在を知っているのだ。それだけに、レイの知り合いに絡んだ代償が銀貨1枚――それも自分の金ではない――というのなら、不幸中の幸いだった。


「貰っておけ」

「先生、でも……」


 レイの言葉に不服そうな顔を向けるバスレロだったが、レイの視線に負けて渋々と差し出された銀貨を受け取る。


「へへっ、悪いな。あいつには酔いが覚めたらきちんと言っておくからよ」


 そう言い、酒場の方へと男は戻っていく。

 その姿を見送り、レイは溜息を小さく吐くとギルドの裏口へ。そしてそこから出て、訓練場へと向かう。

 バスレロもまた、どこか納得出来ない表情をしながらもレイの後を付いていくのだった。






「レイさん!」


 訓練場へと到着したレイとバスレロ。そして暇だったのか2人に付いてきたセトを、1つの声が迎える。

 その声の主は、レイよりも若干年上のように見える黄色い髪の男だった。そして、その腰にはとても長剣が入るとは思えないような細い鞘がぶら下がっている。


(エストック? 随分と特殊な武器をもってるみたいだけど……先生の友達かな? ここにいる以上は恐らく冒険者なんだろうけど)


 自分達を迎えてくれた人物を見ながら、内心で呟くバスレロ。

 そんなバスレロの疑問を特に気にした様子も無く、レイは訓練所のいた人物へと手を上げて声を掛ける。


「ハスタ、急に呼び出して悪いな」

「いえいえ、気にしないで下さい。僕としても冬の間は依頼を受けるのに慎重にならざるを得ないですし、なによりもその状態でモンスターを狩りに行く必要がありますから。身体を動かすのは、むしろこちらからお願いしたいくらいです」

「……冬なのにソロでモンスター討伐というのは、厳しいんじゃないか?」


 東北の山育ちで冬の厳しさを知っているからこそ、レイはこの季節にモンスターの討伐依頼を受けるのはやめようと判断したのだ。それなのに自分よりも戦闘力で劣っていて、尚且つセトのような相棒もいないハスタがそれを行うと言われれば、さすがに心配になってそう声を掛ける。

 そんなレイの言葉に苦笑を浮かべつつ首を振るハスタ。


「もちろんこの時期にソロでってのはさすがに無謀だから考えてませんよ。金欠気味の人と一緒に臨時のパーティを組んでですね。ま、話はこの程度にして……そっちの子が?」


 バスレロへと視線を向けて尋ねるハスタ。


「ああ。ギルドからの依頼でな、1週間程度だが戦闘訓練をつけることになっている。バスレロ、こいつはハスタ。ソロのランクD冒険者だ。昨日の訓練が終わった後に、今日の訓練を手伝って貰えるように交渉しておいた」

「初めまして! 僕はバスレロ・シスネといいます。今はレイさんに戦闘訓練を付けて貰っているところです!」


 ペコリと勢いよく頭を下げるバスレロに、思わずハスタの目が見開かれる。


「名字持ちってことは……」

「ああ。男爵家の跡取り息子だよ」

「それは、また……そんな貴族の人が、よくレイさんを相手にして戦闘訓練をするような真似を……」


 レイの獲物が巨大な鎌であるデスサイズだと知っているハスタは、思わず視線をバスレロへと向ける。だがバスレロが腰からぶら下げているのは若干短いが、それでも剣だ。どう考えてもデスサイズのような大鎌ではない。

 その視線の意味を理解したのだろう。レイは思わず苦笑を浮かべる。


「まぁ、そういう理由もあって今日はハスタに手を貸して貰おうと思ってな。俺は剣なんか使えないから、どうしても歪な教え方になるんだよ。そもそも我流だし」

「それを言うなら、僕の剣だって冒険者の先輩に教えて貰った我流ですよ? 一応先輩が教えて貰った先輩の、そのまた先輩辺りはどこかの流派でしっかりと剣術を修めたらしいですが……」

「よろしくお願いします!」


 2人の会話を聞いていたバスレロが大きく頭を下げる。

 バスレロにしてもレイの訓練は防御や回避の重要性を教えてくれたこともあって、自分の血肉になっているというのは理解している。それでもやはりレイの武器は大鎌であり、剣を使っているバスレロにしてみれば物足りないというのも事実なのだ。

 ……もっともレイにそんなことを言おうものなら、物足りないという言葉が出なくなるくらいに徹底的にしごかれそうな気がするので、とてもでは無いが口に出せないのだが。


「分かったよ。じゃあ、僕が相手になろう。模擬戦でいいのかな?」

「はい、先生にもそうやって教えて貰ってますので」

「そうか。……じゃあ、掛かって来てくれ」


 スラリ、と鞘から自分のエストックを抜いて構えながらハスタが言う。

 バスレロはその構えに少しの隙も見いだせずに、息を呑む。それでもレイの方へと視線を向けると、頷くのを見て腰の鞘から剣を抜き放つ。


(これが、先生以外のランクD冒険者なのか。凄い迫力だ)


 内心で感嘆の息を吐き、いつでもエストックを突き出せるように構えているその姿に気圧されながらも、己を鼓舞するように大きく叫ぶ。


「……行きます!」


 その声と共に、地を蹴り間合いを詰めて横薙ぎに一閃。エストックという突きに特化した武器ではその一撃を受けることはまず無理だと判断した故の一撃だった。確かに刀身が非常に細いエストックで剣を受け止めるのは難しい。だが、それなら受け止めなければいいだけなのだ。

 ハスタは特に驚きの表情を見せるでもなく、1歩後ろへと引いて回避を選択する。そのままバスレロの剣が自分の目の前を通り過ぎた瞬間、素早く足を踏み出してエストックを突き出し、次の瞬間にはバスレロの首筋に接触するかしないかといった位置に剣先が突きつけられていた。


「攻撃の鋭さはそれなりにあるけど、そっちに意識が行きすぎだよ。もう少し防御に関しても意識を向けた方がいい」


 こうして、6日目の訓練はハスタのひたすらに鋭い攻撃に翻弄されるバスレロ、それを横から見て時々注意するレイと地面に寝そべって半ば眠っているセトといった風に過ぎて行くのだった。

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