第221話

 バスレロとの戦闘訓練3日目。

 その日もまた、これまでの2日と同じくレイとバスレロはひたすらにシスネ男爵家の裏庭で戦闘訓練を行っていた。


「ほら、また足の防御がお留守になっているぞ!」


 その声と共に振るわれた槍の柄により足下を掬われ、そのまま地面に転がされるバスレロ。

 今日だけですでに20回を越える数は地面に転がされているだろう。だがそれでも、前日に比べると足下を狙った攻撃に対してもそれなりに反応出来るようになっているのは、さすが吸収力が高い子供だと言えるだろう。


(あるいは、ムエットの曾祖父譲りの剣の才能なのかもしれないがな)


 内心で呟き、地面に手を突きながら起き上がってくるバスレロへと視線を向ける。

 そんな風に戦闘訓練をしている2人を見つめる視線が2つ。1つはシスネ家のメイドであり、同時にもし怪我をした時にすぐにでも回復魔法を使えるようにと待機しているアシエ。そしてもう1つは、セトのものだった。

 前日に付いて来なかったセトが今日いるのは、裏庭に散らかっていた枯れ木が綺麗に片付けられているとレイに聞かされたことと、ミレイヌが遊びに来なかったことが上げられる。もっとも後者の理由については、また雪が降っている冬の間に依頼を受けたくないというスルニンとエクリルの2人が夕暮れの小麦亭に突入しようとしたミレイヌを強引に止めた為だったりするのだが。

 何しろ放っておけばセトを餌付けする為に幾らでも食べ物を買っては与えるという行為をするので、リザードマンの討伐で得た報酬も急激に減っていたのだ。それに気が付いたスルニンは、さすがに灼熱の風の参謀と言えるだろう。

 とにかくそんな事情もあって、今日はセトもシスネ男爵家へとやってきたのだった。


「ふぅ、ふぅ、ふぅ……行きます!」


 呼吸を整え、再び剣を構えながらレイとの距離を縮めるバスレロ。

 レイが教える戦闘指南というのは、本人が言った通りにひたすらに模擬戦を重ねるというものだった。

 本来であれば剣の振り方や、あるいは身体の使い方といったものを『型』という形で教えたりするのだろう。だが、レイは自分自身が言っていたように我流でここまでやってきたのだ。その為に他人に……それも、貴族の嫡男に対して自分の戦闘方法をそのまま教える訳にもいかずに、最終的に選んだ結論が取りあえず模擬戦を繰り返すというものだった。


「やああぁっ!」


 気合いの声と共に突き出される剣の切っ先。

 その鋭さは、防御に気を取られていた昨日に比べると鋭くなっていた。

 だがそれでも、初日のように防御のことに気を取られずに放たれた、全力の一撃に比べるとやはり鈍い。


「……」


 無言で突き出された切っ先を槍の柄で弾くレイ。

 そのまま弾かれた剣の切っ先。だが、そこからがこれまでと違っていた。

 弾かれた剣の勢いを利用して、その場で大きく回転するバスレロ。そしてそのままの勢いを維持して、レイの胴体目掛けて横薙ぎの一閃を繰り出す。


「ええぇいっ!」


 その一撃に感心したように軽く目を見開き、それでも次の瞬間には手首を返して槍の柄で刀身を弾くレイ。

 ギンッ!

 金属と金属がまともにぶつかり合う甲高い音が周囲へと響き渡る。

 音そのものだけを聞けば、レイとバスレロの攻撃は互角のようにも聞こえただろう。だが、元々持っている根本的な身体能力の差がそこにはあった。

 気が付けばレイの手には鉄の槍があり、しかしバスレロの手の中に数秒まで握られていた剣の姿は存在していなかったのだ。


「痛っ!」


 槍の柄と剣の打ち合った衝撃で手が痺れたのだろう。バスレロが思わず右手を左手で押さえながら、その場へとしゃがみ込む。


「坊ちゃま!」

「待て、動くな!」


 地面へと踞るバスレロを見た瞬間、殆ど反射的に走りだそうとしたアシエの動きをレイが止める。


「でもっ!」


 何で止めるんですか、といつもの天然気味と表現してもいいような顔を厳しく引き締め、強い視線をレイへと向けるアシエ。

 だが、その表情はすぐに消え失せる。何しろ、バスレロとアシエの中間程の場所へと上空から先程レイによって吹き飛ばされた剣が降ってきて地面に突き刺さったのだから。


「もういいぞ。ただし、特に怪我はしていない筈だからお前が行く必要は特に無いと思うがな」


 レイの口から漏れるそんな声を聞き流しつつ、バスレロへと駆け寄るアシエ。


「坊ちゃま、大丈夫ですか? すぐに回復魔法を……」


 そう告げ、伸ばされた手をバスレロがそっと押さえる。


「大丈夫だよ、アシエ。先生が言ってるように、この程度の怪我に回復魔法なんて必要無いから」


 実際、バスレロの手は特に怪我を負っている訳では無い。レイの持つ膂力に剣を弾かれたことによる痺れが手を襲っているだけだ。ただ、その痺れが骨の芯まで届いていたりするのだが。


「本当に大丈夫なんですか?」

「ああ、心配はいらない。それよりもアシエは危険だから離れていてくれ。稽古はまだまだこれからなんだし」


 痺れでまだ握力も戻ってはいないのだが、それでも地面へと落ちている剣の柄へと手を伸ばすバスレロ。 

 そんなバスレロへと心配そうな視線を向けていたアシエだったが、このままここにいては戦闘訓練の邪魔になると思ったのだろう。そっとレイへと先程の謝罪の意志を込めて目礼し、先程の場所へと戻っていく。

 その後も前日程では無いにしろ、幾度となく攻撃をしては防御の甘い場所を槍の柄で突かれ、あるいは掬い上げられながらと訓練を続けるのだった。






 4日目。この日は前日と違って激しく雪が降っており、裏庭で訓練をするのはどう考えても無理だった。いや、無理をすれば可能だったかもしれないが、その場合はしなくてもいいような怪我をする可能性もあっただろう。もちろんある程度の実力が付いてからなら悪天候の中での戦闘訓練というのもやるべきなのだが、今のバスレロはとてもではないがそのレベルでは無い。まだまだ初心者同然なのだ。いや、むしろ中途半端に剣の心得がある分、普通の初心者よりも危険だろう。その為、アシエの回復魔法があるとはいっても無意味な怪我をする必要性を感じなかったレイは、この日は模擬戦では無く別の戦闘訓練をバスレロへと行う。


「次行くぞ」

「はぁ、はぁ、はぁ……はい!」


 短く息を整え、レイへと頷くバスレロ。

 2人が現在いるのは、レイが初めてこの屋敷に来た時に通された、シスネ男爵家の応接室だ。

 そんな場所で何をしているのかと言えば、レイが紙を丸めた物をバスレロへと投げ付け、バスレロはそれを回避するという訓練だった。

 これなら危険はそれ程無いと判断したのか、メイドのアシエは家事に専念しており、ここにその姿は無い。

 また、雪が強く降っている影響もありセトは厩舎に残ったままだった。


「いいか。何度も繰り返すが、この紙玉を敵の攻撃だと思え。当たるなよ!」


 レイはそう告げ、丸く握りつぶした紙の塊をバスレロ目掛けて次々に投げ付けていく。

 バスレロとしても何とか回避しようとするのだが、レイが投げ付ける紙玉の速度はかなり速く、半分程回避出来れば上出来といった具合だった。


「お前の弱点の防御に関しては、昨日の模擬戦で多少は改善されてきた。だが、それでもまだまだ攻撃重視の状態だからな。それと、この訓練には動いている物を見る力を鍛える効果もある。しっかりと紙玉を見て、それで避けろ。紙玉の来る方向を予想して避けるんじゃなくて、見てから回避するんだ」

「はい!」


 紙玉を幾つも連続して投げ付けながら、バスレロへと向かって告げるレイ。

 ちなみにこの訓練に関しては、別にレイ自身が考えた訳ではない。外で訓練が出来なくなった為に、レイが日本にいた時に読んでいた漫画を参考にして即興で考え出した物だった。その為に色々と無茶な部分もあったりするのはレイ自身も分かっているのだが、それでも何もしないよりはマシだろうと判断して紙玉を投げ続けているのだった。

 そして実際にこの訓練がどれ程に厳しいものなのかは、息を切らせながらよろよろと立ち上がっているバスレロの姿を見れば一目瞭然だろう。なにしろ所詮紙だとは言っても、丸められている以上はそれなりの速度が出る。そしてその紙玉をレイの腕力で投げ付けているのだから、怪我の心配といったものは殆どいらないが、その分表面的な痛みは相当なものがあった。しかもその紙玉を殆ど休み無く、連続で投げ付けてくるのだから、バスレロにしてみればそんな痛みを受けるのは嫌なので、必死に回避する。その結果、バスレロが苦手としていた回避の動きは急激に消耗する体力と引き替えるかのように様になっていくのだった。






 5日目。この日は前日とは違って冬にしては珍しい程に天気が良く、朝から太陽が激しく自己主張をしながら日光を地上へと降り注がせている。それでも気温自体は冬なので、まだまだ寒い。そんな中、今日の戦闘訓練の舞台は再び裏庭へと戻っていた。

 昨日の訓練でやった防御能力……というよりは、回避能力の上昇。そして動体視力の上昇。これらを終えたので次のステップということで今日は魔法に対する防御、あるいは回避を学ぶことになったのだ。

 そして今日も今日とてバスレロは元気一杯にレイへと視線を向けている。一応昨日の訓練の影響で筋肉痛になったのだが、アシエの回復魔法を使っているので動きにぎこちなさは一切無い。


「いいか。これから俺がお前に魔法を使う。……とは言っても、当たっても火傷をしないで、ちょっと熱く感じる程度の炎の球だ。要領に関しては昨日と同じと考えていい。回避するか……あるいは、その剣で迎撃するか、だ」

「え? 先生、僕の剣はマジックアイテムじゃないですよ?」


 レイの言葉に、殆ど反射的に告げるバスレロ。

 それもある意味当然で、貧乏貴族であるシスネ男爵家に高額なマジックアイテムを買えるような資金がある訳では無かった。

 もっとも、マジックアイテム……魔剣とはいっても、高額な物ばかりではない。普通の長剣にミスリルや火炎鉱石のような魔力の宿っている金属。あるいは魔石を加工した物でコーティングするという方法を使えば、それなりに安い金額で魔剣を購入することも出来るのだが。


「その辺は大丈夫だ。今回俺が使うのは普通の剣でも干渉出来るようにしてあるから、命中すれば炎はそのまま消滅する。今日の訓練の目的は、魔法について慣れることだ。昨日の紙玉と違って一応は本物の魔法だが、その辺は調整してある。冒険者になるにしろ、男爵として家を継ぐにしろ、いざ戦闘になった時に敵が魔法を使ってきたのに驚いて対処出来ない、ってのが1番最悪だからな。行くぞ」

「……はい!」


 レイの言葉に頷き、剣を構えるバスレロ。その構えは、数日前とは違って攻撃一辺倒という訳ではなく、すぐにでも防御へと移れるようになっている。この辺はひたすらレイがバスレロの弱点を突いていたからだろう。

 ミスティリングからデスサイズを取り出し、その異様な武器にバスレロが思わず眼を奪われている間に呪文を唱える。


『炎よ、柔らかき汝は微かな熱を持つものなり。我が魔力を食らいて、雲霞の如く現れ出でよ』


 呪文が紡がれると同時に、デスサイズの巨大な刃の先端に30cm程の炎が形作られる。そして……


『仄かなる炎』


 呪文が完成し、次の瞬間にはデスサイズの先端に作られた炎から10cm程の火球がバスレロへと向かって射出される。

 ただし、その速度は非常にゆっくりとしたもので、まるで石を軽く放り投げた程度の速度だった。


「え?」


 その速度に思わず驚きの声を上げるバスレロ。だが、すぐに我に返ると自分へと向かって来た炎へと向かって剣を振り下ろす。


「やぁっ!」


 気合いの声と共に振り下ろされた剣は、飛んで行った炎を綺麗に切断し、そして切断された炎はそのまま空中へと散っていくのだった。


「やった……? やりました、先生!」


 魔法を切ったことに、バスレロは喜びを露わにする。屋敷の方でレイ達の様子を見ていたアシエもまた、嬉しそうに笑みを浮かべていた。


「大体やり方は分かったな? 取りあえず触っても火傷はしないから、この調子でどんどんいくぞ」

「はい!」


 レイの言葉に元気よく頷き、再び剣を構えるバスレロ。

 その様子を見て、次は2つの火球を先程よりもほんの少しだけ早い速度で射出する。


「えい! やぁっ!」


 一閃、二閃。瞬時に火球2つが切断される。さすがに攻撃に特化してこれまでの訓練をしてきたと言うべきか、あるいはここ数日のレイとの訓練で何かを掴んだのか、その剣筋はそれなりに鋭いものだった。

 だがそれも最初だけであり、徐々に速度が増し、あるいは火球の数が増えていくとそれに対応するので精一杯になり、あるいは身体へと火球が命中し始める。


「ほら、別に全部を剣で斬らなくてもいいんだ。回避したりするのも織り交ぜろよ」

「あ、はい。分かりました!」


 こうして、結局その日は幾度となくバスレロの身体に火球が命中することになるのだった。

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